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12 回医報編集委員会 日時 平成 25 年3月 26 日(火) 午後7時 30 場所 秋田県医師会館会議室 1.開 2.挨 3.報 4.協 (1)4月 15 日号、5月1日号の編集について 資料1~4 (2)その他 資料5,資料6 5.閉

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第 12回医報編集委員会

次 第

日時 平成 25 年3月 26 日(火)

午後7時 30分

場所 秋田県医師会館会議室

1.開 会

2.挨 拶

3.報 告

4.協 議

(1)4月 15日号、5月1日号の編集について

資料1~4

(2)その他

資料5,資料6

5.閉 会

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平成25年度 秋田医報執筆担当者(案) 資料1

No. 号 締切巻頭言(2400字)

郡市医師会報点描休診日(2000字)

若手医師(2000字)

開業しました(2400字)

深呼吸(1000字)

1419 4月1日 〆3/15 小山田会長 幻の校歌;湯浅勝則今、夢中になれること;長沼晶子

柳谷委員

1420 4月15日 〆4/1 西成副会長 (岩崎委員) 蓮沼委員

1421 5月1日 〆4/15 小笠原理事 安岡委員

1422 5月15日 〆5/1 佐藤常任理事 (後藤委員) 井田理事

1423 6月1日 〆5/15 奈良理事 佐藤常任理事

1424 6月15日 〆6/1 島常任理事 伊藤委員長

1425 7月1日 〆6/15 新会長 岩崎副委員長

1426 7月15日 〆7/1 新副会長 後藤委員

1427 8月1日 〆7/15 新副会長 柳谷委員

1428 8月15日 〆8/1 蓮沼委員

1429 9月1日 〆8/15 安岡委員

1430 9月15日 〆9/1 井田理事

1431 10月1日 〆9/15 佐藤常任理事

1432 10月15日 〆10/1 伊藤委員長

1433 11月1日 〆10/15 岩崎副委員長

1434 11月15日 〆11/1 後藤委員

1435 12月1日 〆11/15 柳谷委員

1436 12月15日 〆12/1 蓮沼委員

1437 1月1日 〆12/15 安岡委員

1438 1月15日 〆1/1 井田理事

1439 2月1日 〆1/15 佐藤常任理事

1440 2月15日 〆2/1 伊藤委員長

1441 3月1日 〆2/15 岩崎副委員長

1442 3月15日 〆3/1 後藤委員

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秋田医報4月15日号(案)

表 紙

巻 頭 言 (未) 西成副会長

論 壇 ・ 解 説

代 議 員 会

名 簿

理 事 会

座 談 会

講 演

県 医 師 会 か ら

特 集

逝 去 会 員

委 員 会 報 告

県 医 報 告

日 医 報 告

東 北 医 連 報 告

報 告

会 長 室 か ら

郡市医師会トピックス 平成25年3月の動き

郡 市 医 師 会 だ よ り

郡 市 医 師 会 報 点 描 (未)

開 業 し ま し た

若 手 医 師 の ペ ー ジ (未) 畠山(岩崎委員)

投 稿

会 員 の 声

連 載 ボケないためのボケの話 23 久場政博

各 委 員 会 か ら

通 達 ・ 文 書

通 達 ・ 文 書 か ら

医療センターだより

医 師 国 保 だ よ り

放 送 ・ 講 演 会 等

県 医 師 会 掲 示 板

お 知 ら せ

帰 ・ 去 ・ 来 平成25年3月1日~31日受付分

深 呼 吸 (未) 蓮沼委員

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秋田医報5月1日号(案)

表 紙

巻 頭 言 (未) 小笠原理事

論 壇 ・ 解 説

代 議 員 会 第143回定例代議員会報告

名 簿

理 事 会

座 談 会

講 演

県 医 師 会 か ら

特 集

逝 去 会 員

委 員 会 報 告

県 医 報 告

日 医 報 告

東 北 医 連 報 告

報 告

会 長 室 か ら

郡 市 医 師 会 だ よ り

郡 市 医 師 会 報 点 描 (未)

開 業 し ま し た

休 診 日 (未)

投 稿

会 員 の 声

連 載 ボケないためのボケの話 24(未) 久場政博

各 委 員 会 か ら

感 染 症 発 生 情 報 平成25年3月分

通 達 ・ 文 書

通 達 ・ 文 書 か ら

医療センターだより

医 師 国 保 だ よ り

放 送 ・ 講 演 会 等

県 医 師 会 掲 示 板

お 知 ら せ

深 呼 吸 (未) 安岡委員

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1

ボ ケ な い た め の ボ ケ の 話 - Ⅲ . 医 療 ・ 介 護 そ し て 生

2 3 進 行 性 認 知 症 の 診 断 は 慎 重 に

秋 田 市 久 場 政 博

は じ め に

認 知 症 医 療 の 第 一 歩 は 、本 人 と 家 族 が 医 療 機

関 を 受 診 す る こ と か ら は じ ま る 。 こ の 受 診 は 、

家 族 や 本 人 が 認 知 症 を 疑 っ て 、 あ る い は 他 の

医 療 機 関 に す す め ら れ て 来 院 す る が 、 か な ら

ず し も 認 知 症 と は 限 ら ず 、 さ ら に 認 知 症 で あ

っ て も 進 行 性 と は 限 ら な い 。

初 診 に は 充 分 時 間 を と っ て 、認 知 症 と の か か

わ り を は じ め た い 。

認 知 症 か 否 か の 鑑 別 診 断

主 訴 と し て 、「 も の 忘 れ 、 ぼ ん や り 、 落 ち つ

き の な さ 、 も の 盗 ら れ 妄 想 」 な ど が あ り 、 本

人 も 家 族 も 悩 み な が ら 、 重 い 腰 を あ げ て 受 診

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タイプライタ
資料2
nakakita
タイプライタ
4/15 連載
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す る 。 そ れ ゆ え 、 1 時 間 ぐ ら い の 余 裕 を も っ

