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老健 2016.6 ● 15 14 ●老健 2016.6 June Vol.27 No.3 老健施設における薬剤の処方 老健施設における薬剤の処方 前頁までに概論を記した全老健の平成 27 年 度「介護老人保健施設における薬物治療の在り 方に関する調査研究事業」では班長を務められ た秋下雅弘氏。当該事業の調査結果を踏まえ、 老年病科の専門医の立場から高齢者における薬 剤処方についての見解をうかがった。 問題視されるポリファーマシー 診療報酬改定でも薬剤費削られる わが国における医療費に占める薬剤費の割合が 非常に高いのは、医師のみならず、もはや一般的 にも認識されているところです。平成 26 年度の 厚生労働省の医療費データによると、医療費 40 兆円のうち、7.2 兆円(18.0%)が薬剤費となっ ています。これはかなりの額であり、案の定とい うか、平成 28 年度の診療報酬改定では特に薬剤 費が減らされました。 ちなみに、老健施設ではどのくらい薬剤費がか かっているかというと、利用者 1 人当たり 1 か月 3,360 円です(平成 24 年度「介護老人保健施設に おける在宅復帰・在宅療養支援を支える医療のあ り方に関する調査研究事業」報告書より)。これ はあくまでも中央値で、高い人になると 4 万円以 上もかかっており、やはりかなりの額の薬剤費が 支払われているといえるでしょう。 薬剤費が高いということは、当然ながら、 1 人 に対して多くの薬剤が処方されているということ であり、近年、このポリファーマシー(多剤処 インタビュー① 高齢者における薬剤処方 老健施設が果たす役割 秋下雅弘 氏 東京大学医学部附属病院老年病科教授 方)が問題視されています。薬剤には、どうして も治療効果以外の副作用があり、服用する薬剤の 種類が増えると、それに比例して副作用の頻度が 高まります。我々が行った調査でも、服用する薬 剤が 6 種類以上になると、明らかに副作用が増え るということがわかっています。 なぜ副作用が増えるかというと、単純にそれぞ れの薬のもつ副作用のリスクが重複するというこ とが 1 つ。特に、高齢者によくみられる薬の副作 用は、転倒と認知機能の低下です。そもそも高齢 になり身体機能が低下すると転倒のリスクは増え るものですが、複数の薬の副作用でそのリスクが より高まることが懸念されます。 もう 1 つは相互作用。飲み合わせが悪いとされ る併用禁忌の薬については、ある程度はわかって いるものもありますが、薬を数種類、場合によっ ては十数種類服用することになると、なかには想 像もしなかった作用が引き起こされることがあり ます。A 薬と B 薬の組み合わせでは特に問題が なくとも、そこに C 薬や D 薬が加わったときに どうなるかは予測できないというわけです。 また、服用する薬が多いと管理も大変になりま す。在宅では、飲み忘れなどにより大量の残薬が 生じ、年に数百億円もの薬が無駄になっていると いう報告もあるほどです。せっかくよい薬が処方 されても、きちんと服用されずに期待される薬効 が発揮されていないとなると、意味がありません。 このように、ポリファーマシーによって、医療の 質を落とし、医療コストをいたずらに上げてしま うことになる。患者のためにも、国の財政的にも よくないことであり、そこを見直していこうとい うのは、当然の流れであるといえます。 そうした背景もあり、今回の診療報酬改定では 「薬剤総合評価調整加算」が新設され、 6 種類以 上の内服薬処方を総合的に評価した上で調整し、 最終的に 2 種類以上減らした場合、250 点の加算 がつくこととなりました。これは、加算というイ ンセンティブをつけることで、医師に減薬に対す る意識を高めてもらう狙いもあるでしょう。 老健施設の管理医師の 6 割が 利用者の薬剤処方を見直している そんな流れのなか、老健施設の管理医師は、利 用者の服用薬剤の減薬に大いに貢献しているとい えます。 そもそも老健施設では、利用者の薬剤費は施設 サービス費に包括され別途算定はできないため、 施設経営上、薬剤費はできるだけ抑えたいという 事情があります。ただし、そうはいっても、減薬 は慎重に行わなければならず、その判断は難しい ところです。 今回の調査研究の結果からは、「老健施設の管 理医師の 3 分の 2 は、入所時に利用者の薬剤処方 を見直し減薬を行っている」ということが明らか となりました。減薬の理由も、約 6 割がきちんと 医学的な根拠のもとに判断しており、老健施設に おける薬剤処方に、管理医師は誠実に関わってい るということが読み取れます。 具体的には、まず入所後 1 か月の時点で、平均 して 1 人につき約 1 剤(5.89剤→ 5.05剤)、服用 薬剤数を減らしています。その後、入所から 2 か 月が経つと、5.05剤が 5.35剤と少し戻りますが、 これは、いったん減らしてみたけれども、その後、 様子を見て、やはり必要だと思ったものは再び処 方しているということを意味します。つまり、減 らしっぱなしではなく、きちんと利用者の状態像 の変化を観察しておられるということです。これ は非常に重要なことです。 そもそも、なぜポリファーマシーになるのかと いうと、日本の医療が臓器別に疾患を診るという 仕組みになっていて、いわば「足し算医療」であ るからです。各臓器別の専門医が病気の症状ごと に薬を処方しても、若いうちはあまり問題になり ませんが、複数の疾病を抱えた高齢者にとっては、 単純に薬が足し算で増えることになり、多剤併用 の問題が生じます。例えば、呼吸器内科から COPD という肺疾患に対するβ刺激薬が処方さ れているのに、循環器内科からは不整脈を予防す るβ遮断薬が処方されているなどといったケー ス。こっちで刺激して、あっちで抑えてという矛 盾した状況を生み出します。あるいは、複数の診 療科から別々に胃薬が出ていたりということも、 ありがちなケースです。 そうしたことを防ぐためにも、かかりつけ薬局 や「お薬手帳」の活用などが推進されているので すが、残念ながら、まだまだ徹底されていないの

