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芥川龍之介の文学や思想について語るとき、従来「懐 「理智主義」などさまざまな術語が用いられているが、そ つに〈芸術至上主義〉があげられる。とりわけ、大正六年から 年頃にかけて発表された「戯作三昧」(『大阪毎日新聞』大6.m・別 ln.4)、「地獄変」(同前、大7.5.21型)、「沼地」(『新潮』 大8.5)といったいわゆる芥川の〈芸術家小説〉や、その時期の 芥川の芸術・文学観l芥川いわく「僕の信ずる所」lの表明 だとされる「芸術その他」(『新潮』大8.u)などを論じる場合に 用いられることが多い。はやくは同時代評lたとえば「芸術そ の他」発表の翌月に「今日までの所では、氏は矢張り、芸術至上主 義の信奉者の一人であることを自らも信じ他にも信ぜしめやうと してゐる」(宮島新三郎「本年度に於ける創作界総決算」『新小説』大8 .⑫)との評があるlから、最近の解説・論評lたとえば『芥 川龍之介事典』(明治書院、昭帥・妃)の「芸術至上主義」(久保田 芥川龍之介 I芸術的価値を 芳太郎氏)や「地獄変」(島田昭男氏)や「沼地」 項lに到るまで枚挙にいとまがないほどである。 〈芸術至上主義〉の概念は、多岐・多様であるが、おおむ 作品における芸術家たちの芸術完成へとひたすら精進してゆく なかでも娘を犠牲にし、「人間性」を喪失してまでも地獄変の 風を完成させる画家良秀の芸術家としての気塊、極めて鋭角的な 芸術的志向〔性〕、強固な芸術的信条といった面を指して用いられ ている。また、芥川の文学を一画する思想傾向を指して用いられ る場合には、「或阿呆の一生」(『改造』昭2.m)の「人生は一行 のポオドレエルにも若かない」(一時代)、「凄まじい空中の火花 だけは命と取り換へてもつかまへたかつた」(八火花)といった 叙述が引かれていることが多い。 しかし、研究史上一方にやはりはやくから、芥川〔文学〕に対し て〈芸術至上主義〔者〕〉という語をあてはめることに批判的な、 もしくは異議を唱える論考も数多くあることを見逃すわけにはい かない。論調としては、まったく否定するもの、いったんそう規 土ロ li'1 ||I 紀彦

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Page 1: Beyond Borders - - 芥川龍之介と芸術至上主義...川のそれと比較し、右の前提と論考との傍証としている。スの世紀末作家オスカー・ワイルドをとりあげ、その芸術観を芥さらに論歩を進めて「芸術至上主義の代表的作家」としてイギリと述べている。そして、その前提にたって「戯作三昧」を論じ、龍之介と芸術至上主義(その二)l

芥川龍之介の文学や思想について語るとき、従来「懐疑主義」

「理智主義」などさまざまな術語が用いられているが、そのひと

つに〈芸術至上主義〉があげられる。とりわけ、大正六年から八

年頃にかけて発表された「戯作三昧」(『大阪毎日新聞』大6.m・別

ln.4)、「地獄変」(同前、大7.5.21型)、「沼地」(『新潮』

大8.5)といったいわゆる芥川の〈芸術家小説〉や、その時期の

芥川の芸術・文学観l芥川いわく「僕の信ずる所」lの表明

だとされる「芸術その他」(『新潮』大8.u)などを論じる場合に

用いられることが多い。はやくは同時代評lたとえば「芸術そ

の他」発表の翌月に「今日までの所では、氏は矢張り、芸術至上主

義の信奉者の一人であることを自らも信じ他にも信ぜしめやうと

してゐる」(宮島新三郎「本年度に於ける創作界総決算」『新小説』大8

.⑫)との評があるlから、最近の解説・論評lたとえば『芥

川龍之介事典』(明治書院、昭帥・妃)の「芸術至上主義」(久保田

芥川龍之介と芸術至上主義

I芸術的価値をめぐってI

芳太郎氏)や「地獄変」(島田昭男氏)や「沼地」(三島讓氏)などの

項lに到るまで枚挙にいとまがないほどである。諸家の用いる

〈芸術至上主義〉の概念は、多岐・多様であるが、おおむね前記

作品における芸術家たちの芸術完成へとひたすら精進してゆく姿、

なかでも娘を犠牲にし、「人間性」を喪失してまでも地獄変の屏

風を完成させる画家良秀の芸術家としての気塊、極めて鋭角的な

芸術的志向〔性〕、強固な芸術的信条といった面を指して用いられ

ている。また、芥川の文学を一画する思想傾向を指して用いられ

る場合には、「或阿呆の一生」(『改造』昭2.m)の「人生は一行

のポオドレエルにも若かない」(一時代)、「凄まじい空中の火花

だけは命と取り換へてもつかまへたかつた」(八火花)といった

叙述が引かれていることが多い。

しかし、研究史上一方にやはりはやくから、芥川〔文学〕に対し

て〈芸術至上主義〔者〕〉という語をあてはめることに批判的な、

もしくは異議を唱える論考も数多くあることを見逃すわけにはい

かない。論調としては、まったく否定するもの、いったんそう規

土ロ

li'1

||I

紀彦

Page 2: Beyond Borders - - 芥川龍之介と芸術至上主義...川のそれと比較し、右の前提と論考との傍証としている。スの世紀末作家オスカー・ワイルドをとりあげ、その芸術観を芥さらに論歩を進めて「芸術至上主義の代表的作家」としてイギリと述べている。そして、その前提にたって「戯作三昧」を論じ、龍之介と芸術至上主義(その二)l