て 両 者 に 話 を き く 。 は じ め は 一 緒 に 、 つ づ い

て 本 人 だ け あ る い は 家 族 だ け 、 と 面 接 を わ け

て も よ い 。

受 診 者 の 問 診 は 、鑑 別 診 断 的 に 整 理 す る 。一

過 性 せ ん 妄 、 健 忘 症 候 群 、 加 齢 に よ る も の 忘

れ ( 普 通 ボ ケ ) 、 う つ 病 、 認 知 症 恐 怖 症 、 他 の

精 神 疾 患 を 念 頭 に お く 。 発 病 が 急 性 か 亜 急 性

か 、 普 段 の も の 忘 れ が 徐 々 に 悪 化 し て い る か 、

認 知 症 状 以 外 の 症 状 が な い か を き く 。

発 病 年 齢 は 若 年 か 、初 老 期 か 、高 齢 期 か 、経

過 は 急 速 か 緩 徐 か に よ っ て 、 お お よ そ の 鑑 別

3 , 4 ) が で き る 。 そ の 他 、 本 人 が 急 性 ・ 慢 性 疾 患

を も ち 薬 物 投 与 を 受 け て い る 場 合 、 服 薬 内 容

の 点 検 も 頭 に い れ て お く 。

こ れ ら に 加 え て 、精 密 な 脳 画 像 診 断 や 脳 血 流

測 定 、 脳 脊 髄 液 検 査 、 神 経 心 理 学 的 検 査 、 内

科 的 精 密 検 査 ( 一 般 的 血 液 検 査 や 内 分 泌 検 査 、

ビ タ ミ ン B 群 検 査 な ど ) も 必 要 で あ る 。 初 診

で 認 知 症 を 疑 っ た と き は 、 で き れ ば 認 知 症 専

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3

門 医 療 機 関 た と え ば 認 知 症 疾 患 医 療 セ ン タ ー 4 )

に 紹 介 す る の が よ い 。

診 察 の 過 程 で 認 知 症 の 臨 床 診 断 が つ い た の

で あ れ ば 、 そ れ が 治 り う る も の か 進 行 性 で 持

続 す る 病 態 な の か を 鑑 別 す る こ と も 、 つ ぎ に

重 要 で あ る 。

治 り う る 認 知 症

治 り う る 認 知 症 で 発 病 起 始 が 明 瞭 な 疾 患 は 、

画 像 診 断 で 脳 外 科 的 所 見 の み ら れ る 症 例 が 多

い 。 起 始 が 亜 急 性 発 病 に は 、 内 科 的 疾 患 が か

く さ れ て い る こ と が あ る 。 自 験 例 で は 、 慢 性

硬 膜 下 血 腫 、神 経 梅 毒 、ビ タ ミ ン B 群 欠 乏 症 、

甲 状 腺 機 能 低 下 症 が あ っ た 。

ま た 、あ る と き に 薬 物 を 追 加 さ れ て 認 知 症 状

が 出 現 し た 例 も あ る 。 炭 酸 リ チ ウ ム 、 活 性 型

ビ タ ミ ン D 3 製 剤 で 、中 核 症 状 を 呈 し た 患 者 を

診 た 。

以 上 を 鑑 別 し た う え で あ き ら か に 進 行 性 と

確 認 で き た の で あ れ ば 、 2 ~ 3 カ 月 か け て 4

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4

大 認 知 症 疾 患 ( 1 3 の 表 1 3 - 3 ) を 中 心 に 臨 床 診

断 を つ け る 。 そ し て 、 そ の 病 期 が 初 期 か 、 中

期 か 、 後 期 か を み る 。

認 知 症 病 期 の 枠 組 み

こ こ で 詳 し く 病 期 の 3 区 分 を の べ る が 、介 護

と の 関 連 を 重 視 す る ゆ え 、 介 護 用 語 の A D L

を 指 標 に 検 討 し た 。

そ れ を 図 2 3 - 1 に 呈 示 し た 。 こ の 図 は 1 4 の

図 1 4 - 1 に 認 知 機 能 を 重 ね た も の で あ る 。 図 の

上 部 に 健 常 者 の 認 知 機 能 も の せ た 。 Ⅰ 普 通 ボ

ケ で 記 し た よ う に 、 健 常 者 で あ っ て も 認 知 機

能 は 加 齢 と と も に 低 下 す る が 、 そ れ は あ る 範

囲 に と ど ま っ て い る 。

か つ て 指 摘 し た が 1 )、 認 知 症 ( 以 下 2 7 ま で

す べ て 進 行 性 認 知 症 で あ り 、「 進 行 性 」 を 省 い

て 記 述 ) は 病 状 が す す む に つ れ 、 認 知 機 能 が

右 肩 下 が り に な る 。

こ の 下 降 曲 線 は 多 重 の 要 因 ( 慢 性 疾 患 、 家 庭

の 問 題 、 介 護 の 仕 方 、 合 併 症 ) で お ち こ む ゆ

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え 、 病 期 の 長 短 は 人 さ ま ざ ま で あ る 。

