Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale...

46
Instructions for use Title テオフラストスの生涯と著作 (2) : Diogenes Laertius V巻 42-50節 における著作目録への註釈 Author(s) 斉藤, 和也 Citation 北海道大學文學部紀要, 34(1), 1-45 Issue Date 1985-11-18 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33498 Type bulletin (article) File Information 34(1)_PL1-45.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

Transcript of Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale...

Page 1: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

Instructions for use

Title テオフラストスの生涯と著作 (2) : Diogenes Laertius V巻 42-50節 における著作目録への註釈

Author(s) 斉藤, 和也

Citation 北海道大學文學部紀要, 34(1), 1-45

Issue Date 1985-11-18

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33498

Type bulletin (article)

File Information 34(1)_PL1-45.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

Page 2: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

Diogenes L総 rtiusV巻 42-50欝における

著作鼠録への註釈

斉藤和也

本震は本学音s紀 33の 1(培和的年 9月)所畿の揃稿「テオプラストスの

と著作 (1)-Diogenes La日rtiusV巻 36-57節の訳と註-Jにおいて省、か

れていた著作呂録への挫である。

Th 図録への註釈を持なうにあたり,その著作に関する文識につい

て,若干述べておく。

Thの著作の初j援 (EditioPrinceps)は, Ar全集としても初抜本にあたる

Aldus絞 (1495-98)である(l)o Thのみの全集は, Aldus)振に依る Gen問機

saeus抜 (1541)が最初である〈zh近代の全集としては Schneid訂援 (1818-

1821)( 3), Wimmer寂 (1862Teubneム1866Didot)C4)が出ている。 Schneider

肢には主に Athenaeusから採った断片集が付いている (IV,p. 288-294)。

Wimmer寂に付いている断片薬 Fr.13-190(171をj狭心は,ウーゼナー

(Us告 別r52-60, testimonia)の集成に若干付加したものである (cf.Wimmer

j友Didot.Praefatio, iii)c

Thの総括的研究としては, Brandis, Zeller, Gomperzらの哲学史の他に

は, Real-Encyclopadieへの Regenbogenの寄稿論文 (1940)がある。最近出

版されたむberwegW活学史綱要』への Wehrli

補うものである(5L とりわけ,文献日緩や.475-6;p. 誌, Regeト

bogen以降の研究文献を矢口る上で欠かせない。

各分野ごとに見るならば,議獲さ学においては, Bochenskyの研究 (1947)は

Prantl, M証ierらの論理学史のてfh解釈を過去のものとした。 この研究を踏

Page 3: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学音s紀要

まえた Kneal患の論理学史 (1962)持参照すベ診ものである問。 近年,

Graeser*は断片集成と註釈をまとめた。 ミスプヲや誤釈があるとの評もあ

るが,現在では便持な本である(7)。

高上学においては, Brandis, U諮問巴rの校訂とその研究をどうけて Ross

& F仲間によってほぼ全面的に研究が行なわれた。般に Tricotの仏

Eえeale る(8)。

自然学においては, Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ

定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

見も多く含んでいる例。また, 1950年代tJ時の写本研究を背禁に自然学3小

品の原典付訳註本が出版された開。

積物学においては,原典対訳のロエブ双書に古くから r機物語Jが収めら

れているが,最近, Einarsonの子により,全写本の研究に基づいたず植物

I-IIが出寂された(11)。 としては,古いが, Sp記ngel*の研究

(1822)がジブブソントされている。

生現学的心理学においては Strattonの研究がまとまったものである。ゴま

た τhの f理性J論断片を Hicksが集成し, Barbotin している〈切。

8然学説誌については,依然Dielsの DoxographiGraeciが基準である。

倫理学の議作はさをて散逸したが,最近, Fo主tenbauch*が断片を集成し,

註釈付で出版した。これはハイデルベルグ大学の Dirlmeierの柱事の継承と

して5達成されたものである向。

その他, Ii'法律築3の断片集成が Hagξr,D紅白胞によってなされている問。

;i:た, u敬E患について』断片の Bernays(14)による (1866)は依然基準的で

あり, Potscher*, Bouffartigue*, Fort記nbauclゾらの近年の研究はこれを越

えていないαf文体論Jの研究としては, Stroux*の論文が基準である。 f性

格論』の研究は,ノレネサンス以降,現在に査をるまで践んであるがラ現在の

の基礎は, Dielsや Immi器hの校事によって与えられた{15hその後, Edmond,

Navarre, Pasqualliなどの翻訳・註釈付の絞が出たが,この他では Usshaげ

の註釈本がとくに有主主である向。

- 2

Page 4: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

先にふれた様に,自然学の 3小品の原典批判本が出版された背景には写本

学における研究の進展があったが,以下において, De Lapidibus (注 1参照)

の写本研究をめぐる興味深い経緯は省略せざるを得ないが(17),著作目録への

註釈に関わる限りにおいて,現在の到達点を記すことにする。

すでに M巴taphysicaの写本系統の研究は Fobesによってなされていた

が(18),1950年代後半から始まる DeLapidibusの残存写本に関する論議は,

Wilsonによる Thの全写本目録(19)の作成で一応結末がついた。 DeLapidi-

busを含む写本は全部で 13あるが, Eichholz*はその校訂木において,これ

らの系統を論じた(20)。 ところで,この 13 写本群(~群)には興味深い事実が

含まれる。即ち,それらは DeLapidibusを含め 9つの小品を同ーの順序

で含んでいるのである (21)0 (9小品の内, Metaphysicaには Z群以外の系統

[s群]もあり, De Igne にも,~群以外の系統 [α 群 De Sensibusをも含む]

がある)。そこで考えられる事は 13写本の系統図は 9小品のすべてについて

同じであるということであろう。ところが, FobesとEichholzの系統図は

互いに異っていたのである (BurnikelXIV, p. 74)。そこで, Burnikelは9小

品全体にわたって 13写本の系統関係を研究し, 13写本の中では Vaticanus

graecus 1302 (13世紀)が源であり,失われたー写本を介 L,Ambrosianus

p. 80 sup. (15世紀初頭)に伝わり,そこから 15世紀中に 5つの分肢が生じた

という結論を得た (ibid.90)。以上の結論に Wilsonは同意を与えている (22)。

Burnikelはさらに, α群及び戸群の Z群に対する関係を論じた。 α群は De

S巴nsibusとDeIgneを含むが, De Igneについての検査結果は, McDiarmid

によって既になされていた DeSensibusの検査結果(23)と一致した (ibid.

100 f)o De Igneの校訂者も α群についてはこれらと一致した(24)。そこで,

さらに α群と 13写本群の関係を調査した結果,互いに別の系統であることが

判明した。これらは,これらの元のになる C写本 (9小品+De Sensibus)から

分かれたものであると推定される (Burnikel,105)。次に戸群は Metaphysica

を含む4写本であるが,この系統分肢図はほぼFobesのそれと一致した (ibid.

122)0 s群には Z群より古い写本が含まれているので,早い時期に戸群の一

分肢から C写本へ Metaphysicaが伝わったものであろう。 C写本はこの他

-3-

Page 5: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

に別系統から DeSensibus + 8小品を取り入れ成立したと推定される (Burn-

ikel 145)0 De Sensibus + 8小品の系統の存在を示すのが, Photiusの『文庫』

(Codex 278, 525a 31 ff. Diels)に含まれる Thの小品からの抜粋である (ibid.

131)。これには 9小品の内の 3小品 (DeSudore, De Vertigine, De Lassitu-

dine)と本抜粋でのみ伝わる 6小品の抜粋が含まれている。本抜粋は Z群と

は別の,しかも良い系統の存在を示し, Thの全集の原写本へ遡る可能性を秘

めるが,未だ原典批判において汲み尽くされていないのが現状である (ibid.

131-142)。

以上の Burnikelの所説は, Th写本学の基本文献として,自然学小品の研

究に際しては必読のものであると思われる。

・文中*を付したものは,参考文献(補)を参照。

(1) Aldus版は 5巻に分かれている。 Thの著作としては, II巻に DeIgne 11火にう

いて~ (No. 83), De Ventis 11風について~ (No. 16), De Lapidibus 11石について』

(No.59)を含み, III巻に DePiscibus in sicco degentibus 11乾燥地に分布する魚に

ついて~ (No. 45), De Vertigine 11めまいについて~ (No・53),D巴 Lassitudine 11疲労に

ついて~ (No. 57), De Odoribus 11臭いについて~ (No. 72), De Sudore 11汗について』

(No.54)を含む。さらに IV巻に Metaphysica11形而上学~, 11植物誌~ 11植物原因論』

(No. 105,106)を含む。 DeSensibus 11感覚について~ (No. 7)は印刷されていない。

この書は Camotius版 (1552)においてはじめて印刷された。 Charakteresの初版は

Pirckheymer )仮 (1527)である。これは I-XVのみを含む (Navarre25)。

(2 ) この他に Camotius版 (1552),Furlanus版 (1605),Hensius )夜 (1613)がU:lている。

cf. Burnikel* XVII.

(3) Theophr・astiEresii quae supersunt omnia ed. Jo. Gottlob Schneider, 5 Bde.,

Leipzig 1818 (I-IV), 1821 (V).

( 4) Teophrasti Eresii op巴ra,quae supersunt omnia, recensuit Fredericl1S vVim-

mer, 3 Bde., Leipzig (Teubner), 1862 (早稲田大所蔵). Didot社の版は上掲拙稿 p.6

参照。

(5 )拙稿 p.7.Flashar, H. (Hrsg.), Grundriss der Geschichte der Philosophie, Die

Phi1osophie der Antike 3. 1983.

(6) C. Prantl, Geschichte der Logik im Abendlande Bcl. 1, Leipzig 1855, (p. 347-

400).

H. Maier, Die Syllogistik cles Aristoteles, Bd. II, 1, Tubingen 1896-1900

p. 43-7, 124-36, 206-217. Regenbogenは Maierを援用した。 Boch巴nsky,Kneale

拙稿 p.4-5。

- 4 ー

Page 6: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

(7) Hubyによると, Recipiもほぼ同様の断片集成と注釈を出版したが,誤釈が多いら

しい。 P.M. Huby, Mind 88, 1979, 448-450.

(8) Ch. Brandis, Aristotelis巴tTheophrasti Metaphysica, Berlin 1823., H. Usener,

de Prima Philosophia libellus, Bonn, 1890., H. Usener, zu Theophrasts meta-

physischem Bruchstuck, Rh. Mus. 16, 1861, S. 259-281. Schneider版においては,

Metaphysicaと DeSensibusが印刷されなかったが Wimmer版で採り入れられ

た (Fr1, Fr. 12)0 Ross-Fobes, tlll稿 p.6

J. Tricot, Thるophraste,La Metaphysique, Paris, 1948

G. Reale, Teofrasto e la sua aporetica m巴ta五sica,Brescia, 1964.

(9) cf. Gottschalk, Gnomon, 1967, 17-26.

(10) De Lapidibus; Caley (拙稿 p.4), Eichholzぺ, De Igne; Coutant九 DeVentis;

Coutant & Eichenlaub*.

(11) Stratton, Hicks, (拙稿 p.5, p. 6). E. Barbotin, La Th品oriearistotelicienne

de 1'Intel1ect d'apres Theophraste, Louvain/Paris, 1954,対訳付 pp.245-273.

(12) なお,彼は現在イギリスに戻り, Huby, Sharplesと共に Thの全断片を集成する

ベ〈準備中である (FortenbauchIX).

(13) No. 69の註を参照。

(14) 拙稿 p.4. No. 212の註を参照。

(15) No. 134参照。

(16) Edmond (Loeb). Navarre (拙稿 p.6). G. Pasqual1i, Teofrasto 1 Caratteri,

Firenze, 1956,現在 Rizzoli社の 1classici del1a BUR シリーズに収められている

(対訳,欄外註付)。

(17) cf. Burnikel XIII-XV.

(18) Ross XXVI-XXXII.

(19) N. G.Wilson, Th巴 Manuscriptsof Theophrastus, Scriptorium 16/1, 1962, 96-

102 この目録は, Arの全写木目録 (A.Wartelle, Inventaire des manuscrits grecs

d'Aristote et de ses commentateurs., Paris, 1963, Suppl品mentpar R. D. Argy-

ropoulos et 1, Caras, 1980) に対応するもので,全体が二分され,前半が『性格論~,

後半がその他の著作にあてられている。

(20) Eichholz 47-51.

(21) その順序で示すと, De Igne (No. 83), Metaphysica (木目録外), De Lapidibus

(No.59), D巴 Sudore(No. 54) De Vertigine (No. 53), De Lassitudine (No. 57), De

Piscibus in sicco degentibus (No. 45), De Ventis (No. 16). De Odoribus (No. 72)

の 19小品J(cf. Burnikel XX-XXI).

(22) N. G. Wilson, Gnomon 51 (1), 59-60.

(23) No.7の註参照。 DeSensibusを含む写木は E 群の他に 8写木が残っている。

(24) Coutant XXI-XXVI (Phi群 (Coutant)=α 群)cf. Bunikelの批判 (170-172)。

Coutantは DeVentisの校訂本(注 10)において, Burnikelの系統図に全面的に同

意した。

= 5ー

Page 7: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

参考文献(補)

J. Bou妊artigueet M. Patillon, Porphre, De L'abstinence, Paris, 1979, Bud邑版,

tome II, Livre II. et III (Bou妊artigue).

W. Burnikel, Textgeschichtliche Untersuchungen zu neun Opuscula Theophrasts, Wiesbaden, 1974. (Burnikel).

V. Coutant (ed.), Theophrastus De Igne, Assen, 1971 (Coutant)

V. Coutant & V. L. Eichenlaub (ed.), Theophrastus De Ventis, Notre Dam, 1975

(Eichenlaub).

D. E. Eichholz, Theophrastus De lapidius, Oxford, 1965 (Eichholz).

H. Flashar, Aristoteles Problemata Physica, Berlin, 1962 (Flashar).

W.羽T.Fortenbanch, Quellen zur Ethik Theophrasts, Amsterdam, 1984 (Forten司

bauch).

A. Graeser, Die Logischen Fragmente des Theophrast, Ber1in, 1973 (Graeser).

W. Patscher, Theophrastosπεpe ellσeseim;;, Leiden, 1964 (Patscher)

K. Spengel, Theophracts Naturgeschichte der Gewachse, 2 Bde. Altona, 1822,

Olms rep., 1971 (Spengel). J. Stroux, De Th巴ophrastivirtutibus dicendi, Diss., Leipzig, 1912 (Stroux).

R. G. Ussher, The Characters of Theophrastus, London, 1960 (Ussher).

著作目録への註

1) 本書の断片から次のことが知られる。(なお Graeserの断片番号は G1の様に表

わす)。

(1) 換位の証明の簡略化

単純様相全称否定前提の単純換位の証明を簡略にした。 Arは抽出挙示による帰謬法を

用いたが (Ar.An. Pr. A 2, 25a 14-17), Thは二項の「相互離存 (&rreCεUKτ町 )J という

空間図式を伴う概念を使って証明した (Alex.In An. Pr. 31, 4-10., 34, 13-15., Philo・

ponus, In Ar. Pr. 48, 11-18. Fr. 13 G.)。また,許容様相及び必然、様相の全称否定前提

の単純換位についても,同様に「相互離存」を使って証明した (Alex.In Ar. Pr. 41, 21-

24., 220, 9-16. Fr 15 Gふ Arは後者については容認し証明したが (Ar.An. Pr. 1 3, 25a

27-32),前者については否認した (ibid.117, 36b 35-37a 3)。

(2) 許容様相の解釈

許容様相全称否定前提の単純換位をめぐる両者の見解のちがいは,許容様相の解釈にか

かわる。周知の様に, Arにおいて,定義に基づく狭義の許容様相(二面性の許容様相,

An. Pr. 32' 19-20,""'1"o s~ iJeχ6向山内 0;5 μザ 5ν'1" OS &~ar /C aío片付ef;ν!'O~ O ',)7rαpχεtν, 0必b

ZσT臼cocaτoih' adnν日'1"0νE1(Ax)三~口 (Ax)&~口 (~Ax). E:τO ê~iJeχ6μενoν,口:必

然)と不可能ではないこと (Ar.De Int. 22a16., 22. '1"O 同剣山町'1"0νdacEz (Ax)三~口

(~Ax)) としての広義の許容様相(一面性の許容様相)が区別されるが (cf. アリストテレ

ス全集 1pp. 441-3), Arが上記の単純換位を否認した時には狭義の許容様相をとり, Th

-6-

Page 8: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

がそれを容認した時には広義の許容様相をとっている (Bochensky74-5, M. Mignucci,

Per una nuova interpretatione della logica modale di Teofrasto, Vichiana: Rase-

gna di Stl1di五lologicie storici 21 (1965) pp. 14-16)。このことの帰結として, Ar ~土

許容様相前提の肯定と否定の相補換位(換質)を容認するが,Thはこれを不健全 (OIJx;qt令)

として否認する。つまり,許容様相全称否定前提の単純換位を容認すること (Atrεω)と許

容様相前提の相補換位を容認すること (μキAeretν)の原因は同じである (Alex.in An. Pr.

158, 24-159, 13., 199, 7-10. G 16)。

(3) 必然様相の多義性

必然様相について Arは推論の結論において,様相子としての必然と推論の必然とを区

別すべきことを指摘したが (An.Pr. 30b 32-33), Thはこの区別を継承し (Alex.in An.

Pr. 36, 25-29. G 14), さらに諸義を区分したと伝えられる (Alex,in An. Pr. 156, 29-

157, 2. G 14)が,詳細は不明である。

(4) 様相論理のシュロギスムス

Thは, Ar体系では単純様相のシュロギスムスにおける肯定と否定,全称と特称の関係

にだけ見出される「結論がより弱い前提に従う (secteturpartem corcll1sio deteriorem)J

法則を様相関係(必然>単純>許容)にも導入した (Alex.In An. Pr. 124, 11-17., (Am幽

moniusJ in An. Pr. 38, 38-39, 2. G 24. Philop. In An. Pr. 205, 13-15. G 27. cf. n n n n n

Boethius, In De Int. 387, 27任.G11.)。注釈家によれば, Arは Barbara,Barbaraをn n n n n

容認し Barbaraを否認したが, Thは Barbaraだけを容認した (Alex.In An. Pr. 124,

17-21. G24)。また,許容様相と単純様相の混合推論において, Arは大前提が許容様相

(狭義)の場合,結論は許容様相(狭義)であるが,小前提が許容様相の場合,結論は狭義で

はなく広義の許容様相としてしか成立してこないとしたが, Th はし、ずれでも相違なく広

義の許容様相で推論が成立するとした (Alex.in An. Pr. 173, 32-174, 19. cf. Bochensky

77-8)。

Bochenskyは, Th が様相論理の体系において~E2 (Ax) と巳 (~Ax) の同値関係,

即ち広義の許容様相解釈をとっていることを示した (Bochensky75-78.及び 81-87)。

Mignl1cciは Bochenskyの断片解釈を批判し,かかる同値は証明されないとした。

自らは, ro Sl.Jdeχ6μ印仰を「たいていはそうであることJと解し, Ar IF分析論後書』と

のつながりを主張する (op.cit. pp. 43-53)0 Bochensky (102)はこの点を否定している。

(5) 単純様相の格式について

第 1格の 4式(完全式 Barbara1 1 (第 1格第 1式の謂), Celaren t 1 2, Darii 1 3,

Ferio 14)に新たに不完全な 5式を付加した。即ち, Bara1ipton 1 5は Barbaraの結論

を減量換位して, Celantes 1 6は Celarentの結論を単純換位して, Dabitis 1 7は

Dariiの結論を減量換位して得られる (cf.Ar. An. Pr. 53a 9-14)。大前提全称肯定・小

前提全称否定の第 1格の組合せと大前提特称肯定・小前提全称否定の第 1格の組合せは,

それぞれそのままではシュロギスモスが必然のこととして成立してこないが (Ar.An. Pr.