定しながら芥川〔文学〕の側にこの概念をはみだす要素を指摘す

、、、、、

るもの、〈芥川〔文学〕の芸術至上主義〉と限定して用いるものな

どさまざまだが、論点はいくつかに絞ることができる。

まず、〈芸術家小説〉の文脈に、前述の芸術的志向・芸術的信条な

どの要素を否定する、もしくはそれらと相容れない要素を読みと

る論考がある。「地獄変」に関しては、はやくに宮本顕治氏が良秀の

縊死に作者芥川の「ヒューマンな半面」をみてとり、「芸術上の至上

主義者とは成り得なかった」(「敗北の文学l芥川龍之介氏の文学に

ついて」『改造』昭4.8)と述べている。また「戯作三味」につい

ては、終章の「茶の間」の情景に馬琴の境地を否定・相対化する

意味を読みとる論考などがある。要するに、芥川の芸術的志向

〔性〕・芸術的信条を破綻したもの、矛盾態としてとらえているの

である。

吉田精一氏は宮本氏と同様、良秀の死に倫理性を看取しながら

も、それを芥川の「倫理的誠実」(『芥川龍之介』三省堂、昭Ⅳ・皿、脇

頁)だとむしろやや肯定的にとらえている。また、和田繁二郎氏は

「戯作三昧」に「俗悪なるものへの否定と反抗」を読みとり、そ

れゆえ「単なる芸術至上主義として徒らに否定的な処理をなすべ

きではない」(「戯作三昧」『立命館文学』粥号、昭鴻・7)と論じてい

る。両氏の論考の系譜に共通しているのは、「芸術至上主義」とし

て谷崎潤一郎らに代表される「耽美主義」(和田氏は明示していな

いが)を措定し、芥川は倫理性・反俗性といった点でそれとは一

線を画するという評価軸をとっていることである・・それを芥川文

芥川龍之介と芸術至上主義

学全体に一貫させるのが駒尺喜美氏である。氏は、

芥川の芸術至上は、耽美主義とも芸術のための芸術とも遠く

へだたっていた(中略)芥川は英雄として芸術の道をえらんだ

(中略)芥川の芸術至上が耽美主義にも享楽主義にもならない

で、きびしいもの、一種の倫理性のようなものを感じさせるの

は、このことに由来している(中略)芥川の芸術至上とは、人

生いかに生きるかという自己設問のもとに、直接みちびきださ

れた(中略)芸術観であると同時に人生観で(中略)芸術の花

園にねそべっている堕落した芸術至上なのではなかった(『芥川

龍之介の世界』法政入学出版局、昭妃・4、柵!〃、川頁)、

と論定している。

次に、芥川自身の〈芸術至上主義〉に関する言説が論点とされて

いる。すなわち、芥川はこの術語の概念をどうとらえまた評価し、

自らを〈芸術至上主義者〉とみなしていたかどうかである。久保田

正文氏(『芥川龍之介読本』河出書房、昭訓.⑫)や佐古純一郎氏(『芥

川龍之介における芸術の運命」一古堂、昭弧・4)の指摘もあるが、詳

しくは駒尺氏が前引の叙述に続けて芥川の文章を十篇ほど引用し《

「どの時期をとってみても、いわゆる芸術のための芸術という至

上主義者ではなかった(中略)文学を功利的価値からのみ評価す

ること(中略)思想やイデオロギーそのものに還元してしまうこ

とはまったく反対であったが、(中略)どんなに芸術を至上におい

ていようともlそれゆえにこそ人間現実の場にたえず立ち帰ら

ざるをえなかった」(前掲書叩頁)と述べている。さらにその延長

Page 3: Beyond Borders - - 芥川龍之介と芸術至上主義...川のそれと比較し、右の前提と論考との傍証としている。スの世紀末作家オスカー・ワイルドをとりあげ、その芸術観を芥さらに論歩を進めて「芸術至上主義の代表的作家」としてイギリと述べている。そして、その前提にたって「戯作三昧」を論じ、龍之介と芸術至上主義(その二)l

線上で、海老井英次氏が「芥川の生涯にわたる芸術至上主義につ

いての言及のほとんどが、それに対しての否定の表明であるか皮

肉に限られている」(「芸術への覚醒l芥川龍之介と芸術至上主義

目l」『大分工專研究報告』8号、昭蛉.u)、「芸術への覚醒の時

期(大正三年秋)から、常にいわゆる「芸術のための芸術』を否定

しており、それを芥川の芸術観の特色の一つとして数えあげてよ

い(中略)芥川を芸術至上主義者と規定するとすれば、「芸術のた

めの芸術』を否認する芸術至上主義者という矛盾的な関係の説明

を不可欠としている」(「愚作三昧』における芸術と『人生』I芥川

龍之介と芸術至上主義(その二)l」『近代文学研究』2号、昭娼。u)