1 ) 初 期 の 指 標

初 期 の 段 階 で は 、 I A D L ( 手 段 的 日 常 生

活 動 作 - 炊 事 、 買 い 物 、 洗 濯 、 外 出 、 電 話 、 運

転 、畑 仕 事 、金 銭 計 算 な ど ) に ぽ つ り ぽ つ り 障

害 が 出 は じ め て い る が 、 な ん と か 一 人 暮 ら し

が 可 能 で あ る 。 状 況 統 合 不 全 軽 度 と い え る 。

こ の I A D L 障 害 を 中 核 症 状 に お き か え る

と 、朝 食 直 後 に 食 べ て い な い と 言 い 張 っ た り 、

同 じ 物 を 買 い こ ん だ り の 、 即 時 記 憶 障 害 と 判

断 ・ 手 順 の 「 過 誤 調 整 」 不 安 定 2 ) が あ る 。

見 当 識 は 昼 夜 の 逆 転 や 時 間 感 覚 の 錯 誤 が あ

り 、 深 夜 に 出 勤 し よ う と す る 人 が で て く る 。

行 動 ・ 精 神 症 状 は 初 期 後 半 か ら は っ き り と

み ら れ 、 精 神 症 状 の 「 も の 盗 ら れ 妄 想 」 も で

る が 半 信 半 疑 で あ る 。情 動 障 害 で S 家 B の「 年

金 、 年 金 、 年 金 」 の く ど い 訴 え は 、 即 時 記 憶

障 害 と 連 動 し て い る 。 徘 徊 も あ る が 、 行 方 不

明 ま で は な ら な い 。家 族 が 探 せ ば 1 5 S 家 A の

よ う に 、 脇 道 で 「 ち ょ っ と 休 ん で い た 」 と こ

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ろ を 発 見 で き る 。

初 期 で 大 切 な こ と は 、 病 感 ( 病 気 か も し れ な

い ) を も っ て い る 事 実 で あ る 。 こ れ は 洞 察 的 心

が 若 干 残 っ て い る た め で あ る 。 ま た 第 三 者 や

遠 方 の 子 供 や 同 胞 に は 愛 想 が よ く 、 身 近 で な

い 人 は 家 庭 内 で の 問 題 を 理 解 で き な い 。

2 ) 中 期 の 指 標

I A D L 障 害 が 高 度 に な り 、一 人 暮 ら し が 不

能 に な る 。 洞 察 的 心 や 病 感 が 消 失 し 、 判 断 ・ 手

順 障 害 が 重 度 で 、 状 況 に 対 処 し た 行 動 が で き

な く な る 。 状 況 統 合 不 全 中 等 度 と い え る 。

こ の 中 期 は 、A D L 身 の 回 り( 整 容 、食 事 、

更 衣 、 洗 身 、 排 泄 ) 障 害 が 顕 在 化 し て く る 時

期 で あ る 。 こ れ は 医 学 的 に 、 感 染 予 防 の 清 潔

( 整 容 ・ 更 衣 ・ 洗 身 )、 口 腔 ・ 嚥 下 機 能 ( 食 事 )、

排 尿 ・ 排 便 機 能 ( 排 泄 ) で あ る 。

中 核 症 状 の 記 憶 障 害 は 、 近 時 ・ 即 時 記 憶 は

も ち ろ ん の こ と 、 遠 隔 記 憶 も お か さ れ る 。 さ

ら に 予 測 記 憶 も 障 害 さ れ 、「 い ま ・ こ こ 」 の つ

ぎ に 何 を し て よ い の か 分 か ら な く な る 。

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見 当 識 は 時 間 の み な ら ず 場 所 の 見 当 識 障 害

も 明 白 に な り 、 初 期 と は こ と な っ て 万 一 道 に

迷 う と 、 行 方 不 明 の 大 騒 ぎ を 起 こ す 。

行 動 ・ 精 神 症 状 は 多 彩 で 、1 6 か ら 2 0 ま で の

症 状 が 出 現 す る 。 そ れ ら は 激 し さ を ま し 、 あ

ま り の 精 神 運 動 興 奮 で 家 人 に 暴 行 す る こ と が

あ る 。 不 適 切 行 為 も 頻 発 す る た め 、 家 人 が 注

意 や 叱 責 を す る と 、 反 発 し て 攻 撃 的 言 動 や 周

囲 を 考 慮 し な い 、 2 0 S 家 A の 凍 結 路 面 飛 び 出

し の よ う な 危 険 行 為 が で て く る 。

こ れ ら 陽 性 症 状 と と も に 、「 喪 失 感 や 哀 し み 」

の あ ら わ れ と し て 、無 表 情 、無 関 心 、無 気 力 、

抑 う つ 、 不 安 の 陰 性 症 状 も 目 立 つ 。

3 ) 後 期 の 指 標

I A D L は 発 現 で き ず 、 A D L 身 の 回 り は

全 介 助 に な る 。 状 況 統 合 不 全 重 度 で あ る 。

A D L 起 居 ・ 移 動 ( 寝 返 り 、起 き 上 が り 、座

位 、立 ち 上 が り 、立 位 、歩 行 ) の 障 害 が は っ き

り し て く る の も 、 こ の 後 期 で あ る 。 後 半 に は

そ れ が 重 度 と な り 、 座 位 、 立 位 、 移 動 の 全 介

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助 の あ と 、 つ い に は 寝 た き り と な る 。

中 核 症 状 を み る と 、後 期 前 半 は 近 時 ・ 即 時 ・

予 測 記 憶 の 機 能 が 消 失 し 、 遠 隔 記 憶 障 害 も い

ち じ る し く 断 片 化 す る 。 結 果 と し て 記 憶 障 害

自 体 が 顕 在 化 で き な く な り 、 言 語 疎 通 性 が 不

能 と な る 。 見 当 識 障 害 に 人 ・ 物 が 加 わ る 。

他 方 、 行 動 ・ 精 神 症 状 は 急 速 に 消 退 し て く

る 。そ れ は 、A D L 起 居 ・ 移 動 が 制 限 さ れ 、し

か も 判 断 ・ 手 順 が 不 能 と な る 結 果 、行 為 な ら び

に 精 神 症 状 が 発 現 で き な く な る の で あ る 。 た

だ し 、 無 目 的 の 徘 徊 、 収 集 癖 、 独 り 言 は あ り

う る 。 と く に 独 り 言 が 後 期 前 半 ま で 持 続 す る

と 、 寝 た き り 状 態 で あ り な が ら 棟 内 中 に ひ び

く 叫 声 に な る こ と が あ る 。

後 期 後 半 は 認 知 症 状 そ の も の が な く な り 、

身 体 症 状 の 四 肢 関 節 拘 縮 や 重 度 大 脳 皮 質 機 能

障 害 が 前 景 に で る 。 意 識 レ ベ ル も 障 害 さ れ 、

持 続 性 せ ん 妄 様 状 態 や 遷 延 性 意 識 障 害 が で て

く る 。 こ の 他 、 慢 性 疾 患 の 重 症 化 や 合 併 症 が

出 現 し や す く な る 。

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9

ま と め と し て

本 稿 で は 、進 行 性 認 知 症 の 診 断 過 程 と 病 期 の

指 標 を 記 述 し て き た 。 こ れ は 、 早 期 の 受 診 と

治 療 が 勧 め ら れ る 現 今 、「 も の 忘 れ 」 即 進 行 性

の 認 知 症 と は 限 ら な い こ と を 強 調 し た い た め

で あ る 。 臨 床 医 は 、 鑑 別 診 断 を 慎 重 に 、 徹 底

し て お こ な う こ と が 要 請 さ れ て い る 。

[ 参 考 文 献 ]