1 4, 26a 2-9., 26a 36-39),ともに,各前提の換位及び両前提の交換によって Ferioに還元

- 7ー

Page 9: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

され結論を得る (Ar.An Pr. A 7, 29a 23的。前者が Fapesmo1 8で後者が Frises日明

morun 1 9である。 Arはこれらを第 1格の式としなかった (Anonymus,Brandis 188a

4-12, Berlin-Bekker版全集第4巻 [1831)所収。 G 17)0 Thは,大項が中項に述諾さ

れ,中項が小項に述語されねばならないという Arの第l格成立条件を緩和し,中項が一

方の前提において述語となり他方の前提において主語となるとし、う条件だけでよいとした

(cf. Alex. in An. Pr. 258, 17-25., G. Patzig, Aristotle's th巴oryof the syllogism.

English translation 1968, p. 113)0 (Alex. in An. Pr. 69, 26-70, 20., 109, 29-110,21,

Boethius, De Syllog. Cat. 11 815 A. G 17. cf. 18, 19について,アリストテレス全集

1 pp. 445-6, 1巻4章訳註 (8)(25), p 453, 1巻7章 (2))。

Anonymus 1n D巴 int.et An. ed Minas 56 (G 22)において, これら 5式を後のガ

レノス派(?)の人々が第4格と見倣したとの報告があるが, 1 5~1 9の各式における大

項と小項をコンスタントに入れ換え両前提を交換すると第4格が成立する。 15→ 1V1

Bramantip, 1 6→1V 2 Camenes, 1 7->IV 3 Dimaris, 18 1V 4 Fesapo, 19→1V 5

Fresison. これらに 16の弱勢式 1V6 Camenosを加えると,つごう 6式が成立する

(Kneale 100-1)。

第3格について, Darapti 111 1の結論を換位することにより,この式に二種類の区別

を立てた (Alex.In An. Pr. 95, 25-30., Galenus 1nst. Logica 11, 7. G 19)。アプレイ

ウス (Apuleius,Liber De 1nt. C. X1, 189, 19-27. G 19)は批判するが Thが正しい

(Sui11ivan, M. W. Apuleian logic, Amsterdam, 1967, p. 102-3)。

アプレイウスは,また, Thが特称前提の代わりに不定称前提をおくことによって不定称

の結論を得,無証明の第1格の式を 5式としたことに言及した (Apuleius,ibid. C, X1V

193, 7-13. G 18),。 ボヘンスキーは 5式を上記の 5間接式 (15~1 9)のことだとしアプレ

イウスの不注意を指摘した (Bochensky16 11. 22)が, これは誤りで,増加したのは 1

式であり,不定の前提をひとつと不定の結論をもっ式であることをスィルパンは示した

(Suillvan, op. cit. pp. 154-157)。ただし,彼fi4式の内,置きかえ可能な Darii1 3と

Ferio 14のどちらにするか決定しなかった。ハビーは最近 Dariiに決定した。両式の特

称前提を不定称に置き換えた場合, Dariiはその妥当性が明瞭だが F巴rioはそうではな

いこと,後者の結論は不定称というより全称否定に解し易いこと,特称否定の表現 TI~t

O'JX ,Jπ日PXεzはすでに不定称の意味を含む (Al巴x.ibid. 66,1-10)ことがその理由である。

(P. H. Huby, Apuleius and Theophrastus'五fth‘indemonstrable'mood, Liverpool

classical Monthly 2 (1977) 147-8)。

格式に関し最後に指摘すべきことは, Thが第3格の格式の順序を変えたことである。

Arにおいて第 3格の 6式は次の順序で並ぶ。 1Darapti, 2 Felapton 3 Disamis 4 Datisi

5 Bocardo 6 Ferison。この内, Thは3と4,5と6を交換した。 3と4を変換したのは,

Datisi 111 4の証明は小前提の単純換位による Dariiへの還元でなされるが, Disamis

III 3の証明は大前提単純換位及び両前提交換による Dariiへの還元で、なされ,前者の l

換位に対し, 2換位を必要とするからである (Anomymus,Brandis 155b 8-14)0 5と6を

- 8ー

Page 10: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

交換したのは, Bocardo III 5の証明には換位による還元法(直接証明法)がなく帰謬法だ

けしかないのに, Ferison III 6の証明には Feriiへの還元法と帰謬法とがあるからであ

る (ibid.155b 14-19)0

(6) 仮言推論 vrr08eTtKOeauAAortσμoi

この用語はペリパトス派内で生まれ,後にガレノスがストア派の公理へ適用した (Bo・

chensky 105-6)0 Arは「仮定に基づく推論 σuAAortaf10? im08eσωC'Jとして, r同意に基

づく推論」と「不可能へ導く推論(帰謬法)Jをあけ、たが,その他の種類については予告し

ただけで、ある(アリストテレス全集 1p. 511訳注 I巻 44章 (7))0 Thはそれらに言及し

たが,以下の通りである。 (Alex.In An. Pr. 389, 32-390, 3)

何) 条件文と小前提による仮言推論

01 ota συνεxoiic', O Ko:.iσuνマμμtνoν 』長rεT'ca,Ii自主 T守宮 πpoσ J.~ψεωÇ' (m08eTlKOl

(ロ) 選言による仮言推論

01 ota TOV Ot町tPεTlKOVTεκo:'i OtεCεrμ正νouvrr08εTlIWl

付連言の否定による仮言推論

Ot oca aπ0I[JατtK7}C' συμπJ.OK守宮 urro{)εTlKOt

(ニ) 類比による仮言推論

Ot sc nναAorto:c' dπ08εTCICOl

(ホ) 性質の程度による仮言推論

(イ)伊)における用語の置き換え (σ).i)Jexec'→山内μf1tνoν 〔πpoaAぜいtC'{小項)はストア派の用

語法 cf.C. Lejewski, On prosleptic syllogisms, The Notre-dam Journal of Formal

Logic, 2, p. 175-6)., Oto:tpεTCKO})→ OteC,εvrf.1eνoν)は, π叫山oi(ベリパトス派)の用語を

νεかεPOt(ストア派)の用語によって置換したものと解釈される (GalenusInst. Log.

Kalb丑eischp. 8, 6 ff. 32, 11 ff. Kneale 106, Bochensky 108)。そこで, (イ){Iロ)付はストア

派の無証明言命証(iIν目的5ε(1(.,白)に対応する。即ち仔)pコq.p.コqor pコq.~q. ::J .~p(司

pVq. p. コ .~q or pVq.~p コ .q (ハl~(pq). p. コ .~q (Bochensky, Ancient Formal Logic,

p.98).仰の具体例をひくと以下の通りである (cf.Alex. ibid. 324, 5-15)。

「もし魂がつねに働くならば, 魂は不死である。魂はつねに動く。故に魂は不死で

ある。」

げ)に似ているがこれと区別される推論として「付加による推論 Ollax吋 πpoσ1甲府νσυA岨

AortσμoiJがある (No.55参照。 cf.Kneale 106, Graeser 96.)。

(ニ)は「全体的仮言推論 (0,Ot' I5Aων 加08εTlIwi)Jや「三つのものによる推論 (01odx

Tptwνb1ro{)εTlKOt)Jと呼ばれるが,形式は以下の通り (Alex.ibid. 326, 20-327, 18. G 30)

(aj if A, then B. if B, then C. therefor巴 ifA, then C

(b) if A, then B. if B, then C. therefre if not C, then not A.

(c) if A, then B. if not A, then C. ther巴freif not B, then C.

(d) if A, then B. if not A, then C. therefore if not C, then B.

(e) if A, then C. if B, then not C. therefr巴 ifA, then not B.

- 9 ー

Page 11: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

(a)(b)は第 1格, (c)(d)は第2格, (e)は第3格である。 これらは命題論理の定理である

が,アレクサンドロスの例では項は名辞であるのでこれらは述語論理に属し, Bρα の使用

は推論規則であることを示す (cf, Bochensky 111-2)0 Arも件)に言及している (An.

Pr. 1 32, 47a 28)0 ¥討は, a fortiori (なおさら…である)の論法であり, Ar 11トピカ』

B 10, 115a 11-24などの形式化であろう。

2) 残存断片から知られることは以下の通り。

(1) Ar に関連した,公理 (&~éúJμα) の規定 (Themistius in An. Pst. 7, 3-5 G 33)。

cf. Ar. An. Pst. 75 a 42, 76 b 14, 72 a 17。

(2) Ar (An Pst. 1 4)では区別されないが,Ka8' avroを奇 atI'roから区別し,前者を

より普遍的とした (Philoponusin An. Pst. 71, 4-13, G 34)。

(3) AがBに属し BがAの定義に含まれる時, AはBに自体的に(問。'αn-ro)属す

るという問。 au,oのひとつの意味に言及した (cf.Ar. An. Pst. 73 a 34-40., Alex.

Quaestiones 42, 25-31. G 35)。

(4) 論証の決定要因は中項の発見にあり,中項の発見に伴い定義が成立する。だが,ア

レグサンドロスには Arが定義について付随的にしか探究していないと思えたので, Thを

その証言者として引いた (Anonymus,Brandis 240 a46-b4 G. 36)。

(5) Arが定義的知識と論証的知識を本来の知識の三つの形態としたとの Thの証言

(Eustratius in An. Pr. 44, 1-7, G 37)。

3) アレクサンドロス (Alex.ibid. 340, 12-21)は, Thが推論 (Aoroc)を諸格へ還元

ないし分析すること (11推論の還元jJ2巻 f本目録にないJ)を,その還元ないし分析の方

法・知識を論ずること(本書の内容)から区別したことを証言している。

4) 既に Arの時代には珍しくはなかった要綱の使用がその後広まり,哲学や弁論術に

関するペリパトス派の良書の要綱が作成・使用された (Diels,103)。木書はこの様にして

成立したもののひとつと思われる。

5) プランディスは Alexandrusの記述 (No.3参照)に基づきはνゎμかω TOπων」

を["AII1Jrpf.1I仙 Aor・ωνJ(推論の還元)に替える (Brandis277, Anm. 134)。 ソやルムゼンは

Ar ["読弁論駁論j第6章 168a 17-20などをヲ開し, τorcocの還元 (&νeqεrν)が J.orocの

諸格への還元と同様に行なわれたとして読み変えはしない (Solmsen69-72)。

6) シュミットはわωνtσTClCO'> Aorocと spcστCKO'> Aoro,>は同義に使われるとして,

本書名に習を補う (&rω山 σ'rc/Coν〈奇> T号c7rep,i TOU'> epcσUKOIJC Aorou,>, Schmidt 23 f.,

Usener 52, Brandis 277 (134), Apelt),拙訳は Hicks,Longの校訂に従う。プランディ

スは本書および No.90, 114, 203の書が Ar11詑弁論駁論』に対応するものと推定する。

7) 木書には固有の写本伝承がある。本書に関する写本校合はP写本(parisinusgr.

1921)やF写本(Laurentianus87.20)などいくつかの仏・伊の写本を研究したC.A. Brandis

を鴨矢とするが,近代最初の全集版 (ed.Schneider, 1, pp. 647-685)において,彼のノー

トは使われていない。シュナイダーは Camotius版 (1552)を底本にし, Stephanus版

(1557)と自ら校合したL写本 (VossianusQ51)を修正用として使った。 G.Philippson

- 10ー

Page 12: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

("Y初 'A~OpωrrÎ同, Ber lin 1831)とF.Wimmer版は Schneider版に基づく。 Brandis

のノートは Dielsによって仕事の手始めとして用いられた。 Dielsの版 (Doxographi

Graeci, pp. 499-527に印刷)は以前のものと比べ優れている。彼は自ら P写本と L写本

を校合し, F写本については, H. Vitelliの校合結果を利用した。その criticusaparatus

には PとLについて詳しい照合がある。 Dielsによる写本系統に関する結論-PとFに

はすべての写本の salusがあり,他の写本はFから派生しているーは一般的にはただしい

が, 彼がすべての写本を校合していないだけに不十分な点が残る。 J.B. McDiarmidは

新しい版の準備のためにこれまで知られている写本とラテン訳をすべて校合しその結果を

系統図にまとめた (J.B. McDiarmid, The Manuscripts of Theophrastus' de Sensibus,

Archiv fur Geschichte der Philosophie, Bd. 44, 1962, pp. 1-32)。だが,新校訂本は

未だ出版されていない。なお, G. M. Strattonや P.Tannery (Pour l'Histoire de la

Science Hellene, Paris, 1930 pp. 348-380)の訳は Dielsの原典に基づいている。

木書はプラトンまでの生理学的心理学についての貴重な資料である。『自然学説誌』の

部分かもしれないが証拠はない。内容は感覚及び感覚対象に関する諸学説の報告とその批

判から成り立ち,五つの感覚以外に快楽と苦痛,思考も扱われる。 91のパラグラフの内,

41が批判に充てられているが,批判は一定の基準でなされているので,本書は自説を仕上

げるための準備と考えられる (cf.Stratton 51-64)。全体は大きく「感覚についてJ(~1-

58)と「感覚されるものについてJm59-91)に分けられる。前半において,まず,二つの

対立する見方が区別される。一方は,感覚が類似のものによって生じるとする見方で,こ

れにはパノレメニデス, エムベドクレス, プラトンが属する。他方は, 感覚が反対のもの

によって生ずるとする見方で, アナクサゴラス,へラクレイトス (1へラグレイデスーJ.

Longrigg, Two notes on Theophrastus De Sensibus, Philologus 119, 1975, pp.' 163

165) がこれに属する m1-2)。以下,パルメニデスの解説(~3-4),プラトンの解説得5-6),

エムベドクレスの解説得 7-11)と批判 m12-24),アルクマイオーンの解説得 25-26),ア

ナクサゴラスの解説得 27-30)と批判 m31-37), グレイデーモスの解説得38),全てを

6. ~p から説明しようとしたディオゲネスの解説得 39-45) と批判(~46-48),どちら側へも

分類できないデモクリトスの解説と批判 m49-58, ~ 50-54視覚論~ 55-57 聴覚論~58思考

論)という順で続く。感覚されるものを扱う後半部 m59-91)においては,プラトンとデモ

グリトスの説が詳しく検討される。他の人々はそれについて簡単にしか語らなかったが,

両者は個別的に論じたから(~ 60) である。 ~59 においてエムベドクレスとアナクサゴラス

について軽く触れたあと, ~ 60 から~ 61の初めにかけて両者の一般的方法(台以万 1[1"000>:)

が簡単に述べられ,次にデモグリトスの解説と批判(~61-82)に進む。まず,重さ・軽さ,

堅さ,柔かさの規定 m61-62)。 これらの感覚対象は「大きさ/必Tε00宮」によって実在性

(例σt,)をもっ m61)が,他の感覚対象は固有の実在性をもたず,感覚器官の変化に伴う

感覚の情態 (π6.0甲)にすぎない m63)。次に味 (χυÀOt) の理論の解説得 64-67) と批判(~68-

72),色 (XPr!,μ昨日)の理論の解説得 73-78)と批判 m79-82)が続く。プラトンについて比

較的短い解説得 83-86) と批判(~87-91)があるが, Thがプラトンの『ティマイオス』を

-11-

Page 13: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

見たことは扱う対象の配列順から見て確かである (cf.Stratton 203)。だが,プラトンの

解説が不正確であることも指摘されねばならない。デモグリトスについても同様である

(cf. ibid. 61)0 Thの『ティマイオス』読解におけh るArの影響について J.B. McDiarmid,

Phronesis, 4 (1959) pp. 59-70, esp. p. 70を参照。前ソクラテス派?の説に関する本書の資

料的価値について, C. H. Kahn, Anaximander and the origins of greek cosmology,

1960, N. Y. pp. 11-24, esp. p. 19 n., p. 24., McDiarmid, Harvard Studies in Classical

Philology 61, 1953, pp. 85-156, esp. 129-133を参照。

8) ディールスによれば, Th.は仰σz凶 νoocwν18巻を完成する前に, Ar.の判断を

集成するだけでなく自ら資料にあたり仰σCIWt の各々についてそノグラフを作成し,これ

らを基礎に膨大な学説集成を完成した。これらの中で断片が確認されるのは Anaxagoras

のものだけである。 (Diels103,断片 SimpliciusIn Phys. 166, 15-20 Diels. Usener,

Analecta Theophrastea, 43. fr. 26. Diels, 479, critical note 1.)

9), 10), 11) No. 8参照。

12) Plinius, Historia Naturalia 31, 106-115 aにThのソーダ論の反映が検証さ

れるが,それはその Th的構成 (Steinmetz313)と106における Thの挙名記述による

(Steinmetz 312-317)。塩論については,同じく, Plinius, 31, 73-92 (88 b-89は Varro

に由来)に Thの理論の反映が検証される (Steinmetz,317-321)0 83にThの挙名記述が

ある。 ミョウパン論については,後世における反映が見当たらない (Steinmetz,321)。な

お,'Z"o lJi'Z"poνの物質としての同定については Steinmeiz312, Anm 3を参照。

13) 第 1目録 (No.1-No. 109)はアルファベット 11闘に配列されているのでここには4ー

で始まる書名があるべきとの考えからいくつかの名称推定がなされた。 Usener52,

Steinmetz 352,πεp'i 7:WνdπoAddJωμ正νων ,Rose 280, 1':epl 7:0ν 日UJoμtνων.日Z8εσO仰

はAr,Thにおいて「燃焼する」という意味では使われてし、ない(Jaeger,Diokles von

Karystos, p. 115)ので不可。 dπoAc80vσO山と Ac80vσ8acはAr.Thにおいて同義なの

で1':epi[&1':oJ Ac80uμbων という補い (RE1418)が適当であろう。

本書の断片は残存しないが, Thの他の著作から「石化物」に言及した箇所をまとめる

と次の通りである。 1化石, De Lap. S 37 (象牙), !i 38 (竹), De Odor !i 70 (海中動物)。

2珊瑚, De Lap. !i 38 (赤潮瑚 cf.Caley 140 f.)., h. pl. 4, 7, 1-2 (様々な珊瑚 cf.

Spengel 1 160 f.)., Thは珊瑚が石か植物か疑問としたが,最後は植物だとした (Steinmetz

307)0 3植物の石化, h. pl. 4, 7, 2 (或る種のきのこ), h. pl. 4, 7, 3 (海藻,アシ)04自

らの上に置かれたものを石化させる石 (DeLap, !i 4),解釈については Caley67を参照。

5土中に含まれる石化作用物質は水に溶けて作用を起こすが, De Lap. !i 50においては

土の種類を石化作用に関して分類すべきことが言及されている。

14) 本書はAr全集 (CorpusAristotelicum)に含まれているが,すでに古代の Ar注

釈者において本書の著者同定に関し揺れがある。 ThemistiusIn de Caelo, p. 148, 39

149, 2 Landauer., Simplicius In de Caelo, p. 566, 25-26 Heiberg., Philoponus In

de Gen, et Corr. p. 34, 3 Vitelli.において「或る人々は本書を Thに帰す」との注記が

12ー

Page 14: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

ある。著者を Arとしている箇所として SimphiciusIn Phy. p. 492, 3sqq. Diels.,

Philoponus, In Phy. p. 465, 5 sqq., Ibid. In de Gen. et Corr. p. 164, 10 sqq.

Vitelli.がある。現代の解釈においては, Arが著者でないということでは一致するが,ベ

リパトス派内の誰かというと異論がある。 Thとするのはアーベルト,ツエラーなどであ

る (cf.D. Harlfinger, Die Textgeschichte der pseudo Aristotelischen Schrift 7CeP主

命。μか -rP日μμか p.96-8., Moraux 294)。現在の基準原典は O.Apeltによる Teu-

bner版 (1888)であるが,上記の Harlfingerの仕事 (445S.)は,新たに Bud品版 (P.