と述べている。そして、その前提にたって「戯作三昧」を論じ、

さらに論歩を進めて「芸術至上主義の代表的作家」としてイギリ

スの世紀末作家オスカー・ワイルドをとりあげ、その芸術観を芥

川のそれと比較し、右の前提と論考との傍証としている。

筆者なりにまとめるなら、論点として、H〈芸術家小説〉の解

釈、目芥川自身の〈芸術至上主義〉に関する言説や、位置のとり方

の把捉、それらをふくむが、目芥川の芸術・文学観の内実の把捉、

さらに以上をふまえて、口一般に「芸術至上主義者」「耽美主義

者」とよばれる作家の芸術・文学観との比較、というおおまかに

分ければ四つの段階・契機が考えられる。しかし、前述したよう

に、こうした論考とは没交渉に〈芸術至上主義〉というレッテル

が貼られているのが現状であり、芥川〔文学〕と〈芸術至上主義〉

との関係、位相についての論究は、一筋縄では行かない、いわば

その混迷の原因の一半は〈芸術至上主義〉という語にある。つま

り、「芸術のための芸術」「耽美主義」などの語と同様、歴史社会

的背景をもつある特定の芸術・文芸思潮を指す概念として用いら

れている一方で、前述したように、芸術家の鋭角的な芸術的志向、

強固な芸術的信条、あるいは芸術を(人生において)絶対的なもの、

至上のものとする立場といったような、暖昧な漠然とした意味で

用いられているためである。むろん、言葉というのはある程度ま

で便宜的なものであり、用法の厳密さにあまり喰い下がりすぎる

と、術語によって定義される対象そのものをとらえ損なう危険が

ある。この術語の因習的用法の暖昧さを批判してもあまり意味の

あることではない。ただ、芥川ははやく(二十歳頃)にゴーティェ、

ボードレール、ワイルドといったいわゆる世紀末作家の作舶にふ

れており、後年「僕も亦千八百九十年代の芸術的雰囲気の中に人と

なった。かう云ふ少時の影響は容易に脱却出来るものではない」

(「萩原朔太郎君」『近代風景』昭2.1)などとも述べている。また、

ある程度歴史社会的に意味限定して「芸術至上主義」と芥川〔文学〕

との関係をあつかっている論考がある以上、向後、研究を厳密に

進めるためには、この術語の本源的・基本的概念をふまえておくこ

混迷した事態に直面しているといえよう。当然、こうした事態は

芥川文学の理解においても、また文学史(広い意味での)的位置づ

けにおいても好ましいものだとはいえない。

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とは必須だと考えられる。

管見によれば覇.「芸術至上主義」とはフランスの哲学者ヴィクト

ル・クーザンの『両世界評論』(’八四五年)における《《冨耳冒日

厨風・〉(芸術のための芸術)の邦訳であり、、ゞ匠風宮自己の噂〕(人生

のための芸術・人生至上主義)と対立する。文学史上は、フランス、

イギリスを中心に起こったボードレール、ワイルドらに代表され

る西欧十九世紀末の文芸思潮、またはその中心理念を指す。テオ

フィル.ゴーティェの小説『モーパン嬢』の序文(’八三四年)がそ

の運動の発足宣言だとされており、その一節には「真に美しいも

。⑤

のは、何の役にも立てないものばかりだ」とある。また、ワイル

ドの『ドリアン・グレイの肖像』(一八九一年)の序文には「道徳

的な書物とか非道徳的な書物といったものは存在しない。書物は

巧みに書かれているか、巧みに書かれていないか、そのどちらか

である。(中略)すべて芸術はまったく無用である」とある。つま

り芸術はなにかそれ以外の目的性をもったり、他の目的達成の手

段として存在するのではなく、それ自身のためにのみ存在すると

いう芸術の実利・功利性否定の主張である。

また、「芸術至上主義」を理論的に完成させたといわれるドイ

ツの社会学者ゲオルク・ジンメルは、この概念を広義には次のよ

うに理解できるとしている。

:それ自身が完全に芸術の領野に存しないものは、原則として

ことごとく、芸術作品の本質ならびに価値に対するあらゆる意

義から排除した(中略)芸術と、学術的および倫理的、宗教的お

芥川龍之介と芸術至上主義

よび感覚的な諸価値との不純な融合を解き放した(中略)一種の

美的厳粛主義にほかならない。(「芸術のための芸術」一九一四年稿

『芸術哲学論文集』一九二二年所収)。

他方、高橋義孝氏は「芸術至上主義的な」「芸術・文学観」の成

立過程を論じた『近代芸術観の成立』(新潮社、昭如・皿)において

「芸術を人生その他、要するに芸術作品の外部にある一切の現実

と絶縁した一箇の内在的存在、すなわち、あらゆる目的論とは縁

もゆかりもない一箇の異質の現実と観る立場」の「辿りついた最

後の地点を意味する」と述べている。

、、

筆者なりにまとめると、作品に照準するなら、芸術作品は芸術

固有の内在的価値をもっており、芸術以外のあらゆる外在的価値

、、、

領域から自立・独立して存在するということになる。芸術家はあ

、、、

くまで「美なるものの創造者」(ワイルド前掲書)であり、芸術活

、動に照準するなら、あらゆる目的論と「絶縁」する以上それは、

無目的化もしくは自己目的化される。

ついで、「耽美主義」について見てみると、橋本芳一郎氏は、

ヨーロッパ語のシ①い昏興旨の呂○巳(英)両8]①亀①、吾畔①(仏)

などの訳語として、明治以来用いられた審美主義、尚美主義、

唯美主義、耽美主義などの文芸を、図式的にみると、文学観と

、しては「芸術のための芸術」(中略)の思想、人生観としては

快(享)楽主義(国営。且の日〕西の合昌砂昌ゞ同冒2国“目の)の、二

本の足の上に立っていると見ることができる(「耽美派作家と思想

l特に荷風と潤一郎についてl」『国文学』8巻喝号、昭犯・叩)

三五

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といい、やはりゴーティェ、ボードレール、ワイルドらの名をあげ、