1 ) 久 場 政 博 : 痴 呆 の 病 期 と 介 護 , 秋 田 医 報

1 2 0 6 , 2 0 0 4

2 ) 久 場 政 博 : 初 期 痴 呆 の 見 分 け 方 と 精 神 科

紹 介 の 基 準 , 秋 田 県 臨 床 内 科 医 会 誌 2 3 ,

2 0 0 4

3 ) 日 本 老 年 医 学 会 編 : 健 康 長 寿 診 療 ハ ン ド

ブ ッ ク - 実 地 医 家 の た め の 老 年 医 学 の エ

ッ セ ン ス , メ ジ カ ル ビ ュ ー 社 , 2 0 1 1

4 ) 日 本 神 経 学 会 監 修 : 認 知 症 疾 患 治 療 ガ イ

ド ラ イ ン 2 0 1 0 , 医 学 書 院 , 2 0 1 0

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図 23-1 認知症の病期と医療

認知機能

前臨床期 初 期 中 期 後 期

健常

認知症状の医療

中核症状

行動・ 精神症状

身体症状 身体の医療

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nakakita
タイプライタ
資料3
nakakita
タイプライタ
郡市医師会報点描・休診日候補
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予備の候補;平成24年分
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見知らず柿の思い出

大曲仙北医師会 黒川博之

新年から始まった新島八重のNHK大河ドラマを見ながら堂嶋は会津の日々

と二つの朱色を思い出す。一つは秋の会津盆地の見知らず柿の鮮やかな朱、そ

してもう一つは・・・。あれは昭和が終わる頃でもう三十年以上前のことだ。

彼は会津武家屋敷内に展示されていた屏風絵を鮮明に憶えている。

その絵には畳に折り重なる十数人の幼児を交えた血染めの男女の死体の中央に

長い日本刀を片手に仁王立ちになった武士がいる。戊辰戦争ではお馴染みの赤

熊毛頭の冠物に鉢巻き、筒袖軍装をした官軍将校の彼の前には、跪いて懐剣を

突き出している絢爛たる晴れ着を朱に染めた武家娘、そして屏風の隅には小さ

く数行のあらましが記されていた。堂嶋は読み終わり歎息した。

「あのねえ、君はここでは高知県出身だ、ということは患者さんや、一般の人

には黙っていたほうがいいよ。」会津に赴任して間もない初夏、医局早朝のカン

ファランスが終わり、雑談に興じていたとき、その日の新聞に山口県萩市から

戊辰戦争 120年を記念して会津若松市に友好都市提携の申し入れがなされたが

会津若松市民から「我々はまだその恨みを忘れていない」とのことで拒否され

たという記事が出ていた。その話の際に唐突に先輩格のQ先生が堂嶋に表情を

すこし堅くして突然そう告げた。一瞬の後、Qは少し表情を和らげて「会津落

城ではこのあたりの武家の子女は幼児も含めて自決したものも多い、その時に

生き残ったお婆さんなんかも患者さんの中にはまだかなりいるからね」。

外来診察に腰を上げかけていた堂嶋は不意をつかれたようで言葉の返しようが

なかった。Qは彼がその病院に赴任する契機を開いた医師であり、その注意を

するなら着任前にして欲しかった、軽い反発を覚えながらも「はあ」と頷いた。

外科の十数人の同僚は興味深い笑みを浮かべて堂嶋達を眺めていた。Qとそり

のあわない堂嶋の上司のSが「昔の事だ、関係ないべしよ」と吐き捨てた。外

科部長のRが「あはは、まあ、それほど神経質になってもなあ。そんなに気に

することはないが、あえて患者に出身地まで名乗ることもない、それより君は

地元の言葉を使うようにしろよ。君は関西弁でおまけに早口だからなあ」。東北

では土佐弁も関西弁に聞こえるらしい。堂嶋は少し覚えたばかりの方言で「ほ

だごどだば、まあず、さすけねえこんだし」。「わっはは、その調子でやってく

らんしょ」。

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窓外では日ごとに緑の濃くなる会津磐梯山を春の日が炙っていた。

