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中国の抽象絵画にみる 「伝統的背景」と「現代性」 筑波大学 / 人間総合科学研究科芸術専攻 / 博士後期課程 漆 麟 (QI LIN) ― その表現と思想観念の考察を中心に ― 富士ゼロックス株式会社 小林節太郎記念基金 2011 年度研究助成論文

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中国の抽象絵画にみる 「伝統的背景」と「現代性」

筑波大学 / 人間総合科学研究科芸術専攻 / 博士後期課程

漆 麟 (QI LIN)

― その表現と思想観念の考察を中心に ―

富士ゼロックス株式会社 小林節太郎記念基金2011年度研究助成論文

謝 辞

本論文は2012年に筑波大学に提出した博士論文の一部であり、主に第三章にあたるものである。本

学位論文の作成にあたってはたくさんの方のご協力を賜った。執筆に際しては、指導教官の穂積穀重

先生と山本早里先生のご指導、そして斉藤泰嘉先生、八木春生先生の貴重な助言をいただいた。また、

現地調査及び数多くの展覧会の見学が遂行できたのは、富士ゼロックス小林節太郎記念基金より研究

助成をいただいたお陰である。ここに記して深く感謝の意を表したい。

2012年10月

漆 麟

(QI LIN)

目 次

ページ

はじめに ............................................................................... 1

第1章: 抽象絵画の表現にみる「伝統的背景」と「現代性」 .................................. 2

第1節: 抽象絵画における中国思想の表し方 .............................................. 2

第2節: 伝統的表現からの借用 .......................................................... 4

第3節: 伝統的表現に対する再構築 ...................................................... 5

第2章: 抽象絵画における思想観念の裏づけ ............................................... 12

第1節: 中国思想における西洋近現代美術への再解釈 ..................................... 12

第2節: 中国思想における抽象絵画への再解釈 ........................................... 13

第3節: 思想観念の本質:伝統に対する現代的再解釈 ..................................... 18

おわりに .............................................................................. 21

註 .................................................................................... 22

図版 .................................................................................. 26

図版典拠 .............................................................................. 34

― 1 ―

はじめに

中国の美術界は、19世紀末、西洋美術と本格的に向き合った時から、東西の美術の関係を考え続け

てきた。西洋美術への反発または受容、中国伝統美術への否定または継承、東西の美術の融合、様々

な試みが行われてきた。それらの試行錯誤を経ることによって、1970年代末より本格的に発足した中

国の現代美術は、自らの美術様式が展開され、多種多様な表現スタイルが現れてきた。その中で、抽

象絵画は、それまでに圧倒的な優勢を持つ写実的な絵画に対して、そして一種の文化専制主義に対す

る反抗として現れたと考えられる。それ以前、20世紀初期より、印象派、フォービスムなどの西洋近

現代美術の影響を受け、中国の作家等はすでに伝統的絵画における抽象的表現を再認識し、それらの

表現に共感して着眼し、自らの制作に活用しようとし始めた。中国の抽象絵画は、勿論西洋近現代美

術を受容して発生したものであるが、西洋抽象美術の流れに従い展開していくことはなかった。作家

等は、西洋抽象絵画の模倣から脱却し新たな表現を探求し、とりわけ伝統的水墨画への再認識に伴い

表現の独自性をもたらしている。彼等は昔ながらの水墨画の素材である宣紙、墨、天然顔料などを用

い、その技法である筆法を使い、中国美術の伝統を問いかけ、その「伝統的背景」を持ちながら新た

な「現代性」を求めていると考えられる。一方、理論家、評論家達は、現代美術における様々な表現

に対して、伝統的表現様式との類似性、または抽象絵画と伝統的絵画表現における「非再現性」ない

し「抽象性」との繋がりを発見し、それらの現象を中国の美術思想によって解釈しようとした。

本論は、そのように体現されている抽象絵画における伝統と現代との関係に注目し、表現と思想観

念の双方からの考察を通して、それらの表現をもたらした「伝統的背景」と新たに形成された「現代

性」について解明するものである。

先行研究については、近年、中国の粟憲庭、高明潞、あるいはイタリアのAchille Bonito Oliva等

に代表される評論家、キュレーターは、中国の抽象絵画に関する展示、シンポジウム及び出版物を企

画し、30数年の歩みを整理し始めた。それらは、主に展覧会の図録あるいは美術雑誌に掲載された評

論、紹介文であり、特定の作家と作品の紹介に終始するものが多い。全面的に抽象絵画についての研

究は、高明潞による「現代性的中国邏輯:整一現代性(現代性に関する中国的論理:全体性を持つ現

代性)」(『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、生活・読書・新知三聯書店、2009年、3-41頁)、または