Moraux訳)として出版予定の原典のためになされたものである。これは, 1100余りの

アリストテレス写本目録から現在の所見出される 27の写本と 5つのラテン(意)訳写本

(Harlfinger 100-102)のすべてを校合し系統図 (8.392)を導き出した重要な研究である。

本書は,クセノクラテスの不可分の線分存在論への反論で、あるが,本書の著者は,不可

分の線の存在が数学の真理に反すること,不可分の線は結局点に他ならぬこと,線分は点

から合成され得ないことなどの論点を以って反論している。

15) No. 118と同一だとウーゼナー (Usener62)は推定する。

16) 本書には固有の写本伝承がある。最近,解説と注釈付の原典対訳本がアメリカから

出版された (TheophrastusD巴Ventis,ed. V. Coutant & V. Eichenlaub, 1975. Notre

dame)が,校訂者は写本系統について全面的に上述の Burnikelの成果を容認している。

冒頭, r風の本性について, その成り立ち,様態,原因が先に考察されているJと書か

れてあるので本書は『気象学11(No. 67)に続く書である。内容は以下の通り。 (1)!31-6 a

風量,風温, JITi,l力など風の諸性質は,吹き始めの場所とそこからの距離によって決まる

(2) ~ 6 b-9, d νOTOC; 南風)と dsoptm; (北風) (3) S 10-12 O 凶τ0,とosope町の季節差

(4) ~ 13-14風及び気候の時代変遷。 原典脱漏 (5)!i 15-18各地域における太陽の日

運行の風に与える影響 (6) ~ 19-22,風の温冷 (7)~ 23-25,風温に及ぼす地形の影響 (8)

~ 26-28,風向に及ぼす地形の影響 (9)~ 29-34,風力に及ぼす地形の影響 (10)~ 35-36,

風の兆候 (11)S 37-46 dκIXCKtIXC' 東北東の風)と oCe仰 pOC' (西風) (12) S 47-55個別的

諸問題 (13) ~ 56-59, !i 55-57,人間への影響, S 58植物,無生物への影響, S 59原因の説

明について (14) S 60-62補遺, !i 61 (8)の再論, ~ 62各地域における風名の違い(伝 Ar

『風の方位と名称について』と関連がある)。

木書は伝 ArIF問題集』第 26巻「風について」の主要源泉である (Flashar673)。詳細

は Flashar676-692の分析を参照。

現代の古気象学的知見によると,前 300年当時のギリシャの風は現在とあまり変わらな

いが, Thによる観察報告は,ギリシャに関しては正確であるという (EichenlaubXVIII

XXXV)。風配図は, Arにおいてはじめて真正の形を整えたが (MeteorologicaII 6 363a

26妊)Thはこれを継承し若干の付加を行なった (EichenlaubL-LIII)。

17) No.113及び No.218と同一 (Regenbogen1480)0 No. 113とだけ同一 (Fort叩-

bauch 99)。種類。ClXrpOρα:iが研究の初めに列挙されるのは個別研究を重んじる Thの特

徴である。 cf.h. p1. 1 1, De Lap. S 3-5, De Vent. S 1-2.

-13ー

Page 15: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

18) Fr 126 (Plut. Th巴mist.C. 25), Fr 127 (Dionysius Halicarnassus, antiq. Rom.

p. 1022 ed. Reiske)がある。 No.182の部分。 PayprusOxyrinchus 1611 (Pack2 2290)

に本書からの引用がある (FraserII 676)。その中でThはカイネウスなる王が槍によって

支配した故事に言及している (cf.L. Deubner, Bemerkungen zu einigen literarischen

Papyri aus Oxyrhynchos, Sitzungsberichte d. Heidel. Ak. d. Wiss. Philol.-hist.

Kl. 1919, 17 Abh. p. 3-8.

19) No. 182の部分 (Fortenbauch133)

20) Testimoniumはない。 Arの弟子クレアルコスに sio!(少くとも 8巻)と称する書

がある (Wehrli,Heft III, pp. 20-27)が,その内容は具体的歴史的報告であると考えら

れる (M也ller,FHG II 302)。 レーゲンボーゲンは本書がこの書に類似すると推定 (RE

1481)。本書の第1巻において三つの生活様式が論じられたとの推定もある (Fortenbauch

104)。ディカイアルコスとの「実践と理論」論争 (Cicero,ad Att. II 16, 3)に関係して

いるか不詳(ディカイアルコスの書の性格については Wehrli,Heft 1, p. 50を参照)。

Stobaeus, II, 2, 24, S. 143, 24-145, 10にベリパトス派の生活様式論がある。 P.Moraux

(Aristotelismus 1, p 403-418, 403-409が解釈)は,ここで言及されているのは Thの説

であるとする vonArnimの大胆な論を否定し, これをストア派のベリパトス派批判

(特に Philodemusの Kritolaus批判)への回答と捉える (p.413)0 Areios Didymusの

この報告は前2世紀以前に遡り得ないからである。 Fortenbauchはここに Thの説を見

ることに困難はないとする (Fortenbauch105)。

21) Testimoniumはない。同名の書を Demetriusof Phaleron (DL V 81)とAri司

ston of Keos (Cicero, Cato maior 1, 3)が書いている。 Stobaeus,III, 3, 42. p. 207-

208に Thの断片がある(この断片がどの書に由来するかについては Fortenbauch254

5)。そこでは養老門po,po何2ν が自然の法と社会の法にかなうと言明されている。

22)~27) いずれもデモグリトスに関する書。

28) No.8を参照。

29) 論理学関係。 No.119はこの書の部分か (Bochensky30)。

30), 31) ペリパトス派の人々 (Ar,Th, Clearchus, Heraclides, Aristo)にエロース論

がある (Rose105)0 Fr. 107 (Athe. 13, 562 e)は,酒もエロースも適度なら快いが度を

越すとひどいものだという前4世紀中葉の喜劇作家カイレモーンの言葉を Thが引用した

と伝える。 Fr108 (Athe, 13, 567 b)は, エーリスのアマシスはエロースの達人であった

との Thの報告を伝える。更に Fr.109 (Athe. 13, 606 c)がある。 MagnaMoraliaでは

エロースは論じられない。 StobaeusII 143 Wacksmuth (πεμ tpdiaけではエロースは

少diaの4番目の種類である。 Stobaeusの記述は Th以後のものである (Moranxop.

cit. 400)。

32) testimonia. Antiatticista (Bekker, Anecdota Graeca t. 1 p. 108 v. 31). Ath← naeus, 12, 543 f., 13, 567 a. Cicero, De finibus 5, 12., 5, 85. Tusculanae disputa問

tiones 5, 24. Stobaeus, II, 130, 18-21における幸福の三つの定義の第一と第三を Th

-14 -

Page 16: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフヲストスの生涯と著作 (2)

に特有のものと見るか否か (cf.Moraux, op. cit. p. 355)は別としても, Thが魂の現実

活動とりわけ観想的生活を幸福の第ーの要素としていたことは確かである (Cicero,De

五nibus,5, 72-3)。ただ,身体的善や外的善を重視し,偶還に大きな力を認め,徳、のみで

は幸福に足りないとしたことで,多くの批判を浴びたことはキケロの伝える所である

(Cicero, Tusc. 5, 23-5)。偶還の重視はテオマンドロスの『幸運論』への言及においても

見られる (Athena巴us13, 567 b, Fr. 80).。

33) t巴stimoniumはない。 Arの目録には, π,eldl;;νκai rενGν ゲ (DLV 22), 7r,

8id&Jνゲ (VitaHesychii, I. During, Aristot1e in the bio10gica1 tradition, p. 83)な

る書が見える。これらはAr[fトピカ』第4巻(類にかんするトポス)をさす同ーの書

(Moraux 54-5, 197., During, ibid., p. 81, 90)。

34) Apu1eius, Apo10gica (Pro se de magia, c. 51)に, I癒痛についての彼の本はか

なりのものである」という報告がある (cf.Rose 237)。

35) 笛の演奏が座骨神経痛や癒痛に治療効果があったとの Thの報告が本書にある (Fr.

87, Athena巴us14, 624 a., Fr 88, Apollonius, Hist. Mir. c. 49)0 cf. RE 1534.

36) No. 8を参照。

37) Arは『トピカ』第8巻 11章 162a16において釘IXsip卯日に言及したが,弁論

術においてはこれを論じなかった。後世,S7r/Xsipザμα は弁論術的推論を表わすのに

svf)(,μ甲μaに代わって用いられる様になるのだが,しかし,これらは単なる用語上の差異

だけにとどまらないちがいをも示す。 tνD(,μザf1α は二つないし一つの前提と結論から成る

推論だが,S7r/X8Ip卵白は四つ以上の前提をもっ推論を意味した。筆者が「弁論術的拡大

推論Jと訳した所以である。キケロはこの推論が IArやThを初め全ての人に好まれ,

やがてこれらの人々から弁論家へ取り込まれたJ(Cicero, De Invent. 1, c. 34 S 61)と報

告しているが,彼のいう S7rlχεfp卵白 (ratiocinatio)はごつの前提と各々を証明する文(前

提が明白な時は省略)を含むので,結論を含め5つの部分から成る (Schmidt24-27, Sol-

msen AJP 62, 169-71)。

38) testimoniumはない。 Arの目録に同名の書がある (DLV 23, cf. Ar. Rhet. II 25,

26., Ar. An. Pr. II 26)。

39) ツエラーは本書において「自由意志jが扱われていたと推定するが (II42,854),

Arにおいては針。Hσwνは本意の行為を意味するので,本書もこれと同列に見なすべきで

あろう。

40) プラトン『国家篇』の抜粋書を Arに帰す (Usener53, Proclus In rem publ.

1 8, 12 Kroll ap. Rose 179 f. fr. 167)かThに帰す (Rose178)か決定し難い (RE1516)。

41) 断片には,ヤマウズラの声差異 (Fr.181, Athenaeus. IX 390),鳴かぬカエル (Fr・-

186, Aelianus Historia Animalium 3, 37),鳴かぬオンドリ (Fr.187, Aelianus, ibid.

3, 38)の記載がある。 D.L. V 46, No. 120 I差異について」 π.T&ν5ほ仰p&Jνと同ー

か (cf.Rose, Ar. Ps. p. 327 ff)o Athenaeus VII 317 fには, Th.の π.πGν K(Xτ占

τ6rroυ守 de町伊op&Jνの書名がある。

- 15ー

Page 17: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

42) Photius (Codex 278 e Bibliotheca, 527b 11 f. Bekker)の抜粋によって伝わる

(Fr. 174)。

昆虫の自然発生, 降雨後のカエル・カタツムリの出現などの報告がある。 ファニアス,

へラクレイデスらはカエルの大量発生は雨がもたらしたとした (AthenaeusVII, 333a-b)

が,これに対し, Thは本書において,雨の流入により地中から出現しただけだと反論した

(なお,種子発生,協芽発生と並ぶ植物の自然発生については c.pl. 1. 1-2.その原因に

ついては c.pl. II1. 1, 4-6参照)。

43) 断片は Rose338-3520 トカゲやへピによる佼傷,スズメパチや毒サボテンによる

刺傷などの諸例が挙げられる。

44) Photius (Codex 278, 528 a 40 f.)の抜粋で伝わる (Fr.175)。

一例を引くと,ヤモリは脱皮後その殻を食べるが,それは,癒痛の特効薬として人聞が

利用することを妬んでのことであると人々はし寸。これは偏見であり,この事には自然的

原因がある。これに類した諸例が挙げられるが,原因説明が Thのものでない可能性があ

る (RE1427)。

45) Burnikelの命名した f9小品Jに含まれ, 固有の写本伝承をもっ (Fr455-458,

Rose 358-360)。写本には「乾燥地に分布する魚、」とある。本目録では「魚」の語がない

ので,前後の動物学書に合わせ「動物」を補訳した。

本書において,水からあがり「水の外で限る」と呼ばれる魚や水の干上がった川べりか

ら掘り出される魚(うなぎの類)などについて論じられる。 また, うなぎの自然発生に疑

念をもち(~ 11),水の引いた後に残される卵などが発生の原因だとする。これらの魚が同

時に空気中と水中で生きることはないとの言明 (~1 , ~ 3, ~ 12)はデモクリトスへの論難で

あろう (RE1428)。

46) Photius (Codex 278, 525 a 31 f. Fr 172)の抜粋で伝わる。

トナカイの体毛変色,カメレオンの体色変化,ポリープについての記述が残る。これら

の変化は恐怖と身の安全のために起こるとする (Athenaeus,VII, 314 b)。

47) Fr. 176 (Atnenaeus II 63カエル), Fr 177 (Athenaeus III 105 dェピ), Fr 178

(Ath巴naeus,VII 314 bシピレイェイ)が残る。本書において四足獣,烏,魚,へビ,カ

タツムリ, ミツパチ等の冬眠が扱われた (RE1429)。

48) Usener 61-2は,本書を上記の動物学小品 (No.41ー7)の集合と推定したが,

Athenaeus IX 387 b (正ντpiq;四 p.it;,riJων), Excerpta Constantini A 98 (さν't'{urrAμπ,qJ ,&ν rrspt t;"vων), Athenaeus IX 391 eにおける言及は,これら小品と内容が対応しない

ので,本書はこれらとは別の書である。本書は,すでに古くからベリパトス派の t;,q/e聞

の一部となり,後者はその後簡便化され,それを Aristophanesof Bizantineが抜粋し,

Athenaeusが使用したと推定される (RE1429-32)0 Excerpta Constantiniは Aristo-

phanesの書の抜粋である。

49) Ar.はアカデメイアの人々による,アリスティッポス,エウドクソスらの快楽主義

批判の論戦に梓さし π.~i5o吟S' (D.L. V 22, V 24)を著したが, Th.もこれにまねて本書

- 16ー

Page 18: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

を書いたものであろう。 (Moraux36-7)。

50) Athenaeus VII 347 eで、は, 7r.紛o~iìs がカマイレオーンにも帰されており (cf.

ibid. VI 273 c), XII, 511 c, 526 dでは1'h.にだけ帰されている。 No.49, No. 50,及び

No.108の関連は詳らかにしないが, Olympiodorusによれば,1'h.は快に真と偽を区別

するプラトンに反対し全ての快を真とみなした (inPlat. Phileb. p. 269, Fr. 85)。また,

現在の生活の快適さを肯定し (AthenaeusXII, 511 d)ているが,イオニア風の生活即ち

τp印ザと過度の快は否定する (Athenaeus,XII, 526, Fr. 86, Aspasii Schol. in Ar. Fr.

86b)。 快を経験的に把握してpliヂザを問題にすることは Aristoxenosの Biographieや

Klearchusの Historieに受け継がれる (RE1484),。

51) Arと1'hに多くのテーゼ集成本があったとストア派の弁論家1'heon(progym刷

工lastaII 59 ff Spengel)は伝える (Moraux95 n. 239)0 Arの目録では4つに分けられ記

載されているが (DLV 24), Thの目録では一つにまとまっている。 No.109, No. 181

は本書の一部。 λthenaeusIV 130 clから1'hの本書がアテナイで評判であったことが知

られる。

52) Galenus (XII 2,405 Kuhn)において独立の著作としてヲ|かれている (RE1423)。

53) 固有の写本伝承をもっ 19小品」の一つ。 Photius(Codex, 2'18, 526a 32丘)に抜

粋がある (Fr8)。

本書によると,めまいは,頭を振ったり(~ 1),円状に走ったり(~ 3),かがんだり(~ 10),

通常の視力を越える大きさのものを見つめたり(~ 8),起き上がったり(~13)する時に生じ

るが,その原因は,自然本来は湿った (urpos)頭部 (cf.Ar. Problema 10, (1) 891a)に気

息 (πνε旬日)や他部位の湿 (urpoτ於)が侵入することにより生ずる本来の湿 (urpoτ亨宮)の

渦動,軽重分離に求められる。

54) 固有の写本伝承をもっ 19小品」の一つ。 Photius(Codex 2'18, 528b 28貨)に抜粋

がある (Fr9)。

まず,汗について,食物の甘く軽い部分が肉の成長のために消費されたあとに,労働Jや

運動(したがって熱と空気の効力)によって分泌される辛い水様のもの (~1~~ 3)と定義

しその種別(塩辛いもの,異臭を放つもの,芳香を放つもの等)を取りあげ,それらの

原因を論ずる m2~12)。次に,潰蕩や発疹と汗の関連,汗かきの原因を論ずる(~ 18-23)。

さらに,様々な体部と汗の関係,労働と運動における汗について論ずる m24-40)。伝 Ar

の『問題集』第2巻との関係は運動や労働との関連を扱った後半が著しい (cf.Flashar,

Aristoteles Problemata Physica, p. 423, 424-436の分析)。

55) 目録 No.115に7reP'eQ.no9Jaσε叫とあるが,本書 rrep.i四 TIX伊dσε叫 KCXl(bro伊dσε叫

と同一で、あろう。 Alexanclrusにおいては 7rspeK町古伊dσεωgの名であらわれるが Ga-

lenusや Boethiusにおいてはフルネームであらわれる (cf.Graeser 1)。 これら三つの

異名に別々の書を想定する必要はない。 περearrosoaσε叫は 7Cepe&πo伊&vO'ω宮(肯定と否

定の類としての言表)であるかもしれない (Usener62)。

本書は Arの『命題論』に対応するが, ThはArの論じた所はふれるにとどめ,あまり

- 17-

Page 19: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部組要

論じていない所を詳論したといわれる (Boethius,De 1nt. 12, 3-16)。本書について断片

(G 1-12, Graeser 4-13)から次の事が知られる。 lロゴスは聴き手への関係と事柄への関

係をもっ (Ammonius,in 1nt. 65, 31. Anonymus, Brandis 94 a 16-19)。

2 πp6τ日σtS(前提命題)は実在ではなく,多くの仕方で語られるものにすぎない (Alex.

in An. Pr. 10, 13-11, 16)。

3 定義はひとつづきの言明 (oratio)である (Boethius,1n De 1nt. 102, 26-28)。

4 Ar において "TτE仔~ S is P

と厳密な意味の特称 cf.アリストテレス全集1.p. 447f. 14,注 30)が, Thも前者の意

味での特称(不定称 adtopwr6ν)に言及した (Alex.1n An. Pr. 66, 1-10)0 Thはまた,

"τt~ S is P“を非限定 aoptστdν と呼び,限定された単称命題 "Platois P“に対し,非

限定の単称と解した (Boethius,De 1nt. 140, 6-12., Ammonius, 1n De 1nt. 90, 12-19)。

5 特称否定の二つの表現 'fc!)e沖 urrapxe'eνと沖 πωτ urrapxu).!が同値でないとし

たが,解釈が難かしい。 cf.Bochensky 43, Graeser 64 f., Brunschwig, (<Ind邑termin鈴

et ((lnde五ni>>dans la logigue de Th巴ophraste. Revue philosophiqu巴 n02/1982,

p 364 f., note 14.

