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筒井ゼミ2005年 卒業論文 外食産業の発展と将来展望 2005年12月16日 学籍番号 5102179 名前 平岡 直朗

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筒 井 ゼミ2005年 卒 業 論 文

外食産業の発展と将来展望

2005年12月16日

学籍番号 5102179

名前 平岡 直朗

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目 次

1.はじめに

2.今 日 までの外 食 産 業

2,1 外 食 産 業 の始 まリ

2,2 発 展

2,3 近 年

3.経 営 展 開

3,1 チェーン経 営

3,2 ファミリーレストランとファーストフード

3,3 フランチェイズ・チェーン・システム

4.外 食 産 業 の今 後

5.むすび

6.参 考 文 献

要 旨

本 論 文 は江 戸 時 代 から始 まったと言 われている外 食 産 業 を取 り上 げ、その発 展 及 び

チェーン経 営 やファミリーレストランなどの経 営 展 開 を解 明 し、外 食 産 業 の将 来 を展 望 す

ることを目 的 としている。外 食 業 界 に対 する消 費 者 からのニーズは多 様 化 し、外 食 業 界

は厳 しい状 況 に陥 る。これを打 破 するためには大 衆 向 けではなく、的 (ターゲット)を絞 っ

た専 門 店 のような店 舗 造 りが鍵 になってくることが明 らかになった。

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1. はじめに

筆 者 は卒 業 後 、外 食 産 業 に関 わる仕 事 に就 くことになっている、そこで外 食 産 業 を卒

業 研 究 テーマに取 り上 げ、外 食 産 業 の現 状 と今 後 について調 査 ・分 析 し、外 食 産 業 の

将 来 あるべき姿 を模 索 することにした。これらを行 うためには多 くの情 報 が必 要 である。

この本 研 究 では、インターネットや図 書 館 の本 及 び就 職 活 動 中 に得 た外 食 産 業 の知 識

などを利 用 した。

以 下 、本 論 文 では第 2章 において、今 日 までの外 食 産 業 の始 まりと発 展 、第 3章 では

外 食 産 業 を代 表 する様 々な経 営 戦 略 について述 べる。第 4章 では筆 者 が推 測 する外

食 産 業 の未 来 を記 した。

2. 今 日 までの外 食 産 業

2.1 外 食 産 業 の始 まり

本 節 では、外 食 産 業 の始 まりについて、(1)日 本 の外 食 スタイルの原 点 、及 び、(2)

わが国 初 の外 食 チェーンについて述 べる。(1)、(2)は文 献 [1]を参 考 にした。

(1)日 本 の外 食 スタイルの原 点

江 戸 時 代 、江 戸 (後 期 )の人 口 はおよそ100万 人 いたとされている。当 時 世 界 大 の

都 市 であり、この巨 大 都 市 で外 食 店 舗 が一 気 に栄 え始 める。当 時 のファーストフードは

「蕎 麦 、てんぷら、寿 司 」であった。これらは江 戸 時 代 に庶 民 の食 べ物 となり、現 代 でも

愛 され続 けている。 これら各 料 理 には大 衆 的 な外 食 料 理 として三 つの共 通 要 素 があ

る。

一 つ目 は、当 時 の蕎 麦 は湯 に通 すだけ、てんぷらは串 を油 につけるだけ、寿 司 は酢 飯

に酢 でしめたネタを載 せるだけという、事 前 に仕 込 みをしておけば調 理 が簡 単 ですぐにお

客 さまに提 供 できるという利 便 性 があった。

二 つ目 は、当 時 の江 戸 庶 民 の代 表 的 な職 種 である、大 工 や鳶 など[2]の日 勤 は330

文 ~530文 である[3]のに対 し、蕎 麦 約 16文 、てんぷら一 品 約 5文 、寿 司 一 個 8文 、という

安 さである。これらを安 い値 段 に設 定 できたのは、安 い原 料 が大 量 に手 に入 るからであ

る。蕎 麦 は、代 用 食 材 であるから元 々価 格 が安 く、てんぷら、寿 司 の魚 介 類 も豊 富 であ

った。

三 つ目 は、今 までの食 事 作 法 とは無 縁 で、食 べ方 が自 由 自 在 であった。例 えば、蕎 麦

は大 きな音 を立 ててすすっても憚 られない。それどころか逆 にそれが通 とさえ言 われる。

てんぷらや寿 司 も手 づかみで立 ちながら食 すというのが一 般 的 であった。以 上 のように、

「早 い、安 い、食 べ方 自 由 」と言 う三 つが揃 えば、これは紛 れもなくファーストフードそのも

のである。

(2)わが国 初 の外 食 チェーン

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明 治 初 期 に「牛 鍋 ブーム(今 で言 うすき焼 き)」が起 り、中 には数 十 店 舗 を作 り統 一 的