『意派論』(広西師範大学出版社、2009年)が挙げられる。それらの研究においては、美学的視点から

の論述が多くあるが、作品における具体的な表現手法、意匠に関する多くの造形上の分類、分析の問

題点がまだ解決されていないと思われる。それに対して、本論では、作品の表現に見られる伝統的表

現の意匠の由来とその転換について考察・分析し、その西洋美術の受容と、中国の伝統的美術の影響

との関係を解明する。更に、それらの表現をもたらした思想観念の裏づけを探求するため、作家、理

論家、評論家達が考えた近現代美術と中国思想との関係について考察し、伝統に対する再認識及び再

解釈によって形成された抽象絵画の背後の思想観念の本質を明らかにする。

抽象絵画は中国の現代美術事象における一つの側面に過ぎないが、そこに表されている「伝統的背

景」と「現代性」についての考察を通して、中国美術の現代化の転換に関する諸問題を提起、そして

回答することが本論の狙いである。

― 2 ―

第1章: 抽象絵画の表現にみる「伝統的背景」と「現代性」

中国の抽象絵画は、1970年代末からの草創期における西洋抽象美術に対する模倣を経て、1990年代

以降、自らの造形表現に移行し、その作品数と表現スタイルは多様となり、状況は複雑である。カン

バス、油絵具、アクリルのような素材的に西洋絵画と共有する作品もあるが、一つの特徴として伝統

的水墨画表現を借用する画家は多いのである。伝統美術を革新する思潮と関連する「現代水墨」、「抽

象水墨」、「現代書道」のような概念が出された。作家達は伝統的文化・美術の源流と現代美術との関

係を考え、中国美術自体の表現を通して現代の抽象絵画を創作しようと思っている。それは、西洋現

代美術への一方的な憧れから、自らの視覚的文化に対する現代化の道を探求するようになったと考え

られる。

その時期において、個人的な表現スタイルを形成する作家が次第に現れ、西洋抽象絵画表現から離

れ、伝統的表現の意匠を活かした作品が生まれた。実は、抽象絵画を制作する作家の中に、伝統的水

墨画あるいは書道を学んでそこから出発する作家は少なくないのである。ここでは、まずは作例を通

して、まず制作意図からみる中国思想の表し方について考察する。そして、素材、画面形式、表現手

法の三つの側面から作品に活かされた伝統的表現の意匠を考察し、その表現の歴史的由来と現代化へ

の転換の方式について論じる。なお、例として挙げたのは、1980年代から比較的に長い間一貫して抽

象絵画を制作する作家による作品であり、中国の抽象絵画における代表的な作品と言える。

第1節: 抽象絵画における中国思想の表し方

1980年代の抽象絵画において、すでに少数の作家は伝統的思想から新たな要素を見出す試みを行っ

ている。1976-85年の上海抽象絵画の画家群において、余友涵は「円シリーズ」について、老子による

『道徳経』から着想を得、「円」を用いて老子の思想である「大象無形」を表そうとしたという1)。陳

箴による「気遊図」には、道家思想における「太極」、「八卦」のような記号が使われている(図1)。

彼の作品は道家による宇宙観を表し、芸術の形式を通して「太虚(宇宙)」と人間の小宇宙をつなぐこ

とを望んだと言われている2)。周長江も1980年代の作品「互補シリーズ」(図2)について、老子、荘子

による道家思想の影響を受け、その「陰陽」の概念を表現しようとしたことを証言している3)。

1980年代の作家は、思想の源流より、抽象絵画における造形言語を模索していた。彼等による証言

を作品と照合すると、中国の思想における概念に対する図解に過ぎないと思われる。だが、彼等のよ

うな作家は、西洋抽象絵画を一方的に受け入れるのではなく、本国の思想、伝統の関与性を考え、オ

リジナリティのある作品を創り出そうとしたのである。それらの努力の積み重ねによって、1990年代

以降の抽象絵画において次第に独自のスタイルが現れてきたのである。

1990年代以降、抽象絵画に中国思想を表す作家について、梁銓、劉旭光、張羽を例として挙げる。

梁銓は、自らの作品の発想について伝統的詩文から得ることを証言している4)。広域の中国思想、例

えばよく語られる道家、禅宗のような抽象的な話より、彼は具体的な古代の詩文から発想を得て制作

をしている。「瀟湘八景シリーズ」(図3)は、荊浩(約850-約930)による「山水賦」から得た霊感に

よって、その詩文における「意境(境地と情緒)」を表現している。また、荊浩の同時代の画家である

董源は「瀟湘図」を描いた。梁銓は、その山水画から感じた雰囲気を改めて抽象的造形、色彩構成に

よって表現しようとしたのである。「瀟湘八景シリーズ」は、「山水賦」あるいは「瀟湘図」による具

― 3 ―

体的なモチーフを表現せず、あくまでその「意境」を感性的に伝えるのである。それと同様に、「逝者

如斯シリーズ」(図44)は、「論語」における「逝者如斯夫」の名言から着想を得ている。

「瀟湘八景シリーズ」と「逝者如斯シリーズ」には、ほぼ同じ視覚効果がみられる。作家は各々の

作品において、異なる発想であるにもかかわらず、形成された表現スタイルが重複することがよくみ

られる。それは、制作の結果である作品より、その制作の過程が重視されることに原因がある。梁銓

による詩文に対する表現において、異なる詩文であってもその「意境」が共通していると考えられ、

彼の言うとおりにそれぞれの発想があるにもかかわらず、普遍的な古代詩文の「意境」を伝えること

となるのである。各自の作品の差異は、実は作家自身にのみ、その制作の過程にあるのであろう。

劉旭光は、1993年より「卜」という文字でもある記号を用い、多数の作品を作り続けている(図9)。

彼がその「卜」を選んだのは、中国の文化を象徴する複数の意味がその一文字に含まれていることに

ある5)。「卜」は、上古時代から占いという意味であり、それに関連する「易経」、「八卦」、更に道家思

想とつながる。また、象形文字である「卜」は、殷商時代(紀元前17世紀頃- 紀元前1046年)の甲骨

文字に使われた非常に古い文字である。劉旭光は「卜」の使用によって、現代と過去をつなぐという

コンセプトであると述べた。彼は、自らは常に中国文化について意識をしており、伝統的思想を現代

の制作に体現したいと明言している。

一つの文字である「卜」は、作家の言うとおりに莫大の文化的意義を背負い、更にそれらの意義を

無言の作品を通して伝える。それは、視覚表現に過剰解釈の負担を与えることになる。作家は意味深

い表現を通して、自身のために文化と伝統に対する探求を行うが、それらを鑑賞者に伝えるためでは

ないのである。それは、梁銓による制作と同様に、出来上がった作品よりも制作の過程が重視されて

いるということである。

張羽は、1991年より中断しながらも「指印シリーズ」(図5-7)を制作し続けている。「指印」を作る

以前、彼は「霊光シリーズ」(図4)を制作していた。それは、主に水墨表現による抽象造形への探求

であった。彼は、「指印」の制作を広大な中国文化による背景に置き、劉旭光による「卜」のように、

指による押印である「指印」に様々な意味を与えている。彼自身の解釈6)により、基本的に「指印」は

中国文化における「契約」の文化に関わり、その「契約」に象徴される「権力」を表わし、押印の行

為は、「元気(精神性)」を具現化している。「指印シリーズ」において、紅色、墨色、無色(水による

押印)がある。紅色は従来押印に使われる色であり、その「契約」の文化を表し、墨色は水墨の伝統

に関わり、無色は「元気」を具現化するのに最適であると考えられる。

ここまで、すでに一つの「指印」には複数の意味合いを含んでいる。更に、押印の身体行為によっ

て禅宗の思想を体現したいのは、その作品において最も重要なコンセプトである。「指印」は禅宗の修

行のような日常行為であり、また太極拳のような武道の修行でもある。禅宗の修行としての「指印」

は、日課のように制作されつつ、日常生活に溶け込む芸術の体現である。また、押印されつつある宣

紙に形成された凸凹さは、武道の「気」による痕跡のようであり、「指印」はそれを具現化したもので

ある。「修行」は張羽の制作において重要なテーマであり、それは東洋の精神を表し、禅宗、武道、「太

極(拳)」、「気」等々はすべてその東洋の精神に含まれている。つまり、彼も制作の過程を作品におい

て最も重要な部分であると考えている。

制作の過程を重視する作家等は、禅の思想とその修行の形式を制作過程に表そうとしている。梁銓

は、自らが禅宗の信徒であるといい、それらの思想を制作に反映させることによって、制作に求める

― 4 ―

「空」の境地は自らの感情を平静にするという7)。張羽は、「指印」は日常の観念、日常の生活に対す

る態度を反映する表現であり、その制作の過程が禅の精神的修行であり、日常生活において瞑想と参

禅という精神活動を記録するという8)。それらの証言から見て、修行の遂行、感情の落ち着き、精神性

の向上、などは制作の目的であると考えられる。美術評論家である栗憲庭は、彼等の作品を宗教のよ

うに心を癒すものとし、ある観念を表すよりも、日常生活において人生を体験するのみであると評価

した9)。そのような抽象絵画における中国思想の表し方において、作家等は中国の文化、思想を意識し、

表現に意味深い象徴性、文化性を与え、制作の過程を作品自体よりも重視する傾向が見られる。制作

においては、視覚造形より、精神性を追求し、禅の思想及び修行のような形式を制作過程に持ち込ん

でいる。しかし、それらの表現は、すでに伝統的思想を変貌させ、西洋抽象美術から得た形式、様式

によってそれらの思想を表し、そして禅のような古き良き思想に現代的要素を加えたのである。

第2節: 伝統的表現からの借用

中国思想における様々な哲学的概念、あるいは宗教的思想から発想し、それらの思想を抽象絵画に

表そうとする作家がいる一方、多くの作家は自らの作品に象徴的意味を与え、更に言語を借りて作品

を解釈することより、視覚的立場から直に伝統的表現手法や素材に着眼するのである。以下、作例を

通して、抽象絵画表現における伝統的美術形式、様式を借用する作品について考察する。

まずは1976-85年に展開されてきた草創期の抽象絵画における代表的な作家である仇徳樹10)による

水墨を用いた作品を例として挙げたい。彼は最も早い時期に、水墨による抽象絵画を試みた作家の一

人であると言える。彼は、自らの抽象絵画が書から出発したと言い、書の変形による「抽象空間」(1979

年)、更に書の解体による「無為」(1980年)はその早期の作品である。1981年、水墨と油絵具との混

用によって、「融合空間―水墨与油彩」が作られた。彼は、それらの素材と技法に関する実験を続け、

書画印の技法による「帰朴法」(書画印によるコラージュ)、墨流し、宣紙を重ねたり破ったりする「力

破紙背法」などを自らの制作に用いた(図10、図11)。特に、「裂変シリーズ」を作った後、その「裂

変」は彼が長年において制作し続けるテーマとなったのである。

1980年代の「裂変」(図8)には、抽象表現主義による影響が見られ、造形の自律性が求められてい

た。しかし、2000年以降、彼は表現手法の探求を続けているが、山水画の造形に戻ったのである。そ

れらの作品は、「力破紙背法」、または「裱装」による技法を用い、数層の宣紙によるコラージュであ

り、宣紙の皴によってテクスチャーが作られ、単なる装飾画のようである(図12)。彼はそれらの作品

について、「理想の山水」を表現したいと言い11)、1980年代の革新の意欲を失い、いかにも伝統的山水

画の思想に回帰したと思われる。

また、仇徳樹の墨流しを用いた作品には、1980年代に作られた「無為」、「超脱シリーズ」、「活力之

二」(図13)などがある。作例として、彼の「活力之二」と明代画家徐渭による「葦塘虫語図巻」(図

14)を比較してみる。素材、画面構成、表現手法から見て類似している。だが、「葦塘虫語図巻」にお

いて、即興の筆法による自由自在な表現ではあるが、植物と昆虫を表現しているのがわかる。それは

一種の表現主義的な表現と言える。一方、「活力之二」においては、タイトルからみて表現の対象であ

る「活力」(活気、元気)は形象のあるものではなく、その抽象的な言葉を視覚化するために伝統的水

墨画の表現様式を借用したのである。

しかし、仇徳樹を含め、墨流しを抽象絵画に応用する作家等は、抽象表現主義、あるいは伝統的水

― 5 ―

墨画の領域から脱するのは難題であったと思われる。徐渭の作品は、伝統的水墨画の中に大胆な墨流

しを利用して抽象的表現を作り出し、抽象表現主義の先駆とも評価されている12)。そのような伝統的

水墨表現を超えて創造的に活かすのは簡単ではないのである。墨流しによる表現は、東洋美学におけ

る偶然性を体現するためには最も適した形式の一つであるため、作家にとっては使いやすい手法であ

るが、この伝統的表現からどう転換、脱却するのかは難しい課題でもある。単に墨流しによる表現様

式を借用することにとどまる作品もよく見られ、作家個人の造形的独自性を持つ作品はそれほど多く

見られない状況である。

作家の王川は1980年代より水墨表現を用いた抽象絵画を制作し続けている。彼の作品も墨流しを多

用し、「抽象表現主義に対する水墨的な解釈である」13)と思われている(図15)。実は抽象絵画におい

て、抽象表現主義による表現スタイルを模倣するものと、伝統的水墨画における基本構造から逸しな

いものが多く、張雷平、藍正輝、尚揚、魏立剛、劉永涛、陳心懋などの作家による制作は、その例で

ある(図16、図17、図22、図23、図20、図24)。これらの作品を抽象表現主義、あるいはアンフォルメ

ルの作品と比較すると、表現上の類似性は明らかである(図18、図19、図21)。つまり、伝統的絵画の

筆墨と西洋抽象絵画、特に抽象表現主義との結合によって、これらの作品は作られていると思われる。

第3節: 伝統的表現に対する再構築

直接の伝統的表現手法からの借用、及び西洋抽象絵画との結合による制作より、ここでは、伝統的

表現を解体、抽出、更に再構築し、新たな表現スタイルを創出する作品を挙げる。それらの作品には、

伝統的美術における素材、表現形式、様式が活かされ、表現スタイルが伝統から逸している。また、

多くの西洋抽象絵画とも異なり、作家等はそれぞれの角度から東洋の精神を制作に体現しようとして

いるのである。本論では、素材、画面形式、表現手法の三つの方面からそれらの作品を考察する。

第1項: 素材

伝統的素材には、墨、宣紙、シルク、天然顔料など書画に用いられるものがある一方、陶

磁器、漆、木版など工芸に使用されるものもある。書画、とりわけ文人画は文人の教養を表