6 rファニアスは知識をもっJと「ファニアスは知識をもたない」とが同時に真である

ためには述語(知識)に付加限定記号 (πpoσdtopwμ必量化記号 Bochensky44, note 174)

を付ける必要があるとの Thの言明が残る (Schol.Cod. Ambrosianus, Waitz, Organon

1 40)0 Bochensky (43-46)によれば, r知識Jは述語ではなく,真の述語は「もつ」であ

り,これに量化子はつかない ((p45)。したがって,本断片の内容は,二重量化子理論の魁

un commencement d'une theorie de deux quantifateursである。

7 矛盾律の証明は無理であること (Alex.1n Metaph, 273, 8-20. Syrianus, 1n Met-

aph. 68, 26-32)。

8 Thは否定的述語 non-Pをもっ前提を変換(による)前提 (πpo吋 σε々SiCf1ew(}iσε叫

or iClX域内TIY.(}eσtν) と呼んだ。変換とは次の事をいう。 Arは De1nterpretatione 19b

26-29において次の表を提示した。

(1) 1!σTt ðí阿川ゐ(}pωπo~ 一 (2) O/JiC 1!au ðíiClXto宮 ìJ.).!(}pωπO~ [(1)の否定〕

(3) 1!σTl ou OtK山内 av(}pα)'][0';一一 (4) OlJK 2Uil 0') ði四W~ 占ν(}pωπO~ [(3)の否定〕

Thは(1)と(4),(2)と(3)が各々共に真であるので(3)と(4)を入れ替えた。そこから, (3)(4)

を変換前提と呼んだ。或いは,変換とは肯定的述語が否定的述語に変換された所から呼ば

れたものかもしれない。 (Ammonius,1n De Int. 161, 5-11., 25-32., Johannes 1talus,

Brandis 121 a 45., Stephanus, 1n De 1nt. 40, 22-27)

9 Arが De1nt. 11章において論じた述語が複合した場合の真・偽について詳論した

(Alex. 1n An. Pr. 367, 9-14)。

10 <付加による前提>叩oráσεt~ 間TlÌ: πp6σA村tν。この前提は"問。, 0 B 7rll'ντ占~,

iCaT' EiCεJνOU叩 iTO Aπ町灯台"(Bがそのすべてに述話されるかのもののすべてに dもま

た述諾される)という形を取り,これには二つの限定項 (AとB)と一つの不定項が含まれ

- 18ー

Page 20: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

ている (Alex.In An. Pr. 378, 12-23)。したがって, これは可能的には定言的なシュロ

ギスモスと同等である (Anonymus,Brandis 189b 43-190a 3)。可能的とは不定項を限定

項とした小前提を付加すると推論が成立するということである。例を上述の定式の如く 3

格でなく, 1格で示せば次の如くになる。 "BKETAπ日νr:os&..,(}pφ1roυ, /i.ar' eKSlνoυrraνr:os

otjσJ白・ I;q;o)) d占I wr:aπ庄町os&))8pφπou. 1~ (X è 01)σf町 ap日間rrx7r仰r:os1;めoυ“すべて

の人間に述諾されるかのもののすべてに実体が述諾される。動物はすべての人間に述語さ

れる。従って,実体もすべての動物に述語される)。第二格,第三格についても同様 (cf.

Ammonius, in An. Pr. p. XII, 3-13)。 これはのちに「代入と分離による論証」と呼ば

れるものである (cf.ボヘンスキー『古代形式論理学』岩野秀明訳注 p.106)。

11 Ar, De Int. c. Xlnに関係した断片で、様相の随伴関係を諭すやる (Boethius,In De

Int. 387, 27-389.) Thは一方で口 (Ax)コム (Ax)(ム (Ax)三~口 (~Ax)Jを容認し

他方で~口 (Ax)三ム (Ax)を認めた。そこから口 (Ax)コ~口 (Ax)という矛盾が生じ

たが, Thはこれについて 口 (Ax)とム (Ax)は指示的意味 (vissigni五cationis)は

同じだが,その表示(否定と肯定)において異なるとして解決を図った。だが,第5項の

特称否定の場合と同様,解釈ができない。(口:必然,ム・可能)

12 Ar. Topica 120 a 6-32 (とりわけ a27-32)における論議の変形を Thが本書で試み

ている (Alex.In Top. 290, 24-29., cf. Brunschwig. op. cit. 362-4)。

なお, ガレノスが本書の注釈書6巻を書き, ポルフィリオスも本書に言及した (cf.

Graeser 51)。

56) testimonia. Alexandrus, De anima libri mantissa 186, 30. Cicero, Tuscu・

lanae Disputationes V 25.

ヘレニズム期の「偶運」論争とアレキサンドロス大王の評価に影響を与えた書 (Forten-

bauch 102)。カッリステネスについて拙稿訳注(25)参照。

Thはカッリステネスの非運を王の性格のせいにしたが, Arの教育責任は問わなかった

らしい。本書の中でThが(多分カイレモンの)格言(生を支配するのは偶還で、あって知恵

ではない)を賞賛したことは後世の Th批判のもとになった (Cicero,Tusc. V 25)。

57) 固有の写本伝承をもっ 19小品Jの一つ (Fr.7)0 Photius (Codex 278, 527 a 24 ff.)

の抜粋もある。

木書においてはまず,疲労の成立する場とその原因が論じられる。疲労は全身に現われ

るが,特に関節部と筋肉部に著しい。これらの部位に融解物が流入し重さとなって仲掛る

ことによって疲労が生じる(s1~3)。次に疲労とその隣接現象との区別 (S4~5),疲労回

復法(s6) が論じられ,あとは個別諸問題に移る (S7~18)。伝 Ar の『問題集』第 5巻が

かなり本書を利用している (RE1403~4 の対応表, Flashar 472-485.,他の源泉について

Flashar 470 f.)

58) No. 103 If自然、学~ 8巻の初めの 3巻にあたる。

59) 固有の写本伝承をもっ 19小品」の一つ。本書は始めと終りを欠いていないから

断片ではない。!i1と!i2の聞に土と石の形成についての一般理論の欠落が想定される

-19-

Page 21: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北火文学部紀要

が,確認される限りの脱文は 1個所 (s38の末)だけであり,ほぽ全体が残存している

(Eichholz 13-15)。著作年代は B.C. 315から 305の間 (ibid.8-12)。本書は Arが『気象

学JIIII, 6, 378 a 15妊.において予告したが果たさなかった鉱物学の Thによる批判を伴

う継承と見倣すことができる。プリニウスは,ギリシャにおける唯一の包括的鉱物学書と

しての本書から事実報告を取り入れたが,理論や原因論には目を向けていない (Steinmetz

110., Eichholz 7)。

冒頭の言明から『金属についてJI(No. 64)が本書に先立って書かれたことがわかる。内

容を見ると,まず, 石と土の形成過程(若干の水を伴い,土元素が,鴻過ないし沈殿し,

熱(と冷)の作用で固化する)が簡潔に記される(s1-3)0 (s 3-47は石を扱い, S 48-69は土

を扱う。)次に,石の性質の差異(色,硬度,光沢,滑らかさ,その他)の指摘 (s3-8)。火

に対する反応としての石の性質の差異(s9-22),この内, S 19-22は軽石に言及。さらに指

輪につかう宝石としてエメラルド類 (S23-27),ヤマネコの尿沈殿石 (s28),琉瑚とその磁

力 (s29),各種宝石(s30-35),真珠 (S36),象牙の化石 (S37),珊瑚(s38),鉱床で得られ

る石(s39-40)が個別的に記述される。そして,石について,加工に際して示す性質の差

異(s41-44)を述べ,試金石の記述 (s45-47)でしめくくられる。土については,まず,性

質として主に色が取り上げられ,火による変色という事態が注目される (s48-50)。そし

て,鉱床から金属と共に得られる土について,その着色剤としての使用と人工的生成を述

べ(s50-60),最後に,地下穴から掘り出される土(主に粘土)について,その絵の具とし

ての使用が報告される。

60) testimoniumはない。

61) Photius (Codex 278, 525b35丘)の抜粋で伝わる (Fr10)。まず,気絶の定義と一般

的原因が記され, 具体例とその原因の記述が続く。「気絶は呼吸部伎における熱の欠除あ

るいは冷却化であり,これは冷によってあるいは熱自体によって生じる (sl)Jが,具体的

には,出血による熱の流出などによって生ずる。伝ArIf'問題集』との連関は,気絶者へ

水を吹きかける事例jで示される程度である(s6.-Problemata IX, 9)0 D巴 IgneS 15にお

いて,気絶が enrrl1r e p!.σ,aσl<; (冷による混の濃縮作用, Coutant XIV-XV)の一例として

挙げられている。

62) 本書の断片 (DLVI 22)において,シノベのディオゲネスへの言及が確認される。

彼はメガラ人の無知・無教養,守銭奴ぶりを廟ったと伝えられる (cf.Fortenbauch 129-

30)。木警が No.155と同一で対話篇であるとの推定(R.Hirzel, ap. RE 1541, Forten・

bauch 129)がある。メガラ派の教説全般を批判した書である可能性もある (Fortenbauch

130)。

63) testimoniumなし。伝 ArIf'問題集』第 30巻第 1章 (953a10-955a 40)が木書か

ら多くを取っていることは確かである (cf.RE 1403, Flashar 711-2)。

64) r石について」の冒頭 (p)に「金属については他の所で述べられたから云々」と

あるから, 金属と石を扱う一連の論稿の前半部であったと推定される。 Rose(254-261,

XLIV 1repe向 Tanω)の断片集成 (fragmenta1~8) がある。古代の目録編集において

- 20ー

Page 22: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

帰属が ThかArか揺れたこともあるが (Rose258, fragmentum 6 Pollux), Hesychius

(f. 2), Harpocration (f. 3), Pollux (f. 6)はThへの帰属を証示。巻数は単数巻表記もあ

るが, Alex. in Meteoro1. 178, 15に依り, D.L.通り複数巻を採る (Steinmetz300)。

本書の方法と構成は「石について」と同様であろう (Steinmetz303)0 Plinius NH第33・

34巻には木書の跡はない (Rose255)。

65) Photius (Codex. 278, 529b11丘)の抜粋て、伝わる。蜜は花,大気,ヨシから生ず

る。大気から生成した蜜はオークの木に集まりやすい。また,蜜蜂はオークの木と親族性

(Of.Kee,曲目けをもっ。

66) No.8参照。キオスのメトロト、戸ス(前4世紀)はデモグリトスの弟子である

(Clemens, Stromata 1 64, apud Diels-Kranz1ペ70A1, II 231)。

67) M目白pσlOJ.OrtlC品目's'.第2白録 (No.142)において 7repeμετ叫 pων 日, (異続".

μETpω ゲ Long222, criticus aparatus 222,拙訳)がある。「気象学」は Arにおいて

Me-rωpo-J.ortlraなる諾で表わされるが, Thが μεdωposの代わりに με-rapσlOC' を使

ったのは, Capelle (Hermes 48, 335, Anm. 2)によれば, μεdωpoc' なる語が他の学問

分野においても用いられていたので,天と地の中間領域を指示する特別な用語を必要とし

たためである。向-rapσlOC' はイ,オニア散文では散見する言葉であるが,アッチカでは耳慣

れぬ言葉であったらしい。本書の断片は Olympiodorus,in Meteorologica 97, 5 SWve.,

Plutarchus, Quaestiones Graecae VII 292 dにある(内容的には雨について報告する

Olympiodorus, op. cit. 80, 31-81, 1も該当)。

『気象学』の再構成を可能にする資料として,本書の抜粋訳(シリア語訳とそのアラビア

語重訳)が発見されている。ベルグシュトレッサーは,アラビア語雑集写本 AsirEfendi

1, 1164中に (folia88 v-93 r) :本書の抜粋集を発見し,その明白な誤りを修正してドイツ

語に対訳した (Neuemeteorologische Fragmente. Arabisch und deutsch hg. von G.

Bergstrasser, Heidelberg, 1918, Sitzungsberite der Heidelberger Akademie der

Wissenschaften: Philologisch-historische Klasse, 1918, 9 Abhandhl1g pp. 12-27.

独訳は Reitzenstein,Theophrast bei Epikl1r l1nd Ll1crez. I-Ieidelberg, 1924, 86

108 にも収録)この写本の~ 1 (fo1. 88 v) 及び~ 34 (fo1. 90 v)にこの訳がシリア語訳から

の重訳である旨が記されている。ルロは CambridgeUniversity Library Gr. 2.14シリ

ア語雑集写本中に (folia351-353),そのシリア語訳の写しを発見した (H.]. Drossaart

L1110fs, The Syriac translation of Theophrastl1s Meteorology, in Al1tol1r d'Aristote,

LOl1vain, 1955, pp. 433-449.この写木全体については H.]. Drossaart Lulofs, Nicolal1s

Damascius on the Philosophy of Aristotle pp. 45-57を参照)。これの註釈付ドイツ

語対訳本がある (Dersyrische Auszl1g der Meteorologie des Theophrast. Heral1s-

gegeben l1nd ubersetzt von Dr. Ewald Wagner, eingeleitet l1nd erklart von Peter.

St巴inmctz,Akademie der Wissenschaften und der Literatur, Abhandll1ngen der

Geistes-und Sozialwissenschaftlichen Klasse, 1964)。記述の量はシリア語訳がアラビ

ア語訳の倍であり Thの思考行程を示すに十分である (ibid.9)。シリア語訳のギリシャ語

- 21ー

Page 23: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

原典が既に抜粋であったとの見方もあるが, Thの原典をシリア語訳者が抜粋訳したもの

であろう(ibid..9)。シリア語訳は風の理論半ばで写本が消失している。消失部分はアラピ

ア語訳 g52-69 (Bergstrasserの節分け)にあたる。従って全体像は両訳を比較した上で

再構成される (cf.ibid. 32-3)。現在はシュタインメッツの研究 (Steinmetz172-211)が

基本である。その大要は以下の通り, 1雷鳴 2電光 3落雷 4雨 5雪 6筈 7露・

霧 8氷・霜 9風 10月の壁 11地震。

シリア語訳が発見されるまでThの原典が『気象学』か (Bergstrasser,Strohm) IF自

然学説誌』か (Reitzenstein)見解が分かれていたが,ルロの論文以来,大方前者に一致

している (Steinmetz54-5)。論争の原因は,或る現象の説明に異説が複数挙げられてい

ることにあった。異説が複数挙げられているからといってただちに『自然学説誌』の抜

粋だとはいえない。 Thにおける経験主義に由来する原因複合主義とみなすのが妥当で

あろう (cf.Steinmetz 32-3)。

68) 本書の断片 (Fr.116-223,いずれも Athenaeus)から判断する限り,この中では自

然学的問題が扱われているのではなく,酪町,飲酒に関わる表現,事実,習慣の解釈が行

なわれている。

69) 原本は失われたが, R. Dareste (Revue d巴 legislationancienne et moderne,

1870), H. Hager (Journal of Philology VI 1-27, 1874)などにより断片が集められた。

テオフラストスは厳密な意味での法律学者といわれる。その書の散失はArによる諸国制

の集成の散失に匹敵する不幸である (Dareste,La Science Du Droit En Gr色ce:Platon,

Aristote, Th品ophraste.1893, P 7)0 Thはほとんどすべてのギリシア都市の法ばかりで

はなくパルパロイの法についても書いた (Cicero,de fi.n. V 4)。表題にもかかわらず配列

はアルファベット順ではなく内容に従っている (RE1519)。断片から知れるこの書のあら

ましは次の通り (Dareste,ibid, 301-313)。第 1巻法の本質について,第2巻法律を刻む

三角板 ("upsec守)の名の由来と立法家について,第4巻政治的訴訟の諸形態 ε初日rrdi,7rpoßOÀ~, オストラキスモス),第 5巻刑事訴訟の諮形態 (rpa舛 π日paν印ω, (jJaσcc:,

h甲r~σt~), 第 7 巻偽註と裁判のやり直し,第 8-11 巻市民と在留外人の権利,第 13-16

巻殺人に関する訴訟(仰νtltaedfK日t),第 17-18巻売買契約 (Stobaeus,Anthologium,

II, 127-130),所有権回復の訴訟,第 20巻祭り,競技,劇について。

木書に由来すると推定される断片がアリイによってヴァチカン写本 graecus2306の中

に発見されている (W.Aly, Fragmentum Vaticanum De Eligendis Magistratibus e

codice bis rescripto vat. gr. 2306, Studi e Testi 104 Citta del Vaticano 1943)。ア

リイは慎重にも表題に Theophr・astiと付さなかった (Aly,op. cit. 12)。本書断片の内容

比較からこの断片を Thに帰す論者は多い (cf.J. H. Oliver, The Vatican Fragments

of Greek Political Theory, Greek Rome Byzantin Studies XIII, 1977 p. 321)。断

片は A (folia 1+4)と B(folia 24+29) に分かれ, A においては仲裁人(命的吋~)を介

する裁判の手続が主題である。 Bにおいてはポリスの諸役職の選任にあたっての留意事項

が歴史的事例jを伴って述べられている。この断片はローマ人が役職選任の一般規則を立て

- 22-

Page 24: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

はじめた時重要な参考資料となったもので、あって,そのことが 6世紀に年代が決定して

いる本写本の存在を保障している (Aly,op. cit. p 12)。

70) No.4を参照。

71) Brandis III 276 (131)は, IF分析論後書~ (No. 2)に属すると推定する。 No.190,

191, 124, 175, 202についても同様。

72) 固有の写本伝承をもっ 19小品」の一つ (Fr.4, Loeb Classical Library,

Theophrastus, Enquiry into Plants II 324弘)。本書において,まず,臭いが芳香と悪

臭に大別される。そして,自然臭として,動物,植物,無生物の各々に特有な臭いが,人

工臭として,香油,香水などが論じられる。最後に補遺として,味と臭いに関するデモクリ

トス批判がある。 Ar.Problemata第 12巻に類似個所があるが抜粋ではない (RE1402)。

73) レーゲンボーゲンは,現行『植物原因論~ 6巻に, IF臭いについて』と本書が付加

され,目録の記載 (No.106)通り全8巻になるとする。いずれも c.pl. VIにおける予告

言及が根拠である (RE1452)0 No. 105, 106参照。

74) IF トピカ~ No. 92に属するか不明 (RE1381)。

75) キケロはロクリスの立法家ザレウコスについての Thの報告に言及している

(Leges, II 15, ad Att. VI, 1, 8)。

76) Ar.の目録 (DL24)に πOAITIK'ii<;&Kpoaσεωtゐ宮台 θεo<ppaσrou a'ーががある

が,これは現存Ar. IF政治学~ 8巻であり, 目録作成当時の Th.の政治学書の流布を示す

ものである (Moraux,95-6)。

77) No. 214 (π.四Ipe>>ν)と同一。 Thは政治,倫理の領域における四<po<;の契機を重

視した。この書は法律条項も含む膨大な実例の集積だったらしい。この書の第4巻は政治

に影響したエロス関係の実例が集められている。 ポノレピオスとの関係ではiJ卯oKpaT仰

を正しい国制に含め,その墜落形態を dχA.OKP日r:ea としたこと,町!:K20宮T守宮 7τOA.ITe!a<;政

体のf后環に言及したことが重要である (RE1518-9)。

78) IF法律集~ No. 69の補遺 (RE1521)0 Fr 111 (Athenaeus, 13, 609 f). Fr 112

(Athenaeus 13, 610 a)。

79) No. 197と同ーか (Usener16)0 testimoniumなし。

80) t巴stimoniumなし。

81) 諺の研究は Arが始めたものらしいが,その弟子クレアルコスにも諺の収集があ

る (WehrliHeft III, fr. 63-83)0 Th の諺使用の実例は『敬度について~ No.212に

見られる。そこでは粗食時代から文明(ひき臼)時代への発展が,日1<;iJpuo宮(オーグの木

で十分)と心材ε戸ν0<; s!o<; (ひき臼の生活)で示される (Bernays53, R. Pfeiffer,

History of Classical Scholarship, 1968, p 83)。また,自然学においても諺が引証とし

て使われている (DeVentis, S 5, S 46, S 49, S 50, S 51)。

82) testimoniumなし。

83) 固有の写本伝承をもっ 19小品」の一つ。講義への準備草稿的色彩が強い。本

書は以下のアポリアで始まる。火は他の 3元素に比ベ様々な差異をもっ (s1-2)が,最大

23ー

Page 25: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

の差異は火だけが(燃える)基体の内にあるという点である(s3)。だが,そうすると &px~

(原理)だとはいえなくなる。では,aρχザとして第ーの天球における純粋の Oεpμσ村吉(温・

熱)を立てるべきか。しかし,そうすると,火の本性たる燃焼ということがなくなる。そ

れなら, ()εpμO'[~ Ç; にも純粋な 0εpμ01'~ç; と月下界の様々な 0εPPoT0rεg の区別を立てる

べきか。それでは,火は純粋な (}spμ07:~r;から生じるのか,それとも基体からなのか(fi 4)。

およそ以上の論述につづいて温の本性の考察に進み,太陽から普く広がっている温と月下

界の火とは同一ではなく(fi5-6),後者は温のー現象形態で(s7),それ自身多種 πOAuεliies

(s 9)であることが述べられる。以上の大問題を搭・いて,以下では各論的に論じられる。火

の生成消滅に関わる経圧法則 (&νTl7fεp!σT日σIS,cf. Coutant XIV-XV. Steinmetz 124-6.,

S 11-19)。様々な消滅の仕方(!i20-24)。消滅における炎の基底部分 (&ρX~) のあり方(!325-

30a)0 火の色などの現われ方が基体の性質に依存すること(!330b-39)。温の諸形態(!340-

45a)。それに関する個別的諸問題 (45b-49)。炎の色と形(s50-56)。火の消滅補論(!i57-62)。

火起こし棒などによる火の生成(!363-64)。生石灰と石膏の溶解熱(!365-69)。煙 (o"日πνOS

!370-72)。火の反射熱,体,料理,炭などに関する諸問題(!i73-76)。

84) 偽アリストテレス「気息について」の著者が Thである可能性については RE1546

を参照。この偽書の分析及びその著者とエラシストラトスの関係については Jaeger,Her-

mes 48 (1913) 58妊を参照。 Thが生理学の原因説明に古νεup日を用いていることは注意

すべきである (No.85を参照)。

85) Photius (Codex 278, 525b22丘)の抜粋で伝わる。中風の原因は,熱と運動を与え

る気息 (π目印α)の冷却あるいは欠除にある。 Thの弟子エラシストラトスにも同名の書

2巻がある (RE,VI, Erasistratos, 350)。

86) Athenaeus II 66 f.蘇生処方薬の調合の報告がある。

87) testimoniumなし。

88) testimonium, Simplicius in Cat. 253, 9.πaOo<;;は思惟作用も含めた広い意味で

用いられる (Hicks,d巴 Anill1a198)が,本書は魂の属性全般を考察したものと推定され

る (Fortenbauch96)。断片によると, Thは感情の種的差異を量的な変異 (μ副Aoν刊 J

奇τTOν)によっても規定されるものと捉えた (Sill1pl.op. cit.)。また,彼は感情の複合的性

絡の故に,様々な領域でそれを扱った。『運動論』において感情を物体的運動とした(Sill1pl.