その夜に堂嶋を含む各科の10人以上の新入医局員の歓迎会が会津有数の料亭、

東山温泉千代滝で行われた。新旧医局員の紹介がおわり堂嶋は座布団に座ると

隣の心臓外科の大柄な初老のW先生はその巨体を盛んに揺すって「会津はある

日一日で突然に朝敵にされたのだかし。会津藩は何年もの間、莫大な費用を負

担してはるばる京都まで出かけて天皇をお守りしていたのだかし。それなのに、

それがあの日に突然に朝敵にされて殿の首を差し出せとか無理難題の後に攻め

立てられて・・・。」

口角泡を飛ばして真っ赤になり半時時ほどまくし立てた。堂嶋が黙って聞き

入っていると隣の脳外科部長のMが「また、始まったか、まあまあ」と笑いな

がらWに酒を勧めて、宴会はすぐにその無念とは無関係のぬくもりに包まれた。

慶応三年十月徳川慶喜は大政奉還を決意し会津藩主松平容保はその英断を率先

して賛意を示した。しかしその前日に岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通により

開国倒幕の密勅、会津討伐が錦の御旗と共に薩長に下されて、明けて慶応四年

の明治元年1868年 4 月、容保は帰藩して恭順の日を送る。そのあとは歴史

の示すとおりである。

翌日から激務の日々に追われることになった堂嶋はQの訓戒に意を払う余裕

はすぐになくなった。数日後、ナースセンターの寝台兼用の長いすで身体をく

の字に遅い昼飯の出前蕎麦をかきこんでいると数人の若い看護婦が「先生は何

処の人かし、関西かし」。「あら、んだか。高知は中国かし四国かし、四国は上

のほうだべし、やんだ、んでねえの。下かし」。とやりとりしていると、中年男

と呼ぶのにはまだはやい田口さんが事務書類を整理しながら振り向いて「先生

は土佐の高知ですか」。そして祖父が当時の床屋だったという彼は「戊辰戦争は

戦闘が終わっても賊軍の戦死者は葬るなってことでこの辺りもしばらくは死骸

で匂いがひどかったそうです。会津藩京都守護職の負担は莫大でそれは重税に

なり地元の農民に跳ね返ってきてましたので、むしろ藩がなくなり、農民にと

ってはよかったのだともいってましたね」。会津藩が京都守護職として軍を京都

に駐留させた当時の藩士総数は千八百人。半数は一年ごとに国元藩士と交代す

るがその費用は巨額で六カ年の京都治安に腐心するも藩政、臣下、百姓の疲労

は重なり、農民の反感を買った。田口さんは私の問いに窓から南の方向をあご

でさして「あそこがかつての西郷頼母の屋敷跡です。晩年に帰郷した頼母は長

屋住まいで深夜から明け方まで、よく一人で月をずっと眺めていたそうですね」。

堂嶋はいつの間にか昼寝に入っていた。

会津の見知らず柿はもう熟しておるかのう。明治も半ばを過ぎた頃、自由党

副総裁であつた中島作太郎は、武家屋敷を改装したばかりの帝国議会のある東

京麹町の料亭に牛鍋をつついている。第一回帝国議会の衆議院準備で忙しい彼

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は仕事が一段落して、その夜はかつての土佐藩兵、自由党の闘士、そして嘗て

の仇敵である旧会津藩士の中林包明らに会津攻めを回想していた。動乱期を越

えた安堵と過去を振り返る余裕が二人に出来つつあった。明治二十一年、来る

べき第一回帝国議会に備えて言論の自由、租税軽減、大同団結をとなえる土佐

の後藤象二郎は東北遊説と集会を行い、会津旧藩士代表格の士族会会長の西郷

頼母とは交流があり、頼母は立候補を考えていた。時代は新しい局面に入って

いた。

中島は牛鍋からの湯気のなかから赤い顔をつきだして第一回の議長候補の稽

古をするように蕩々とまくしたてた。

余らは慶応四年つまり明治元年8月23日の朝、前夜からの豪雨をついて会

津盆地になだれ込んだ。

既に新政府軍は母成峠をわずか700の兵ながら白河城の旧幕府軍2500

を撃破し、五月一日のわずか一日で奥州列藩同盟軍の死者は700余におよん

だ。

薩摩の伊地知正治と土佐の板垣退助らの政府軍は一気に伊地知が戊辰戦争中

一貫してとった少数精鋭主義の戦法で 40キロを急進して会津の城にせまった。

その朝、会津と白川をむすぶ母成峠の泥濘の坂道から山間に木霊する大気を振

るわすその轟音を生まれて初めて会津の山村の百姓は耳にした。巨大な炒り豆

がはぜるような音は大雨の中、戦火を逃れる百姓達の笠うつ音に混じり耳を聾

するばかりで本当に聾者になった者もいた。これが政府軍突関の一斉射撃であ

つた。先兵はすでに市街に潜入して城内は炎上していた。合図の半鐘が激しく

連打され会津の家臣達は刀剣を帯び婦人は長刀を下げて三の丸に参じた。城門

はすぐに閉ざされ、入りきれない町人、百姓はちりぢりに城外に逃げ阿鼻叫喚

に拍車をかけた。同時刻には街中から挙がる煙火を城の火炎と誤認して落城と

勘違いした白虎隊の少年達が飯盛山で集団自刃していた。新政府軍はミニエー

銃、7連溌のスペンサー銃、スナイドル銃を装備し、狙撃戦法も優れていたが会

津藩は火縄銃と少数のゲーベル銃といった装備と不手際な指揮も多かった。会

津藩が購入していた新式銃は何故か最後まで使用されず、新政府郡のスペンサ

ー銃80挺の購入費は皮肉にも白河城の焼け残りの蔵に蓄えられていた大量の生

糸がもとでになった。母成峠の戦いでは会津藩の圧政と焦土作戦により住宅を

焼き払われた農民が新政府に加担し手引きすることもおきた。

余は盆地に入り敵兵をスペンサーで払いのけながら若松城門前に迫った。至

る所で紅蓮の炎が挙がり天守閣は黒煙と豪雨で見えない。城に近くなるとかな

り大きな黒塀の屋敷があつた。家屋のみで三百坪もありそうな屋敷で屋根瓦に

は九曜の紋が焼かれていた、なにそれは西郷家の家紋じやと。屋敷内に二、三

発の銃を放ったがしんとしておる。そのまま屋敷に侵入して長い廊下を進んで

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ゆく、部屋は二三十以上あつた。奥の書院作りの部屋、ああ、便殿、お成り御