現したものであり、工芸、職人画などより上位の芸術形式とされていた。そのような歴史的

経緯があったためか、現在の抽象絵画においても、水墨と宣紙を用いる作品が圧倒的に多い。

ただ、水墨と宣紙のみによって制作する作家はそれほど多くはないのである。

宣紙と水墨のみの使用には、李華生(図25、図26)、范叔如(図27)、楊志麟(図28、図55、

図56)、張浩(図29、図32)、陳光武(図30、図31)による作品が挙げられる。特に、張浩の

作品には、墨と宣紙、その素材自体の素質、存在感を引き出し、素朴なモノクロの世界の魅

力が感じられる。彼は造形要素を控え、一筆一筆の重要さを表現している。彼は自らの作品

に関して、一筆の墨痕は一度の旅を表していると述べ14)、従来の文人画の理想である「精神

的な旅」を描くことと一脈相通じていると思われる。だが、彼は伝統的水墨画の基盤である

宣紙と水墨を抽出していながら、造形表現においては、筆墨の技巧を求めず、逆に拙い筆法

を用い、素材自体の自律性が先立たつようにしたのである。このように、伝統的絵画におけ

る表現と異なり始めるのである。

また、伝統的素材をミクストメディアに持ち込み、テクスチャー、コラージュなどの現代

― 6 ―

的表現手法の混用によって作られた作品が多く見られ、前述した伝統的表現を借用する作品

においても、ほとんどミクストメディアによる制作である。

劉旭光、梁銓は、他素材を絵具として利用し、水墨と混用し、平面上の視覚効果を求めて

いる(図9、図3)。劉旭光は、メインの素材である宣紙と墨以外に、鉱物顔料、錆、卵を用い、

梁銓は緑茶を水墨のように使い、また宣紙によるコラージュを用いている。また、錆、緑茶

などの本来美術制作に使われない素材は、それぞれに象徴される意味によって選ばれたので

ある。青銅器を象徴する錆、昔ながらの日常生活に欠かせない茶水は、いかにも中国文化と

の関連性で選択されていると思われる。

楊詰蒼、胡又笨、徐紅明は、水墨、宣紙、鉱物顔料によるテクスチャーについて探求して

いる。楊詰蒼は、伝統的な「積墨法」から出発し、宣紙の上で数十回ないし百回以上も墨を

重ね、自然にできた宣紙の皴によるテクスチャーを創り出している(図34)。宣紙自体が柔ら

かいため、作品の土台はカンバスを使っている。胡又笨による作品も、宣紙の皴によるテク

スチャー表現を中心としている。彼は、山石のテクスチャーを模擬するため、それらの表現

を作り出した15)(図35)。確かに、伝統的絵画表現における宣紙の役割を転換し、宣紙の素材

としての表現力が見出されたが、そのテクスチャーのためのテクスチャーは、装飾的な表現

に過ぎないと思われる。一方、楊詰蒼の作品における繰り返された「積墨」による表現は、作

家の労力、精神性が感じられ、素朴な黒一色の中に脈脈と続く時空が見えるようである。

徐紅明は「非雲非霧非qiシリーズ」(図33)において、鉱物顔料をカンバスにスプレー、ド

リッピングし、その乾いた後に固体となる量感によって、素材自体の表現力を引き出してい

る。また、その紅色の鉱物顔料は、中国文化にける伝統色である「紅色」が持つそれぞれの

象徴的な意味も兼ねているという16)。徐紅明は、水墨表現から出発した作家ではなく、抽象

絵画を作り続けるうちに、伝統的美術に目を向け、素材、表現形式などを抽出して自らの制

作に活かそうとしている。

工芸の素材を用いる作家については、蘇笑柏が挙げられる(図36)。彼は、あくまで素材、

造形からの発想によって制作し、従来芸術とされない民間工芸に対して、新たな認識を持ち、

その造形における表現の可能性を見出している。1990年代以降、彼は、現在ほぼ淘汰された

中国の伝統的な生漆を用い、伝統的漆器制作の技術を探求しながらそれらを再生しようとし

ている。特に、彼は伝統的技術における生漆の色彩を分離させる技術に興味を持ち、その過

程に現れる流動、浮遊、分裂による視覚効果を、自らの作品に表現している。ドイツ在住の

蘇笑柏は、中国の多くの作家と異なり、自らの作品において特に象徴的な意味は持たせず、

絵画表現としての独立の価値を見出そうとしていると述べた17)。その造形の自律性を徹底的

に求める考え方、または制作においての職人気質は、中国の作家において希少であると思わ

れる。

以上の作例を通して、伝統的素材は現代的表現においての表し方、即ち素材が一つの造形

要素として自律していることが見られる。作家等は、伝統的素材である宣紙と水墨を新たな

視点から用い、その素材自体の造形性を見出している。水墨とそれ以外のミクストメディア

の混用によって、素材の側面から水墨に関与する現代的表現の領域が広がっていく。また、

使用された素材に文化的意味の象徴性を与える作家もいるのである。

― 7 ―

第2項: 画面形式

中国の伝統的絵画の画面形式においては、掛軸、手巻、冊頁などがあり、それらは一つの

独立した作品形式として成立している。また壁画、屏風のような建築物の一部として成立さ

れる形式もある。平面によって時間と空間を表現するジャンルである絵画において、様々な

時空の表現方法、形式が開発されており、鑑賞者が二次元の平面から時空を読み取れるよう

に工夫されている。例えば、手巻形式(日本の絵巻物と共通)においては、風景を表現する

際に、現実的な空間を打破し、流動する視点に基づいて山水が並べられる「連続式構図」が

考えられており、人物が登場する場合は、「異時同図法」のような表現手法によって、空間と

時間の変換及び推移が示されている。また、手巻は画面全体を一度に視野に入れることはで

きない特性を持ち、平行方向に制約のない長さを用いて鑑賞者を次々に未知なる時空へ導い

ていく機能を備えている。

そのような東洋美術における特有の画面形式は、現在の作家にとって貴重な資源となり、

彼等はそれらを自らの制作に応用、活用しているのである。ここでは、とりわけ画面形式が

重要な役割を果たしている作例を取り上げる。

楊志麟は直接に手巻形式を用いて制作している。彼は、縦幅55センチ、長さ18メートルの

「三十七夢」(図28)を制作し、その後更に寸法を極端に発展させ、縦幅僅か6センチ、横幅

が30メートルの作品に至ったのである。叙事性が重視される伝統的絵画と異なり、抽象絵画

においては、物語における時空の推移を表すのではなく、画面自体が形成する空間、また制

作と鑑賞のプロセスにおいての時間が反映されているようである。横幅の非常に長い手巻形

式の作品は、展示される時に、平面的な絵画を超えて一種の空間インスタレーションとなり、

鑑賞者はその空間に巻き込まれ、描かれた墨跡を見ていく過程を通して作家と対話するよう

である。時間は、実は一つの要素として作品に溶け込み、流動感を持つ墨跡とともに制作と

鑑賞の過程の中に流れていくのである。楊志麟自身は、「時間というテーマに関心を持ってい

る」18)、また「鑑賞の時間性と制作の時間性を重ねている」19)などと述べ、それらは彼が手巻

形式を用いる理由でもあると考えられる。

掛け軸、屏風のような形式については、複数の枚数であり、ある秩序によって構成される

のが特徴である。例えば、四曲の「四季屏風」は、季節に応じてそれぞれの象徴的なモチー

フ、色彩が描かれることは予想される。「瀟湘八景」のような画題とする掛け軸ならば、八枚

構成の山水が表現されることが予想される。現代の作家らは、その既成の図像に対する連想

を利用し、同じ構成形式を用い、自らの作品を伝統的美術と対話させようとした。その対話の

中に、彼らの伝統的美術への敬意と、その反面、革新の意思を表そうとしたことが見られる。

例えば、李華生による「春夏秋冬」(図37)は、四枚構成の画面形式をとり、「四季屏風」

を参考としているのがわかる。しかし、その単純な線による抽象絵画において、四季に代表

されるモチーフ、色彩は一切描かれておらず、春夏秋冬の順序も特に表現されていないので

ある。それは、あくまで作家自身による四季に対する個人的な解釈及びその視覚化したもの

である。鑑賞者は四季に関する既成の図像を連想して鑑賞に入り、その結果、その連想と異

なる印象、体験が与えられるのである。そのような矛盾する効果は、実は伝統と現代との関

係を常に制作に取り込む作家の狙いであろう。

― 8 ―

更に、壁画における画面形式を参考にした徐紅明による「円形白灰」(図38、図39)を見て

みる。「円満なる空間を表現するのはその作品の主旨であり、それは敦煌の壁画における画面

形式に由来する」20)ことが証言されている。敦煌においては、一つの部屋の壁において、ま

んべんなく絵が描かれている壁画が多く見られる。そのような空間を埋め尽くす壁画におい

ては、一連の物語が表現されているが、全体的に一つの作品としても見られる。また、表さ

れている物語の始終はあるものの、循環しているようにも見える。敦煌は仏教美術の宝庫と

言われている。その壁画の循環する画面形式は、いかにも仏教思想である「因果応報」を表

しているのであろう。徐紅明にとって、その「循環」、始終のない円満なるものは、東洋思想、

または東洋美術の特質である。多くの作家は、敦煌の美術における描写方法、描かれた内容

から霊感を得たというが、徐紅明は、あくまでもその画面形式から「循環」、「円満」という

着想を得たのである。その循環する画面形式が応用された作品は、一見伝統的美術と無縁の

ようであるが、実は東洋美術特有の表現手法が取られているのである。

第3項: 表現手法

伝統的表現を借用する作品を前述したが、ここでは、それらの表現と異なり、伝統的表現

を解体、還元、更に再構築することにより新たな表現スタイルを形成した作品を取り上げる。

中国の伝統的絵画の表現手法において、基本的に点、皴、線描、暈染、墨流しなどがある

が、現在一般的に造形の基礎要素とされる点、線、面の基準から見ると、点と皴は点による

表現であり、暈染と墨流しは面の表現に対応する。本論では、それらの基本画法を要約し、

現代の抽象絵画における点、線、墨による表現の三つの方面から考察し、作例を通してそれ

ぞれの特徴を明らかにする。

(1)点による表現

伝統的絵画においては、16世紀以降の近世の画家である徐渭、石涛などはすでに抽象化さ

れる水墨表現を創り出した。石涛が「万点悪墨」(図40)を画き、点の技法に関する記述もあ

る21)。それらの作品において、すでに点のような造形要素は鑑賞対象としても見られるが、

現在の作家等は、絵画表現における点のあり方を改めて考え、転換させた。そして、表現か

ら抽出された点の表現自体は、自律性を持つようになったのである。

劉旭光による「痕跡シリーズ」(図41、図42)においては、「ト」という記号(文字でもあ

る)による単純な画面構成である。その「ト」を画くのに、中国絵画及び書における最も基

本的な筆法である「∣」と「ヽ」が要求される。彼は、「ト」を通して、伝統的表現における

その二つの基本要素を抽出し、新たな秩序によって作品を構築している。前述したように、

劉旭光は、「ト」という記号に様々な象徴的意味を与え、現代的表現によってそれらの文化、

歴史的意義を伝えようとしているのである。

一方、陳光武は文字を解体し、文字に付与されている意味を拒否し、その拒否を強調する

表現を創り出している。彼の「句読点シリーズ」(図30、図31)では、一つの句読点あるいは

筆画を重複にして書き、その書く過程を通して記号の意味を解消していくことができると考

えている22)。確かに、単独の句読点、筆画が特定の意味を与えられているが、それが繰り返

― 9 ―

されて書かれると、抽象的な画面となり、個別の意味が解消されるようになるのである。そ

の句読点の繰り返しによる画面構成は、書写という行為自体を表現しているようである。陳

光武は書の制作から出発した。彼は書の学習における最初段階である筆画、部首の反復練習

から着想を得、上達した書より、その初期段階における書の単純な造形性を還元したいと考

えた23)。つまり、彼は伝統的書において目指すべき道に背を向け、筆法のあり方を逆転した

のである。

張羽による「指印シリーズ」も、点による抽象表現として評価できる。「指印シリーズ」(図

5-7)においては、造形要素が単純な指による押印であり、随意に繰り返し配置されている。

出来上がった作品は、全体的に抽象絵画のように見えるが、配置されている指による押印は、

抽象的というよりは、むしろ具体的で形象のあるものであり、具象と抽象との間にあるよう

である。そのような表現を通して作家は繰り返された押印という行為自体を表している24)。

張羽は「指印」を制作する前に、水墨表現である「霊光シリーズ」を作っていた(図4)。

彼はこの作品において、「残円」と「破方」という図形を作り、筆遣い、水と墨による様々な

視覚的効果について取り組んでいた。「指印シリーズ」の制作を開始した当初は、「霊光シリー

ズ」のように水墨を筆で描くことをせず、直接指で制作するようになったが、画面における

黒と白との視覚的関係、押印の配列、構成についてこだわっていた。しかし、彼は制作を続

けていくうちに、次第に表の造形形式にこだわること自体が絵画の伝統に縛られている考え

方であると思い、制作の方向性を変えようとしたのである25)。そして、「指印シリーズ」では、

造形表現における構成、配置、色彩にこだわらず、行為と精神性を重視する修行のような制

作へと展開していった。現在の「指印シリーズ」において、指による押印は無限に反復され、

それは一つの作品に対して、随時終了できる一方、いつまでも続けられるようにもなってい

るのである。

(2)線による表現

線による表現は、現代の抽象絵画において最も特色のある表現と考えられる。中国の伝統

的絵画において、「十八描」のような様々な線描の方法が発達してきた。伝統的表現において

は、線の表現によって抽象的表現様式が形成され、早くも南宋時代の画家馬遠(約1140-1225)

による「水図」(図43)から線による抽象的表現がみられる。当然、伝統的絵画におけるそれら

の線の表現は、自らの造形的魅力を持っていても、形象に従う存在であることは明らかである。

現代の作家等は、線の表現を描写形象から自立させ、抽象絵画に活かしているのである。

李華生は作品(図25、図26)において、水墨表現における線描自体の魅力を引き出し、単独

の墨線による単純造形を創り出し、無造作な筆法によって淡白な境地を求めている。范叔如

は作品(図27)において、筆に水墨を含ませ、その水墨が尽きるまで宣紙に走らせ、一筆に

よって一つの作品を完成させた。その一筆において、単純でありながら濃淡、乾湿、余白の

ような様々の表現ができ、運筆の過程が具現化されている。梁銓は作品(図3、図44、図45)