in Phy. 964, 29-965, 6)。倫理学的には,感情は徳の傍bく領域である (Stobaeus,II, 7,

140, 7-142, 14. 142, 15-26 (περ1 7rα0ων れがs)については, Thの手を介した Arの理論

との見方 CvonArnirn, op. cit. 72Jやストア派の影響をうけたペリパトス派のものとの

見方 CMorauxop. cit. 396-400Jがある)。また,欲望による誤ちは激情による誤ちより

罪が重いとした (MarcusAurelius, Meditationes 2, 10)。セネカ『恐りについて』にお

ける ThとArの引用は共に Thのものとする論者 (Moraux79-80) ;がいる。フォルテン

パウフはこの断定を疑う (Fortenbauch162)。

89) 写本伝承の上では Ar11小品集』中に含まれている。 Aldus版において他の小品と

は別に無名氏として印刷された (Rose244)0 Gemusaeus版において Thに帰せられて以

- 24-

Page 26: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフヲストスの生涯と著作 (2)

来,全ての版において Thのものとされるようになった (Kley,Theophrasts Mataphy-

sisches Bruchstuck und die Schrift 7repiσ万μεJωνinder lateinischen Ubersetzung

des Bartholomaeus von Messina, Diss., Berlin, 1936, p. 29 f.) Aldus版は底本とし

て Harvard,gr. 17を用い, Gemusaeus版と近代の Schneider版は Aldus版を使い,

Wimmer版は Schneider版に依っている (M.Sicherl, Handschriftliche Vorlagen

der Editio princeps des Aristoteles, Mainz, 1976, p 57 f., Kley, op. cit. 30)。古代

において ArかThか帰属が揺れていた (RE1413)。現行警が原 π.σ卯 εUvνでなくアレ

クサンドリア時代の抜粋書であることはローゼにより唱えられた (Rose245 f.)。古代にお

いて有名であった Aratus(前3世紀)の詩的作品 Phaenomenaの後半部 (1兆候によ

る予知J)と一致があることから,両者の共通の源泉として本書を考えるのが適当であろう

(RE 1414).現行 π.仰向ων は雨,風,嵐などの前兆に従い配列されているが,本書は前

兆の荷い手にしたがい配列されていた (RE1412-5)。現行書の内容 S1-9序,天文現象

と前兆の関係 S10-25雨の前兆 S26-37風の前兆 S38-49嵐と寒気の前兆 S50-57 晴天の前兆。

90) No.6参照。

91) No. 3と同一 (Schmidt55)。

92) tes.timonia, Alex. in Met. 381, 11-17., 408, 18-22.

断片 G38-450 Thはトポスを「個別的な場合の諸原理を導き出す原理」 と規定した

(Alex. in Top. 5, 21-26., 126, 13-16 G 38)。さらに, トポスとパランゲツレマを区別し,

後者をより普遍的原理とした (Alex.in Top. 135, 3-14. G 39)。この他にいわゆる Pr巴di-

cabilesについて, Arの様に,個別に論述するのではなく,単一化して論ずる傾向があり,

その際,付帯性を他の Predicabilesから切り離した (Alex.1n Top. 55, 24-27, G 40.,

45, 11-13, G 41., Proclus, 1n Parm. 635, 2-12, G 40., Simp. in Cat. 415, 15-19, Alex.

in Met. 381, 11-17, G 42., Gal. Meth. Ther. 4, 18, 1, G 43., ibid. Adv. Lyc. 4, 18,

1, Meth. Ther. 2, 7, G 44.)。第2巻において,関係的なものについて論じる (Alex

1n Met. 408, 18-22, G 45.)。

93) testimoniumなし。 Ttμωρ仰は政治的には懲罰として共同生活を維持する要素の

ひとつである (Stobaet同 IV,1, 72. p. 23 Hense)が,個人間では復讐として怒りに関わ

る。 Thは怒りを押え好意を促進し,他人と友愛関係をもっ様勧めた (Fortenbauch49-50.

94) t巴stimoniumなし。

95) testimoniumなし。

96) W風についてH5において木書が言及されている。 t巴stimonia,Athenaeus,

II 41 E., Antigonus, Historia Mirabilia CLVIII.木書において,雨,地下氷,水の性質,

ナイルの増水などが論じられた。 Thは雨の生成の原因を冷却(向ctS,Ar. Meteor, 346b •

29-31)だけではなく,雲が高山に衝突することによる圧縮 (πf初σts:)にも求めた (ulym-

piodorus, in Meteor. 80, 30-81, 13 Str臼ve)oThの地下水論に依るものとして, Vitruv,

de architectura 8, 1-3 (地下水とその探索法, cf. Steinmetz 221-231, esp. 230), Cassianus

- 25ー

Page 27: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

Bossus, Geoponika 2, 6 (地下水探索法, Steinmetz 231-240), Plinius, N. H. 31,43-49

(Steinmetz 241), Seneca Q.N. 3, 4-19 (ポセイドニウスの Th批判の書を介して。 Stein-

metz 242-247)がある。水の ow<popa!と o{;ν庄内々について, Fr 160 (劇薬水), Fr 161

(水の重さ), Fr 162 (体色を変える水), Fr 163 (緩庄作用)。更に, Plinius, N. H. 31, 6-

30 (泉水の人体への影響), 50-52 (水の季節変化), 53-56 (水の環境変化), Seneca, Q. N.

25,4 (体色変化), 25,7 (石への影響), 26,1 (増水JII)o Didymus Areius, fr. 14 a Diels,

Doxographi Graeci 854 Ot日伊op日e'[(vνuo日1'wνは Thに帰すべきである (St巴inmetz,

277, Anm. 1, 7')0 Athenaeus II, 41 F (多妊・不妊作用)。ナイル川増水を論じたラテン

訳 (13世紀)で伝わる断片 (Rose246-247)をローゼ (Rose239, fol. Diefls 226-227)は

Th に帰したが,その後, Arに帰す Partsch説が一般的承認を得ていた。シュタインメ

ッツの分析によると,木断片には Ar説批判の部分があり,説明が Th的であるから,ロー

ゼが正しい。また,本断片は大部の書の一部である (Steinmetz278-296)。

97) testimonium, Priscianus, solutiones eorum de quibus dubitavit Chosroes

persarum Rex. prooem. (ベル、ンャ玉コスロエスの質問への回答書序)in Commantaria

in Aristotelem Graeca, Supplementum 1, pars 2, c. II. 57, 10 ff., c. III, 62, 7 ff.,

Bywatel'. c. III, 62, 7任.において,夢の中の表象は起きても覚えているが,実際にした

ことの表象を夢の中で思い出さないのは何故かとの問いが出されているが,回答は明瞭で

ない (Brandis373, Zeller 851)0 Plinius, N. H. XXVIII 54も本書に関係する。

98) ヒエロニムス (Hieronymus,In Michaeam III 1548 Mart. ap. Zeller 862,

Fortenbauch 66 f.)は rThは3巻から成る親愛論を書き,その中で親愛をあらゆる種類

の親切より優位に置き,それは人の世では稀なことだと述べた」と記している。ゲリウス

(Gellius, Noctae Atticae 1 3, 11)は,キケロが自らの deamicitiaを編むにあたり Th

の3巻本を利用したと伝える。本書第 1巻において, Thは名誉の損失が少なく友の利益

が多い場合,友のために自らの不名誉に耐えるべきだと説いた。 Thの詳細さに比ベキケ

ロは簡単に済ましているという (ibid.1, 3, 10)。キケロの使用したのは実際はストア派の

パナイティオスの『義務論』だったらしい (Fortenbauch112 f.)o Thは植物の性質にも

親愛性 (1tpO(J<pt2~<;) があることを指摘した (c. pl. II, 17, 5., III, 10, 4)が, これは『敬

度について』第 5抜粋 (Bernays,No. 212)における 7rpci'7:Y) o~Kêt6Tr;ç: の思想に通じる。

99) testimonium. Cicero, Ep. ad Att., II, 3, 4.

100) testimoniumなし。

101), 102) 純粋な歴史的研究ではなし個別領域の諸問題を自分の体系に適合的に解決

する目的をもって諸々の業績を吟味・批判したもの。個々の哲学者の著作からの抜粋を特

定の標題の下で並べ学説史的概観を与えたと推定される (H.Diels, Leukippos und Dio-

genes v. Apolonia, Phein. Mus. 42, 1887, P 7)。各標題の下での年代!煩の叙述,学派

連関の指示が認められる。巻数に 18巻, 16巻の異同があり,書名にも若干の異同がある

(Diels 102)。デ、ィーノレスによれば,二巻の概要木の成立はアレキサンドリア時代であり,

その使用が明らかなのは DLIX 21が最初である。全巻本の使用は Alexandrus(2~3 世

- 26ー

Page 28: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

紀)においては確かである (PhysicorumOpinion巴sfr. 6)が, Simplicius (6世紀)にお

ける全巻本の使用については,ツエラー (14475),ディールス (112f.)は否定し,ライン

ノ、ノレト(K.Reinhardt, Parmenides p. 92 Anm. 1)は肯定する。

周知の様に,ディールスは『自然学説誌』の再構成を試み, Doxographi Graeci (1879

年)を著した。偽プルタルコス『哲学者たちの自然、学説についてdl5巻とストパイオス『抜

粋集』第 1巻には多くの一致がみとめられる。これが Aetiusなる共通の典拠を使用した

結果であることは, テオドレトス (Cyrrhusの司教, 385-c.458) Wギリシャ人の感情の治

療dl1V S 31における記載ドイετ!ou吋ν7repe&pε仰の叩νσuνα7山r!;νアェティウスの学

説集)から矢口られる (Diels47)。ストパイオス『抜粋集』は欠章が多く配列も変更されて

いるので,ディールスはその点で、は良好な偽ブ。ルタルコスを基準的に用いて Aetiusを

再構成すべく,対応する章ごとに二つのテキストを並べて印刷した (Diels273-444)。

テオドレストスによる Aetiusの引用はこれら二者より少量だがより忠実である (Diels

45)。並列印刷の下欄 Aliorumex Aetio excerptaにその引証がある。テオドレトスの

他にはフェニキアの司教で『人間の本性について』の著者であるネメシウス,エメセヌス

がし、る。アェティウスは, Aetius 1V 3, 10に挙げられているグセナルコス(アレイオ

ス・ディデュモスとアウグストス帝の友人)の名から考えて,紀元1世紀に生きた人で

あろう。 Aetiusは全5巻である。 I原理論 II天体論 III気象論 1V霊魂論 V身体

論。 i為プ。ノレタノレコスにはストパイオスにはない全体の序,第 2,第 3,第4巻への序が含

まれる。又,前者は全 133章 (130, II 32, III 18, 1V 23, V 30)を含むがp 後者はこれに

13章欠ける(欠章 11, 4, 6, 8., II 6, 12, 14, 18., IV 1, 4, 11., V 2, 3)0 (ストバイオスの章

数は実際の引用のない章も含めた坦orilegiumLaur巴ntianusの章名の Indexによる補

いにもとづく〕

ペリパトス派的折衷主義者アェティウスは素材に判断を控えているが,この点、でストア

派的なアレイオス・ディデュモス (c.65 BC.-10, AD)に近い。

Aetiusから序文,第 1巻第 1,2章(明白な付加物),ストア派的,エピクロス派的,ベ

リパトス派的付加物,及び伝記的付加物も取り除くと Aetiusの典拠の概要が得られる。

これをディールスは「古期学説集 VestutaPlacitaJと名付けた。これは6巻を含む (Diels

181-3) 1原理論 (Aetius1 3, 711-34, 8-30に対応), II天体論 (Aet.II 1-31), III気

象論 (Aet.III 1-8), IV地球論 (Aet.III 9-17, IV 1), V霊魂論 (Aet.2-10, 13-20, 22-

23, V1-2), VI身体論 (V3-30)0 Aetius IIIは「古期学説集」においては二つの部分に分

かれている。それを示す文が A邑tiusIIIに含まれる。「月下界のことについて私は一通

り書き終えたので,次に地上の現象について調べることにしたいJ(III 8, 2)。ローマの百

科全書家ケルススも「古期学説集」を利用した(彼の著作は, 1農業論5巻, II医学8巻,

III戦略論, IV弁論争N', V哲学学説集6巻, V1法学から成るが, Vに関して, アウグス

ティヌス (praef.ad haeres. ad Quoddeusvultum)は,ケルススが様々な学派の全ての

哲学者の見解を小さくない 6つの巻でまとめたと証言する。 Diels184)0 r古期学説集j

の編纂年代を決定する資料は,その前半部が Aetiusと一致する学説誌を含むケンソリヌ

27ー

Page 29: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀湘

スの『誕生日について』である。ケンソリヌスはウァッロ『人聞の起源について』を典拠

にしているが (Dox.Gr. 186, 187),ウァッロは前 1世紀後半から中頃の人なので,ウァッ

口と Aetiusの共通の源泉である「古期学説集」の年代は,ウァッロ以前となる。又,こ

の中にはポセイドニウスやアスグレピアデスの名が挙げられているので (Dox.Gr. 185),

これらの人々より後ということになる。それ故,この書の年代はポセイドニウスの一世代

後,前2世紀から 1世紀にかけての変わり、目あたりであろう (Diels201)。編者はストア派

ないし折衷派と推定される。「古期学説集Jの典拠が基本的に Thであることは疑いない

(Diels 219)が,早い時期に原本が散失し多くの系統に分かれて存在していたと捻定 (220)

され, 1古期学説集」の編者は多分,ポセイドニウスなどに影響された系統のものを使用

した (Diels224)と思われる。

本書 πεpe仰 σtlCWνrずは No.171 判σ!lCWν OOÇWν C~' と同一だと伝統的に考えられ

ている (Usener73, Diels 102)が,シュタインメッツは両書を別のものと見倣し, 本書

を体系的自然、学書とし, No. 103の『自然、学Jl8巻に 10巻分の小品が付加されたものと

する (Steinmetz10-12)。そして,本書名の引用箇所から推して,本書には予備考察とし

ての学説誌があったのだとし, No.l71については,日銀中の各哲学者のモノグラフの集

積にすぎぬとする (Steinmetz,Beilage 334-351)。かかる新説は一般的承認を得られてし、

ない (cf.Gnomon 39, 1967, Gottschalkの書評 pp.18-20)。また, Aetiusが『自然、学

説誌』の構成を反映していることについて論じていないから,ディーノレスの仕事の批判に

はなっていないと思われる。

103) この書の第 1巻は運動について論じ (Fr.19),第3巻は「天体論]にあてる (Fr.

16)。第5巻は「霊魂論」第2巻である (Fr.53b)から第4巻がその第 1巻である(第6巻

以降についての推定は Brandis290 fを参照)。

第 1巻において,自然学の対象と方法が述べられ,運動する物体を感覚の明証性から出

発し:研究すべきことが主張される (Simplicius,in Phy. 20. 17-26, Fr. 18 Wimmer.,

ibid. 9, 5-10, Fr. 17)。さらに運動の概念規定に関し論ずる(ibid.860. 19 f. Fr. 19.,

ibid. 412. 23 f. Fr 20 [ただし第2,第3巻)., Fr. 23, 24, 25, 26, 26b.)。第2巻において,

時間と場所について論じられるが,時間については Arと同じ見解を採った (ibid.788,

30 f.)。場所については,不動のものという公理は Ar(Physica 212a 18)を受け入れる

(ibid. 566, 18 f. Fr 22b)が ro't'ov 7rεpdxoνTO守 πepac;&K{ν甲TOνπp,{r['oν(212a 20) と

の規定に対しては5つのアポリアを向けた (ibid.604. 5, Fr. 21)0 Thは;場所を物体の11買

序ないし位置と捉えた (ibid.639. 13. Fr. 22)。第3巻は天体論であるが,天体に関する

Thの見解については, Metaphysica, De Ventis, De Igneなどから再構成した Stein-

meitzの理論 (pp.158-168, p 356)を参照。 Alexandrusによれば,本巻において Thは

0εlor;;σGμ日だけでなく,生成消滅する事物とその原因についても論じた (Simp.in De

Caelo 1, 8.)。また,天体は 0εéo~ (神的)であれば印ψυxo~ (生きている)であると述べ

た (Proclusin Timaeus 35a, apud Steinmetz 159)0 Arの逆行天球(日(ch)εAAcτToUaat

σ伊日午前 Ar.Met.)を Thは無星天球(日l&lJaσTPOCσ仰 ep町ら Simp.in De Caelo., 491.