殿というのか、藩主を迎えた部屋じゃつたか。そこにはそこだけ空気が重くよ

どんで固まったような気配と血の匂いが隙間からただよってくるのじゃ。襖を

開く。あたたかく生臭い匂いがどっとつよくなり足下の一面を黒いものがさえ

ぎる。ランプを灯すと多数の婦女子、幼児も交えて数十人が血の海の畳に斃れ

ている。突然にその中から小さな影が身を起こしてそこから声が響く。お味方

の方でしょうか、眼は開いているが焦点が合わず目は見えぬらしい、「味方じゃ

あ、しっかりせい」。とっさに返していた。すると十七八にみえる顔面蒼白の江

戸人形のような娘が懐剣を余に突きつけて、私の命をどうかこれで。わしは身

がすくんだ。見えぬ目で、どうか、命を。かすかな声ももう途絶え気味でやつ

と聞き取った。余はとどめをさした。隣の部屋では二人の老女が斃れていた。

七十ばかりの老女が見事に切腹していて、その懐剣はここに示すように見事な

つくりで九曜の目貫であつた。もう中林はすでに顔を真っ青にしてたまらず声

を作太郎に搾りだす「貴殿が介錯したのは西郷頼母の妹様の由布子様で二十三

歳でありました。九曜の目貫のその老女は家老の母律子様です。律子様方は籠

城ではなく最初からその覚悟であったのでしょう。

貴殿は頼母様の家族郎党合わせて 21 名の自刃に立ち会われましたのじ

や!!」。

頼母の13歳の娘の瀑布子が「手をとりて共に行なば迷はじよ」に16歳の姉

の細布子が「いざたどらまし死出の山道」とつける。二歳、四歳、九歳の妹達

も空しくなった。34歳の妻の千代子が自ら太刀を手にしている。由布子は「も

ののふの道を聞きしをたよりにて 思ひ立ぬる黄泉の旅かな」と決心している。

千代子は水盃を上げてから八歳の三女田鶴子を刺して、四女の常磐の驚き叫

ぶのを、汝も武士の子なるぞ、と貫き、二歳の末子の面をみた。嬰児は母をじ

つと見つめて微笑んでいた。千代子は荒い呼吸を数度して眼をつりあげてこれ

も刺して身を刃に伏せて斃れた。

作太郎が屋敷から出ると会津の山々は暮れに向かつていた。山野に赤い柿が

点点としている。ふと彼は郷里の与一郎との山越えを思い出した。堂嶋の郷里

に標高千メートルの「みずのとう」という峠がある。この峠は土佐から松山に

抜ける裏街道である。元治元年1864年11月中島作太郎はこの山道をとお

り従兄弟の中島与一郎、師弟の細木核太郎と共に脱藩した。しかし、中島与一

郎は歩けなくなり23歳でその峠で切腹し果てた。作太郎は長州に到着した後

に坂本龍馬と行動をともにした。龍馬の死後は田中光昭の陸援隊に入り板垣退

助らと戊辰戦争を戦う。維新となり作太郎は信行と改名し、兵庫県令、欧州留

学そして神奈川県令を歴任した後、板垣退助の自由党副総理に推され明治23

年第一回衆議院議員選挙に当選して初代衆議院議員議長をつとめた。板垣退助

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は戊辰の役では会津三春藩の無血開城など会津に同情的でその戦いの後は名誉