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June Vol.27 No.3老健施設における薬剤の処方老健施設における薬剤の処方特

 前頁までに概論を記した全老健の平成27年度「介護老人保健施設における薬物治療の在り方に関する調査研究事業」では班長を務められた秋下雅弘氏。当該事業の調査結果を踏まえ、老年病科の専門医の立場から高齢者における薬剤処方についての見解をうかがった。

問題視されるポリファーマシー 診療報酬改定でも薬剤費削られる

 わが国における医療費に占める薬剤費の割合が非常に高いのは、医師のみならず、もはや一般的にも認識されているところです。平成26年度の厚生労働省の医療費データによると、医療費40兆円のうち、7.2兆円(18.0%)が薬剤費となっています。これはかなりの額であり、案の定というか、平成28年度の診療報酬改定では特に薬剤費が減らされました。 ちなみに、老健施設ではどのくらい薬剤費がかかっているかというと、利用者1人当たり1か月3,360円です(平成24年度「介護老人保健施設における在宅復帰・在宅療養支援を支える医療のあり方に関する調査研究事業」報告書より)。これはあくまでも中央値で、高い人になると4万円以上もかかっており、やはりかなりの額の薬剤費が支払われているといえるでしょう。 薬剤費が高いということは、当然ながら、1人に対して多くの薬剤が処方されているということであり、近年、このポリファーマシー(多剤処

インタビュー①

高齢者における薬剤処方 老健施設が果たす役割

秋下雅弘 氏東京大学医学部附属病院老年病科教授

方)が問題視されています。薬剤には、どうしても治療効果以外の副作用があり、服用する薬剤の種類が増えると、それに比例して副作用の頻度が高まります。我々が行った調査でも、服用する薬剤が6種類以上になると、明らかに副作用が増えるということがわかっています。 なぜ副作用が増えるかというと、単純にそれぞれの薬のもつ副作用のリスクが重複するということが1つ。特に、高齢者によくみられる薬の副作用は、転倒と認知機能の低下です。そもそも高齢になり身体機能が低下すると転倒のリスクは増えるものですが、複数の薬の副作用でそのリスクがより高まることが懸念されます。 もう1つは相互作用。飲み合わせが悪いとされる併用禁忌の薬については、ある程度はわかっているものもありますが、薬を数種類、場合によっては十数種類服用することになると、なかには想像もしなかった作用が引き起こされることがあります。A薬とB薬の組み合わせでは特に問題がなくとも、そこにC薬やD薬が加わったときにどうなるかは予測できないというわけです。 また、服用する薬が多いと管理も大変になります。在宅では、飲み忘れなどにより大量の残薬が生じ、年に数百億円もの薬が無駄になっているという報告もあるほどです。せっかくよい薬が処方されても、きちんと服用されずに期待される薬効が発揮されていないとなると、意味がありません。このように、ポリファーマシーによって、医療の