- 28-

Page 30: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフヲストスの生涯と著作 (2)

17 f., 493. 17 f. Fr. 31, 32.)逆戻天球 (αt&Llr白川仰pOlJσ配 σ仰/仰" Alex. in Met. 703,

17 f) と呼んだとの報告もある。 (Steinmetzによれば, Arの天体=第5元素説を Thは

否定し太陽における純粋な暖 ceεpp6ν〕と地上からの暖との交換を認め,いわば,天体

と地上との統一的物質円環説を採った)第 4,第5巻の「霊魂論Jについては,資料とし

て, Thの感覚論,表象論,理性論のパラフレーズである PriscianusLydus, Metaphrasis

in Theophrastum (Commentaria in Aristotelem Graeca, Suppl, 1, pars 2 Bywater)

がある。プリスキアヌスのパラフレーズの仕方は, rThがArの説につけ加えたものがあ

れば,それも取り上げ,難問として提出しているものがあれば,それをできる限り手助け

して仕上げる (ibid.p 7, 21-3)Jというものだが,多分に新プラトン主義的要素が付加さ

れているのでそのままでは使えない。ストラットンはThの残存著作・断片と Priscianus

を用いて Thの感覚理論を再構成した (Stratton,18-50)0 Thにおいて感覚は思考と並ぶ

重要性をもっていて確信の原理 (Fr.13)だといわれる。感覚と思考は自然的である限り快

を伴う。感覚対象はすべて,霊魂の情態に還元できない,感覚から独立の実在性(Ý' I'σl~ ,

θFjσfα)をもっ(反デモグリトス)。同じ感覚対象によって異なる感覚が生じるのは感覚器官

の性状 (ðcáeεσ c~) のちがいによる。つまり,感覚対象に対する感覚器官の関係に含まれる

ロゴスに従って感覚は成立するのである。味覚と聴覚の器官は同様のものによって,その

他の感覚器官は反対のものによって転化し,対象の形相に同化 (oμoew引けする。感覚の

差異は感覚対象(色や音)の量的相違によるのではなく, それらの質のちカ丸、による。刺

激の強度は環境との対比によって決まる。五つの感覚相互の親近性にちがいがある。特に

臭覚と味覚には対応性が見られる。臭覚と聴覚は共に媒体として空気をもつが,臭いと音

はそれぞれ別々の関係を感.覚器官との聞にもつように空気を条件付けるのである。共通感

覚への言及は Thにはないが,運動や大きさなど「共通に感覚されるもの」についての言

及はある。表象に関する断片は少ない (Simpliciusin de Anima, 286, 31-2., Priscianus,

soltiones ad Chosroes, No. 97参照)。古代から論争の的であった Arの能動理性に関わ

るThの断片はヒックスによって整理された (Aristotlede anima, with translation,

introduction and notes, Cambridge, 1907, rep. Arno, 1976, appendix pp. 589-596)。

断片は Arde anima, III. cc 4-5に関わり, r形而上学断片」と同様, アポリアを出し

ながら Arの論を解釈,解明している (Thの断片と Arの textの対照は p.590を参照)。

ThはArの理性の三分を踏襲したが,いわゆる能動理性は外来の(符ω0εν)離存可能なも

の (χ剖 pw,6ν)でありつつも内在的 (σ叩仰食)であるとした (Fr.1, 7, 12)。

104) フ。ルタルコスは「コロテス論駁J14章, 1115 a-cにおいて,ベリパトス派がプラ

トンに追従しているとのコロテス(エピグロスの弟子)の見解を反駁するために, 自然、哲

学の基本的部分に関してプラトンに対立し反論を行っているペリパトス派の人々とその書

の一覧を与えているが,その中に Thの名とその書 ra7rPÒ~ TOUC-仰σt仰向が含まれて

し、る。

ディールス (Diels486-491)によって「自然、学説誌jに含められた, フィロ γ 「世界

の不滅についてJc. 23-27のTh引用ではじまる断章 (Loeb,Philo IX, 266-290)は,世

- 29ー

Page 31: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部記要

界の不滅を否定する説を四つの論点、で要約しそれに反駁を加えたもの(各々の論点、と反駁

の分析は上掲書の解説 p.178-83を参照)であるが, ツエラーは Thがゼノンを反駁対

象としていることを示した (Hermes,11, (1876), pp. 422-429,反論 Diels,106-8,再反論

Zeller, Hermes, 15, 1880, pp. 137-146)。反駁対象がゼノンであれば, ~自然、学説誌』は

プラトンまでしか扱わない (Diels106)ので, 当断章は論争論集的な本書に由来すること

になる。この論争はその後引き継がれ,現在でも決着がついていない (cf.Effe, B., Studien

zur Kosmologie und Theologie der Aristotelischen Schrift, "Uber die Philosophie“

p. 55, Anm 223)。

105), 106) 両書は国有の写本伝承をもち,共に同じ伝承系統にある。現存の写本の中で

は VaticanusUrbinus 61が最も古く,抜粋写本を除く全写本の源である (B.Einarson,

The Manuscripts of Theophrastus' Historia Plantarum, Classical Philology, 71,

1, 1976, 67-76)0 Wimmer版の底本はこの写本である (Praetatio,1)。レーゲンボーゲン

(Theophrast-Studien 1, Zur Analyse der Historia Plantorum, Hermes 69, 1934,

pp. 75-105, pp. 190-203)は「植物誌」が総論と各論から成ることを示した。総論 (1,11.

cc. 1-4 [IIa])は,植物の部分の形態学的基本概念と発生に関する一般的問題を扱い,各

論は,各々,栽培樹木 (IIcc. 5-8 CIIb]),野生樹木 (III),小潅木 (VI),草木類と豆科植

物 (VII),穀類 (VIII)を扱う。このまとまりからはずれる IX,IV, V巻は各々,樹液と

薬草,植物地理,材木用樹木を扱弘前二世紀前半のアポロニウスは,中世写本から伝わ

る現在の IX巻木とは異なる八巻木を使用しているが,その七,八巻は現在の VIII,IX巻

に対応する (Apollonius,Mirabilia, c. 33, 41, 50)。レーゲンボーゲンは上の分析に基づ

いて以下の対応を推定した。一~I,二~IIa,三~IIb,四~III,五~VI,六~VII,七~

VIII,八~IX (RE 1439)。ケニーはこの対応表における IV巻の排除に反証を挙げ,一~

1,二~II,三~III,四~IV,五~V,六~VI, VII,七~VIII,八~IX の対応を結論した

(J. J. Keaney, The early Tradition of Theophrast' Historia Plantarum, Hermes,

96, 1968, pp. 293-5)。彼はX巻は存在していないと考える様である (cf.Keaney, ibid,

294,注 2.,)。レーゲンボーゲンの表では,それに IV,Vが加われば全 10巻になる (RE

1373, Keaney, ibid. 295, n 2)。

「植物原因論」は十分に計画された書である (cf.Loeb, Theophrastus, D己 Causis

Plantarum 1, X-XIV)o 1,発生の種類 (cc.1-9),発芽と結実 (cc.10-22), II問 Taμσω

と叩吋 τAxv1jvの区別 (c.1)及び m 吋判σω に関する諮問題, III問 τaTS'Yy1jVに関

する諸問題, IV種子論 V 7rlXpa何σ2ν な現象, VI樹液の味と香り。目録では全8巻で

あるが,残りの 2巻はVIにおける指示から,第VII巻として περeoσμ伽 (No.72)が,

第 VIII巻として 7repiOtνoυ tr:IXe sA日iou(No. 73)が相当する (VIの終りの文, VI, 8, 5,

6の指示, RE 1452を参照)。

大部分の植物の種は既に知られていたので Thの寄与はそれらを整理,体系化したこと

にある。その範囲は,農業,医事,薬事,気象,地理,生理など多岐に渡るが,その詳細

については, RE 1455-9., LoeJコ, ibid. XIX-XXIIIを参照。 ThはArの動物研究の方法

- 30ー

Page 32: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

を受け継ぎ修正した。最大の問題は,動物とは異なる植物の部分の形態学的概念を確定す

ることであった。その際,外面的類似に頼らずに植物の判σC, に適合した 0/日仏~ ()ε臼p!α

を追求する必要がある (h.pl. 1, 1, 4)とした。そのためには植物の差異を詳しく個々の

場合まで調べる必要があるが,その時に必要なのは観察的感覚把握 (αtσ向τ山台 σ山日々 )

の正確さである (c.pl. II, 4. 8)。植物の自然には,各々に適合した土壌・気象という環境

的要素が緊密に結びついている (h.pl. 14, 4)が,この要素は植物の自然に関わり,人の

手をかけないという意味で「自然発生的(日ur6μ町 0ν)Jである。農耕技術は植物の結実と

いう目的を助けるものとして位置付けられる (c.pl. II 1, III 1, 2)0 (mk6μa-roνの二義

性については, G. E. R. Lloyd, Greek. Science after Aristotle p. 13を参照)。

Thの書の影響は, Apollonius (前2世紀前半)Mirabi1ia, Varro (前 1世紀中頃)De Re

Rustica, Vergi1ius (前l世紀後半)Georgica第2巻, Plinius (前1世紀後半)Natura1is

Historia XII-XXVII, Galenus (2世紀後半)De Alimentorun Facultatibus 237, 20,

Athenaeus (3世紀初)passim.に見られる (RE1438-1445)。

セン (G.Senn, Die Entwicklung der grundsatzliche Forderung dUl了chTheophrast

von Eresos, pp. 93-128)は, I植物原因論jにおける「植物誌」への言及に基づく両書成

立の相対年代説に反対し,植物書における理論の発展を主張したが, レーゲンボーゲン

(Hermes, 72, 1937, pp. 469-75, Polemik Theophrasts gegen Aristoteles)によって

その論拠が崩された。それ故,目標設定と課題において区別された著作として両書は,我々

の見る様なテキストにおいて Thによって計画され,その本質的部分においては遂行され

たとのレーゲンボーゲンの説を採るのが良いと思われる。 cf.ファリントン『ギリシア人

の科学』下, p 24-26, 71. (岩波新書)。

107) Galenus, V 684., Michael Ephesius, in parv. nat. f 175に testimoniaがある。

108) No. 49, 50を参照。

109) No.51を参照。

110) 弁論術は各々の対象について可能な説得の手段を考察する能力 (Ar.Rhet. 1, 2,

1155b 25-6)であるが,説得ないし立証 (π/στC,)には技術的なものと非技術的なものがあ

る。前者は弁論者によって構成される(ないし発見される uJpεωLat.inventio)ものであ

る。これには(1)弁論自体によって証明することによって或いはその様に思われるように

することによってもたらされるもの(エンチューメーマと例による立証), (2)弁論を通じ弁

論者の性格(初0,)を信頼させることによってもたらされるもの, (3)聴き手に特別の心的

状態 (πa()o,)を作り出すことによってもたらされるものがある (ibid.1. 2, 1356a 1-4)。後

者の非技術的立証は弁論者に既に与えられているものであり,弁論に組み込まれる形で、利

用される。これには (1)法律, (2)証人, (3)契約, (4)拷聞による自白, (5)誓言がある。 Th

は技術的立証に関わる四著 π.ev()u仰 μa-rωνNo.131,π S,rcXeC仰 p.a-rωνNo.37,π.

evO"raσεωνNo.38,π.πapadε!rμ日-ro,No. 161を残す。非技術的立証に関しては本書と

誓言を論じたと思われる π.OPKOυa' No. 153がある。 Ciceroや Quinti1ianusにおけ

る非技術的立証の細分化はすでに Thに始まっていると考えられる。

- 31ー

Page 33: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

111) 表題 7r~pè Tφν &7ri1wνdta7ropマμd'Tω。内容について証言するものがない。

Schmidt 33は弁論家が一つの事柄に複数の見解を表明する疑問 dta7rop0σ1,に近いと見

るが cbrAoJ)については不詳とする。 Regenbogen(RE 1382)は Schmidtが拒けた

dπ0.00μ昨日(矛盾の弁証術的推論 Ar.Top. VIII, 11, 162a 17)に近いと見る。

112) π.μOUfJlI,ij守a's' r' (No. 146)の部分。

113) 'Aperwν占ca!popaiゲ (No.17)と同一。

114) 論点 d伊0.0μdとは弁論におけるテーマのことである。 No.6も参照。

115) π.κar日夕日σεωc' /i.cre á7ro ýJáσ印~, (No. 55)と同一。

116) ヘルモゲネス π.μs{}6åoυåê~νórザro宮の注釈者 Gregorius Corinthius (Walz

VII 1154, 23., apud Hermes 32, 318 Rosenthal)はThによる格言の定義と分類につい

て述べている。 Thは格言を「行為すべき事柄に関わる一般的言明 Ir;a8oi1oυcbro夕日σt,Sν

τoe, 7rpακTioc守」と定義し,それを (1)一般に承認されている格言 atevdocot rνφμω(2)

通念に反する格言 at7rap&docol rν仰山 (3)異義の可能な格言日&仰師向TOUμεν日2

7νψμ仰に区分する。 Ar.(Rh巴t.II 21 1394b 8-10)においては, (2)と(3)が一つにくく

られているが,基本的に Thの区分を含んでいる。

(1)αEFνdocol ..…...・ H ・..…… (a)rνφf1a1 eiνεU SπlAorou

(理由を含む)付言を伴わない格言

(2)α2π日p&docol …… (b)rVW!'aIμεr' SπtAoroυ

(3)α2αμタrσ向TOUμε四 CJ 付言を伴う格言

(b)について &rro心得叫す・・・deoμεν日tεtσω ゐαt;rαp&docoνTIi1erouσrν 号dμ!Plσ向OUμενoν

(ibid. 1394b 8-10)と言われている。 Arにおいては)の用語はないが内容的に Thと異な

らない。 f日j題に関しては, ThがArより詳しく説明している (cf.Hermes 32, 319)。

117)μi1oeoνについてベリパトス派以外では誰も書いていない。 Arは「詩学」の失わ

れた章において rei1o'eoνの使い道や種類について述べた (Ar.Rhet III 18, 1419b 3妊)。

Thと Demetriusだけが π xaP1rosと π・7εi10!OUを書いていて,これらが偽デーメー

トリウス『文体論』 π.spf11)ve!as ~ 128-162 (但し~140-145を除く)における「文体の優美

さについて」の断章と~163-172における「可笑しいことについて」の断章の典拠でるる

ことは確実だが,どちらかに確定はできない。 CiceroDe Orat. II 216-289 (及び Cicero

を基にした Quntilianus,Inst. VI. 3)の基にペリパトス派の説がある。 Plut.Qua巴st.

conv. II 1, 4-13は σIr;Wμα(機知)についての Thの理論を含み, π.rε?oeoυに由来す

る。 (RE1524, Solmsen, Hermes 66 (1931) S. 262-3)

118) ウーゼナー (Usener62)はこの書と &"poaσεων 日,s' γ(No.15)を同ーと

する。

119) No. 29参照。

120) 書名 7repiτwν8悶少Opwνを,ウーゼナー (Usener7)は Athenaeus317 fから

πepiτφνm吋 TOn:OUC' oc岬 opwνと補う。 (No.41参照)

121) testimoniumなし。 Arは加害行為の段階を区別した (EN5巻8章 1135b11妊).

- 32ー

Page 34: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

ThはArと同様,偶発的加害(&吋Flfl日)を犯罪 (&de切 μ日)に含めない (Anonymus,1n

Eth. Nic. 237, 35-238, 10)。

122) 本書に関する断片はない。 δcasOJ.1の動詞形 dcasaJ.J.訂 νは「疎隔する」が原義で,

ここから「敵対する,悪意をもっ,中傷する,偏見を抱く」の意が派生した。弁論家は自

分に対する偏見,中傷を解き,敵に対して中傷,偏見を与えようとする (dl日向材νJ.vaa:I

k日Jπ01奇σωArRhet. III 14, 1415 a 28-9)が, Arは,これは本来の弁論に関わる事柄

の外にあるものだから序論において述べられるべきだ (ibid.1415b 6-6, 38-9)と主張し

た。 トラシュマコスはこういう弁論を得意とした (Plato,Phaedrus 267 d)。

123) 木書への言及として Meursius(Hubner 629)が推定する箇所 (Plut.Agidis

vita c. 2)は, r名誉心についてJ(No. 99)への言及箇所である。 演示的弁論は称賛と非

難を含む (Ar.Rhet. 1 3)が,本書もこのことに関わりがあると推定される。

124) 内容不詳。 No.71を参照。

125) ブァイニアス宛書簡の 2断片 (DLV 37, Fr. 185=Scholia ad Appolonium

Rhodium 1 972), エウデモス宛の自然学に関する書簡の断片 (Simplicius,in Physica

923, 11 Diels)が残っている。 アレクサンドロスの性的呉常を伝える箇所 (Athe.435 a)

は, ヒロエムスの(ペリパトス派)書簡への Thの言及であって Thの書簡断片でない。

Fr 147はアレクサンドロスについて同内容のことを伝える。

126) testimoniumはない。 No.42と同ーとする見解 (Rose333),同一ではなく,

No.42に関する Rose334-7の断片中, Antigonus, Mirabilia c. 19 (動物の死体から

昆虫や撒が自然発生すること, Ros巴 337)は本書に属するとする見解 (HermanJoachim,

De Theophrasti libri rrepe ,φων, Dissertatio, Bon, 1892, p 10),本蓄を植物学書の部

分と見る見解 (Usener9)がある (RE1426)。

127) testimoniumはない。「汗についてJNo. 54の第四節, 14節に釘Kpeal<;の語

が見える。

128) Rose (598)は Carminaと推定するが,確かなことはわからない (RE1511)。

129) この書が典拠かどうかは確かで、ないが, Thは神話の合理的解釈をした (Fr50)。

130) testimoniumなし。 Stobaeus,Anthologium, Il, 7, 20, (p. 140, 8 Wocksmuth)

における S~ T日'e<;S~TUX a:'è<; をか τijJ rcspeεIJτυχea:<; と読みかえる提案 (Heeren,Usener

57, Fortenbauch 101-2)は支持し難い (RE1483, Wachsmuthの Criticusaparatus

p. l40)0 Thは徳以外に幸福の要件として,身体的善,外的善,及びこれらを左右する幸

運を重視した。『大倫理学JlII, 8, 1206b 30-07b 19における「幸運論」はThの説に関連

がある (RE1483, Fortenbauch 102)。

131) エンチューメーマについて ThがArと異なる見解をもっていたとは考えられな

い (Schmidt30)0 testimoniumは, Proll. in Hermogenes XIV 232, 4 Rabe (πεpe

dπIX町 内μar剖νκa:el~Oufl万 uáτ回ν) がある。ヘルモゲネスの同じ注釈者が rTh によって

でεχ吟 仰TO仰を rrepe νOυ仰 μaTων が書かれた」と述べていることから, シュペンゲル

(Artium Scriptores p. 3)は, D. L.の目録 No.167, No. 131の記載は一書を二書の様

- 33ー

Page 35: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部記要

に分けたものとしたが,シュミット (53-4)は, D. L.の記載が正しいとする。

132)εup和昨日を扱う分野はソフィストの時代に現われた専門研究の一分校として前

4世紀初頭に確立した。これは,一連の発見とその発見者 ε5仰 τ令を述べる,いわば発見

史である。我々が内容を矢口り得る最初の著者は歴史家へラニコスの息子スカモンである。

彼は神話の中から発見に関する多くの素材を伝えているが, ε5ρ万τ次の同定の際には語源

的説明をしている。つづいて,エフォロスは“2σ1:0ptac"の中で発見を扱い,“εup和昨日"

という小著も著した。彼は, 歴史家として豊富な歴史資料に基づいて, あらゆるものに

d仰Tれとその時代を決定した。 Th の弟子ストラトンがエフォロスの“ε6ρ和α~Ta"

に反対したことが報告されている (Plinius,Nat. His. 1 7, Loeb, 1, p. 40)0 cf. A.

Kleingunter, IIPQT02: ErPETH2:, 1933, Lpz. rep. Arno. 1973, pp. 1-3, 143-151。

Thについての報告はない。

133) 倫理学講義の序論ないし要綱 (Brandis),限定された範囲の研究草稿 (Usener22,

RE 1480)との見方がある。

本目録に載っていない書で 1Cspi手{jwνと初日dがある (Testimoniaについて For-

tenbauch 9)。両書は同一でない (AnonYll1usIn Eth. Nic. 210, 15)。手()wx(倫理学)は本

目録記載の倫理学諸小品の集合題であろう (Usen巴r22-3., RE 1480, 1493., Fortenbauch

91)0 Arの倫理学書との近似を示す断片に基づいて, Arの倫理学に緊密に結び付いた講

義集とする見解もある (Walzer271., Wehri, Die Ethica Theophrasts, in M. S. Stern,

Islamic Philosophy and Classical Tradition, pp. 491-4)0 1Copi手(}wνは歴史や言語表

現に関わるものを含む (Athena巴usXV, 673 e)o W性格論』が 1C.号。&ν の抜粋だとする

ベテルソンの見解には証拠がない (Fortenbauch92)。

134) 本書には59の写本が残っているが,これらは7つのグループに分けられる。どの

クゃループも 30章全てを含んではいない。 A.B(10-11世紀)1章一15章。 C.D(15世紀)

1章 28章, 1章 23章。 E(15世紀)1-15章。 M (15世紀)1章一21章(摘要)0V (13

世紀)16章 30章。 M とVはー写本である。 Vだけが29章, 30章を保持。この他に 5章

全体を引用したノミピュルス (Philodemus,1Cspi ICO:ICWνBk・VII.Herculanensium volu-

minum quae supersunt, Collectio tertia, Milano, 1914, Bassi), 25章終りと 26章初

めを残すパヒュルス断片がある。 Diels(Theophrastea, Berlin, 1883)は,原写本が二分

し, 10-11世紀に AB(1-15)が, 13世紀に V(16-30)が成立したとし, CDEを ABVの

写しであるとした。校訂本においては ABとVだけを用いた。 Imll1ish(Theophrasts

Charaktere, hg. von der Philologischen Gesellschaft zu Leipzig, 1897, Einleitung,

VIII-LVI)は, CDは ABの「子」ではなく「兄弟」であり, M は CD.ABの「祖父」

から写されたとして, CDE,M にも校訂上の価値を認めた (cf.Ussher 15-17)0 Diels は

Oxford Classical Text (1909)の序においてこれを批判した。 Navarre,Pasquali XXII,

Ussher 20などが Diels説を採るかそれに近い。 Edmond32は Imll1isch説を支持

する。

本書は 30のあしき性格のスケッチ集であるが,全体への序と各スケッチ (1,2, 3, 6, 8,

34 -

Page 36: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

10, 28, 29)のエピローグは後世 (6世紀ピザンチン Diels,OCT, vii, cf. Ussher 6, n.