に運 営 しようとチェーン展 開 を目 的 とするものが現 れた。店 名 を「いろは」といい、チェーン

盛 期 の明 治 20年 代 には30店 舗 のチェーンを作 ったというから、おそらく我 が国 初 の

外 食 チェーンと考 えられる[4]。「いろは」の成 功 要 因 はいくつかあり、一 つは全 店 統 一 メ

ニュー、統 一 価 格 にあった。店 員 のユニフォームやサービスも統 一 した。また、店 のデザ

インも統 一 した。

こうしたやり方 は「いろは」の知 名 度 を大 きく高 めるとともに、お客 さまの安 心 感 にも繋

がった。さらに、特 筆 すべきは各 店 舗 とは別 に「本 部 機 構 」があり、食 材 や飲 み物 、ユニ

フォームなど本 部 が一 括 して調 達 し、それを各 店 舗 に供 給 する。店 の売 り上 げ金 も本 部

が全 て回 収 して、店 長 や従 業 員 に給 料 という形 で配 給 される。このように、システムとし

ては現 代 のチェーン店 と本 質 的 には変 わらなかったと思 われる。現 代 の外 食 チェーンの

基 盤 が明 治 初 期 に出 来 上 がっていたことになる。このシステムは当 時 の消 費 者 (お客 )

を大 変 驚 かせたに違 いない。

2. 2 発 展

(1)百 貨 店 の食 堂 が外 食 を牽 引

大 正 ・昭 和 期 の外 食 施 設 の代 表 といえば、百 貨 店 の食 堂 である。百 貨 店 の食 堂 は当

時 の国 民 の外 食 への憧 れを強 くさせた。その意 味 で百 貨 店 の食 堂 というものは1960年

代 までの外 食 産 業 の主 軸 だったといえる。1904年 (明 治 37年 )に江 戸 時 代 から続 く「三

井 呉 服 店 」が「三 越 呉 服 店 」と改 名 し、翌 年 米 国 の「デパートメントストア」をモデルに衣

替 えしたことを各 新 聞 社 に報 告 した。

三 越 に食 堂 ができるのは1907年 (明 治 40年 )で寿 司 、定 食 、洋 ・和 菓 子 、コーヒー、紅

茶 を販 売 した。三 越 では4階 に120人 収 容 の大 食 堂 が設 けられていた。三 越 は家 族 連

れの客 層 を意 識 的 に開 拓 し、大 食 堂 には「お子 様 ランチ(お子 様 洋 食 )」を考 案 し、定 番

メニューとした[5]。 このお子 様 ランチは当 時 の子 供 達 にとってスパゲッティやプリンは未

知 の食 べ物 で味 も大 変 良 く、大 好 評 であった。昭 和 に入 ると巨 大 な百 貨 店 食 堂 が現 れ

る。1929年 (昭 和 4年 )に大 阪 ・梅 田 に開 業 した「阪 急 百 貨 店 」は、我 が国 初 めての「タ

ーミナルデパート」つまり、鉄 道 の起 点 となる駅 と百 貨 店 を一 体 化 したもので、鉄 道 の利

用 者 が気 軽 に訪 れることができるというコンセプトは革 命 的 であった。7、8階 が食 堂 で、

収 容 人 数 は各 階 2000人 ずつの合 計 4000人 といわれ、大 規 模 であった。

ターミナルデパートの集 客 力 は、発 案 者 である小 林 一 三 の見 込 み通 り凄 まじく、一 日

の平 均 利 用 者 は25000人 、日 曜 日 には65000人 にもなったという[6]。 利 用 者 が消 費

する食 材 も莫 大 な量 になった。カレーライスに入 れる牛 肉 などは一 日 に牛 10頭 分 にもな

った。このため阪 急 百 貨 店 では、農 家 に牛 を委 託 飼 育 させ、成 長 したところで買 うという

「牛 の小 作 」方 式 を広 めて、 盛 期 には6500~8000頭 の牛 が委 託 されていたという。百

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貨 店 食 堂 はこうして人 々が安 心 して外 食 を楽 しめる場 を提 供 し、お子 様 ランチなどの斬