それが「明治三十年代から上田敏をはじめとしての紹介があって、

(中略)やがて永井荷風と谷崎潤一郎の耽美派の二大小説家の出発

となった」としている。橋本氏も断っているように、これもあく

までコ般的な図式化」にすぎないが、一応は「芸術至上主義」を包

含し、「人生観」にまでわたる混成的な概念だと考えられる。芸術

の領域から他の諸価値・目的性を排除する主張と、芸術家の態度、

「人生観」の反社会・反道徳的傾向とは不可分の関係にあるし、

心情的、ムード的な側面としては「デカダン乙(衰滅する主体の自

己肯定)ともつうじる。また、そうした「芸術観」「人生観」と感

覚的快楽主義とも密接な関係にある。当然それは作品の質、文章

表現、題材選択などにも反映する。前述した芥川と「芸術至上主

義」とを倫理性などで峻別する論考において、分水嶺とされてい

るのはこうした「人生観」の側面である。つまりその場合「芸術

至上主義」は「耽美主義」と同義に用いられているのである。

「芸術至上主義」「耽美主義」の側に即せぱ、⑩芸術観l芸術

的価値の自立・独立、功利的目的性の排除、②作品の創作原理や

質、技巧、文体、題材選択、あるいは鑑賞論など、⑧人生観l

快〔享〕楽主義、などが比較の論点になると考えられる。してみ

ると、「人生観」(倫理性)の面でだけ差異を示したり、芥川の「芸

術至上主義」に関する言説を無差別に混渚し、一括してしまって

いては、芥川が「芸術至上主義」から遠く隔っているとは断定で

きない。

一二一ハ

以下、芥川〔文学〕と「芸術至上主義」との関係・位相の具体

的解明へのひとつの足掛かりとして、⑪を中心に芥川の言説をワ

ィルドのそれと対比させながら考察し、あわせて芸術・文学の価

値という視座から芥川の芸術・文学観の変遷を跡付けてみたい。

大正五年頃の執筆だと推定されている未定稿の「東洲斎写楽」

という二百字原稿用紙にして十七’八枚ほどの文章に、「画その物

の価値」と「歴史的乃至文学的の連想」とは「少くとも、理論上、

没交渉なる可き筈だ」という叙述がある。述べられているのは「浮

世絵」についてであり、「文学」についてではないが、この時期芥

川が理論的には、ジンメルの「美的厳粛主義」と言った「芸術至上

主義」に近いところにいたことが窺える。それから一年後、芥川

は〈芸術家小説〉を書きはじめ、自らの当為としての芸術家像を構

築してゆく。付言しておくと、芥川は戯作者馬琴を「芸術家」と

記し、「芸術その他」では「偉大な芸術家」としてゲーテをあげて

いる。つまり、「芸術」という場合もつねに「文学」を念頭におい

ているのである。「文学」と「芸術」とを特に弁別していないこと

を、ここでは芥川の認識の特徴のひとつとして留意しておきたい。

さて、その〈芸術家小説〉第一作「戯作三昧」執筆中、アンケ

ートに答えて芥川は、

書きたいから言いてゐます。原稿料の為に言いてゐない如く、

天下の蒼生の為にも書いてゐません。(中略)私の頭の中に何か

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混沌たるものがあって、それがはっきりした形をとりたがるの

です。(中略)それは又、はっきりした形をとる事それ自身の中に

目的を持ってゐるのです。(中略)或はその中に、人道的と云ふ

形容詞を冠らせられるやうなものも交ってゐるかも知れません。

が、それはどこまでも間接な要求です。(「はっきりした形をとる

為めに1余は如何なる要求に依り、如何なる態度に於いて創作をな

す乎l」『新潮』大6・皿)

と述べている。芸術創造を「思想とも情緒ともつかない」「混沌た

るもの」の有形化・実現だとし、芸術活動の功利性を除外する、

あるいは間接的なものとしているわけで、こうした文章を見る限

り、「芸術的価値観」として「芸術至上主義」と芥川との経庭はほ

とんどない。‐

その後、大正七年末から八年にわたり、芥川は自ら「芸術家と

しての死」に「瀕してゐた」(「芸術その他」)というように「自動

作用」lマンネリズムに陥る。「芸術その他」には、そうした状

態からの脱却、自己鞭燵の意図がこめられている。

芥川が芸術の価値・目的という側面で最初に「芸術至上主義

(芸術のための芸術)」にふれるのは、その「芸術その他」における

「芸術の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術遊戯説に堕ちる」とい

う叙述であろう。「芸術至上主義」の根本理念である芸術的価値の

自立・独立の主張と連繋する芸術活動の自己目的化の陥りがちな

危険について述べており、芥川を芸術至上主義者ではないとみな

す論拠にされている文章のひとつである。しかし、芥川はならべ

芥川龍之介と芸術至上主義

て「人生の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術功利説に堕ちる」とも

述べており、あわせて反極にある「人生のための芸術」が芸術を

「手段」とする「功利説」に陥りやすいという危険性を指摘して

もいる。相容れず矛盾するふたつの芸術観の堕しやすい陥穿を視

野におさめていたということは、どちらでもない、あるいは両者

を止揚した芸術観をもっていなければならない。芥川は、はたし

てそのような芸術観を獲得しえたか。このことは、芸術の価値・

目的という側面で芥川と「芸術至上主義」との脈絡と差異、位相

関係を把握するうえで重要なポイントになると考えられる。

「芸術その他」にもどると次のようにある。

芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。(中略)たと

ひ人道的感激にしても、それだけを求めるなら、単に説教を聞

く事からも得られる筈だ。芸術に奉仕する以上僕等の作品の与

へるものは、何よりもまづ芸術的感激でなければならぬ。

、、

「それだけを」といういい方を裏返せば、芸術作品に「人道的感

激」を求めてはならないとまでいいきってはいないのだが、「何よ

りも」といういい方でそうした他の「感激」とは概念上分節化して、

「芸術的感激」を最優先し、芸術家の使命・芸術活動の目的を作

品完成のみにおいている。また、翌大正九年七月十五日には南部

修太郎が「南京の基督」(『中央公論』大9.7)を評したのに対し、

エクスタシイ

君はあの作品に芸術的陶酔(君の言葉を借りる)を感じな

がら君の心にアッピイルする何物かがないと云ってゐる芸術品

が君に与へるものは何故芸術的陶酔のみではならないか君の心

三七

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にアッピイルする何物かとは如何なる摩訶不可思議なものか

と書簡で反駁している。「何よりも芸術的感激」、「芸術的陶酔の

み」と表現は異るが、「画その物の価値」をいう大正五年頃の芸術

観とほとんど変わっていない。「芸術その他」では「芸術家の精

進」の必要を説き、確かに「遊戯説」とは挟巻分かつ姿勢が窺え

るが、いまだ「芸術至上主義」に近接したところにいるといえる。

芥川の言説において「芸術的価値」が明示され、「芸術至上主義」

との差異が示されるのはそれ以降である。

そのひとつのきっかけとなったのは、大正十一年に菊池寛と里

見諄との間に交されたいわゆる「内容的価値論争」だと考えられ

る。芥川は「芸術即表現説崗(「或悪傾向を排す」『中外』大7.,)