において、線を直接に描いていないが、宣紙の帯を用いてコラージュを作り、更に水墨、緑

茶によって暈染している。

それらの作品は、共通して画面にシンプルな線による表現を作り出している。それは、伝

― 10 ―

統的絵画において発達している線の筆法からの離脱であると考えられる。伝統的絵画におい

ては、筆法が極めて重視され、明末絵画には複雑な構造を持つ線による表現が発達してきた。

そのため、水墨画を学習する際に、筆法は最も工夫するところとなっている。李華生は、自

らが「つたない筆法によって線を描いている」26)と述べた。彼のような長年をかけて筆墨の

技術を磨いてきた作家が、最後に筆法の技巧を無くす方向へ向かった。范叔如の一筆も自ら

が造形を制御せず、ほぼ道具に任せて作品を完成している。彼等にとっては、実は線によっ

て造形しているのではなく、線描きという行為に自らの情緒を託しているのである。

表現上では、張浩、沈忱による作品(図29、図32、図47)は、李華生と梁銓の作品におけ

る線の密集した配列とは対比的であり、画面は数本の線によって簡潔に構成されている。そ

れは、伝統的絵画における余白が表現に活かされていると考えられる。沈忱は自らの作品は

仏教における「空」の思想を表していると証言しており27)、大胆な余白によってその「空」

を表現しているのである。范叔如の作品と共通的で、一筆一筆の墨線において、濃淡、頓挫、

余白が表現されており、創作プロセスにおける運筆の動的瞬間が見えるように感じられる。

張浩は自らの作品を「精神的旅」といい、墨線は叙事の媒体となり、その「精神的旅」を

語っているようである28)。前述した李華生の作品において、画面にまんべんなく描かれてい

るが、複雑な意味を排除し単純さを伝えている。それとは対比的に、張浩はシンプルな表現

によって深い意味を語ろうとしている。彼による墨線の表現は、力強く動的であり、作品の

タイトルとあわせて鑑賞すると、まるでその精神的旅に出たように感じられる。実は、伝統

的文人画において、「少によって多を表す」、また「筆墨を尽くしても意は尽くさない」など

の思想があり、張浩はその思想による表現を極端に発揮したようである。その対極化は、伝

統に反対することと同様に、伝統から逸して新たな表現を生むのである。

また、周洋明、孫凱、朱小禾は、細かく短く線描きをすることによって制作しており、「筆

触」という表現を体現している。彼等は、制作の素材として、水墨ではなくアクリル、イン

クを用いているが、依然として伝統的絵画表現における線の表現に関連しているのである。

周洋明の作品は、李華生の制作と類似していると考えられる(図46)。彼は毎日ほぼ10時間を

かけてその線描きの仕事をしている。線描きはすでに彼の日常生活となり、一日の喜怒と哀

楽がその線の些細な差異に表され、またその描く過程において解消されていくのである29)。

孫凱と朱小禾も周洋明と同様に、作品において造形の秩序などにこだわることなく、線によ

る筆触を平板に描いている(図48、図49)。彼等の作品からは、何も意味がないと感じさせら

れる一方、想像力を駆使して様々な意味を読み取ることもできる。

中国の伝統的絵画は線による芸術と思われ、線による表現は豊富であり発達してきている。

現代の作家はその線による表現の根源、即ち初心者の練習のような最も単純な線描きに戻り、

線の本来の姿を還元しようとしている。彼等自身もその制作を通して、無造作の境地を体験

しているのである。

(3)墨による表現

墨による表現は、中国の抽象絵画の草創期である1970年代末から1980年代初めより用いら

れている造形表現である。それは、抽象性を持つ伝統的表現手法である溌墨に由来すること

― 11 ―

と、抽象表現主義に影響されることが考察できる。前述した伝統的表現を借用する作品の中

に、それらの表現が見られる。ここでは、楊詰蒼、丁乙、楊志麟の作品を通して、墨による

表現のもう一つの側面を見てみる。

前述したように楊詰蒼は、伝統的な「積墨法」から出発し、宣紙の上で数十回ないし百回

以上に墨を重ね、その自然にできた宣紙の皴によるテクスチャーを創り出している。しかし、

彼はテクスチャーの効果を目的としておらず、逆にその多重の墨の効果によって最後には

真っ黒い一色となる画面を作り出そうとしている(図50)。つまり、繁多な工作を単一に帰す

ことを制作意図としている。だが、その真っ黒い一色の画面を作ることは決して簡単ではな

い。彼は、その漆黒の平面は自らにとって無限な空間であると述べ、時間、層による空間を

表している30)。そのように、楊詰蒼は、墨自体の素質を発揮し、墨の存在感、またはその存

在においての時空を表現している。

丁乙による作品は、直接墨による表現ではないが、伝統的な墨による表現を活かし、再構

築した例として挙げられる31)。彼は、20年以上「十字」(CROSSES)をモチーフとして抽象絵

画を作り続けてきた。彼の「十示シリーズ」は、一見幾何学的抽象のような印象を与え、伝

統的表現に関係ないと思われる。確かに彼は、1980年代において西洋抽象絵画の影響を受け、

定規を使って精密な制作を行った(図51)。しかし、1990年代以降、彼は改めて伝統に目を向

け、その表現及び思想について考え始めた。そして、彼は伝統的絵画における墨流しの効果、

屏風形式などを参考にし、フリーハンドの手法に変換し、「精密さに求める自由さ」というコ

ンセプトに基づき、色彩及び筆触に富んだ作品を作り出した(図52、図53)。作品において、

墨流しによる偶然性を利用し、特に縁辺のところにそのような効果を作り出している。その

定規に頼らない手と顔料とカンバスとの直接の触れ合いは、彼にとっては一種の東洋の、例

えば「禅」の精神であり、自らの精神性を直に伝えるのである。

楊志麟による作品では、前述したように画面形式が最も重要な要素となっている。また、

作品に描かれている墨による表現を見ると、伝統的絵画における「墨戯」と共通していると

考えられる(図28、図55、図56)。文人画が誕生した当初、素人である文人たちはプロの絵画

の職人に反して、「墨戯」である素人絵画を提唱した。更に、「禅画」において、禅宗の思想

を受けた画家による制作もあるが、本来禅僧による「禅林墨戯」のような絵画を目的としな

い素人絵画でもある。「墨戯」は、意図的な造形ではなく、随意に筆を走らせ、水墨による痕

跡、即ち墨跡を残すことである。ただ、伝統的「墨戯」の表現、例えば米芾による「珊瑚筆

架図」(図54)のような作品において、随意の表現であってもやはり描写対象があるのである。

「墨戯」を楊志麟による制作過程と照合すると、実は非常に類似している。彼は、制作する

際に、何も考えずに筆を走らせ、できた痕跡を作品とするのである32)。このように、無意識

にできた墨跡は完全に抽象的であり、伝統的「墨戯」と違ってくるのである。また、前述し

たように、彼は非常に長い巻物形式に描かれた墨跡によって、自らの意識における時間と空

間を表しているのである。

― 12 ―

第2章: 抽象絵画における思想観念の裏づけ

第1章では、中国の抽象絵画における伝統的要素の表し方について考察してきた。表現からみる「伝

統的背景」は伝統そのものではなく、作家等は「伝統」を改めて解読し、現代的表現手法によって作

品に活かしている。作品表現における伝統的要素と現代的手法との関係は、単なる伝統と現代との融

合によって解釈できるものではないのである。その背後に形成された思想観念は、実は中国の伝統と

西洋近現代美術と相互に作用しつつあるものであり、「伝統」が「現代」によって改造されると同時に、

「現代」が「伝統」によって置き換えられるのである。ここでは、作家の制作に影響を与えた理論家、

評論家による抽象絵画と中国思想についての論説を考察し、伝統を再認識する過程を明らかにし、中

国の抽象絵画表現にもたらした思想観念の裏づけを探り出す。

第1節: 中国思想における西洋近現代美術への再解釈

20世紀初め、印象派のような西洋近現代美術が中国に紹介された時から、それらの表現が中国の伝

統的絵画表現と共通点を持っていることが発見されている。1923年、劉海粟は「石涛与後印象派」33)

を発表し、セザンヌのような表現はそれより三百年前の画家石涛による表現と共通しており、後期印

象派の考え方も石涛の絵画思想と類似していると主張した。また、1926年、豊子愷(1898-1975)は「中

国美術在現代芸術上的勝利」34)を発表し、印象派の表現が中国の絵画表現と共通しているといい、西

洋絵画の現代化は東洋美術の表現様式に接近する傾向が見られると論じた。

このように、20世紀初めより、中国の伝統的絵画表現が「現代性」を持っていることを再発見した

のである。ただし、その再発見は、伝来した西洋近現代美術と比較することにより、伝統における新

たな価値を見出したのである。当時の時代的背景をみると、西洋美術と比べ、中国の伝統的美術は衰

退し、価値のないものと主張する知識人がいた。そのような世論に反するため、劉海粟あるいは豊子

愷のような画家は、中国美術の価値を強調するために西洋近現代美術の価値を借りた意図があること

も否定できない。彼等は、印象派と石涛のような画家による絵画表現との類似性に基づき、中国の絵

画思想である「写意」を用いて印象派の表現を解釈し、更に石涛が近現代絵画の創立者であると過大

評価した。

1930年代後半より戦争、革命が相次いで起こり、その後、1950-70年代において政治運動及び文化大

革命が行われ、それらの影響によって、非再現的な美術がほぼ禁止となり、それに関する論説も一時

的に空白期に陥った。

時が流れ、1970年代末より、異なる美術表現様式をめぐる論争が再開された。しかし、1980年代に

おいて、西洋近現代美術に対する理解はまだ不完全であり、東西の美術を比較する研究はそれほど多

くなかったのである。比較的早い段階である1981年、鄭為は「後期印象派与東方絵画」35)を発表し、

改めて後期印象派と中国絵画との関連性について論じ、更にフォービスム、キュビスムについても触

れた。また、それらの近現代美術流派の表現における自然を再現することから、自然を抽象化した様

式によって表現することへと転換した過程は、中国の絵画史にも同様に発生したと指摘している。鄭

為による考察は、1920年代においての論説より具体的な展開を行い、東西の美術の作例を通して、自

然、再現、非再現、抽象などの問題について論じた。その時期において、美術の革新を図る若い世代

の作家等は、伝統的表現における「現代性」を発見することより、西洋思想、美術表現様式への追求

― 13 ―

に取り組んでいたのである。

1990年代以降、印象派にとどまらず、戦後の西洋現代美術に対する再解釈の試みが見られる。例え

ば、王瑞芸による「禅宗、杜尚与美国現代芸術」36)において、ジョン・ケージとマルセル・デュシャ

ンを例として、禅宗の思想によって彼等の芸術を解釈している。禅宗の思想は日常生活を重視し、修

行、信仰のあらゆる宗教活動は日常生活に溶け込み、無意識的に禅の精神を貫く日々を送ることは真

の禅の修行であると主張する。つまり、禅は日常生活であると同時に、日常生活は禅である。ジョン・

ケージは、鈴木大拙によるそのような禅宗思想の影響を受けた。そして、彼は、故意に芸術的形式を

作ることなく、芸術は生活、生活は芸術、という考え方に基づき、芸術と生活との境界線を無くすよ

うな作品を創り出した。一方、デュシャンは直接に禅宗による影響を受けていなかったが、彼の芸術

はまさに禅宗の思想の体現であると考える。ジョン・ケージとマルセル・デュシャンは、戦後のアメ

リカ現代美術に多大な影響を与えたのである。その影響によって、抽象表現主義のような純粋な芸術

的形式を創り出す考え方に反して、芸術と日常生活を曖昧にするポップ・アート、ハプニングなどの

芸術流派が現れてきた。王瑞芸は論文において、禅宗の思想とアメリカ現代アートとの照合を行うと

ともに、それらの差異についても述べた。それは、「東洋の禅宗において、芸術と生活との統一は禅的

生活による結果であり、自然なる現象となり、故意にある形式によって表現する必要がない。一方、

アメリカのアーティストにとっての禅は、芸術の手段を通して達成すべき目的となり、故意に演じる

行為となるのである。彼等は、様々な芸術的手法を通して芸術と生活との統一を演じ、生活自体に芸

術の徴を付けるにもかかわらず、根本的に芸術と生活との統一の精神を把握できず、その両者は依然

として異なる存在である。」37)