新 なメニューを提 案 して家 族 での外 食 スタイルを構 築 したと同 時 に、食 材 調 達 という点

でもすばらしい取 り組 みをしたのである。

2. 3 近 年

(1)外 食 産 業 の時 代 が到 来

1970年 代 は外 食 産 業 が社 会 的 に初 めて脚 光 を浴 びた時 代 であり、今 日 の大 手 外 食

チェーンに名 を連 ねている企 業 のほとんどは1970年 代 初 頭 ~中 盤 にかけて企 業 を興 し

た。時 代 の主 役 はまさにチェーンレストランであった。

「マクドナルド」の一 号 店 が東 京 ・銀 座 「三 越 」の一 角 にオープン(1971年 )、銀 座 通 り

に面 している上 に、テイクアウト専 門 店 であったがゆえに、前 年 8月 にスタートした繁 華 街

の歩 行 者 天 国 の賑 わいを演 出 するものとしてマスコミに大 々的 に取 り上 げられた。また、

路 上 の立 ち食 いスタイルを提 案 するものとして常 識 はずれだと物 議 をかもしだした。しか

し、ハンバーガーという未 知 の食 べ物 とマクドナルドの認 知 度 を高 めることに貢 献 する結

果 となった。

「すかいらーく」の一 号 店 は、東 京 ・国 立 の郊 外 で1970年 (昭 和 45年 )にオープンした。

それまで飲 食 店 立 地 場 所 といえば、不 特 定 多 数 の人 が行 き来 する繁 華 街 や駅 前 の商

店 街 が好 立 地 であり、他 の場 所 では収 入 が見 込 めないという思 い込 みがあったので、郊

外 でのオープンは関 係 者 にも疑 問 視 されていたが、まもなく駐 車 場 付 大 型 レストランが

定 型 化 され、ファミリーレストラン(以 下 FR)と呼 ばれブームができていく。

その他 のチェーン店 もこの前 後 に続 々と一 号 店 をオープンさせている。業 界 で長 らく「す

かいらーく」と並 んでFR御 三 家 に数 えられる「デニーズ」は1974年 、神 奈 川 県 に一 号 店

を、「ロイヤル」の一 号 店 は1971年 に北 九 州 であった。ファーストフードチェーン(以 下 F

F)では1970年 に「ケンタッキー・フライド・チキン」、1971年 に「ミスタードーナツ」、1972年

「ロッテリア」「モスバーガー」がオープンしている。また、1973年 には牛 丼 チェーンの「吉 野

家 」がフランチャイズチェーン(以 下 FC)展 開 を始 めた。このように、1970年 代 初 頭 は、ま

さに堰 を切 ったように外 食 チェーンが次 々と乱 立 したのである。

(2)大 阪 万 博 で関 心 が高 まる

1970年 代 初 頭 の外 食 チェーン企 業 の発 展 を図 る上 で画 期 的 な出 来 事 は、1970年

(昭 和 45年 )大 阪 ・千 里 で3月 14日 から9月 13日 までの183日 間 にわたって開 催 された日

本 万 国 博 覧 会 (EXPO ’70)である。ただ、実 際 には、外 食 チェーンレストランが一 つの社

会 的 勢 力 として注 目 を浴 びるようになるのは、1970年 代 の中 盤 以 降 である。1973年 (昭

和 48年 )秋 に第 一 次 オイルショックが日 本 を襲 った。

日 本 経 済 の全 体 は一 転 して大 不 況 期 に入 り物 価 高 騰 が市 民 生 活 を悩 ませた。産 業

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経 済 の萎 縮 は高 度 成 長 を見 越 して手 当 てしていた資 金 や物 資 の行 き先 をなくした。この