や、「内容」と「形式」との「不即不離」(「芸術その他」)説などは

すでに持説として屡述していたが、それ以後そこに「価値」の問

題が絡んでくる。

先に論争について略述しておく。菊池が「表現」以前、「芸術

的価値」以外の「生活的」「道徳的思想的価値」を「内容的価値」

とし、「芸術が人生に対して、価値があるかどうかは、一にその作

品の内容的価値、生活的価値に依って定まる」としたのに対し、

里見は「内容即表現」の立場から、菊池の説は「内容」と「表現」

との「二元的考察」だと批判した。菊池は自分の「内容的価値」

、、、

は芸術・文学の「内容」ではなく、外在的な「功利的」「題材的

価値」だと言い足し、「私は芸術丈けで満足してゐる人を羨ましく

思ふ」、|‐芸術的感銘」だけでは物足りない、と不満をもらす調子

になり一応論争は終った。

芥川はこの論戦をふまえて次のように書き記している。

芸術は表現である(中略)それならば表現のある所には芸術的

な何ものかもある筈ではないか?/芸術はその使命を果たす為

には哲学をも宗教をも要せぬであらう。しかし表現の伴ふ限り、

哲学や宗教は知らず識らず芸術的な何ものかに槌るのである。

(中略)芸術的な何ものかは救世堀の淡説にもあり得る。共産主

義者のプロパガンダにもあり得る。(中略)他にあり得ると云ふ

ことは必しも芸術の本質と矛盾しない。わが友菊池寛の内容的

価値を求めるのは(中略)自然な要求である。しかしその内容的

価値を芸術的価値の外にありとするのには不賛成の意を表せざ

るを得ない。(中略)菊池寛は余りに内気であり、余りに芸術至

上主義者である。(未発表草稿「〔アフォリズム〕」大哩l皿頃稿「所

謂内容的価値己。

大正十一年十一月十八日の講演(「文芸雑感」学習院特別邦語大会に

て)でもほぼ同じ見解を展開しているが、要するに、「芸術」の範唯

を「表現のある所」あるいは「如何なる題材でも、如何なる考へ方で

も抱容したもの」(「文芸雑感」)にまで拡大する「表現即芸術論」に

よって、菊池の論や「芸術至上主義」における「芸術的価値」の狭

院さを批判し超克しようとしたのである。「文芸は俗に思はるる

程、政治と縁なきものにあらず。寧ろ文芸の特色は政治にも縁の

あり得るところに存在すとも云ふを得くし」(「『改造』プロレタリ

ア文芸の可否を問ふ」『改造』大皿・2)という叙述もそういう条件下

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で理解すべきであろう。「芸術至上主義者は政治的理由を待って

後、文明を後代に伝ふるは恥辱なりと云ふなるべし。僕はこの種

の芸術至上主義者に尊敬と好意とを有する」とも述べ、功利性は

あくまで否定しているのである。それは、同じ頃の「内容と形式」

(未発表草稿・大廻?)という文学論の覚え書きのようなものによ

り明らかである。AIDの大きな章分けがあり、その「,価値

論(。昌冒の)」の「3内容の価値」の項に

③詞①厨ざ5〕冒胃旨里、のざ.の価値ヲ除ク。(中略)即

シ昌昌。弓①風.(中略)⑪予ハコノ点房風宮屋こ)陣風なり。

(中略)⑥文芸殊に小説戯曲は人間生活の表現なり。それだけ

一つの作品の目昌島乏.(内容の価値l筆者注)を構成するも

のも8日己の×なり。(中略)善悪喜怒、門①]瞳○口の】冒胃月旦.

の言.の思想の一切を盛る。目【の日①且○口の崖の一眩ぜんとす。又

翻って小説戯曲の傑作を見るに然り。この前には自民○門瞥房

い烏①は消滅す。予は肖民○儲閏辞め鼻①の論者ならず(「内容

の価値(菊池氏ノナラズ)」との但し書きがあるl筆者注)

とある。これは、文学の「内容の価値」を政治的宗教的価値など

ではなく「芸術的価値」だとする点で自分は「芸術至上主義」だ

といえるが、文学作品における「内容の価値」の構成要素にはあ

らゆる思想が盛られうると考える点で違う、と解釈できる。

芥川ははじめ価値論的には、「芸術至上主義」とほとんど差異の

ないところから出発したが、ようやくこの時期に、芸術の功利性を

否定し、「芸術的価値」の尊厳を確保しつつ、「芸術至上主義」の

芥川龍之介と芸術至上主義

I

ⅢノゴⅢ〃ズム

厳粛主義的閉鎖性・硬直性を克服する方途を探しあて、示しえた

と一応はいえるだろう。しかし、この芥川の捻出した「芸術的価

値」観は論理的にも、芥川の経験的文学観や実作との相関性など

の面でもアポリアを包蔵し、後の「『話』らしい話のない小説」論

などは一面ここに胚胎したという見方もできると考えられる。

大正十三年九月から翌年五月まで五回に分けて「文芸講座』

(文芸春秋社編・発行)に掲載された「文芸一般論」は、芥川の理

論的文学論のいわばひとつの到達点である。「文芸」を「言語或は

文字を表現の手段にする或一つの芸術である」と定義したうえで、

「芸術その他」以来の、「内容」11「言語の意味と言語の音との

一になった全体」と「形式」l「作品を組み立ててゐる幾つか

の言葉の並べかた」「作品を支配する」「内容に形を与へる或構成

上の原則」とは「不即不離」だという持論を前提に、「文芸の内容

の複雑であること」、「文芸に多種多様の内容のあり得ること」な

どについて論じている。

さて、その五回目にあたる「余論」(大皿・5)で芥川は「文芸

上の作品の持ってゐる思想」の問題をとりあげ、次のように述べ

ている。或

作品の持ってゐる或思想の哲学的価値は必ずしもその作品

の文芸的価値と同じものではありません(中略)或作品の認識的

要素はたとひどんなに平凡でも、その作品の文芸的価値まで平

三九

Page 9: Beyond Borders - - 芥川龍之介と芸術至上主義...川のそれと比較し、右の前提と論考との傍証としている。スの世紀末作家オスカー・ワイルドをとりあげ、その芸術観を芥さらに論歩を進めて「芸術至上主義の代表的作家」としてイギリと述べている。そして、その前提にたって「戯作三昧」を論じ、龍之介と芸術至上主義(その二)l