22)の付加。本書の独立性に関する議論については, R. C. Jebb, The Characters of

Theophrastus 2 ed. p. 7-18, IF人さまざま』森進一訳,岩波文庫 p.146-1520 著作年代

は前319年が有力 (Ussher12-14,岩波 pp.152ー7)。本書の目的については確定しがた

い。ベリパトス派のリュコンやアリストンが「性格論」書を倫理教育的利用を目的に編ん

だことを考慮すれば倫理的目的を否定することもできない (Fortenbauch94 f.)。又,弁

論術における「性格描写」術の練習の手本として利用されたかもしれない (ibid.95)。又,

詩学との関係で本書が書かれた可能性もある (Ussher5 f., 11., Fortenbauch 95)。いず

れにせよ,本書はマケド、ニアの支配下にあるアテナイの市井の生活を活写したものとなっ

ている。 Thの芸術性は彼の諮る事柄にあるのであって,事柄を語る仕方(文体)にあるの

ではないとの評言 (Ussher23)は,本書の特徴をよく捉えたものといえる。神の如く話す

Thがその形容に反するが如く用いる文体の特徴として,Kaeを用いる並列法,口語的直

接法, 固有名の使用,注意をひきつける語 (&μeAeeなど)の使用などの点が挙げられる

(ibid. 20-22)。

135) testimoniumなし。推定される内容についてはアリストテレス全集16iアレグ

サンドロスに贈る弁論術」第四章を参照。

136) Thはヘロドトスやトゥキディデスの文体を賞賛した (Cicero.Orat. 39,この断片

の帰属については Schmidt51を参照ムルキアノス (Lucianus,De Historia Conscribe帽

nda)がこの書を使った可能性は否定できない (M.D. Macleard, Lucian's Knowledge

of Theophrastus, Mnemosyne, Vol. 27, 1974, p.75)。ベリパトス派のお1:opeaに対す

る関心についてはR.Weil, Aristote et l'histoire c. III, pp. 87-95を参照。 2σropea

に個別的観察知の意味もある (P.Louis, Le motσTpea chez Aristote, Revue de Phi-

lologie, 29, 1955, 39-44)。

137) No. 3と同一 (RE1381)か弁論術書 (Schmidt55)かはっきりしない。

138) Ar i気象学JII cc. 1-3において海が論じられる。海の塩辛さの原因説明は, Ar

とThで異なる。 Arによれば,地表からの乾いた蒸発物が雨に交り海に入いることによ

って海が塩辛くなるが, Thによれば,海底の土が溶けることによって塩辛さが生じる。

ウーゼナーによる書名推定については,拙稿註(34)を参照。

139) Athena巴us254 d-e (Fortenbauch L 107, Fr 83)が断片として残る。 Athenaeus

435 e (L 108)も本書の断片であろう。これらは歴史的逸話の類だが本書の性格を決めるも

のではない。

140) アテナイオス (IV144 e, fr・.125)は,木書の真作性を疑い, 2:ωσeßéo~ に帰す

人々の多いことを報告している。ベルシャ王が新しい快楽の発明者に多額の報酬を与えた

話がその断片にある。カサンドロスについて拙稿註(8)を参照。

141) Fr 124 (Athe. VI 261 D)に,笑い上戸の家族が僻を直そうと神託を伺いに行っ

た所,笑わずに犠牲を捧げればよいとの託宣を受けたが,いざ実行という段になり結局笑

ってしまったという話がある。

- 35-

Page 37: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

142) 読みの異同がある。 Long,criticus aparatus p. 222,を参照。 No.67も参照。

143) Thの文体論は後世に大きな影響を与えたが,断片的に知られているにすぎない

(Arの文体論は Rhet.III cc. 1-12にるる)。断片集は Schmidt37-53にある(A.Meier

の断片集は良くない (RE1523, 1527., Solmsen, Hermes, 66, 242, n. 2)。シムブリキオ

ス (Simpl.in Cat. 10, 23-11, 1)によれば, Thは,ロゴスの部分としての冠詞や接続詞,

比愉及びそれの与える感情,単純語と複合語,&7ro r.; o吋, συrlWπ~, a伊α/pεσld省略字法)な

どについて聞いを立てた(比輸の具体例は Longinus,de sublim. XXXII, 3を参照)。文

体の良さ dρεT'Crlとして四つの要素を挙げた (r正しいギリシャ語で語すことりEJ.J.Yj))[(J' p.6s J

「明瞭さ σα併すJr適切さ πpE7rOνJr修飾 κ日?ασμυザJcf. Solmsen, Hermes 66, 241)。

修飾について,文体の印象深さ (,0p.令官),荘重さ (,oσεμνdν),新奇さ (,o7rSPlTT6ν)は,

諾の選択 (ihc}.orキτか ゐoμdτων),語の結合・調和 (&pμoνJ日 ,WVOνoμdτων),及び前二

者を包摂する韻律の形式 (σχ和田,a)から生ずる (Schmidt42 fr. 10, V)とした。そし

て,語の感覚・理性に与える美しい印象について論じ (DionysiusHalica. De Comp. XVI,

S 120., Demetrius S 173-175), Arと同じく,詩句の使用を禁じ,弁論に合った韻律を要

求した (QuintilianusX, 1, 27)。 この韻律は Paeonである (Schmidt47-50 fr. 10,

XVI, XVII, XVIII, XIX)。また,対象に適合した表現 ().6roseνolaOετos)を数多く論じ

た (Schmidt,43, fr. 10, IX)o Thは弁論の発展史を書いたと考えられる (cf.Cicero

Orat, 39)。文体論に関しては,この他に,xapa:灯ザPξs'号s }.é~εωf の三分 (tria genera

dicendi)が, Thに基づくか否かについて, Dionysius Hal. De Demost., c. 3の解釈を

めぐる論争がある (cf.G. A. Keanedy, Harvard Studies in Classical Philology, 62,

1957, p. 93-104., G. L. Henderickson, AJP, XXV, 2, 126-127, Kroll, RE Suppl.

Rhetorik, 1074-5)。

144) ウーゼナー (Usener9)は, Anonymus in An. Pst. p. 287 Ald.における

7rspi,公 συ凶 7ωy公τω6μ0/ωνπposJ.甲μdTω の記載がこの書である可能性を示唆する。

145) シュミット (Schmidt54-5)は Apthoniusなる人物の J.uσ々 の定義を持ち出し

この書が弁論術書であると推定する。その定義によれば,J.uσlS とは「異義による損害を

取り除き,聴き手を最初の主張の方へ向け変え,その主張に賛成する様に説得すること」

である。

146) プトレマイオス『和声論(全 16章)j]第3章(音の高低の原因について)へのポリ

フィリウスの注釈において本書の断片が引用される。現在の基準版はI.During校訂本

(Porphyrios Kommentar zm Harmonielehre cles Ptolemaios, Got巴borgsHogsklas

Arsskrift 38, 1932)であり,引用は p.61, 22-65, 15にある。

Thは音の高低を声の運動速度ないし量の差異に還元するアルキュタス=ピュタゴラス

派の説をまず反駁する (p.62, 1-33)。数は音の差異の本質を構成しないというのが Thの

論点だが,この節の論駁の筋を分析した論文として, A.Barker, Music and mathematics,

Theophrastus against the number theorists, Proc巴eclingsof the Cambridg巴 Phi-

lologiral Society 23 (1977) pp. 1-15が優れている。 ピュタゴラス派によれば,高音は

- 36ー

Page 38: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

速度が速く (p.62, 15. 31. p. 63, 21, 19),低音は遅い。そうであれば和音が成立しないと

Thは反論する。いつも高音が先に進み,高音と低音が同時にきこえることがないからで

ある。 Thは高低の差異を音に本来備わる質(;dt6T於)に求める。高音はより明瞭で遠くま

で聞こえ,発声前方に直線的にひびく。低音は周囲へ均一にひびく。和音は,本性的に調

和する音同志が結合して生まれるので・あって,比や数が原因ではない。断片の末尾におい

て音楽の本質を規定する。「音楽の本質はひとつである。即ち,感情によって引き起こさ

れたあしき気分を解消するために生じる魂の運動である。この運動がなければ音楽は存在

しないのであるJ(p. 65, 13~15)。

この様な側面からの音楽の考察は,別の断片 (Plut.Quaestiones convivalium 1 623

A-D)にもみられる。そこで、は,苦痛,快,狂喜の三つの感情が声調を通常から逸脱させ

るものとして音楽の原理とされる。恋をしている人聞が歌を作るのは,エロースの中にこ

れら三つの感情が含まれているからである。

Thは音楽の医療効果,教育効果についても述べた (PhilodemusDe Musica 3, 35., 3,

37., cf. F口rtenbauch196妊J

伝 ArlF聞こえるものについて』は Thの手になるものでで、はない(σ1.During, Ptolemaios

und Porphyrios uber die Musik, Goteborgs Hogskolas Arsskrift .40, 1934, p. 169 f.

147) Victorinus, Ars Grammatica IV (apud Hubner 632)に, r韻律によって詩歌

のわかる人々に刺激や少なからぬ感興が呼び起こされると主張する Thの見解云々」との

記述がある。

148) 対話篇か (RE1541)。

149) No. 153を参照。

150) 内容不詳 (RE1521)。拙稿註(19)を参照。

151) No.8を参照。 Arの目録に π.J:rrwa{ππOU J[a:e 8ενOKpáTOU~ 日'(DLV25)がある。

152) 内容不詳。

153) No. 110を参照。

154) 他の書で省略されたか,付随的に言われただけの,実践的弁論規則を集めたもの

との推定 (Rose140, Schmid t 53-4)がある。

155) testimonia, Anonymus in Eth. Nic. 180, 17., Cicero, De 0伍ciis2, 56. (cf.

Fortenbauch 11).後者において Thの乱費推奨的傾向が非難されるが, 内容に疑問が残

る (Fortenba山 h109)0 Stobaeus II, 134, 20-137, 7における「善はどれだけの仕方で語

られるか」の項は,ペリパトス派の様々な源泉からの抜粋集で,多分,テ、ィデュモスの抜

粋ではなく,ベリパトス派内用の『分割集』の収録であろう (P.Moraux, Aristotelismus

1, 373-77)。

156) Thによる悲劇の定義が報告されている。「悲劇jとは英雄的運命の破局的推移であ

る (τparcpa!alσTÌν ~p山崎~ Túxrl~ rrep{σTaσt~)J (Diomedes, Ars Grammatica, Gram開

matici Latini ed. Keil, i p. 487, 11-12)。 このほかに,喜劇 (ibid.488, 4-5),叙事詩戸毛ス

(484, 1-2),擬曲狂言 (491,14-15)の定義が Thのものであるとの推定がある (A.Dosi,

- 37ー

Page 39: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

Sulla Trace della Poetica di Teofratso, Randiconto del 1nstituto Lombardo,

Classe di L色tterae Scienza morale e storica, 94, 1960, 599-672, part. Capitolo 1,

pp. 599-623,その他の結論については pp.620-22参照)。

157) 内容不詳。

158) これの名称と定義は Coraxが発見した (Walz,t. V1, p. 11, p. 49, apud Schmidt

55)。スイダスによれば,アテナイの弁論家 KÆSρ叫O~ がはじめて「序論」と「結語」を集

成した。つづいてアンティポンが『序論と結語jJ(アンソロジー)をまとめた。 Thの書に

は序論の集成の他に「序論」論も含まれていたと推定される (cf.Quintilianus 56-7)。

159) 内容不詳。

160) 現存の伝アリストテレス「問題集」の典拠は,真正の ArI問題集」と Arの他

の著作, Thの「問題集j(木書)と Thの他の著作, ヒッポクラテス文書とペリパトス

派系医学者の書である。 (cf.Flashar 340., E. S. Forster, The Pseudo-Aristotelian

Problems, CQ, 1928, p. 165.,アリストテレス全集 11,pp. 685-692)

161) No. 110を参照。 Arは「例」について簡潔に触れたにすぎない (An.Pr. II 26,

Topica. 1 10, Rhet. 1 2)が, Thは「例」の種類,定義,形式を練り上げたと推定される

(RE 1526)。後世の, (Auctor) ad Herennium 1V, 45, Cicero de invent. 1 30, Apsines

(Walz. t. IX 517, apud Schmidt 59)などにおける「例」の区別がそのことを示す。

162) Ar は πpó8εσl~ と πfστl~ を弁論の不可欠の部分とした (Rhet. 1II 13)が πpo8εσ々

の語によって提題と陳述の両方を理解した (Rhet.1II 16)0 Thが提題 πpo8εσt官と陳述

δl~r卯日を区別したのは, Ar以前の弁論家の影響であろう。ハリカルナッソスのディオ

ニュシオスは, Th にならい πpó8εσl~ を序論と陳述の間に置いた (Schmidt 57-8)。陳述

についてはイソグラテスなどが熱心に論じたが, この中で展開された陳述の &pε吋につ

いての論議が, Thの「文体の &pεratjへ影響したことについては Rose143-3を参照。

ヘルモゲネス「プロギュムナスマタj(広島修大論集第22巻第2号 p.276)などに見られ

る命令万σl~ と i5dr万μ日の区別はイソクラテスやアリストテレスでは問題にならない。

163) No. 156を参照。

164) testimoniumなし。

165) Arにも同名の書が弁論術書の配列部にあるので (DLV25),シュミット (Sch-

midt 37)は否定するが,これを弁論術書と見なすべきである (RE1526, Moraux 104)。

忠告的弁論については Ar.Rhet. 1. 3,を参照。

166) 弁論術書だが内容不詳。

167) シュミット (Schmidt53)の推定によると,弁論術全体に亘って簡潔にまとめ

た書, あるいは m 仰 rrA2μαT町内7:0p印公ゲ (No.154) と同ーの書。両書には断片,

testimoniumがない (Menagiusapud Hubner p. 633の挙げる testimoniaの一部は

不確かで一部は誤りだと Schmidt54はいう)。

168) 拙訳は 'Ttspe7:Wν7:eXlJWν内7:0ptKWl./St拘 l('とよむ (Apelt,Von den rhetori司

schen Kunsten. 17 Arten)o Ar が著した 7εXlJ(ÎJνσuναrωr~ cr's' DL V77 (Moraux

~ 38ー

Page 40: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

97)に類似したものと考えられる (Spengel,Art. Script. 3)。ウーゼナー (Usener20)は

目録に散見する弁論学関係の書の集合名とする (fo1.Regenbogen RE 1523 1Cepiτ伽

Tεχν@ν 向1:0pUCφν a.drJ",('の読みか)。シュミット (Schmidt59-60) は, τεX~Wν 向1:0P'''Wν

d仰を弁論をすぐれたものにする諸要素と解釈する(,C'は εe仰にかける)0 ,c'の他に

ca'の読みがあるが採らなし、。

169) Arーは演技を必要悪と捉え,技術的には声の三要素にのみ触れた (Rhet.III c. 1,

(3)-(7))0 Thは演技諭に画期を与えた。彼の演技論は戸に関わるものと身体の動きに関わ

るものに分かれ,後者は表情に関わるものと身ぶりに関わるものを含む (Kro11,RE Supp1.

VII, 1075) Thの演技論を再構成するための基礎は CiceroDe Orat. III 213-225である

(Solmsen, AJP 62, p. 46 n. 2)。すべての演技は心の動きに由来する。表情は心の似像で

あり,目付きが大切である。 Thは目付きに関して,或る役者の目の向け所について論評

した (Cicero,De Orat. III, 221)。演技は心の動きに伴い生じる自然泊旬なもの (anatura)

である ((III,216, 223)。だから,演技は心の動きを示すもの (significationedeclans)であ

って,決して物真似なのでない (nondemonstratione declans ibid. III 220., cf Long-

inus, ars Rhetorica 194, 21)。

170) u1C6μν卯日は,元来,記憶を呼び戻すのに役立つすべてのものを表わし,特に不

測の忘却に備えた書き付けを指すが,それは,公的な記録,故人の思い出,自叙伝をも意味

した。後に,アレクサンドリア時代以降,出版を目的にした抜粋集的なものが {nroμν卵白T町

と呼ばれる様になった (Moraux,156-7)0 Arや Thの urroμν卵白Tα は個人の単なる備忘

録ではなく,ペリパトス学派内で継受されていった,組織科学的研究に不可欠なノート類

であって,たえず改訂,増補が加えられていったものと考えられる (Moraux,161-2)。

171), 172) No. 101, 102を参照。

173) <p,i.!a論の一部 (cf.Stobaeus II 143 Wa.)か,弁論術の一部 (No.117を参照)

か不確定。クロールはユーモアを扱った書と推定 (Kτ011,RE Supp1. VII, 1077)。

174) No. 134と同一。

175) No. 71を参照。

176) 周知の様に,ベリパトス派において学問の各領域における学説誌が編まれた。 Th

の『自然学説誌』の他に,エウデモスの『幾何学史j]W天文学史j],メノンの『医学史』があ

る (Jaeger,358)。 ウーゼナー (Usener17)は,第三,第四目録にエウデモスの書 (No.