以上挙げられた論説の例からみると、最初に西洋近現代美術を受容する際に、画家等は直感的にそ

れらの表現と中国の伝統的絵画との類似性を感じた。その後、西洋現代美術に対する理解の深化に伴

い、理論家は、西洋現代美術における中国思想との共通性を具体的に見出した。彼等は、実は西洋美

術を解釈するためではなく、中国の思想及び芸術に潜んでいる「現代性」を見出す目的を抱いている

と思われる。それらの中国思想による西洋近現代美術への再解釈は、中国の伝統的美術を現代的に転

換することに対して、理論上の基盤のような役割を果たしていると思われる。抽象絵画の制作におい

て、1990年代以降、中国の思想、または伝統的美術形式、様式の活用及び現代化への転換が見られ、

禅宗の思想が見事に体現されるようになったのである。

第2節: 中国思想における抽象絵画への再解釈

中国思想における西洋近現代美術に対する再解釈を考察した上で、抽象絵画に対する理論家、評論

家(キュレーター)達による様々な論説を見てみる。ここでは、まず1970年代末より理論界における

「抽象」をめぐる論争の様子を述べ、そして、1990年代以降多数開催された抽象絵画に関する展覧会

をめぐり、それらについての評論、論述を考察する。

1979-84年において、作家等の抽象絵画の制作の実践について理論上の論争が行われていた。呉冠中

による「絵画的形式美(絵画における形式の美)」38)と「関於抽象美(抽象的美について)」39)が発表さ

れたことがきっかけで、絵画における主題と形式、更に抽象性について5年間に渡る論争が起こった。

それは、抽象絵画ないし全般的な現代美術の展開に対する大きな影響を与える事件であった。

呉冠中は早期モダニズムの代表者である林風眠の教授を受け、その文脈を引き継ぐ画家であった。

― 14 ―

彼は、絵画表現自体の美しさ、魅力が成立することを主張し、当時の正統的な美術思想である「内容

によって形式が決定する」という考えを、文章において批判した。彼の主張は、賛成を得る一方、保

守主義の理論家による非難も受けていた。1980年、美学家洪毅然は「芸術三題議」40)を発表し、芸術

は現実生活における典型的形象の審美的な体現であり、形式主義を避けるべきだと出張した。また、

洪は1981年「談談芸術的内容和形式―兼与呉冠中同志商権」41)を発表し、呉に矛先を向け、その観

点に反対し、絵画の内容における主題性が最も重要だといい、形式があくまで従属的な存在であると

主張した。その後、美術の内容と形式、様式との関係、美術の抽象性をめぐり、多くの理論家、評論

家は論争に参加し、自らの観点を発表した。重要な論として、「形式美与辨証法」42)、「形式美及其在

美術中的地位」43)、「審美作用是美術的唯一功能」44)、「試論中国古典絵画的抽象審美意識―対于中国

古代絵画史的幾点新探討」45)、「也談抽象美」46)、「从“形式感”談到美和“抽象美”」47)、「形象的節律

与節律的形象―関于抽象美問題的一些意見」48)、「抽象美討論簡評」49)などが挙げられる。

それらの論文において、議論された「抽象」は、西洋美術概念、表現様式である今日の「抽象」と

は異なり、広義の非再現的な表現を指している。そのズレが生じたのは、限られた海外の情報や認識

によって、正確に西洋近現代美術を把握するのが困難であったことに原因がある。また、抽象美術を

提唱する作家、理論家は、「抽象」を利用して実用主義のリアリズムを打破したいという意図が強く、

美術を政治による支配から解放しようとした。「試論中国古典絵画的抽象審美意識―対于中国古代絵

画史的幾点新探討」のような論文においては、中国の伝統的絵画に見られる抽象的表現を取り上げ、

歴史的根拠によって抽象美術の制作の合理性を支えた。その反面、例えば、当時中国美術家協会の主

席である江豊は、「為創造社会主義文芸復興而奮闘―兼談形式与内容」50)において、美術表現様式の

問題を政治に結びつけ、欧米の現代美術が社会に有害なものといい、抽象的表現を唱える作家が反社

会的な傾向をもっていると指摘した。それらのことから考えられるのは、彼等の関心を集めたのは、

一つのスタイル、ジャンルとしての抽象美術に関する問題ではなく、政治と美術との関係に関する問

題であり、美術表現の自由、政治から離れた作家自身の自由に関する問題であった。

1990年以降、作家等による政治的風潮への関心が低下し、抽象絵画は美術表現自体として展開して

行き、そられの作品に関する展覧会は数多く開催されるようになった。「形而上」(上海美術館、上海、

2001年、2002年、2003年、2005年)、「抽象与写意」(廖雯工作室、北京、2006年)、「味象澄懐」(大象

芸術空間、台湾、2006年)、「気韻」(ChinaSquare Gallery NY、アメリカ、2007年)、のような展覧会

は、直接的に中国思想における概念を用いて抽象絵画の制作に対応している。「形而上」は、『易経』

における「形而上者謂之道、形而下者謂之器(形而上は道のこと、形而下とは器のこと)」から由来し、

形よりして上なるもの、即ち物事、現象の本質であることを指している。それは、現象から抽出され

る本質との意味であるため、現代の語彙である抽象にも対応すると考えられる。そして、「形而上」と

いう語彙が抽象芸術における精神性に関係すると解釈できるのである。

「抽象与写意」、「味象澄懐」、「気韻」は、中国の伝統的美術理論における概念を借用している。「写

意」と「気韻」については、文人画思想に関わり、非再現的な表現を表す概念である。「味象澄懐」は、

六朝の山水画家である宗炳(375-443)による「老疾将至、名山恐難遍睹、唯澄懐観道、臥以遊之(老

病倶に至る。名山遍く覩ること難きを恐る。懐を澄まし道を観、臥して以て之に游ばん)」、また「聖

人含道応物、賢者澄懐味象」51)から由来する。「澄懐」、「観道」、「味象」、その三つのキーワードとも

老子による道家思想に関係し、感覚及び体験を通して「道」と「象」、宗炳にとって山水の美を味わう

― 15 ―

ことを表している。抽象絵画の表現対象が具体的形象でなく、「道」、「象」、即ち本質、精神性、美の

ようなものであるため、それらの語彙を現代の抽象絵画に対応できると考えられた。キュレーターで

ある黄専は、中国美術思想にある「気韻」の概念が芸術における精神性、自由への追求との意味を表

し、西洋抽象美術におけるアヴァンギャルドにも共通していると考えられ、それを借用することによっ

て、現代の抽象絵画と伝統、歴史とのつながりを見出せると述べた52)。

それらの伝統的思想あるいは絵画論における概念を直接に引用する例は、実は一つの語彙によって

伝統と現代をつなごうとしていたのである。その選ばれた語彙は、日本美術における「侘び」、「寂び」

のような美意識を表す概念であり、言葉自体が抽象的で、現代の抽象に共通する部分があると思われ

る。しかし、それらの概念は、実は表現スタイルに対する解釈ではなく、抽象表現自体に対応してい

ないと思われる。即ち、それらの概念の評価対象は、具体的な表現形式、様式である現象でなく、普

遍的な絵画の精神性である。極端に言うと、具象絵画、再現的な表現においても「気韻」、「道」、「意」

を含んでいるのである。また、黄専のように、「気韻」を芸術における精神性と自由への追求として解

釈するのは、明らかに現代の立場から「気韻」を再定義している。つまり、現代の抽象絵画において

は伝統的思想、絵画論に共通する部分を持っているが、それらの概念の汎用性について検討すべきだ

と思われる。

「写意」、「味象澄懐」、「気韻」のような既成の概念を借用することと異なり、現代の抽象絵画に対

する新たな理論の構築の試みも見られる。それらは、「念珠与筆触」(北京東京芸術工程、北京、2003

年)、「中国極多主義」(中華世紀壇芸術館、北京、2003年)、「意派:中国抽象芸術三十年」(墻画廊、

北京、2007年、CaixaForum Palma、CaixaForum Barcelona、CaixaForum Madrid、スペイン、2008年)、

「第三種抽象」(対比窓画廊、上海、2009年)、のような展覧会を通して表されている。

美術評論家である粟憲庭は「念珠与筆触」を企画し、その展覧会を通して中国の抽象絵画に「極多

主義」という特徴があると提起した53)。「極多主義」とは、中国の抽象絵画において、単純な形である

ユニットが重複され、造形表現がその重複の手作業による痕跡そして見せ場となることである。そし

て、一見複雑な表現形式は、実は単純であり、単純さの積み重ねによる複雑である。また、重複の手

作業、労力の見せ場としての作品は、実はその制作の過程を表している。作家等は、その単純であり

繰り返される制作の過程において、心が癒され、禅の修行に接近する。一見無意味な単純作業である

が、その無意味こそ作家等が求めている「無」、「淡白」に至る境地である。中国の抽象絵画は、特定

の観念、あるいは一時的な感情を具現化するのではなく、作家の日常の精神状態を忠実に記録するも

のである。また、「極多主義」は、語彙として西洋現代美術におけるミニマリズムに反し、それと異な

る抽象芸術であることを強調している。また、ミニマリズムは西洋的考え方を表すとすれば、「極多主

義」は東洋的な考え方を体現していると述べた。

粟憲庭は、1980年代より、「試論中国古典絵画的抽象審美意識―対于中国古代絵画史的幾点新探討」54)