凡になるかどうかは疑問であります。(中略)文芸上の問題にな

るのはどう言ふ思想を持ってゐるかと言ふよりも如何にその思

想を表現してゐるかと言ふこと、l即ち文芸全体としてどう

言ふ感銘を生ずるかと言ふことであります。

そして、イブセンの「人形の家」が思想の新しさを失ったために、

前に過度に褒められた反動で逆にけなされるようになったという

例をあげ、

しかしあのノラの悲劇の中に生命の火の燃えてゐる以上、

「人形の家」の文芸的価値はおのづから世界の文芸の天に一星座

を占めることになる(中略)或作品が古典になるとか或は古典的

価値を得るとか言ふのはつまりこの一星座を占めること、l

その作品の文芸的価値だけが正当に認められると言ふことであ

ります。

と断じている。前述した芥川の認識から判断して、ここで言う「文

芸的価値」はこれまでの「芸術的価値」と同義と考えてさしつか

えない。芥川は「三内容」(大皿i、4)において「文芸的内容」

を「認識的要素」と「情緒的要素」とに分け、右の中略した箇所で、

「思想」とは前者の進化したもので「思想の哲学的価値」は「あ

らゆる認識的要素と同じやうに作品の文芸的価値を支配する」と

いっているのだが、右の叙述にその「支配」のメカニズムが入り

こむ余地はない。「思想と名のついたものは盛ることの出来ぬ文

芸もある(中略)たとえば杼情詩」とも述べており、むしろ、「哲学

的価値」を「文芸的価値」の正当な把捉を妨げるものであるかの

四○

ように語っているのである。「〔アフォリズム〕」や「文芸雑感」

で芥川は「芸術至上主義」を批判し、「芸術的価値」または、「文

芸」の「内容の価値」はあらゆる「思想」を盛るという独自の価

値論を呈示した。しかし、その場合の「思想」とは「文芸的価値」

総体の価値的構成要素としてとらえられているのではなく、表現

される「題材」、すなわち「支配する」どころか、「表現」に対して

いわば従属的補助的な次元でしかとらえられていなかったのであ

る(ここには「思想」が功利性に結びつくということに対する異常なまで

の危倶がある)。

ところで、ワイルドは前出の文章で「人間の道徳生活が芸術家

の扱う主題の一部を形成してはいる、が、芸術の道徳は、不完全

な媒体を完全な方法によって処理することにこそ存する。(中略)

芸術家はあらゆることを表現しうるのだ。思想も言語も芸術家に

とっては芸術の道具にほかならぬ。善も悪も芸術家にとっては素

、、

、、、、、

材にすぎぬ」と述べている。芥川は作品、ワイルドは芸術家の表

、、、

現活動の次元で語っているのだが、思想が芸術(「文芸」)の価値と

はならないとする点でまったく変わらない。芸術(文学)の価値と

いう面で、芥川は結局「芸術至上主義」の圏域を脱することはで

きなかったのではないか。

そう断定してしまう前に、芥川のいう「芸術的価値」Ⅱ「文芸的

価値」の内実をもう少し明確にしておくことにする。「文芸一般

論」では、芥川ははじめに「文芸を文芸たらしめるもの」lい‐

わば「文芸的価値」の根源lは「人間にたとへれば」「魂のやう

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に、容易に捕捉出来ぬ」ものであり、「都合上まづ肉体たる言語或