質を落とし、医療コストをいたずらに上げてしまうことになる。患者のためにも、国の財政的にもよくないことであり、そこを見直していこうというのは、当然の流れであるといえます。 そうした背景もあり、今回の診療報酬改定では「薬剤総合評価調整加算」が新設され、6種類以上の内服薬処方を総合的に評価した上で調整し、最終的に2種類以上減らした場合、250点の加算がつくこととなりました。これは、加算というインセンティブをつけることで、医師に減薬に対する意識を高めてもらう狙いもあるでしょう。

老健施設の管理医師の 6割が 利用者の薬剤処方を見直している

 そんな流れのなか、老健施設の管理医師は、利用者の服用薬剤の減薬に大いに貢献しているといえます。 そもそも老健施設では、利用者の薬剤費は施設サービス費に包括され別途算定はできないため、施設経営上、薬剤費はできるだけ抑えたいという事情があります。ただし、そうはいっても、減薬は慎重に行わなければならず、その判断は難しいところです。 今回の調査研究の結果からは、「老健施設の管理医師の3分の2は、入所時に利用者の薬剤処方を見直し減薬を行っている」ということが明らかとなりました。減薬の理由も、約6割がきちんと医学的な根拠のもとに判断しており、老健施設における薬剤処方に、管理医師は誠実に関わっているということが読み取れます。 具体的には、まず入所後1か月の時点で、平均して1人につき約1剤(5.89剤→5.05剤)、服用薬剤数を減らしています。その後、入所から2か月が経つと、5.05剤が5.35剤と少し戻りますが、これは、いったん減らしてみたけれども、その後、様子を見て、やはり必要だと思ったものは再び処方しているということを意味します。つまり、減

らしっぱなしではなく、きちんと利用者の状態像の変化を観察しておられるということです。これは非常に重要なことです。 そもそも、なぜポリファーマシーになるのかというと、日本の医療が臓器別に疾患を診るという仕組みになっていて、いわば「足し算医療」であるからです。各臓器別の専門医が病気の症状ごとに薬を処方しても、若いうちはあまり問題になりませんが、複数の疾病を抱えた高齢者にとっては、単純に薬が足し算で増えることになり、多剤併用の問題が生じます。例えば、呼吸器内科からCOPDという肺疾患に対するβ刺激薬が処方されているのに、循環器内科からは不整脈を予防するβ遮断薬が処方されているなどといったケース。こっちで刺激して、あっちで抑えてという矛盾した状況を生み出します。あるいは、複数の診療科から別々に胃薬が出ていたりということも、ありがちなケースです。 そうしたことを防ぐためにも、かかりつけ薬局や「お薬手帳」の活用などが推進されているのですが、残念ながら、まだまだ徹底されていないの

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June Vol.27 No.3老健施設における薬剤の処方老健施設における薬剤の処方特

が現状です。 老健施設に入所すると、入所時に病気と薬の情報が一元的に集まりますから、好ましくない処方があれば容易に気づくことができます。さらに、老健施設では、経営上の観点からも、できる限り服用薬剤は減らしたほうがいいわけですから、減薬するいい機会でもあります。管理医師が利用者の症状をみつつ、優先順位をつけて、処方のスクリーニングをするわけです。 現在、世界的に各疾患のガイドラインの見直しが行われており、特に高齢者に対する疾病管理がこれまでとは変わってきています。というのも、長寿社会になり、高齢者を「65歳以上」という一括りのまとめ方では対応しきれないということです。 なかでもADLが低下し、要介護認定を受けているような方の疾病管理については、若い人と同じではなく、少し緩めの基準でいいのではないかという考え方がだんだん主流となっています。それも、コストがかかるからとか、高齢だからといったネガティブな理由ではありません。むしろ、そのほうが高齢者自身にとってもよい効果を生むことが、さまざまな研究結果からも明らかとなってきたからです。老年病科の専門医としては、ようやく高齢者医療に対する社会の理解が追いついてきたように感じています。 したがって、老健施設の医師は当然、それら最新のガイドラインにも目を通し、自身が行う管理が適切かどうか、確認するとよいでしょう。特に糖尿病や高血圧は、食生活の改善だけでもかなりの改善がみられますので、それに薬が加わると、効きすぎて血糖値や血圧が一気に下がり、危険な状態になることもあります。この点は、気をつけて、危ないと思われる方は薬の量を微調整しつつ、数値をモニターする必要があります。 その他、施設では薬剤の服用管理もしっかりとなされますから、それまできちんと服用していな