を発表し、音楽の抽象性を例えとして伝統的絵画における抽象に対する意識について論じた。また当

時から現れてきた現代の抽象絵画に対して、1985年、彼は「純粋抽象是中国水墨画的合理発展」55)を

発表し、中国の伝統的水墨画が純粋な抽象絵画へと発展することを期待した。それは、主に水墨画に

おける筆墨表現の抽象性に基づいた結論である。しかし、期待されていたその水墨画から純粋抽象へ

の「合理的な展開」は現れてこなかった。彼は、次第に抽象絵画において、実は抽象表現主義による

表現スタイルを模倣するもの、または伝統的山水画における基本構造から逸しないものが多いと察し

― 16 ―

た56)。伝統的水墨画に関する思想において、筆墨表現が即興的で抽象性を持つが、山水、花卉のよう

なモチーフが人格、趣向などの象徴的意味を持つため、少なくとも最小限にそれらの形象を保つので

ある。そのため、粟憲庭が予想したように、筆墨の抽象性のみの展開によって抽象絵画に至ることは

発生しないのである。

1990年代後半以降、作家等のたゆまない模索によって、伝統的絵画とも西洋抽象絵画とも異なる表

現スタイルが形成されてきた。それらは、粟憲庭が改めて考えた「極多主義」という特徴を持つ作品

である。例えば、李華生による単純な墨線の配列による作品(図25、図26)、陳光武による部首、筆画、

句読点の重複によって構成される作品(図30、図31)、周洋明が繰り返して描いた筆触のような短い線

による作品(図46)、丁乙による作品における「十字」のモチーフの繰り返し(図51-53)、などである。

それらの作品は、一見地味であり、造形の趣を求めていないようであるが、前述のように作家等がそ

の単純作業の過程自体を味わっているのである。制作の過程における時間、労力、精神状態は表現の

テーマとなるのである。勿論、造形上では、作家等は西洋抽象絵画における非対象的な思想の影響を

受け、造形要素自体を表現しようとしている。しかし、彼等は点、線、面のような造形要素による様々

な形式、秩序を探求するのではなく、実は伝統的水墨画におけるそれらの要素を還元するのである。

粟憲庭は中国の抽象絵画においてその単純と重複による表現スタイルが形成する原因について、具体

的な論拠を挙げていなかったが、恐らく道家思想における「一生二、二生三、三生万物」のような、

単純である「一」から「万物」が生まれる考え方に関係していると推測する57)。

粟憲庭による「極多主義」は全面的にはそれらの作品における特徴を含めないが、初めて中国の抽

象絵画における独自の論理を見出した概念であると言える。「念珠与筆触」が開催された同年、高名潞

はその概念を用いて「中国極多主義」を企画した58)。

2007年、高名潞は「意派:中国抽象芸術三十年」を企画し、タイトル通りに中国の抽象美術を「意

派」によってまとめている。高名潞は全面的に抽象絵画ないし中国美術を解釈しようとし、「意派」と

いう系統的な美術論を作り出そうとしている。高名潞は出版された『意派』において、「抽象」があく

まで西洋モダニズムによる産物であり、それが二元対立及び進化論のような特徴を持っている。西洋

の抽象美術は内容と形式との両立による二元論的観点に基づく表現であり、観念の再現、再現の行為

に対する再現のような「再現の論理」から逸脱できていないものであると指摘した。それに対して、「意

派」の理論は、中国思想に求められる統一性に基づき、芸術における「理(Principle、本質)」、「識

(Concept、コンセプト)」、「形(Likeness、形式)」の統一性(Totality)を求め、主張するものであ

る59)。それは、伝統的美学に由来する「意」または「写意」と関わり、「写意」の現代化への転換が狙

われ、更に「意派」によって「抽象」という語彙を置き換えようという意図が窺える。

彼は論において、まず西洋現代美術における抽象美術について分析した。ロシア構成主義、シュプ

レマティスム、新造形主義などに代表される早期抽象美術は、実は形式を用いて本質を再現、象徴し

ている。抽象表現主義からミニマル・アートへの表現に代表される次の段階の抽象美術においては、

作家らは形式に象徴的意味を与えることに反し、物質や形式自体が作品を語ると主張した。このよう

に、西洋抽象美術において、内容と形式を対立させ、内容の除去及び形式の自律を考えることは作家

等の課題であった。西洋美術において再現的美術の伝統があるからこそ、その伝統に反する形式の自

律性が求められていたのである。ミニマル・アート以降、ポップ・アートとコンセプチュアル・アー

トが現れ、芸術作品における形式への探求から逸し、ある意味ではそれまでの内容と形式との対立、

― 17 ―

矛盾から抜け出ようとしたと思われる。そして、西洋現代美術において、抽象、コンセプト、再現の

三つの方向が形成され、ほぼ相容れない状態になる。

それらの状況に対して、中国の美術は古い時代より抽象、コンセプト、再現を融合しようとする傾

向が見られる。それは、高名潞によって「意派」にまとめられ、抽象が「理(Principle、本質)」に、

コンセプトが「識(Concept、コンセプト)」に、再現が「形(Likeness、形式)」に対応すると述べた。

その統一、融合により、中国の美術においては、どちらかの方向へ極端に走る表現は出現していない

のである。多くの中国の作家には、感性及び体験によって制作し、点、線、面を精密に分析し構成す

るような作品はやはり少ないのである。また、高名潞は「極多主義」も「意派」の理論に収めている。

「極多主義」の作家等は、構図の精緻さ、造形の趣にはほとんど興味がなく、むしろそれらを一種の

芸術への束縛として考えている。彼等は、内容と形式との対立を考えず、内容、形式、制作の場のす

べての要素を日常生活の体験に溶け込ませている。

高名潞は長年のアメリカでの研究経歴を持ち、「意派」の論説における西洋抽象美術に対する分析、

考察には説得力があると思われる。しかし、それらとの比較から出発し、中国の抽象美術ないし全般

的な中国美術に対して、「理」、「識」、「形」の融合を用いて解釈することは、多少無理があると思われ

る。まして、1976年以降発足した現代の抽象絵画は、最初から西洋現代美術の観念及び表現様式によ

る影響を受け、その影響においてコンセプチュアル・アート、パフォーマンスなども含まれている。「極

多主義」のような制作は、恐らくパフォーマンスによる影響を受けているとも考えられる。その複合

体のような美術形式に対して、西洋抽象美術のみと比較するのは、不適切なところがあると思われる。

更に、彼の論においては、いくつかの指摘すべき問題点があると思われる。例えば、彼は西洋と中国

の抽象美術との比較において、最も中国の作品と類似性を持つ抽象表現主義については一切触れな

かった。また、東洋的美学の共通性を説明するため、日本のもの派との比較を行ったが、それを禅の

美学によって解釈することは、事実から逸していると思われる。中国の作品に関しても僅かの作例し

か取り上げなかった。しかし、全体的にみると、高名潞による「意派」の理論はまだ不適切な点は多

いものの、その論理を構築する試みであることは評価でき、今後の研究の深化も期待できるのである。

粟憲庭と高名潞は、あくまでもそれまでに発生してきた抽象絵画に対して理論を構築した。朱青生

は、「第三種抽象」という概念を発表し、これからの抽象美術のあり方について論説した。また、2009

年、彼の企画によって「第三種抽象」という展覧会が開催され、彼自身の作品を含め、「未来の抽象」

の素質が見られる作品が展示された(図57)。

朱青生は「再論第三種抽象:与筆墨的関係」60)において、抽象美術を三つの段階に分ける。カンディ

ンスキー、モンドリアンに代表される第一段階において、抽象絵画における表現は象徴性を持ち、そ

の象徴性は具体的なものを象徴していなくても、宇宙、精神を象徴している。第二段階の抽象は、抽

象表現主義及びミニマリズムに代表される。抽象表現主義の作家等は、美術表現を象徴性及び隠され

ている意味から開放しようとし、直に自らの人格と情緒を表現しようとした。更に、ミニマリズムの

作家等は、ものをもの自体として表わし、制作者の人格も情緒も排除するようになった。第一と第二

段階は、それまでの抽象美術の歩みである。第三段階においては、いわゆる「第三種抽象」は更に象

徴性、感情要素、理智要素との関係から脱却し、何者も表さず、完全に作家の神経回路、無造作の精

神を具現化するものである。朱青生によるその予言のような第三段階の抽象に関する解釈自体は、抽

象的でどのような表現を指しているのが不明のままである。彼は、中国の書道は「第三種抽象」の理

― 18 ―

想に近く、書から着眼を得ることができると述べた61)。

朱青生が定義した「第三種抽象」においては、それまでの抽象美術に重視された形式、様式ないし

行為などを重要視しなくなり、ただ制作された、例えば一筆において、どのような精神性を含めるか

ということが最も重要だと考えている。言い換えると、彼は精神性によって芸術制作自体を置き換え

ることを主張しているのである。その精神性と芸術との関係について、歴史的源流を遡ると、書、「気

韻」、「意境」のような概念とつながり、書画の筆墨において最も体現できていると指摘されている。

しかし、彼は「第三種抽象」が伝統的概念への回帰ではなく、書画の筆墨にも反して、新たな表現な

いし芸術観念を創り出すことを望んでおり、芸術のユートピア、人間を超越した芸術家を提唱してい

る。この大胆な論説において、すでに「抽象」自体を再定義しており、これは非対象から非形式への

転換である。精神性は芸術の形式に表されるのではなく、それ自体が芸術となるのである。そして、

芸術家は思想家となり、具現化の形式を用いず、完全なる抽象的境地に至ると推測できる。「第三種抽

象」はあくまでも仮説であるため、作品を用いた検証はできないが、理論家には、それまでの抽象美

術に対する思考、更にそれらを超越する意欲が窺える。

以上、評論家、理論家による現代の抽象絵画に対するそれぞれの解釈、構築された理論について考

察した。中国思想における概念、例えば「意境」、「道」、「気韻」は「抽象」に共通していると思われ、

直接的にそれらの概念を用いて抽象絵画を解釈する場合がある。一方、中国思想に関わりながら新た

な理論を構築する理論家、評論家もいるのである。粟憲庭による「極多主義」、高名潞による「意派」、

朱青生による「第三種抽象」はそのような試みである。それらの理論はまたそれぞれの欠点があるに

もかかわらず、中国の抽象絵画における独自の論理を見出そうとする点が評価できる。

第3節: 思想観念の本質:伝統に対する現代的再解釈

以上、抽象絵画に関する思想観念の形成する過程を整理し、理論家、評論家による現代的立場、視

点から見る伝統についての再解釈を考察した。それらの再解釈から見て、彼らは、伝統的思想を延長、

継承しようとするのではなく、実は「伝統」という名目の下で新たな「伝統」を創り出そうとしてい

る。「写意」、「気韻」、そして「禅」などの概念の名称は依然として使われているが、それぞれの意味、

解釈はすでに変化し、現代美術、抽象絵画との接点を持つ概念に変身させた。それらの思想観念に対

する再解釈に伴い、表現においても水墨画、書のような伝統的要素が用いられているにもかかわらず、

伝統的美術表現が復元されることなく、現代的表現が創り出されている。

そのような抽象絵画における「伝統的背景」と「現代性」との関係においては、現代的思想及び表

現は一方的に伝統に対抗、反逆するのではなく、伝統と合流しながら、それを現代化しようとするこ

とが窺える。それは中国の抽象絵画に見られる特徴であると同時に、美術における近代化の未発達に

よる結果でもある。20世紀以降、中国美術の流れにおいて、外来の西洋美術による衝撃を受け、それ

らと本来の伝統的美術との対抗、融合によって中国美術の現代性が形成されつつある。その東西の美

術の関係における矛盾を含む現代性は、伝統に対して批判するとともに、その伝統による民族性を用

いて西洋文化、美術への対抗も行われつつある。そのように、現代中国の美術は、時間の軸において

数千年にわたる伝統との断絶を求め、新しい美術を創り出そうとし、空間の軸において、先進的と思

われる西洋美術にアプローチすると同時に、中国の独自性を持つ美術を追求し続けている。そして、

伝統に対する現代的再解釈、即ち現代の視点から伝統における現代性の再発見は、中国美術の独自の

― 19 ―

現代性を成す主要な方法である。その再解釈は、まず美術に関する思想、観念の領域で起こっていた。

伝統美術思想における近現代美術思想と共通的な点が見出され、論証された上で、伝統的絵画表現を

現代美術の制作に取り込み、様々な手法によって活用されるようになった。要するに、中国の抽象絵

画にとっての思想的裏づけは、西洋抽象美術、またはコンセプチュアル・アート、パフォーマンス・

アートなどの近現代美術に関する観念と、中国固有の伝統的美術思想における道家、禅宗との融合体

であり、両者における共通点、接点に基づいて構築されたものである。

抽象美術の受容期においては、西洋抽象絵画の概念である「非対象的」、「観念的」を受容すること

によって、抽象性を持つ伝統的絵画表現から純粋な抽象絵画へと中国の作家等を導いたのである。西

洋的美術概念である「抽象」は、現代中国の抽象絵画の発生の過程において、それまでの伝統的絵画、

あるいは写実的絵画を変える中心的な役割を果たしたと思われる。1970-80年代の抽象絵画において、

作家等は西洋抽象絵画を模倣することによって、まず造形表現の自律、形象を無くすことに取り組ん

でいた。一方、その時期より、中国固有の哲学思想に対する再発見が行われ始め、次第に道家、禅宗

思想における西洋の抽象美術思想との接点が見出されたのである。道家思想の宇宙観における「混沌」、

「統一」、「太極」などが、宇宙の原理、秩序を抽象的に表すことは、カンディンスキー、モンドリア

ンに代表される現実世界における物事を抽象的形によって抽出することと、世界の原理、秩序を表現

することに共通していると思われる。禅宗思想における修行と日常生活との関係、平凡なる日常生活

を通してこそ、超越を求める境地、悟りに至る観念は、コンセプチュアル・アート、パフォーマンス・

アートにあてはまり、禅的修行を芸術的行為として見られるようになった。伝統的絵画表現における

抽象性は、現代の抽象絵画に活かされていると思われ、伝統と現代とつなげる要素であると考えられ

る。

その新たに構築された思想観念によって導かれた絵画は、中国の伝統的思想からみて、道家と禅宗

の宇宙観、人生観が反映されている一方、現代美術の視点から見て、抽象絵画でありながらコンセプ

チュアル・アート、パフォーマンス・アートの要素が含まれている。また、その二つの見方は作品に

おいて統一されており、伝統的思想における現代性を再発見するとともに、西洋近現代美術における

抽象の概念、コンセプチュアル・アートの意味が中国の道家と禅宗によって再定義されたのである。

禅の思想においては、日常生活を体験すること自体が修行であり、それを通して悟りに至ると主張す

る。中国の作家等は、芸術作品の制作が禅の修行を置き換え、芸術の行為を日常生活に持ち込み、そ

の実践の体験を通して精神的超越を求めるのである。制作の時間が非常に長い作品、また制作が日課

のようになっている作品がその体現である。例えば、前述した張羽による「指印シリーズ」、劉旭光に

よる「痕跡シリーズ」、丁乙による「十示シリーズ」はいずれも二十年ほど続けられている。李華生、

周洋明、梁銓、陳光武、沈忱などの作家は毎日数時間をかけて点、線、面を描き続けている。范叔如