は文字」を考えると断っており、明瞭には述べていない。「余論」

で「普通の小説」と「通俗小説」との違いは「文芸か文芸でない

かの問題よりも文芸的価値が多いか少いかの問題」だとしながら、

「通俗小説として書かれたものは必ず文芸的価値に乏しいとも決

定することは出来ぬ」といい、前記のように「如何にその思想を

表現してゐるかと言ふこと」「文芸全体としてどう言ふ感銘を生

ずるかと言ふこと」、「生命の火の燃えてゐる」ことなどの漠然と

した説明しかしてはいない。また論全体を分析すると、芥川は「文

芸的内容」を「哲学」と「純情緒芸術」(音楽など)とにはさまれ

た言語を手段とする表現の全領域と規定し、ジャンルや作家や時

代などによって文学作品における「認識」と「情緒」との二要素

のバランスは変わりうるのであって、主義主張で「狭い区別を文

芸の上に画する」べきでなく、すべてを「文芸」として認めると

いう立場をとっている。しかし、その「内容」は、〈素材(純粋に

言語学的に理解された言語)〉と、純粋に抽象化した享受者の心理

作用あるいは心的状態(認識と情緒)とを接合したレヴェルで、「形

式」の方は〈構成〉のレヴェルでしかとらえておらず、作品の〈美

的客体〉としてのレヴェルをとらえきれていないために、論理的

には「技巧」l芥川のいう「形式」を「内容」にあたえる手練

、、

lの巧拙(技術的評価)以外に価値基準をもちこめない構造にな

っているのである。「思想的哲学的価値」は「認識的要素」つまり

「内容」l先の比嶮でいえば「肉体」の側に還元されてしまう

芥川龍之介と芸術至上主義

ために、「魂」の側の「文芸的価値」にはくみこめない。したがっ

て、論理的にも「思想」とは別次元に「文芸的価値」を求めざる

をえない。また、上述のような立場をとる以上、芥川個人の経験

的価値観にねざす作品の良し悪しの基準も、「思想的哲学的価値」

とは論理上別の地平における問題となる。

さて、筆者は前節の終りに芥川の「「話』らしい話のない小説」

論が、一面その「芸術的価値」観に胚胎していると述べた。論の

成立や内実や歴史社会的、文学史的背景、谷崎との「小説の筋論

争」の詳細などにたちいる余裕はないので、本稿の論旨に沿って

簡略に述べておく。

「文芸雑談」(『文芸春秋』昭2i)や「文芸的な、余りに文芸的

な」(「改造』昭2.418)にみられる「詩的精神」という語は、

上来「芸術的価値」Ⅱ「文芸的価値」の根源あるいは準拠といった

意味で「文芸を文芸たらしめるもの」、「生命」などの表現で語ら

イデー

れていた内容を、芥川なりに理念化・自存化したものだと考えら

れる。次のような叙述がある。

どう云ふ思想も文芸上の作品の中に盛られる以上、必ずこの

詩的精神の浄火を通って来なければならぬ。僕の言ふのはその

浄火を如何に燃え立たせるかと云ふことである。(中略)その浄

火の熱の高低は直ちに或作品の価値の高低を定めるのである。

(「文芸的な、余りに文芸的な」十二詩的精神)

僕は小説や戯曲の中にどの位純粋な芸術家の面目のあるかを

見ようとするのである。(同二十九再び谷崎潤一郎氏に答ふ)

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すなわち、芥川の「芸術的価値」Ⅱ「文芸的価値」の基準、視

点をかえれば、芥川の経験にねざす文学作品の良し悪しの基準は、

作品に看取される「純粋な芸術家の面目」の有無というところに

あったことがわかる。「思想」も、そしてかつてくりかえしその必

要を説いた「技巧」もいまや第二義的なものとされる。芥川の

いう「技巧」とは「内容」に「形式」をあたえる手練、すなわち

〈構成技術〉であった。「「話」らしい話」「話の筋」、すなわち〈構

成〉が必ずしも「芸術的価値」Ⅱ「文芸的価値」を決定しないと

いう主張は、「技巧」すなわち〈構成技術〉の錬磨の必要をくりか

えし説き、その主張に沿って創作してきたそれまでの自分の方法

論に対する反省に起因するものである。「詩的精神」の強調には

以上のような意味がある。

芥川の文学観・方法論の変質は私小説・心境小説をめぐる論争、

プロレタリア文学、新感覚派、大衆小説などの台頭といった文壇

内外の動向と無縁ではない。また実作上のゆきづまりや作風の変

化などとも不可分であり、すべてをそこに還元するつもりはない

が、これまで見てきた芥川の「芸術的価値」Ⅱ「文芸的価値」観

の論理的必然としても跡付けることができる。

ところで、「詩的精神」や「純粋な芸術家の面目」といった、言

語や享受者の心理レヴェル、あるいは思想や技巧・構成などとは

別の次元に芥川が措定した「芸術的価値」Ⅱ「文芸的価値」の本

質は、いったいいかにして感得しうるのか。芥川は次のようにい

》ハノ○

小説を鑑賞する時に、僕の評価を決定するものは(中略)感

銘の深さとでも云ふほかはない。それには筋の面白さとか、僕

自身の生活に遠いこととか(中略)近いこととか云ふことも勿

論、幾分か影響してゐるだらう。然しそれらの影響のほかに未

だ何かあることを信じてゐる。/この何かに動かされる読者の

一群が、つまり読書階級(中略)或は文芸的知識階級と呼ばれる

のである。(「小説の読者」『文芸時報」昭2.3)

読者の立場で述べているためにいい方は異るが、ここにいう

「感銘の深さ」とは「詩的精神の浄火」の「熱の高低」とほぼ同

義である。しかし、これは、わかる者にしかわからないという論

法で閉鎖的文学観に陥る危険性もあるし、理論的な価値論という

問題枠をはずれてもいる。芸術家概念や創作原理や鑑賞論、また

は実作との関りなどの問題にたちいらずにこれ以上は先に進むこ

とができないので、別の機会に譲ることにして、当該の「芸術至

上主義」との位相関係の問題に戻る。ワイルドは「芸術を顕し、

芸術家を覆い隠すことが芸術の目標である」(前掲言と述べてお

り、作者をそのまま書けというわけではないが、作品に「芸術家

の面目」を見ようとするこの時期の芥川は、その点で微妙に一線

を画していたと言えるだろう。また、「技巧」の巧拙、つまり「巧

みに書かれているか」否かという側面もやがて価値基準から後退

させてゆく。しかし、上述したように、あくまでも芸術の功利性

を否定し、「思想的哲学的価値」などとは別次元に「芸術的価値」

Ⅱ「文芸的価値」を求めようとする点においては、芥川は最後まで

四二

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「芸術至上主義」の圏内にいたといえるだろう。

また、芥川の言説に関して付け加えておくなら、かれは最晩年

には次のように述べている。

若し芸術至上主義を信じないとすれば、(かう云ふ信仰を持つ

てゐることは必ずしも食ふ為に書いてゐることと矛盾しない。

、、、、

少くとも食ふ為にばかり言いてゐない限りは。)詩を作るのは古

人も言ったやうに田を作るのに越したことはない。(「文芸的な、

余りに文芸的な」三十六人生の従軍記者『改造』昭2.7傍点原文)