経 済 全 体 の変 転 の時 期 に外 食 チェーンレストラン群 の勃 興 が重 なったのである。外 食 チ

ェーン企 業 にとってはまさに追 い風 となった。いわゆる人 、金 、物 、という経 営 要 素 が外

食 産 業 に流 れ込 んだからである。やがて、外 食 チェーン各 社 は1970年 代 中 盤 から後 期

にかけて、当 時 「倍 々ゲーム」と称 される程 の急 速 な出 店 が大 都 市 圏 内 はもとより全 国

へと広 がっていった(倍 々ゲームとは店 舗 数 が1年 間 で2倍 になるという意 味 である)。

日 本 経 済 全 体 が大 不 況 期 であったので、この様 子 は社 会 的 に大 注 目 されることとなっ

た。マスコミでも連 日 のように拡 大 する外 食 チェーンと外 食 施 設 の現 場 を取 材 した。「外

食 産 業 」という言 葉 はこの時 にマスコミが用 い始 め、今 のように一 般 化 したのである。

(3)1980年 代 、続 々と外 食 企 業 が上 場

ここでは、(3)1980年 代 、続 々と外 食 産 業 が上 場 、について文 献 「6」を参 考 に次 々と

上 場 し、世 に存 在 を知 らしめた企 業 を紹 介 する。

外 食 産 業 がマスコミなどで華 々しく取 り上 げられる状 態 は1980年 (昭 和 55年 )まで続 い

た。第 二 次 オイルショック後 の不 況 のあおりを受 けて、各 社 外 食 チェーンの売 り上 げは低

迷 も伝 えられた。マスコミは以 前 のように「外 食 産 業 ブーム」を取 り上 げることはなくなっ

た。しかし、1980年 代 の日 本 は第 二 次 オイルショックの不 況 を乗 り越 え、国 際 的 に見 て

も経 済 大 国 の道 を突 き進 んだ時 代 である。経 済 発 展 にともない、1970年 代 に登 場 したF

RやFFは拡 大 を続 け、その一 方 で新 しい業 態 やチェーンも数 々登 場 し、外 食 市 場 は全

体 として成 熟 の度 を深 めていったといえる。1980年 代 の前 半 の主 な動 きをまとめると、ま

ず、代 表 的 な外 食 企 業 が相 次 いで上 場 を果 たしている。

すかいらーく(1982東 証 二 部 、1984東 証 一 部 )、ロイヤル(1981東 証 二 部 、1983東 証

一 部 )、デニーズジャパン(1982東 証 二 部 、1986東 証 一 部 )といったFR御 三 家 を始 め、

京 樽 、レストラン西 武 などの外 食 企 業 が上 場 を果 たした。

株 式 市 場 に株 を公 開 するには、業 界 の動 向 を含 めて企 業 の業 績 などが厳 しく審 査 さ

れるが、株 式 の公 開 によって資 本 市 場 から資 金 調 達 が可 能 となり、社 会 的 知 名 度 もあ

がるので取 引 関 係 や社 員 募 集 に有 利 になるとされている。ゆえに企 業 の上 場 で外 食 産

業 は名 実 共 に社 会 的 に「産 業 」として認 知 されたといえる。

一 方 、新 しいチェーンでは、居 酒 屋 チェーンと持 ち帰 り弁 当 チェーンの勃 興 が挙 げられ

る。居 酒 屋 チェーンでは、「村 さ来 」、「つぼ八 」といった新 興 チェーンが登 場 し、急 拡 大 し

た。これら居 酒 屋 チェーンは、それまでの居 酒 屋 の暗 いイメージを一 新 し、若 者 を狙 って

明 るく低 料 金 で楽 しめる店 づくりが特 徴 である。持 ち帰 り弁 当 は「ほっかほっか亭 」、「本

家 かまどや」などの有 力 チェーンの他 にも中 小 のチェーンが乱 立 した。持 ち帰 り弁 当 店 は

炊 き立 ての温 かいご飯 を販 売 するという従 来 なかったやり方 が、始 めは車 のドライバー

や家 庭 の主 婦 に歓 迎 され、瞬 く間 に全 国 に広 がった。持 ち帰 り米 飯 としては「小 僧 寿 し」

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などのお持 ち帰 り寿 司 店 が既 に1970年 代 にフランチャイズ・チェーン・システムにより大