は一日一枚の線を描くことを日課としている。それらの作品においては、絵画の制作を通して日常生

活における人生を体験し、更に、その体験を通して日常生活に居ながらもそれを超越する芸術の境地

(悟りの境地)に至ることを追求している。それらは、実は禅宗の思想観念及び修行の行為が、パフォー

マンス・アート、コンセプチュアル・アートとして再解釈されることに由来すると考えられる。

また、中国の抽象絵画の発生及び展開期は、すでにモダニズムからポストモダニズムへの転換が起

こった時代であり、作家等は単に抽象美術にこだわらず、それまでに現れてきたあらゆる流派、思想

を自らの基準、嗜好によって選別、参考している。そして、複数の流派、美術思想による影響を受け

― 20 ―

た彼等の作品は、西洋モダニズムの思想によって生み出された抽象美術と異なり、造形自体の自律性

を極端に追求することなく、モダニズムが排除しようとした絵画の叙事性、文学性を取り込んでいる

のである。それは、中国の伝統的美術における文人画思想から見て、実は共通点を持っていると思わ

れる。北宋時代に遡り、文人画は単なる視覚造形のために創り始められたものではなく、より文人の

教養を体現、向上するための芸術であったのである。芸術家は職人、造形作家と異なり、精神性を表

す作品を作る者であり、芸術も工芸、職人絵画のような実用美術と異なり、一種の思想を反映する媒

体である。そのため、文人画家はエリートの意識を持ち、絵画を通して自らの人生において超越的な

ものを求めるのである。文人画は直接現実を表現することなく、理想の山水、自らの人格、品格を象

徴するモチーフを表現するのである。そのため、中国の絵画の伝統においては、絵画における象徴性、

そしてそこから派生した絵画と文学(特に詩)との関連性が表されている。そのような絵画に対する

考え方は、現代の抽象絵画作家の意識にも含まれ、作品制作に反映されている。それは、西洋の抽象

絵画に相容れない絵画の主題性、叙事性を表す要素であり、とりわけ作品の表題において文学的、叙

事的な言葉の使用に見られる。当然、現在の抽象絵画に用いられる「叙事性」は、再現的な絵画にお

ける叙事性とは異なり、イメージを連想させる言葉による不確定的な暗示であり、コンセプチュアル・

アートに表される現代言語学に基づく意味するものと意味されるものとの関係を表すものであると考

えられる62)。例えば、張浩による「欧州之旅之三」(図29)、梁銓による「瀟湘八景之四」(図3)、李華

生による「春夏秋冬」(図37)、范叔如による「山水日記」(図27)、孫凱による「挽歌」(図48)、朱小

禾による「飛燕図」(図49)の表題はそのような表現である。作家朱小禾は自らの作品を「叙事的抽象」

と呼び、具体的に物語を語るのではないが、描く行為自体が作品の内容を陳述していると言い、幾何

学的な抽象のような純粋な抽象的構造を作ることはないと主張している63)。孫凱は、自らの作品が「文

学的発想に由来する場合が多く、何らかの抽象的概念より、感性的イメージを引き起こしたい」64)と述

べた。范叔如は、「恐らく中国では純粋な視覚的抽象が出現せず、中国の哲学に基づく美術思想におい

て「唯視覚論」的なものを認めず、文学、とりわけ詩的感性、「写意」のような要素を抽象表現に取り

込むことこそ、中国的だ」65)と主張した。そのように、伝統的文人画における文学的叙事性を一つの

コンセプトとして抽象絵画に取り込まれ、表現上の「抽象性」と表題上の「具象性」との融合が見ら

れるのである。それは、一種のコンセプチュアル・アート的な要素として見なされ、伝統的詩学にお

ける文人画と共通する「写意」に対する再解釈であると考えられる。

― 21 ―

おわりに

本論においては、「伝統的背景」と「現代性」は現代中国の抽象絵画を貫くキーワードであり、その

二つの要因による相互作用が現在の抽象絵画の様相を築き上げたのである。それまでの先行研究にお

いては、現代の抽象絵画を、伝統の継承、または水墨の延長として容易く解釈する傾向、あるいは伝

統的水墨表現の抽象性を現代美術に相当させる過大評価が見られる。しかし、西洋抽象美術の受容が

なければ中国の抽象絵画が誕生しなかった歴史的事実から見て、そのような継承、延長の解釈は成立

しないと思われる。本論では伝統的絵画から現代の抽象絵画への順序に基づいて研究するのではなく、

現代の抽象絵画から入り、その中に見られる伝統的要素を結果として考え、その由来の経過を探った。

そして、西洋抽象美術における抽象の概念に対する中国思想的な再解釈、または伝統的思想における

現代性に対する再発見、といった「伝統的背景」の真相を浮かび上がらせた。その結果として「伝統

的背景」は現代に再構築されたものであることがわかってくるのである。

現代の作家、評論家等による伝統的絵画表現における「抽象性」に関する再発見によって、抽象絵

画にとっての「伝統的背景」が再構築され、その中にすでに「現代性」を内包している。「現代性」は、

西洋の近代化による所謂普遍的基準へのアプローチではなく、受容、対抗、継承の三つの軸によって

形成された中国の伝統と西洋の文化との関係を表すものである。それは、西洋文化の受容によって中

国の伝統が変革されると同時に、伝統的美術を用いて西洋の近現代美術から逸脱していく、という矛

盾を内包する弁証法的な関係である。作家等は、伝統的美術における様々な要素を利用しながらも、

伝統的絵画から脱却する表現を創出し、中国の絵画を現代化しようとしている。一方、西洋抽象絵画

による影響を反映しながらも、自国の伝統的美術を用いて西洋抽象絵画と異なる表現を創り出そうと

している。つまり、中国の抽象絵画ないし現代美術全体においては、異なる時代、地域の要素が表さ

れており、単なる伝統に反動する「現代性」の表れ方ではなく、時空の交互を表す「現代性」である。

そして、その新たな中国独自の「伝統的背景」と「現代性」との相互関係は、美術の展開とともに形

成されつつあり、伝統に関係しながら未来を示しているのである。

西洋美術史において、抽象美術の時代はすでに終わったと言われている。1976年より発生した中国

の抽象絵画は、最初から時代遅れであったと思われ、現在に至り、展開されてきたそれらの制作に対

してどのように評価し、位置づけするのかは明確に言えない。抽象美術は一つの潮流として去っていっ

たと思われるにもかかわらず、新たな抽象表現が現われ、それらの作品は決して懐旧のみのものでは

ないのである。今日、抽象絵画に従事する作家等は、現代美術全体に点在する様相であり、各々のア

プローチによって表現における新たな可能性を探求している。近年、盛んなるメディア・アートなど

による新形式の展開も見られる。本論では、抽象絵画に焦点を絞ったが、抽象美術全体から見て、写

真、立体、映像などの作品に関する研究の展望が考えられる。実際、それらの変貌に伴い、20世紀始

め頃の当初の抽象美術の概念、範疇が変化しつつ、研究、評論においての捉え方も変わらなければな

らないと思われる。それらの疑問、そして解明方法については今後の研究課題としたい。

― 22 ―

1) 于佳婕、「余友涵訪談」、『転向抽象―1976-85上海実験芸術回顧展』、上海証大当代芸術館、2008

年、225頁参照。

2) 周彦、「中国抽象与東方宇宙観」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、生活・読書・新知三聯書店、

2009年、148頁参照。

3) 于佳婕、「周長江訪談」、『転向抽象―1976-85上海実験芸術回顧展』、236‐237頁参照。

4) 梁銓、「瀟湘八景」、『庫藝術18』、江西美術出版社、2011年、50-51頁参照。作家は文章においては、

直接に自らの作品と伝統詩文との関係について述べていないが、荊浩の『山水賦』を読み、董源の

絵画「瀟湘図」に感銘することを記述している。それらの記述と作品を照合すると、両者における

内在する関係が窺える。

5) 劉旭光による制作意図については、筆者による劉旭光へのインタビュー(北京、2011年3月)に基

づく。インタビューにおいては、彼は、「卜」が甲骨文字に由来する最も古い文字の一つであり、

漢字における基本的筆画である「1」と「ヽ」によって構成され、中国文化の原点を象徴できると

考えている。そして、その古い文字を現代的表現に用い、伝統と現代、過去と今日をつなぐ意図を

持っているという。また、彼は長い実践を重ねてようやくその「卜」をシンボルとして自らの作品

に定着したという。

6) 張羽による制作意図については、張羽、「呈現行為過程的芸術」、『現代性与抽象:芸術研究・第1

輯』、217-224頁参照。

7) 梁銓、「梁銓的自述」、『庫藝術18』、24頁参照。

8) 張羽、「呈現行為過程的芸術」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、221-222頁参照。原文「“指印”

—日常的观念、日常的生活态度。中略。“指印”—行为过程的精神修炼:指印是一种与身体有

关的方法。虽然, “指印”创作具有一定的极端精神的乌托邦理念。但更像是日常生活中的冥想和

参禅的精神活动的记录。」

9) 栗憲庭、「治疗、修性艺术,繁复、积简而繁或者极繁主义」、『念珠与筆触』、北京東京芸術工程、2003

年、5頁参照。原文「我把艺术类比于宗教,其心灵的自我安抚是一致的。(中略。)所以,繁复艺术

更多的不是一种观念,而是一种人生的体验。」

10) 仇徳樹については、曾玉蘭、「仇徳樹訪談」、『転向抽象―1976-85上海実験芸術回顧展』、142-147

頁参照。

11) 兪璟璐、「裂変:表現我們時代思考力量的芸術」、『庫藝術18』、96頁参照。

12) James Cahill: Parting at the Shore: Chinese Painting of the Early and Middle Ming Dynasty,

1368-1580, John Weatherhill, Inc., of New York and Tokyo, First Edition, 1978, p163.原

文「Hsu Wei's style probably represents the extreme point reached in that direction by Chinese

painting, at least up to the present century. As such, it continued to inspire later artists

who were inclined by taste or temperament to bold and extravagant manners of painting. That

it can be seen today as a striking precursor of Abstract Expressionism is therefore no

accident, since this modern movement was inspired in turn by the practice of Far Eastern

calligraphers and painters.」

― 23 ―

13) 筆者訳。呂澎、『1990-1999中国当代芸術史』、湖南美術出版社、2000年、44頁。原文「王川的作品

基本上可以被看成是用水墨的形式对美国抽象表现主义的一种诠释。」

14) 張浩の制作意図は、彼の友人である劉旭光による記述に基づくものである。筆者による劉旭光への

インタビュー(北京、2011年3月)においては、張浩の抽象絵画について、劉は「張さんの作品は、

描かれた一筆は一度の旅を表している。しかし、それは実際の旅に限らず、精神的な旅のことも指

している。張浩の作品は、私の友人である日本の作家である池田雅文に似ている。池田さんは、当

時榎倉康二の博士として在籍し、作家として川俣正、宮島達男ほど有名ではなかったが、研究には

才能があると思われていた。彼は制作の時に、まず散歩しにいき、自転車に乗ったり、遠くまで歩

き回ったりした後、大きなカンバスにただ一つの小さい面積を塗る。そして、次の日もそのように

繰り返す。出来上がった作品は抽象絵画であるが、実はその中に彼の日常の旅の記事が含まれてい

る。彼は陶淵明が好きで、陶淵明の詩に表されている旅の境地を追求している。」と述べた。

15) 賈方舟、「新経験、新方式、新気象―胡又笨作品評析」、『美術研究・1998年第4期』、中央美術学

院、47-48頁参照。

16) 筆者による徐紅明へのインタビュー(北京、2011年3月)より。インタビューにおいて、徐紅明は

「今回の展覧会は『東方紅』というタイトルとした。それは、革命的な紅色を指していると勘違い

しやすいかもしれませんが、実は伝統色の紅色を意味している。中国の現代美術はよく政治的記号

として考えられているが、それより私は文化的側面、伝統的美術の造形表現、素材の特殊性から発

想、制作したいと考えている」と述べた。

17) 蘇笑柏、「絵画手段本身作為独立存在的可能性」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、212-217頁

参照。

18) 筆者訳。楊志麟、「抽象之道上的思索」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、153頁。原文「我对

时间非常有兴趣。」

19) 筆者訳。同上の文献、153頁。原文「观赏的时间性与我想表现的时间性就重叠了。」

20) 筆者による徐紅明へのインタビュー(北京、2011年3月)より。

21) 石涛による題跋「点有雨雪風晴四時得宜点、有反正陰陽補貼点、有挟水挟墨一気混雑点、有含苞藻

糸纓絡連牽点、有空空闊闊乾遭没味点、有有墨無墨飛白如煙点、有焦似漆邋遢透明点」参照。Jonathan

Hay、邱士華・ほか訳、『石涛』、生活・読書・新知三聯書店、2010年、273頁による引用。

22) 陳光武、「只是書法」、『念珠与筆触』、33頁参照。

23) 粟憲庭、「治療、修性芸術、繁複、積簡而繁或者極繁主義」、『念珠与筆触』、11頁参照。

24) 張羽、「呈現行為過程的芸術」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、217-224頁、または于海元、

「水墨不再是問題」、『庫藝術18』、34-41頁参照。

25) 張羽、「呈現行為過程的芸術」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、219頁参照。

26) 筆者訳。粟憲庭、「治療、修性芸術、繁複、積簡而繁或者極繁主義」、『念珠与筆触』、10頁。原文「就

用呆呆的笔法画格格。」

27) 于佳婕、「沈忱訪談」、『転向抽象―1976-85上海実験芸術回顧展』、78頁参照。

28) 前掲[注14]参照。

29) 粟憲庭、「治療、修性芸術、繁複、積簡而繁或者極繁主義」、『念珠与筆触』、15頁参照。

― 24 ―

30) 同上、12頁参照。

31) 丁乙については、Cao Weijun:Ding Yi: The Magician of Crosses, Yishu: Journal of Contemporary

Chinese Art, Volume 7, Number 5, Art & Collection Group Ltd., 2008, pp49-61参照。

32) 楊志麟、「抽象之道上的思索」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、154-155頁参照。