「詩の前には未だ嘗懐疑主義者たる能はざりしことを自白す」

(「小説作法十則」遺稿『新潮』昭2.9)という芥川が、詩を作るのが

田を作るのに越したことはないと考えていたはずはない。してみ

ると、この一文は〈芸術至上主義〉を信じているという、すなわ

ち芥川の〈芸術至上主義者〉自認の心情告白とみなすこともでき

るのではないか。文脈を正確にたどれば、述べられているのは、没

理論的な「信仰」というような次元で、しかも価値論ではなく芸術

家の生活レヴェルでの目的である。〈芸術至上主義〉も芥川流に解

釈し直している。しかし、それだからこそ、芥川は思いの外自分

が〈芸術至上主義〉から隔っていなかったことを最後の最後に自

認したということを裏づけうるとも考えられる。少くとも、それ

までのような批判的言説ではなく、このことからしても終始一貫

して〈芸術至上主義〉に対し、批判的であったと断定してしまう

ことはできないのではないだろうか。

以上、「芸術的価値」に限定して、芥川と「芸術至上主義」との

芥川龍之介と芸術至上主義

関係について考察した。長期戦の端緒を開いただけで、はじめに

分類した他の論点、ワイルド以外の「芸術至上主義者」の言説と

の比較など、残された課題は尼大であるが、それらについては他

日を期する心算である。

注①竹内真『芥川龍之介の研究』(大同館書店、昭9.2、蜘頁)、片

岡良一『芥川龍之介』(福村書店、昭”・5「本の中の世界」)など

にも同様の解釈が示されている。また、「娘の命と自分の命を犠牲

として芸術を完成させた良秀こそ、典型的な芸術至上主義者」だと

解釈するものの、それは作者の理想像であって、芥川は「道徳と訣

別してまで自分の芸術に忠実であることはできなかった」と、作者

と作品とを区別する論考(福田清人・笠井秋生『芥川龍之介人と

作品』清水書院、昭虹・5)もある。なお、「地獄変」については稿

を改めて論じる予定である。

②この問題については、拙稿「芥川『戯作三昧』論いl『水涛伝』

のもたらした不安と茶の間の情景の解釈を中心にI」(『日本文芸

学』塑号、昭艶.、)で論じたので参照されたい。

③歴史的に意味を限定した場合「」を用い、特に限定しない場合

は〈〉を用いて区別した。

④歴史的に観ると、フランス革命後その実状に失望した芸術家たち

(ロマン派、高踏派)が生み出した、新興ブルジョアに対する一種

の反抗形態で、「当時の知識階級が自分たちの社会的、歴史的無力の

上に居直って作り出した一つの理論的ポーズであった」(高橋義孝

『近代芸術観の成立』)という。高橋氏もいうように、この主義の問

題は、理論自体よりもこうした「歴史的・社会的背景」にあり、芥

川〔文学〕との位相関係もそうした観点から考察する必要もあると

思われるが、今後の課題としたい。

四三

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⑤田辺貞之助訳、新潮文庫、昭幻・6.

⑥福田恒存訳、新潮文庫、昭師・4.

⑦斎藤栄治訳『芸術哲学』岩波文庫、昭訓・5.

③「耽美主義」について芥川は「あの頃の自分の事」(『中央公論』

大8.1)などでふれているが、それらについては別の機会に述べ

たい。なお、芥川文学における「芸術」と「人生」に関しては、拙

稿「前期芥川文学における〈芸術〉と〈人生〉、そして〈実生活〉1

1芸術家小説を中心にH1」(『立命館文学』珊号、松前健博士退

職記念論集、昭鉛・3)で述べたので参照されたい。

⑨作品の質・文章の面では大正三年十一月十四日付原善一郎宛書簡

に「芸術の為の芸術には不賛成」とあるが、そうした側面について

は別に論じたい。

⑩菊池寛「文芸作品の内容的価値」(『新潮』大皿・7)、里見弾「菊

池寛氏の『文芸作品の内容的価値』を駁す」(『改造』大皿・8)、菊

池寛「再論『文芸作品の内容的価値』」(『新潮』大皿・9)。

⑪たとえば「小説の読み方」(東京高等工業学校に於ける講演草稿、

大9.5)。

⑫「文芸雑感」における「世紀末の仏蘭西の芸術」への批判、「〔ア

フォリズム〕」の「善い芸術家」の項などとも照応する。

⑬「内容と形式」(前出)には「旨冨]計ハ蜀十届ナリ」弓○口目と

は文章を支配する胃旨巳巨①なり(中略)小説、戯曲デハ、字卜字、

文卜文、回卜回、全体ノ組ミ上ゲ方」「注意。形式と内容との不可

別」とある。これらの記述からすると「内容と形式」は「文芸一般

論」の執筆メモではないかとも推察される。

⑭「内容と形式」には「目言口瞥号協ノ作品アリ。(中略)故一一

号○厘ぬ言ナケレ、ハ与冨一再ナシトハナラズ。且昼○巨函胃ハ作品

ノ価値ヲ加ヘズ」とある。

⑮M・バフチンは「外的作品」つまり美学外的な物質的所与としての、

あるいは組織された素材(言語)としての作品と区別して、芸術家

と観照者の「作品に向けられた美的活動(観照)の内容」を「美的

アルヒテクトニ力

客体」とし、さらにその「美的客体」の椛造を「結樅」、「外的

な物質的な作品」が、「美的客体を実現するものとして目的論的に

コンポジション

理解された作品構造」を「構成」というように区別している(「言

語芸術作品における内容、素材、形式の問題」一九二四年執筆伊東

一郎訳、『ミハィル・バフチン著作集③ことば対話テキスト」

新時代社、昭鉛・3)。「芸術的価値」はこの「美的客体」のレヴェ

ルの問題である。

⑯「面目」とはこの場合、世間的評価・名誉という意味ではなく、

「わたしの愛する作品は、l文芸上の作品は畢寛作家の人間を感

ずることの出来る作品である」(「洙儒の言葉」わたしの愛する作品

『文芸春秋』大皿・1)といういい方からして、「顔つき」、「趣旨」

しんめんぽく

といった意味で使われていると考えられる。あるいは「真面目」

(本来の姿・真価・本領)の意味で使われているとも考えられる(『広

辞苑』(岩波書店)などを参考にした)。

⑰「澄江堂雑記」の「五芸術至上主義」(『新潮』大皿・4)もそ

れを傍証する。

(よしおか・ゆきひこ本学大学院博士課程)

四四