規 模 なチェーンに成 長 していたが、持 ち帰 り弁 当 チェーンも居 酒 屋 チェーンもFCシステム

を活 用 して急 成 長 したのである。

また、新 しい業 態 としてはカフェバーが脚 光 を浴 びた。これは都 会 の隠 れ家 的 な立 地 に

斬 新 なデザインを施 し、独 特 な雰 囲 気 を前 面 に押 し出 した感 じの店 で、メニューは酒 類

中 心 であった。提 供 する商 品 自 体 には目 新 しいものはなかったが、このカフェバーブーム

は「店 舗 のデザインでお客 を呼 ぶ」という考 え方 を普 及 させた。1980年 代 中 盤 以 降 のバ

ブルの時 代 には一 般 の高 級 レストランでも有 名 な建 築 デザイナーを登 用 した店 作 りが盛

んとなったが、カフェバーはその下 地 となった。

1980年 代 は女 性 の社 会 進 出 が加 速 した時 代 である。1980年 (昭 和 55年 )には女 性 専

用 の求 人 誌 「とらばーゆ」が創 刊 されている。それまで主 に男 性 が占 めていた職 場 にも

女 性 進 出 の波 が押 し寄 せた。そうした女 性 達 は経 済 的 に自 立 し、消 費 生 活 をリードする

一 翼 を担 った。その、結 果 、外 食 では女 性 がグルメブームや健 康 食 ブームなどの流 行 を

作 る中 核 となり、女 性 の関 心 をいかにひくかが外 食 産 業 の企 業 にとって重 要 な課 題 とな

った。居 酒 屋 チェーンもカフェバーもこうした女 性 達 を捉 えたのが成 功 の要 因 であった。

(4)バブル経 済 下 の外 食 産 業

1980年 代 後 半 は日 本 経 済 が円 高 を経 てバブルの時 代 へと突 入 して、大 きな経 済 変

動 が起 きた時 代 である。1985年 (昭 和 60年 )9月 の先 進 5カ国 蔵 相 会 議 におけるプラザ

合 意 を契 機 に円 高 が急 激 に進 行 した。それまで1ドル250円 前 後 だった円 は短 期 間 に

120円 台 まで高 騰 した。この急 激 な円 高 で日 本 は輸 出 企 業 が打 撃 を受 けて不 況 感 が広

まり、その打 開 のために日 本 銀 行 は金 融 緩 和 策 を採 って、公 定 歩 合 を段 階 的 に下 げた。

これにより景 気 は回 復 して上 昇 基 調 となったとみられたが、日 本 銀 行 は金 融 緩 和 策 を

続 行 して、過 剰 流 動 性 資 金 が滞 留 した。この結 果 、大 量 の資 金 が土 地 や株 などの投 資

に向 かい、やがて投 機 的 な色 合 いを次 第 に強 めて日 本 はバブル経 済 をひた走 ることとな

り、空 前 の好 景 気 に企 業 、消 費 者 は酔 いしれた。外 食 業 界 でもこうした経 済 の高 揚 を受

けて、新 業 態 が続 々と誕 生 する一 方 、地 価 高 騰 や労 働 力 の不 足 などバブル経 済 のひ

ずみにより、様 々な問 題 も生 じた[7]。

1985年 (昭 和 60年 )、東 京 ・恵 比 寿 にオープンした「ドミノ・ピザ」1号 店 を皮 切 りとして

宅 配 ピザチェーンが、この時 期 に登 場 し勢 力 を伸 ばし始 めた。高 速 の熱 風 を上 下 から吹

き付 けて、コンベアで動 かしながら短 時 間 でピザを焼 き上 げる「エアー・インピンジメント・

オーブン」の技 術 開 発 とその導 入 が、注 文 後 、迅 速 に家 庭 に届 ける仕 組 みを可 能 とした

が、その後 の地 価 高 騰 も宅 配 ピザチェーンの発 展 を後 押 しした。1987年 (昭 和 62年 )頃

からの地 価 高 騰 の激 化 は、飲 食 店 が新 規 に好 立 地 を確 保 してオープンすることを採 算

面 から困 難 なものにしていた。この点 、宅 配 ピザは路 面 の好 立 地 を必 要 とせず、店 内 の

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飲 食 スペースをいらないため、店 舗 展 開 しやすかった。宅 配 ピザはこの期 以 降 、全 国 的