33) 劉海粟、「石涛与後印象派」、『時事新報』、1923年8月。

34) 嬰行(豊子愷)、「中国美術在現代芸術上的勝利」、『百年中国美術経典文庫・第一巻』、海天出版社、

1998年、67-77頁。

35) 鄭為、「後期印象派与東方絵画」、『美術研究・1981年第3期』、中央美術学院、52-56頁。

36) 王瑞芸、「禅宗、杜尚与美国現代芸術」、『美術研究・1993年第4期』、中央美術学院、22-29頁。

37) 筆者訳。同上の文献、28頁。原文「其中的区别是:在禅宗那里艺术和生活的统一是一种禅的生活方

式的结果,是一个自自然然的现象,无需用处心积虑的方式表达出来。在美国艺术家那里却成为一个

目的,一种刻意,在根本的意义上他们并没有把握住艺术与生活统一的底蕴,所以尽管他们煞费苦心

地表示艺术与生活是一回事,乃至直接在生活的本身贴上艺术的标签,艺术和生活在他们那里最终还

是两回事。」

38) 呉冠中、「絵画的形式美」、『美術・1979年第5期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、35-37頁。

39) 呉冠中、「関於抽象美」、『美術・1980年第10期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、39-41頁。

40) 洪毅然、「芸術三題議」、『美術・1980年第12期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、8-10頁。論

においては、美術は現実生活を反映するもの、社会に服務すべきものであると主張し、呉冠中が提

唱する表現形式の美の追求を批判している。それは、美術に対する実用主義的な観点であり、美術

自体の独立性を否定する論調である。

41) 洪毅然、「談談芸術的内容和形式―兼与呉冠中同志商権」、『美術・1981年第6期』、中国美術家協

会美術雑誌編輯部編集、6-9頁。

42) 遅軻、「形式美与辨証法」、『美術・1981年第1期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、17-22頁、

24頁。

43) 浙江美術学院文芸理論学習小組、「形式美及其在美術中的地位」、『美術・1981年第4期』、中国美術

家協会美術雑誌編輯部編集、43-45頁、62頁。

44) 彭徳、「審美作用是美術的唯一功能」、『美術・1982年第5期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、

17-20頁。

45) 何新、粟憲庭、「試論中国古典絵画的抽象審美意識―対于中国古代絵画史的幾点新探討」、『美術・

1983年第1期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、6-11頁。論においては、原始美術からみる抽

象的表現が絵画の起源とし、中国の伝統的絵画における抽象性に対する審美意識について論じてい

る。

46)徐書城、「也談抽象美」、『美術・1983年第1期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、12-16頁。

47) 洪毅然、「从“形式感”談到美和“抽象美”」、『美術・1983年第5期』、中国美術家協会美術雑誌編輯

部編集、6-8頁、24頁。

48) 杜健、「形象的節律与節律的形象―関于抽象美問題的一些意見」、『美術・1983年第5期』、中国美

術家協会美術雑誌編輯部編集、18-22頁。

― 25 ―

49) 馬欽忠、「抽象美討論簡評」、『美術・1984年第1期』、中国美術家協会美術雑誌編輯部編集、55-59

頁。

50) 江豊、「為創造社会主義文芸復興而奮闘―兼談形式与内容」、『中国画研究・1981年第1期』、中国

美術家協会編集、6-9頁。

51) (南朝、宋)宗炳・王微、『画山水序』、人民美術出版社、1985年、7頁。

52) 黄専、「気韻―中国抽象国際巡回展簡介」参照、

http://www.artlinkart.com/cn/artist/exh_tp/9f2atAqj/667brBon、2011年9月アクセス。

53) 粟憲庭、「治療、修性芸術、繁複、積簡而繁或者極繁主義」、『念珠与筆触』、4-15頁参照。原文「極

繁主義」という。

54) 前掲[注45]参照。

55) 栗憲庭、「純粋抽象是中国水墨画的合理発展」、『美術・1986年第1期』、中国美術家協会美術雑誌編

輯部編集、8-12頁。

56) 粟憲庭、「治療、修性芸術、繁複、積簡而繁或者極繁主義」、『念珠与筆触』、10頁参照。

57) 同上、14頁参照。

58) 粟憲庭は「治療、修性芸術、繁複、積簡而繁或者極繁主義」において、作品の特徴を見出したが、

高名潞は「中国極多主義」の展示によってその概念を明言した。

59) 「意派」の理論の詳細については、高明潞、『意派論』、広西師範大学出版社、2009年、参照。

60) 朱青生、「再論第三種抽象:与筆墨的関係」、『水墨時代論文集』、上海書画出版社、2010年、42-47

頁。

61) 同上、44頁参照。

62) 1960年代、イギリスのArt & Language group、またはアメリカの作家であるJoseph Kosuthは、コ

ンセプチュアル・アートを作り出し、現代言語学がその重要な思想的背景である。Joseph Kosuth

による代表作である「一つの、そして三つの椅子」は、椅子を定義する言語、実物の椅子、再現さ

れた椅子(写真あるいは絵画)と椅子の概念との間の関係を問いかけ、意味するものと意味される

ものとの関係を表した。

63) 朱小禾、「抽象絵画与叙事」、『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』、226-227頁参照。原文「这个 “抽

象”是很叙事的抽象。(中略。)如果以马列维奇、蒙德里安为标准,他们是硬边的纯粹的抽象形式建

构,我就没有那个硬边,没有纯净的形式建构。(中略。)我说的艺术叙事是在抽象律令的强制下的叙

事,就是叙事必须用强制的规则来叙事,不能是直观地去叙事,也不能很直接很感性地去叙事。还有

一个就是抽象形式运作就是意识形态,意识形态不在我们的脑子里,是在我们的手上,是在我们的行

为里。」

64) 筆者による孫凱へのインタビュー(北京、2011年3月)より。

65) 筆者による范叔如へのインタビュー(東京、2011年8月)より。

― 26 ―

図版

素材不明 1980年代

図 1 陳箴「気遊図之一」

油彩、カンバス 1985年

ミクストメディア 2009-10年

図 2 周長江

「互補系列No.12」

図 3 梁銓「瀟湘八景之四」図 3 梁銓「瀟湘八景之四」

水墨 1995年

図 4 張羽「霊光第27号」

図 5 張羽「指印(部分)」

ミクストメディア 1991-2001年

図 6 張羽「指印(部分)」

ミクストメディア 2007年

水墨 1983年

図 8 仇徳樹「裂変―大我精神形象之三」

図 7 「指印」の制作風景

― 27 ―

図 9 劉旭光「痕跡1998」

ミクストメディア 1998年

図 11 仇徳樹

「心霊的形象」

水墨 1980-81年

図 10 仇徳樹

「超脱系列1号」

水墨 1983年 図 12 仇徳樹

「山水(橙調)―裂変」

ミクストメディア 2010年

図 13 仇徳樹「活力之二」

水墨 1980年

図 14 徐渭「葦塘虫語図巻」

水墨 1560~70年代

― 28 ―

水墨 1980年

図 15 王川「No.40」

図 16 張雷平「霧松」

水墨 2004年

図 17 藍正輝「派対2」

水墨 2009年 図 18 ジャクスン・ポッロク「第1番A」

ミクストメディア 1948年

図 19 フランツ・クライン、「オレンジと黒の壁」

油彩、カンバス 1959年

図 20 劉永濤「能感覚到的風景系列―大上海No.52」

水墨 2010年

図 21 ヴォルス「絵画」

油彩、カンバス 1946年

図 22 尚揚「董其昌計画―21」

ミクストメディア 2008年

― 29 ―

図 23 魏立剛「花鳥大石図」

アクリル、宣紙 2009年 図 24 陳心懋「玄石鈎沈録」

水墨 2006年

図 25 李華生「0603」

水墨 2006年

図 26 「0603」の細部 図 27 范叔如「山水日記」

水墨 2012年

図 28 楊志麟「三十七夢」

水墨 1997-99年

図 29 張浩「欧州之旅之三」

水墨 2003年

― 30 ―

図 30 陳光武「標点符号」

水墨 1995年

図 31 「標点符号」の細部

図 32 張浩

「精神旅行目的地之二」

図 33 徐紅明

「非雲非霧非qi」

水墨 1993-95年 アクリル、カンバス

2009年

図 34 楊詰蒼「指印―m拇指」

水墨 1994年

図 34 楊詰蒼「指印―m拇指」

水墨 1997年

図 35 胡又笨「大墨象35」

中国生漆、木板 1999年

図 36 蘇笑柏「相守」

図 37 李華生、「春夏秋冬」(展示風景)

水墨 2008年

― 31 ―

図 38 徐紅明、「円形白灰」

ミクストメディア 2004年

図 39 「円形白灰」の展示風景

ミクストメディア 2008年

図 40 石涛「万点悪墨(部分)」

水墨 1685年

図 41 劉旭光「痕跡2008-3」 図 42 「痕跡2008-3」の細部

図 43 馬遠「水図・秋水迥波」

水墨 約13世紀

― 32 ―

図 44 梁銓「逝者如斯之二」

アクリル、カンバス 2008年

図 45 「逝者如斯之二」の細部

図 46 周洋明「2008年5月31日」

ミクストメディア 2008年

図 47 沈忱「無題―作品―202-85」

水墨 1985年 図 48 孫凱「挽歌」

インク、紙 1991年

図 49 朱小禾「飛燕図」

アクリル、カンバス 1999年

図 50 楊詰蒼「無題」

水墨 1994年

図 51 丁乙「1989-6」

アクリル、カンバス、1989年

― 33 ―

図 52 丁乙「十示」

油彩、紙 2007年

図 53 「十示」の細部

図 54 米芾「珊瑚筆架図」

水墨 11世紀

図 55 楊志麟「夢」

水墨 1992年

図 56 楊志麟「蕭夢」

水墨 1992年

図 57 朱青生「草図」

油彩、カンバス 2010年

― 34 ―

図版典拠

図1、図36、図49 『現代性与抽象:芸術研究・第1輯』生活・読書・新知三聯書店 2009年 148、213、

229頁

図2、図8、図10、図11、図13、図47 『転向抽象―1976-85上海実験芸術回顧展』上海証大当代芸

術館 2008年 239、151、18、18、149、82-83頁

図3、図7、図12、図24 『庫藝術18』江西美術出版社編集出版 2011年 53、36、86、115頁

図5、図6、図25、図26、図29、図32、図33、図38、図39、図44、図45 李向陽編集『偉大的天上的抽

象』 中国芸術家出版社 2010年 98、99、25、25、144、146、160、162、163、36、36頁

図4、図15 呂澎『1990-1999中国当代芸術史』湖南美術出版社 2000年 62、45頁

図9、図41、図42 Nash Gallery: LIU XUGUANG, 2009, p7, p27, p27

図14 唐輝編集『栄宝斎画譜:(明)徐渭絵』栄宝斎出版社 1998年 4頁

図16、図17、図20、図22、図23、図30、図31、図34、図50、図57 水墨時代:2010上海新水墨芸術大

展』朱屺贍芸術館・上海多倫現代美術館 2010年 93、144-145、188、146-147、148、172、172、150、

151、154頁

図18、図19 末永照和監修『20世紀の美術』 美術出版社 2000年 108、108頁

図21 マルセル・ブルヨン 滝口修造・ほか訳『抽象芸術』紀伊国屋書店 1999年 図版26

図27 筆者撮影

図28 http://exhibit.artron.net/viewpic.php?zlid=4342&picid=45608 2011年11月アクセス

図35 『美術研究・1998年第4期』中央美術学院 カラー図版

図37 Yishu: Journal of Contemporary Chinese Art, Volume 7,Number 1 ,Art & Collection Group

Ltd., 2008, p65

図40 Jonathan Hay 邱士華・ほか訳『石涛』生活・読書・新知三聯書店 2010年 324-325頁

図43 薛永年・ほか『中国美術・五代至宋元』中国人民大学出版社 2004年 122頁

図48 孫凱『非典型』作家個人出版 1999年 13頁

図51 http://www.ionly.com.cn/nbo/zhanlan/pic_13728.html 2011年9月アクセス

図52、図53 http://www.artzinechina.com/display_vol_aid636_cn.html 2011年9月アクセス

図54 中国美術全集編集委員会監修『中国美術全集・両宋絵画・上』上海人民美術出版社 1988年 52

図55、図56 『89-92中国現代芸術』江蘇美術出版社 1994年 84、78頁

付記:現在、中国・西南大学美術学院に在籍

編集・発行 : 富士ゼロックス小林節太郎記念基金

〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号

電話 03-6271-4368

Printed in Japan

中国の抽象絵画にみる「伝統的背景」と「現代性」

2013年5月 第1版第1刷発行 非売品