178, No. 206, No. 207)が紛れ込んで、いることと,エウデモスに神々に関する研究の歴史

を扱う書の断片 (Damascius,De Principiis, cf. Wehrli, VIII, 69-71)があることから,

この書が Thのものか疑う。マルチニ (Martini,RE VI, 1909, 898-890 Eudemusの頃))

はウーゼナーに賛成し,エウデモスの断片は「誰が何を発見したか」というベリパトス派

的記述形式をもっているので,本書がェウデモスlこ帰属するのは確かだとする。以上の見

解にギゴンは反論し, (1)エウデモスの断片は学説誌的でなく, Ar. 1C.ψ,AOσo<p!as第 1巻

にイ以た Skizzeであること, (2) Cicero, De Natura Deorum I, 25-41と Aetius1,7に

ある学説誌的総括はストア的媒介はあるもののペリパトスト派に遡るものであることのこ

- 39-

Page 41: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

点に基づき,本書(ないし π.eεか 3,No. 177)が Ciceroの典拠として Thに帰属する

と主張した (0.Gigon, Die Theo1ogie cler Vorsokratiker, Fonclation Harclt pour

l'己tuclecle l'antiquite classsique Entretiens 1, 1954, p. 131., O. Gigon, Stuclien zu

Antike Phi1osophie 1972, pp 43-4)。 ケルンは,本書が Thのもので祭式を扱うものと

推定 (0.Kern, Archiv f. Gesch. der Phi1osophie 1 p. 507, Anm. 3)。エウデモスの

断片は Wehrli,Heft VIII, p. 69 (同 p.121も参照)に収録。

177) No. 176 を参照合

178) エウデモスの書, Wehrli, Heft VIII, p. 54-670

179) Ar I動物誌JI-VI巻についての Thの講義であると推定される。 VII,VIII, IX,

Xについて様々な程度においてその真作性が疑われてきたが, I-VIは一貫して疑われて

いないからである (RE1430)。

180) No. 37の部分。

181) No. 51の部分。

182) No. 18を参照。

183) testimoniumはない。 Thは原因として「選択に基づく原因J(合間吋 πpoa:tpea印

aZr悶)を区別し,自然、(何σ円),偶遼 (-ruχ甲),必然 (&νar切)と並ぶものとしたとの報告

がある (Stobaeus,1 89, 1=Die1s 325-6 Aetius 1 29, 4)。なお,木断片を「運命」

(ε2μ日ρ凶ν甲)に関わる断片と共に論じた Fortenbauch228-34も参照。

184) No. 8を参照。

185) 既出 No.122。

186) 本蓄が「動物の発生についてjなのか (Apu1eiusApo1ogiaに基づく Meursius,

apucl Hubner 634), I諸元素の生成について」なのか (Simplicius,in cle Cae10 700, 4

に基づく Steinmetz11)決めがたし、。

187) 本書に testimoniumはない。動物の性格と生活様式を扱う抜粋集的な Arl動物

誌JIX巻と本書の関係をめぐって問題がある。 ヴィラモーヴィッツ(百九Ti1amowitz18-9)

は I動物誌JIX巻の独立書説を提出した。 Kopkeによって 5つの部分に分けられた

(Wi1amowitz 18) Antigonusの Mirabiliaは抜粋集であり,その第二部分 (cc.26-60)

は「動物誌JIX巻からの抜粋,第三部分 (cc.60-115)は, I動物誌」全体からの抜粋(巻

順は 1,2, 3, 4, 5, 8, 6, 9, 7)である。この二重抜粋の説明としてヴィラモーヴッツ (19)は,

「動物誌JIX巻が,同時に独立の蓄としても全体の部分としても存在していたと述べた。

ヨアヒムは, IX巻の独立存在に異を唱え, IX 巻自体が (11異聞集~ 1-15と共に),独立の

書としての本書からの抜粋であるとした。レーゲンボーゲン (RE1432)は, I動物誌JIX

巻におけるテオフラストスの寄与を示す点でヨアヒムを評価するが,本書の独立説は採ら

ない。彼の仮定によれば (RE1371),元来ベリノミトス学派には 70巻に及ぶ 7rSpC'f伽 (fων

があって,それには Arや Thのものが他の人々のものと一体になっていたが,全体を指

して漠然、と Arのものといわれていた。それがカリマコス(前 c.310-c. 240)によって Ar

とThに分けられた。 Antigonusがカリマコスからの抜粋である第5部分 (cc.129-173)に

-:-40ー

Page 42: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

おいて典拠を Thとしているのはカリマコスによる区分後の書に最後は基づくが,他方,

彼は区分以前のベリパトスの書を Arのものとしている (Mirabilia,c. 60b)ので, Anti-

gonnsはカリマコスの区分を知らなかったと思われる。(この仮定は J..T. Keany, Two

notes 011 Tr百 ditionof Aristotle writings AJP, 84, 1963, p. 55において支持されて

いる)この仮定に基づけば, Antigonusの mirabilia第2部分, r動物誌JIX巻, r異聞

集J1-15はいずれもカリマコス区分以前の Thの部分に典拠をもっと推定される。

188) No. 58の部分。

189) 本書に testimoniumはない。ストラットン (Stratton27-32)は『感覚について』

No.7やプリスキアヌス (No.103参照)などに基づいて Thの視覚論を再構成した。

190) testimoniumなし。 No.71, 74を参照。

191) testimoniumなし。 No.71を参照。

192) testimoniumなし。

193) testimonumなし。 No.146の部分。

194) No. 194と No.195を一書にする読み方 (No.194の巻数日Fがない)が写本の

上では優勢である (Fortenbauch10l., Hubner 634 (Regius写本, Ambrosius羅訳J.,

Apelt訳)。 ピニョーニは神的な完全性から快楽と苦痛を排除するプラトン派への反論と

見る (E.Bignone, L' Aristotele perduto e la formation五loso五cadi Epicuro, 2 ed.

1973, Firenze 1, 171 f.)。

195) testimoniumなし。

196) testimoniumなし。 Arの同名の書が古代において有名であったにもかかわらず。

197) No.79と同一。 CiceroDe Fin. VII に本書を初練させる文 (quiesset optimus

rei publicae status)があり,これに続いて Thの論点が具体的に示される。

198) No. 170を参照。

199) ~気象学』の部分あるいは木目録未掲載の書 'lfYTOPCKà urroμ吋{1昨日 (Fr.164, 165)

の部分が独立したものと推定される。 f云 Ar~異聞集j] S 33, S 38, (3 40.,アンテゴノス『異

聞集j]S 130における火山活動に関する記事はカリマコスを介して Thに遡る。また,ルク

レチウス『自然の本性についてj]VI680-702における記事もェピクロスを介して Thに

遡る (RE,1422)0 No. 59 7reρe 210ων (322にた μacgJ) J:wd/'}の語が見える。また,

シケリア北東部沖にあるパライ諸島(s14)やそこに近いシケリアのテトラス地方の軽石

((315)の記事もある (cf.Caley, 83-4)。

200) testimoniumなし。 No.74参照。

201) No. 160と同一。

202) i知る」の多義性については「形而上学JVIII (319-25 (Ross 22-28)を参照。

203) No. 6を参照。

204) No. 92を参照。

205) testimoniumなし。

206) No. 176を参照。

- 41ー

Page 43: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

207) ウーゼナー (Usener12, fol. Apelt)は,'ApdJ仰 rCKφνiσTOPCtiJν!1repe日記初旬g

ゲという風に本書名を二つに分け,前者を巻ナシのままエウデモスに帰す。エウデモス

の断片は Wehrli,VIII, p. 67にある。

208) パビロニアの賢人 Ackikar(兄弟は尊敬されるという謂)についての報告の先駆

けとなった書。 StrabonXVI 762 ' Axah:叩 OC", Clemens, Strom. 1 15, 69. cf. Diels-

Kranz6 II p. 208。

209) ThはArにならい弁論を三分した (Quint.III, 7, 1., III, 4, 1)。ギリシア・戸ー

マ時代は,法廷弁論について最もよく論じられた (Plato,Phaedr., 261 B., Isocrates in

soph, S 19., Ar. Rhet. 1, 1, (1)., ad Her. II, 1, 48., Quint. III, 1, 1)0 cf. Schmidt

62-3.本書について詳しいことはわからない。

210) No. 122と同一。

211) No. 125を参照。

212) testimonium; Scholia in Aristophanes Aves, 1354, (apud Bernays 37,但し

θε向。νπO~ を θε印paσTO~ に修正),詳しくは Bernays 36-8。ポルフィリウス『肉食を断

つことについて』第2巻第5章から第 32章にかけて本書の技粋がある。エウセピウス

(Fr 148-152)は本書に関してはポルフィリウスを孫引きしているにすぎ、ない。ポルフィリ

ウスは挿入されていた物語を取り除き,若干の付加と必要な削除を行なっている (Porphy-

rius, De Abstinentia, II, 32, 3,節分けは B羽dる版による)にしても,他の箇所における

引用の検討の結果から推量すれば, この抜粋の資料としての価値は卜分なものといえる

(Bernays 24-28, Potscher 1-15)。ベルナイスによる断片は以下の通り。第 1断片, II 5,

1-7,2.,第2断片 II,7, 3-8, 3.,第 3断片 II12, 1-15, 3., 19, 4-20, 1.,第4断片 II20,

3-28,1.,28,4-31,1., 31,7-32,2.これにペヅチャー(彼の研究には批判が多い Gottschalk,

Gnomon 41, 1969, 338-44.,反論, Potscher, Strukturprobleme der Arst. u. Th巴oph.

Gottesvorstellung, 1970, 143-147., P. Huby, Classical Review NS 23, 1973, 52-4.,

Fortenbauch 263-7),ブファルティーク,フォルテンパウフの研究を加味し,第2断片に

II 9, 1-9, 2を付加したものを筆者は採用する。 (Bouffartique29, Fortenbauch 264

の対照表が便利)

第 1断片,原始社会から文明社会への推移における人間の生活状態と供犠の変遷。太古,

人聞は大地から萌出る若草の茎を食べ,その残りをもやし煙を天に見える神々へ捧げて

いた。農耕の発展に伴い奉納の品が変遷したが,その痕跡をへーリオス[太陽)やホーライ

(季節)を祭る行列の陳列品に見ることができる。生活が向上するにつれ神酒 (σ7rOvor})も

奉納される様になった。動物犠牲は,本来のこの様な風習からの逸脱である。第2断片,

e!:OUTOパ供犠をしない人々)と K日凶OυτOC(悪しき供犠を行なう人々)の区別及びダイモー

ンがこれらの人々に加えた懲罰の実例。動物犠牲は人間犠牲より新しいが, その原因は

飢餓,無知,怒り,恐怖などあしきものである (II9, 1-2)。第 3断片,供犠のあり方。

動物犠牲は避け,突った作物を奉納すべきである。動物から魂を奪う行為は供犠の精神に

反するからである。神々は供犠を行なう人々のこころざしを御覧になるのだから,誰にで

42ー

Page 44: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストスの生涯と著作 (2)

も用意できる物を奉納すべきなのだ。一奉納の際には魂の浄化に心がけよ。我々の内で最

も神的である部分がきれいであることを神々は嘉し給うのである (II,19, 4-20, 1)。第4

断片,神酒の変遷(II20, 3-21)。動物犠牲がいけない理由,我々に危害を加えない動物を

殺すのは正しくない。逆に,危害を加える動物を殺すのは正しいとしても,そんな劣悪な

代物を神々に捧げるのは正しくない。したがって,いずれにしても動物犠牲は正しくな

い (II22-24)。それなのに人々が動物犠牲を行なうのは,結局の所,自分たちの欲望充足

を目的にしてのことである (II,25)。人間は食物の不足と戦争が原因で人間犠牲を行なっ

たが,やがて動物犠牲へ移行した。その後,肉食と菜食が併用される様になった (II,26-

27)。第4断片の後半においてアクロポリスで行なわれる牛の犠牲式の起源物語が語られ

る (II29-30,詳細は Bouffartigue51-58)。この犠牲式の物語は血の綴れに与った全ポリ

ス民の共犯行為の責任を解除するための手続を表わしている。この断片の最後に次の言明

がある。人間と神々の共同の寵である大地は我々に作物をもたらす,だから,我々は大地

を称え愛し,作物の実りの共同原因者としての神々を敬うべきなのである。日々行なう敬

愛の行為によってはじめて,我々は,死後,天に見える神々の仲間に加わる資格を得るか

らである (II32)。

以上の断片以外にベルナイスは, III 25, 1-4を第5断片とした。初めこれを『動物の

知性と習性について~ No. 187の断片と見倣したツエラー(II32, 851, Anm 1)は後に

(第4版)ベルナイス説を採る。 この断片において, 人間と動物の聞に同族性 (oi/Cet6切り

のあることが,身体の第一構成要素が同じであること,霊魂の機能が程度の差こそあれ同

じであることを理由に主張されている。ベルナイスはこの断片が第4断片に含まれると推

定した (II,22, 1τ伽 O!/Ceων のあと)。この推定に基づいて,倫理学説 (OiICe!ωσlS説)を

生物学説 {O!ICεl6rr;, 説)に依拠させること!"こおいて Thがストア派の先駆であるとの議論

が出て来た (H.V. Arnim, Arius Didymus' Abriss der perpatetischen Ethik, Sit-

zungsberichte der Vienna Academy 1926, p. 142 ff, 157 ff., F. Dir1meier, Die

Oikeios-Lehre Theophrastus, Philologus, Suppl. Vol. 30, 1973, p 3, p 49-50)が,

その後 M.ポーレンツによって批判された (Grundfragender Stoischen Philosophie,

Abh. d. Gesell. d. Wiss. zu Gottingen Phil.-hist. kl. Dritte Folge Nr. 26, 122 S.

1940, S. 26-35., cf. C. O. Brink, Th巴ophrastusand Z巴nonon Nature in moral

th巴ory,Pronesis, No. 1, p. 123-145)。

213) testimoniumなし。

214) No.77を参照。

215) testimoniumはない。 h.p. 1, 1, 4などを参照っ

216), 217) 教育に関する Thの見解が StobaeusII, c. 31, p. 240, 1-27に見える。衣

食足りた人が最善の生活を求めないなら非難されて然るべきである。良き導師に付き従

い,劣悪な人々と交わらない様にすべきである。劣悪な人々に育てられた人は回復不能な

損害を受ける。彼は己の欲する所に従い悪を選ぶ人聞になるのである。

218) testimonia. Papyrus Petersburgensis Gr. 13 (L. Mitteis et U.明Tilcken,

ーのー

Page 45: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

北大文学部紀要

Grundzug und Chrestomathie der Papyruskunde. vol. 1. Lpz. 1912, no. 155, p. 182-4,

Pack22089)・, 1bn a1・Nadim,a1-Fihrist 252 (F1ug巴1)cf. Fortenbauch 100.

219) No. 196と同一。

220) ウーゼナーは四pipu(Jμ伽ゲへ修正 (Usener12)。

221) testimoniumなし。

222) No. 103, No. 58参照。

223) No. 76の一部か。

224) No. 100の一部か。

225) testimoniumなし。

226) testimoniumなし。

本目録に記載のない喬

論理学関係 K町内roμ即 (~カテゴリー論~), 11εpi‘E P!l1}vêÍ町(~命題論~) Phi1oponus,

1n Cat. 7, 20., David, 1sag, 102, 4 (前者のみ)0Ilεpe TWS' 7Wσσιχ釘(~用語事典~) A1ex,

in Top. 154, 16. G 46. 11εpe T必νπoÀÀaxφτ(~多義的なものについて~) A1ex, Top. 378,

27, G47.

自然学関係 11ξpi r公叫νστ01χεJων [eバσεωτ(~諸元素の生成について~) Simpl. in

de Cae10 700, 7. cf. Steinmetz 168-172.

政治学関係 IIεpJσυμßoÀatων(~契約について~, ~法律集~ No. 69の一部)Stobaeus,

II, 127-130)万εpi sασlAeeCfS KV 1Cp[ω(~キュプロス人の王制について~) Suidas,

(Je6仰 仰rosの項。

倫理学関係 7repe初wv,'H(Ju,6:. No. 133参照。 7rep2[6:.μoυ(~結婚について~) Hier幽

onymus, Adversus 10vinianum 1, 47 (p. 388 Bicke1)及びこれに依る一連の著者たちの

testimoniaについては Fortenbauch10-11, 106を参照。 Ar(Moraux 255-6), De-

metrius Pha1ereus (DL 5, 81)にも同名の書がある。 aureo1usTheophrasti liber De

Nupfiisと書名が示されているが,ディカイアルコス (Wehrli,1, fr. 31)の論争相手かも

知れない。『生活様式について~ No. 20の一部 (Usener68)との推定や『命題集』の一

巻と見る推定もある (Fortenbauch106-7)。

その他 IIεpi Tupσψ伽(~テユルセノス人について~, ~敬度について~ II 27と同内容

Usener 67), Scholia in Pind. Pyth. II 3. rεωpr!町四仰n"ÉJ.μ昨日(~農耕指南集~)

Ju1anus, Episto1ae 24 p. 391 C Spanh.本断片は c.pl. 1II巻からとったもの (Usener

67 f.)か。万εpirφν roii A6rouστOIXeIων(Il'文の諸要素について』ー『文体について』

No.143の第 1巻)Simplicius, in Cat. 10, 24. '1σropclca úrrovr0μ日間(~歴史的事実の

覚書~) Apollonius II1 834, No. 170の一部か。 万ερJ て号tσυνar山r~s てか 6μo{ωυ

πpoßÀ1}μdτων(~類似諮問題の集成について~) Anonymus 1n An. Pr. p. 287 A1d.

mμπÀo官(~ベムプロス~) Pro11. in Herm.

普通, I形而上学断片」と呼ばれる書(ロスによれば,断片ではなく,小さいが完結し

一一 44一ー

Page 46: Instructions for use - HUSCAP...般にTricot の仏 Eえeale る(8)。自然学においては,Steinmetz*が無生物の領域に関し全体的研究をど行なっ 定設との評{聞は受けていないが,関係する断Jtな網羅してし

テオフラストユの生涯と著作 (2)

た形而上学のための予備的研究である)も,本目録に記載されていなし、。木書は固有の写

本伝承をもっ 19小品」の一つである。 Burnikelの系統図 (145)における P群は 13写

本群より古いものを含み,その一分肢が 13写本群へ流れ込んでいる。木書のラテン訳

(Bartholomaeus von Messiana訳, cf. W. Kley, op. cit. 1-28, cf. No. 89)はP群及

び 13写本群とは異なった系統を示す。 Burnikelによると, それは P群より遡るコンス

タンチノポリス校訂期以前の状態を示す。従って,このラテン訳の既に失われた原典の源

は,コンスタンチノポリス校訂以前の写本である Burnikel127-130)。

本書の写本の末尾に付されている注記によって,その帰属が確認される。その注記には

次の様に書かれている。「本書のことをアンドロニコスもへルミッポスも知らない。 とい

うのも,そもそも彼らはテオフラストスの著作目録において,本書に言及していなしゃミら

である。ニコラオスは,アリストテレスの『形而上学』の研究において,テオフラストス

のものであるとして本書に言及している。本書には,全体の探究に関する,いわば予備的

な諸難問論究が若干含まれているj。本書の内容は, ニコマコスの言う様に,形而上学に

関する難問論究であるが,アリストテレスの『形而上学.JIB巻における,あの方法的に確

立された難問論究に比べれば,かなり見劣りがし,そこから問題が展開していくべき十分

な射程が秘められているとは言えない。だが,それは,原理に関する論究として,アリス

トテレス的な用語の枠内にあるとはいえ,原理に関するギリシャ哲学の諸説に対し,比較的

自由な立場からの批評を行なっている点で独自の価値をもっている。テオフラストスは,

数学的対象を原理とするより,自然の運動の原因としてそれ自体不動である勤者を原理と

する方が優れているとして,アリストテレスを評価するが,天体が不動の勤者を欲求するこ

とによって円運動を行うという点に問題があるとする。欲求は生命のあるものに属するの

だから天体も生き物だということになるだろうと彼はいう (4b28-5b 2,ベージ付は Usener

のもの)。この難問に対する彼の解決は,物の本質 (o~σ付)に原因説明は不用だから,天体

の本質である円運動もその原因を規定する必要はないというものである (10a9-21, 6a 5

14)。彼によれば,この解決は,不規則な天体の運行を説明するために導入せざるを得なか

った不動の勤者の複数化 (Ar.Met. A 8)が惹起する難問 (5a15-21)をも解消するはずで

あ石。だが,これは,結局,原理を自然の運動の原因者としての地位から引き離すことで

しかないと恩われる。アリストテレスの不動の勤者に含まれていた天体運動の目的という

資格も否定され,天体の事柄においても白然、全体においても目的論的説明に一定の限界が

置かれる。自然の事象を原理から導く必要を説きつつも,その原理の秩序の力が自然界に

貫撤しないことを多くの実例によって説明する。これは,自然がつねに最善をめざすわけ

ではなしむしろ,自然においては,善・悪が同等に存在するとの認識にもとづく。運動

の原因と考えられない第一存在についての認識が,感覚から始まる原因遡及の末に達した

頂点において,直観の形で成立するという見解に賛成する (9b8-16)テオフラストスには,

やはり,形而上学の論究を展開する意図が希薄であったと思われる。邦語文献として池田

英三 テオフラストス「形而と学」の研究(翻訳と注解)北海道大学文学部紀要 15のlが

ある。

ー の ー