に店 舗 数 を拡 大 した。

また、地 価 の高 い物 件 をより効 率 的 に活 用 するため、昼 は喫 茶 店 、夜 は酒 場 に変 身

する「二 毛 作 業 態 」も生 まれた。サントリーとUCCが共 同 で1987年 に展 開 を始 めた「プロ

ント」はその代 表 である。

1970年 代 に登 場 したファミリーレストランやファーストフードはこの時 代 でも大 きく変 動

する。まず、FRではそれまでの洋 食 を中 心 としたメニュー作 りから、和 食 や中 華 などのメ

ニューを取 り入 れるとともに、和 食 料 理 中 心 のFRや中 華 料 理 のFRも登 場 した。FR業

界 を牽 引 してきた「すかいらーく」は意 欲 的 で「すかいらーく」のメニューに雑 炊 や丼 物 を

いち早 く取 り入 れた。また、「すかいらーく」は和 食 FRの「藍 屋 」、中 華 FRの「バーミヤン」

などを次 々と打 ち出 した。

特 に、「藍 屋 」は若 干 のテスト期 間 の後 、1985年 (昭 和 60年 )に子 会 社 として独 立 して

チェーン展 開 を始 めてからわずか2年 半 で株 式 公 開 にこぎつけるほどの急 成 長 ぶりで和

食 ブームの引 き金 となった。団 塊 世 代 が中 年 期 に入 り、食 の好 みが比 較 的 淡 白 な和 食

へと変 化 したことを捉 えたのも成 功 の一 因 だった。すかいらーくの他 にもサトや京 樽 など

の和 食 FRも出 店 を重 ねた。

FFではそれまで主 に都 市 部 や繁 華 街 への出 店 に力 を注 いでいたが、1980年 代 に入 る

と、地 方 都 市 や郊 外 にも出 店 を拡 大 していく。マクドナルドは1982年 (昭 和 57年 )ドライブ

スルー店 舗 を導 入 し、郊 外 にも積 極 的 に出 店 していく。郊 外 への立 地 を追 いかける動 き

は他 のFFチェーンにも広 がり、「複 合 店 舗 」を作 る試 みも始 まった。「複 合 店 舗 」とはFR

とFFが同 じ棟 で並 んで営 業 したり、1階 と2階 で店 を構 えたりして、集 客 の相 乗 効 果 を狙

うもので、小 売 業 なども郊 外 の店 舗 を急 速 に増 やし始 めた頃 であったので、これら異 業

種 との「複 合 店 舗 」作 りも試 みられるようになった。

ところで、バブル経 済 の影 響 は、外 食 業 界 に対 して深 刻 な影 響 をもたらした。それは地

価 の高 騰 に加 え、極 端 な労 働 力 ・人 不 足 が起 ったことである。地 価 高 騰 は外 食 店 の新

規 出 店 を難 しくし、大 手 チェーンも出 店 のペースが鈍 くなった。

労 働 力 不 足 は一 層 深 刻 な問 題 で、飲 食 店 のほとんどはパート・アルバイトを採 用 して

おり、特 に大 手 チェーンは大 量 のパート・アルバイトで運 営 されている。そのため、深 刻 な

人 手 不 足 は人 件 費 の高 騰 と労 働 の質 の低 下 を招 いた。労 働 力 は乏 しくなったため、賃

金 をあげても、質 を問 わなくてもパート・アルバイトを集 められなくなったのである。パート、

アルバイトの定 着 率 は下 がり、大 半 の店 が店 舗 運 営 能 力 を落 とし、メニューの質 やサー

ビスの水 準 低 下 を余 儀 なくされたのである。しかも、高 騰 した人 件 費 がそのまま提 供 価

格 に上 乗 せされることも度 々あった。

(5)1990年 代 は健 康 、安 全 性 がテーマに

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1991年 (平 成 3年 )下 期 ごろより、大 手 チェーンの間 では客 離 れ現 象 が囁 かれるように