かった方が施設入所と同時にすべての処方薬を服用し、薬が効きすぎる場合もあります。 なお、施設では服薬管理がしっかりとなされるといいましたが、実はこれは職員にとっても大変な負担です。1日3回、薬剤が多ければ多いほど、服薬管理の負担は増します。特に認知症の方などは、飲んだと思っても吐き出してしまったりすることもあり、きちんと飲み込むのを確認しなければなりませんから、それを見届けるのに要する労力や時間はかなりのものです。老健施設の利用者の薬剤管理には、単純に薬剤費の問題だけでなく、人件費もかかっているという視点も忘れてはいけません。 そうした観点から総合的にみて、入所時における薬剤処方の見直しは、非常に重要であるということです。

画期的な薬剤マッチングシステム 今後も調査研究を継続

 今回の調査では、そうした老健施設における薬物処方の実態が把握できたと同時に、もう1つ大きな成果がありました。 それは、薬剤名を照合する独自のマッチングシステムを作成したことです(10頁参照)。通常、処方せんに記載される薬剤名は、販売名と一般名の混在など、記入者の癖によってまちまちで、表記が統一されていません。よって、これまでは、調査をしても、調査票に記述された薬剤名を一つひとつ照合するという大変な手間を手作業でやらなければなりませんでした。それを、今回我々の研究班が、異なる表記の薬剤名でも94.7%の整合率でマッチングさせ1つに統合し、医薬品情報と照合するデータベースを構築しました。手前味噌になりますが、これは非常に画期的なプログラムです。これにより調査の効率が格段に上がり、今後の薬剤に関する調査研究に大いに役立つであろうと、かなり期待しています。

 今回は、そのデータベースの構築に時間を要したため、全体的な分析に留まりましたが、今後はこのデータベースを活用して、もう少し個別具体的な解析をしていきたいと考えています。例えば、いくつかの生活習慣病にターゲットを絞り、高血圧は食生活の改善で降圧薬がどの程度まで減薬できるのかなど、処方された薬剤の老健施設入所後の減薬/増薬の過程を追い、効用別分析も行いたい。 また、今回はあくまでも1人当たりの単価ベースでの分析でしたので、次回は投与数や用法による変化まで追い、薬剤の数量と掛け合わせた総額を出してみるのも興味深いと思います。そうなると、老健施設に入所することで薬剤の減薬ができ、コストをこれだけ節約できるということが明確な数字をもって示せますから、老健施設にとって社会的にも大きな提言材料となるでしょう。 いずれにせよ、本調査の延長戦ができるよう、今年度も継続して調査研究の申請をしているところです。

ジェネリックへの切り替え 適切に行われている

 最後に、ジェネリック医薬品についてですが、これはもう私の勤務する東大病院でも、病院経営上、「ジェネリックの採用をもっと増やすように」ということはいわれており、当然ながら老健施設においても先発品をジェネリックに変更することで薬剤費を抑えようという判断が、経営上検討されることでしょう。いまや医療全般で、このことは大きなテーマとなっています。 しかしながら、ジェネリックの使用については、是非があるところです。たとえ成分が同じであっても、吸収の効率など、先発品と全く同じというものはありません。必ずしもジェネリックのほうが効きにくいということではなく、逆に先発品よりも効きやすいものもあり、さまざまです。

 したがって、老健施設においても、積極的にどんどんジェネリックへ切り替えよとはいえません。様子をみつつ慎重に行うべきだと思いますが、今回の調査では、それがおおむね適切に行われているのだろうと読み取れました。 というのも、疾患別のジェネリック利用率では確かに1か月、2か月と追った結果、継続して増加傾向がみられますが、利用者1人当たりに換算した薬価をみると、入所時に326.9円だったのが、1 か月後には207.4円に減り、2 か月後には220.1円まで戻っているからです。 ジェネリックは単価が安いために薬価に直接影響しますから、もしジェネリックへの変更を加速度的に進めているのであれば、薬価が2か月後に1か月後よりも高くなるということは考えにくい。このことから、老健施設の管理医師は、安いからといたずらにジェネリックへ変更するのではなく、利用者の状態をみながら、なかには再び元の先発品に戻すケースもあるのだろうということが推測されます。 結論としては、ジェネリックへの変更は是非のあるところですが、老健施設のように薬剤費が包括された施設運営を強いられているという事情を加味するなら、この程度の変更は適正であり、許容範囲内であるということです。これで削減された分を、人件費等ケアの質向上のために優先的に回すというなら、今後も慎重に推進を検討していくべきなのでしょう。

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