回復につとめ維新後に土佐を訪れた会津人は多い。作太郎の介錯は頼母に伝え

られ、頼母はその薩摩人―頼母の自叙伝にはこうあるーの行為に謝した。

当時の人の死生観、倫理観は現代人のそれとは随分と違うが人の道はなんら変

わりない。

三年半の月日が流れた年の春間近な三月、彼の最後の外科カンファランス、プ

レゼンテーションが終わる。「堂嶋よ、時の流れは早いものだかし。もう3年半

が過ぎか、今週でお別れだな」。と外科部長のRが独り言のようにも語る。R先

生はその時には副院長になり、理事長であり、直接に外科手術の前立ちをして

くれたT先生は既に他界していた。胃がんと食道がんの重複癌であつた。患者

さんやその家族に彼は土佐の出身であることは屡々語ったが特にどうこうはな

かつた。なによりも、それに神経をつかう余裕は共に全くなかった。「郡山に行

っても時々はゴルフでもやりに遊びにこい」。彼は会津の三度泣きは郷土の先人

のおかげか一度目は全く体験せずにすみ、二度目、三度目は心ゆくまで味わっ

た。その間に長男が生まれていた。今でも三年に一度は会津で旧交を温め毎年

秋には見知らず柿を味わう。余談だが戦場となった白川に明治十一年、白川正

教会を建てて約四半世紀にわたり宣教した沢辺琢磨という人がいる。以前の名

を山本一馬という土佐藩士、坂本龍馬の従兄弟に当る。彼は函館で沢辺家の婿

養子となりロシアのニコライ司祭に洗礼を受けた。また沢辺は函館の五稜郭の

戦闘に際して西郷頼母から長男の吉十郎を託されている。吉十郎は二十二歳で

病死した。会津藩出身者では紙面の都合で一人だけ後に高知県四半学校長にな

った加藤寛六郎をあげておく。今年の新春のテレビから思い出して会津と土佐

の縁を記した。了

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春の妖怪

仙北大曲医師会 黒川博之

峠は冬だったが奥羽山脈を下りきり里を走るようになると新幹線の窓外に

山櫻が田畑に赤い。目的地がちかくなるにつれてソメイヨシノも見え始め、ピ

ンクの聚落はぐんぐんと増えた。私は終着の上野ではすっかり解氷されていた。

平成もはやいもので四半世紀を越そうかという年の春、例年のように私は

総会にもうさして必要も感じなくなった専門医資格点数獲得のために上京した。

上野駅のホームにこまちから睡魔と共に降りる。スギ花粉症のアレルギー薬を

飲みすぎたのだ。

私は駅の珈琲館でキリマンジャロ 2 杯をカップから胃袋に移し替え花曇り

の麗らかさに誘われて足を春の光が溢れる上野公園の朝に向けた。公園口の狭

い道路を数歩でわたり広場に入ると朝の静寂をもっぱら破壊するためにだけに

出てきたような、路上芸人達が朝から、南米のフォルクローレやら、フラワー

ステック、ステージボールの大道芸、フラメンコの踊り、パンクロックのがな

り声で森の鳥のさえずりをかき消している。

どこかでわざわざ知らせなくともいい時刻を告げるチャイムがなっている。私

は身体も冷気にあたり覚醒しはじめて足を美術館に向けた。そこでは日常が消

える。生活がない。彫刻も絵画も大半は遺品であり、脈絡もなくただ見知らぬ

人人が風のように流れすぎる。私は芸術家達の傑作を眺めたあと、時間がある

時は美出館の片隅のベンチでうたた寝をするのを常としていた。

その時もそうするつもりだった。しかし扉の張り紙は長期改装工事のために

休館とある。私はこの落胆を代替するために行き先を不意に別の場所に向けた。

そうしたのは私の意志であるのか、あるいは運命の連鎖で、はるか昔からのあ

らゆる出来事はその時の私の意志までもきっちりと定められていたのかわから

ない。長命寺の櫻餅や言問団子がふと脳裏に浮かんだのは確かだ。

国立博物館前を通り過ぎて桜木通りに出る。途中に小さな林、と呼べるかど

うか、都会に何とか生き残っている小さな自然の一角があり、それが在るのに

初めて気づいた。この四十年間にその前を数十回以上通り過ぎていて初めて気

がついたのは齢重ねて周囲を眺め歩く余裕が出来ていたのか、あるいは私の先

天的注意力不足をコーヒーが補ったのかわからない。ミニチュアのような小さ

く赤い稲荷神社が細く狭い石段の上に窮屈そうに竹林に埋もれている。私は肌

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寒い春風に吹かれて手を合わし数百年の存在を誇示している背筋を伸した狐に

これまで同様に一方的勝手を祈願した。薄目を開けて台座の二匹の雌雄の狐の

顔を仰ぎ見たとき、これじゃあ願いを聞き届けるどころか、化けることも出来

まいと思わず一瞬心の底で思った。これがまことにいけなかったのだろう。

公園を抜けると国道 452 号線と国土省の標識のある細い道路を言門通りに向

かう。通りはしんとしている。もう櫻は満開で地上にも青空にも櫻吹雪が風に

舞っている。その花びらで埋められた道を汗ばみながら歩む。駅からはわずか

な距離だが人はすっかりかき消えて、ヒトの繁殖地帯である高層住宅付近にも

犬猫一匹も見かけない。路上は車だけが時折走り去るばかりである。

初夏の暑さに足は留まり額を拭いた。すると狭い道路の向こう側に立派な、

奥日光修学旅行で眺めたような武家門が春の日に輝いている。しばし懐かしく

見とれてからハンカチをコートに押し込んでいると視線を感じて、その男に気

付いた。

数メートル先のバス停にただ一人、小柄で痩せぎすの中年男が携帯電話を耳

にじっとこちらを凝視していた。不審者を見詰めるように私を凝視しているの

で、知り合いかなと思ったが、遠目に見て心当たりがない。

近づいてさらに男の顔を見つつ知人親戚の記憶を探るがまるで覚えがない。

そのままバス停を通り過ぎるその時、いきなりその貧相なのが顔を突き出す

ようにして「ねえ、あんた、あんた、今何見てた。あれ見てたろう。いいや見

てたろう」と人指さし指を私の背後に向ける。指の先には門があるきりだ。「ん?、

これって」。初めてまじまじと男をみると、彼はその顔と同じく黒いくたびれた

背広にところどころ剥げた黒いショルダーバックを左手に握ったまま顎を突き

出して高飛車に「あんた、知っていたのかい」「いや、何を」「あんた、あんた、

これ凄いんだよ。池田家、ほら、因幡、因州は鳥取藩池田家の江戸屋敷の表門

だったんだぜ、これ国宝級の門なんだぜ。あんた、知ってて見てたのかい」。と

私を非難するようにまくし立てた男は外見は五十前後のようだが実際はそれよ

り若いかもしれないし、もっと老人なのかもしれない。昔のテレビ番組の水戸

黄門役を思いがけなく長く演じた西村晃に似ている。あの黄門役はどこかうさ

んくさい黄門様だった。私はその時に時間の余裕も心の余裕があった。でなけ

れば、そのまま足早に立ち去っていただろう。花曇りの空はいつの間にか嵐の

ような櫻吹雪だ。

「いや、俺はある大学の講師をしているんだがね、専門が江戸時代でね。あん

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た、さっきから門をじっと見ていたから教えてあげるけどさ。これは見たとお

りに左右が中国式だろ、唐破風様式の板塀が備えられていてさ、これは昔は丸

の内にあったんだけどね、丸の内は知ってるかい、あんた、東京の人かい。A

県、東北の、ああそうかい。あんた仕事は何、ああそう、これと同じ門が何処

にあるか、あんた知っているかい」「いいや」「あんた、東京の人じゃないけど、

渋谷パルコは知っているかい。そうそう、あそこにあったんだよ。今はその門

は埼玉の土地に移転しているけどさ」。「はあ」。

私はすっかり引き込まれていた。

「おれ、さっきからここで石●浩●を待っているのよ。あいつが俺に今日一

日で江戸の事を教えてくれって言うからさあ。いやオレはね彼に講義してるん

よ、今度テレビで江戸の特集をやるってさ。江戸時代を教えるにはここがまず

最初だわさ。何でも鑑●団、あんた見てるか。先週には江戸時代の特集番組や

ったろう」。私は真剣な表情をつくり口を挟んだ「A県ではその特集番組は見ま

せんでしたが」。「ああ、地方は再来週にやるんだよ、見てくれよ、オレも写る

んだ。それでな、ずっと石●浩●に教えてやっているんだ。今日はその講義の

続きをやることになっててさあ。ここで待ち合わせたんだ、でも彼が忙しいん

だか、なかなか来なくて」往来はタクシーがたまに通り過ぎるはかりでしんと

していた。

「あいつ今大変なことになってんだよ。さつき、おれ電話してただろ。彼か

らの電話で病院からかけてきやがるの。 おふくろが悪くてさ、遅れるかもね、

だって。それに、かみさんも大変だよ。あいつ、いろいろあってさ、週刊誌に

出てたろ。みた。あいつ、今はほんと大変なんだよ。あんたは今日は何処行く

の」。小柄で貧相な男は目をきょろきょろと路上と私に交互に動かして一気にし

ゃべり立てた。いろいろとまくし立てたがこの熱弁をそのまま続けると際限が

ないので途中を省略して筆をすすめる。

「あんた生まれはどこ。四国。四国か、四国はね藩が幾つあったか知ってるか

い。高知は土佐藩だけどさ。愛媛は幾つだよ、知ってるかい。愛媛は大洲藩、

宇和島藩があったんだぜ、小さいのになると新谷藩なんかあったんだぜ。」

「廃藩置県ですね、あれは新政府の薩長が十日ばかしで決めたんでしたね」。そ

う返すと話を急にするりと変えた。すっかり私はそのパフォーマンスを楽しん

でいた「あんた、国会図書館、国立国会図書館、ありゃあ今はひどいもんだよ。

勝手にさあ、資料をめちゃくちゃに廃棄してやがるんだ、重要文献も何も奴ら

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全くわからない連中でさ、棄ててんの。おれ、それの一部を今こうして、持っ