なり、翌 年 になると未 曾 有 の繁 栄 を誇 った日 本 のバブル景 気 の終 焉 は誰 の目 にも明 ら

かになった。そして多 くのチェーン店 では客 数 の減 少 が売 上 高 の減 少 を招 いて前 年 割 れ

の店 が続 出 した。さらに1993年 (平 成 5年 )2月 からは急 激 な円 高 が始 まり、産 業 界 に

大 きな打 撃 を与 えた。こうした状 況 下 で人 々の消 費 傾 向 は以 前 と変 わり、外 食 市 場 も

低 迷 した。

しかし、この長 期 化 する不 況 は外 食 業 界 にとって結 果 的 にマイナス面 ばかりではなか

った。例 えば、需 要 の減 退 で食 材 価 格 が低 下 傾 向 であるのに加 え、円 高 が作 用 して物

価 がデフレになったため食 材 費 はかなり下 がった。バブル期 には確 保 の難 しかった立 地

も地 価 の下 落 で出 店 コストが大 幅 に下 がった。労 働 力 についても良 質 なパート・アルバ

イトの確 保 も容 易 となった。

これらを背 景 に低 価 格 で売 り出 すチェーンが躍 進 した。1993年 には「すかいらーく」が

380円 ハンバーグを売 り物 にした「ガスト」への業 態 転 換 を推 進 すると、「マクドナルド」が

ハンバーガー1個 210円 から130円 に値 下 げして集 客 力 アップを図 った。比 較 的 低 価 格

な新 興 チェーンも勢 いを伸 ばした。イタリア料 理 FCの「サイゼリア」、ハンバーグレストラン

の「びっくりドンキー」などのチェーンなどは、低 価 格 でお値 打 ち感 を強 めたメニューで消

費 者 の支 持 を集 めた。

また、1990年 代 半 ばになると、不 動 産 やオフィス不 況 が一 層 強 まって、都 心 部 への出

店 も容 易 となり、それまで郊 外 を主 力 としてきたFRが都 心 部 への出 店 を増 やした。こうし

て、外 食 産 業 はバブル崩 壊 後 の売 上 不 振 から立 ち直 りの兆 しが見 えた。大 手 外 食 企

業 の多 くは増 収 増 益 に戻 り、外 食 不 況 から脱 しつつあることを印 象 付 けた。

1990年 代 に入 り、特 筆 すべきことは安 全 で健 康 に配 慮 した食 材 にこだわる店 が一 定

の勢 力 になりつつあることである。これらの店 は低 ・無 農 薬 で栽 培 された農 産 物 や抗 生

物 質 など科 学 飼 料 を使 わずに飼 育 された肉 類 を使 って、一 般 には「ナチュラルレストラ

ン」と総 称 され着 実 に拡 大 しつつある。大 手 外 食 チェーンでも、こうした食 材 へのこだわり

は真 剣 に取 り組 まれている。

人 々の安 全 と健 康 へのこだわりは、アトピー性 アレルギーの増 大 や高 齢 化 社 会 を背 景

とする健 康 に対 する意 識 の高 まり、さらに環 境 問 題 への社 会 的 関 心 の高 揚 と結 びつい

て、これからの外 食 産 業 において避 けて通 れない課 題 となっている。

3. 店 舗 経 営

ここでは、文 献 [8]を参 考 に外 食 産 業 の店 舗 運 営 の多 様 さとそれぞれの特 徴 について

述 べる。

3. 1 チェーン経 営

(1)チェーン経 営 の特 色

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チェーンレストランとは、同 一 または類 似 の店 舗 または店 名 及 び内 外 装 、メニュー及 び