ているんだがね、奴らそれを廃棄するつもりで国宝級の資料も棄ててんだぜ、

おれ、それを持ってんだ。あんた興味あるかい。あるなら少し見せるか」と初

めてバッグを辺りをぐるりと見回してから少しだけそっと開けた。古ぼけ黒い

禿げた皮鞄からどうみてもコピー用紙に印刷されたような書類が数十枚あつた。

どれも真新しい。これだけを見定めたところで本題に入ろうと私はコートの内

ポケットに右手をいれた。ぞっとした。どきんと一発心臓が鼓動し髪の毛が逆

だった。財布がない。そしてあちこちのポケットを激しくかきまわした。ずし

りと十数枚近いカード、紙幣とやたらに多い小銭が詰まった財布は身体のどこ

にも触れない。

ショルダーバッグを開くと学会抄録、CDプレイヤーと二日分の下着靴下とネ

クタイ一本だ。一瞬、唖然となり男と眼をあわす。私の所作を不審そうに見つ

めていた彼の目が険しくなり軽蔑の視線に変る。

次の瞬間、突然に男が急に右手を高く上げて逃げるように車道を横切りなが

ら路上に飛び出した。軽業師のように左右から走ってくる数台の車をひょいひ

ょいとよけながら門をめざす。その先には門の前で十数人の観光客が立ち止ま

り群がっていた。彼らの前に立ちふさがる。

「ねえねえ、あんた達何見てる」と男は門を指さしている。旗をもつ若い女性

ガイドと最前列の数人の中年女性達は突然の出現にあっけにとられている。

私は追いかける気力も急に失せて落胆しながら再びぶらぶらと根岸、言問通

りに都会を漂流するように歩き始めた。

長命寺界隈で所用を済まして上野駅に戻る道、芸大前をうるさくサイレンを

響かせ救急車が目前を走り去った。

一二分で着いた池田屋敷表門前で、ちょうど救急車に運び込まれている蒼白

の顔に両目を閉じた担送者はあの男であった。其処に居たキャンバスを片手に

した若い男は「いや、僕も通りがかりですが、そのバス停に佇んでいた男の人

が急に道路の向こうにいた人に手をあげながら道路にとびだして。そこに車が

きて数メートル程もはね飛ばされました。乗用車は猛スピードで走り去りまし

たが」私は呆然とした。「台湾人の観光客は全然その男は知らないそうです。助

かりますかねえ」。「助かってほしいよねえ」。間の抜けた哀れな結末に私は歎息

した。

こういう商売をして口を糊して生きてゆくのは決して容易ではない。

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私はあるいは金を巻き上げられていたかもしれないけれどで、ネットや電話で

姿を見せず老人をだます輩と違い彼はなんと単純でも堂々と演技した。私は彼

に出会い途中までは完全に聞き惚れていたのである。人は刺激的なものを求め

ることがある。それは刺激そのもののなかには自身は身を置いてないから出来

ることだ。渦の中心にいるものはそこから逃れるために必死である。その貧相

などこか寂しげな顔貌を春のはかない光線に揺らめかして男は必死だった。そ

して私は彼の度胸と逞しさに羨望していた。

私は時に煩雑な日常から逃避しそしてわくわくする時間を持ちたい、それでわ

ざわざ危ないことを探し歩くこともする。人の少ない時間帯を想定して待ち構

えていたにしては彼の嘘は単純で場当たりで底浅く迫力に欠けた。おおよそ、

あらゆる生物は生きるためにだます行為をする。男の戦略は脳みそのないモウ

センゴケやウツボカヅラの美しい罠、神秘的な精緻さに遠く及ばない。

しかし堂々とカモの前に立ちはだかり、両目をカッと開いて質問を許さず途切

れなくまくし立てた真剣な口上、相手の情報を探りながら臨機応変に話頭を変

化させるスピードあふれる力演に私は恍惚となり感嘆していた。人はときに弱

さからしたたかになり、臆病から向こう見ずとなる。そして私の気前のよさは

おおむね与えやるのだという虚栄心に過ぎない、その哀れみは多くは他人の不

幸の中に私自身の気持ちを感じるからである。

世間をわたる侘びしさ、辛さは程度の差はあれ人はみな同じだ。櫻の花びらが

散ってゆくようなふわふわした彼との対話に私は短くも本物の時間を過ごせた。

人間はお互いにだまされ合っていなければ社会をつくって生き続けられない、

とフランスの賢人は箴言集に記した。

花曇りの空は暑くなった。春の光は初老の男のひとときの小さな感傷は未練無

く飛ばしてしまう。帰り道、稲荷神社はかき消えていた。

この話の終わりに記しておくと、私はじつは財布は旅の始めから持っていな

かった。財布は短期の旅には、嵩張るだけで私はその旅にはVISAカードと

数枚の紙幣、小銭のみ持って家を出た。その用心すらも完璧に忘れていた。私

はカモになるだけのことはある。あの体験は稲荷様を軽んじた罰か、警告か、

いずれいいホントにいい薬だった。

平成 25年 2 月 26日(火)

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nakakita
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資料6
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※4/23撮影、5/15掲載
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タイプライタ
※6/15掲載
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