価 格 、同 じ水 準 のサービスを提 供 する店 舗 を多 数 同 時 に運 営 しようというものである。こ

のチェーンレストランの経 営 スタイルに対 して、従 来 の飲 食 店 経 営 は個 店 経 営 と位 置 づ

けられる。個 店 経 営 とは当 該 店 舗 1店 の経 営 に専 念 するものであり、その経 営 内 容 はそ

の店 の経 営 者 または調 理 責 任 者 の個 人 的 センス・技 量 によって決 定 される。またその

店 固 有 の立 地 条 件 など、個 別 の事 情 によっても左 右 される。

これに対 し、チェーンレストランは多 数 の店 舗 に共 通 、または基 準 となる営 業 内 容 があ

らかじめ開 発 されていなければならない。この営 業 内 容 を開 発 し、維 持 、改 良 していくチ

ェーン機 構 を本 部 といい、直 接 の営 業 現 場 である店 舗 とは区 別 される。つまりチェーンレ

ストランの経 営 組 織 の特 徴 は本 部 機 構 と店 舗 が分 離 していることである。本 部 機 構 と店

舗 とはそれぞれに特 有 の機 能 を担 って分 業 し、両 者 が補 い合 って外 食 事 業 を進 めるの

である(図 1参 照 )。

両 者 の分 担 関 係 の肝 心 なところは、店 舗 の機 能 は直 接 消 費 者 と接 触 する場 として必

要 なものだけを残 し、他 の機 能 は全 て本 部 が担 い、店 舗 の能 力 を高 めるようにバックア

ップするということである。本 部 が担 当 する機 能 は、立 地 選 定 、店 舗 設 計 、メニュー開 発 、

食 材 の調 達 、従 業 員 の採 用 ・教 育 、販 売 の促 進 活 動 などである。これに対 し、店 舗 の

役 割 は本 部 が企 画 したメニュー、サービスを消 費 者 に対 し適 切 に実 現 することである。

このため、本 部 は店 舗 の負 担 をできるだけ少 なくすることと、どの店 でも平 準 化 したメニ

ュー、サービスが実 現 できるように企 画 することが必 要 になる。具 体 的 にはメニューは食

材 と調 理 労 働 と厨 房 機 器 の合 体 物 であるから、これら3要 素 をどのように組 み合 わせる

のかという設 計 が重 要 になる。たとえば、店 舗 での労 働 はパート,アルバイトが多 く、あま

り熟 練 度 の向 上 を期 待 できないと想 定 するのであれば、それに対 応 した食 材 と厨 房 機

器 を用 意 しなければならない。調 理 そのものも、分 割 しうる部 分 があれば極 力 店 舗 での

負 担 を少 なくして、本 部 が調 理 の前 処 理 工 程 を引 き受 けるようにする。あらかじめ工 場

で食 材 を加 工 し、各 店 舗 に配 送 するセントラルキッチン方 式 はこの典 型 的 な例 である。

その上 で調 理 やサービスのマニュアルが整 備 されなくてはならない。

以 上 のような本 部 と店 舗 の関 係 は、しばしば映 画 や演 劇 の作 ・演 出 者 と役 者 の関 係

にたとえられる。直 接 観 客 (消 費 者 )によってみられるのは役 者 であるが、その背 後 には

作 ・演 出 者 の周 到 なシナリオ(デザイン)がある。この場 合 、作 ・演 出 者 とはチェーン本 部

であり、店 舗 従 業 員 が役 者 に凝 せられている[8]。

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(2)チェーン経 営 のメリット

チェーンには経 営 的 な観 点 から二 つの大 きなメリットがある。一 つは同 一 ブランド(店

名 )の店 舗 が多 数 存 在 することによって、消 費 者 の認 知 度 が上 がり、大 きな集 客 効 果

が期 待 できるということである。二 つ目 はいわゆるスケールメリットの発 揮 によって抜 群 の

経 営 効 率 化 が図 れることである。

チェーンでは店 名 が同 じであれば、メニューもサービスも価 格 も同 一 かもしくはほとんど

同 じことが原 則 である。また店 構 えも同 様 の外 装 を施 し、ロゴマークや商 標 で第 三 者 の

目 に同 一 チェーンだとわかるように意 匠 する。消 費 者 はいろんなところでそのチェーン店

を見 ることになり、チェーンの存 在 に気 づく機 会 が多 い。そして、あるチェーン店 を一 度 利

用 して店 の様 子 を承 知 すれば、次 回 からは同 じチェーンの別 の店 も既 に知 っている店 と

して利 用 することができる。

個 店 経 営 の店 は、たとえ他 の店 と似 たような店 構 えであっても、実 際 に体 験 してみない

とわからないことが多 い。特 にメニューの味 は、利 用 者 がその店 を利 用 するかどうかを決

める時 の も重 要 な要 素 であるにもかかわらず、食 べてみるまではわからないということ

になる。その点 、チェーン店 であれば、多 少 の差 異 はあってもあらかじめ自 分 が承 知 して

いる範 囲 とそう大 差 ないという安 心 感 がある。このようにチェーン店 においては、消 費 者

の認 知 度 と集 客 効 果 において個 店 経 営 の店 には及 びもつかないメリットがある。

チェーンはスケールメリットについても多 くのことが期 待 できる。まず第 一 に多 数 店 舗 で

同 質 の食 材 を使 用 するところから、食 材 調 達 上 でスケールメリットが発 揮 できる。備 品 や

消 耗 品 についても同 様 である。例 えば、1店 舗 で使 用 する食 材 量 を別 途 に調 達 する行

為 と、仮 に100店 舗 で使 用 する食 材 量 を一 括 して購 入 する行 為 とを想 定 してみれば、後

本部(各店舗に指令を出す)

図1 チェーンシステム

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者 の方 が価 格 面 で圧 倒 的 に有 利 に調 達 できることはたやすく想 像 できる。

第 二 に同 様 の効 果 は店 舗 の建 設 や厨 房 機 器 の購 入 の際 にも当 てはまる。建 材 や装

具 、厨 房 機 器 を1店 舗 分 購 入 するケースと100店 舗 分 購 入 するケースでは価 格 は全 く

違 ったものになろう。

第 三 に各 種 マニュアルの整 備 や従 業 員 教 育 についても、スケールメリットは威 力 を発

揮 する。店 舗 で活 用 されるマニュアルの作 成 のための労 力 や費 用 は1店 舗 で使 われよう

が100店 舗 で使 われようが、ほとんど同 じである。マニュアルの印 刷 、紙 代 ぐらいしか違 い

はない。だから1店 舗 あたりで割 れば後 者 は前 者 の100分 の1で済 む。実 際 には前 者 で

はできないことが後 者 ではできるということも多 い。教 育 研 修 についても100店 舗 で相 応

に負 担 すれば、チェーンの運 営 手 法 に合 わせた専 用 のトレーナーを配 置 したり、教 育 研

修 施 設 を設 けたりすることが比 較 的 容 易 にできる。

第 四 に情 報 の共 有 化 というメリットがある。チェーン店 のある1店 で発 生 した事 は、他 の

店 に伝 えられることで、チェーン全 体 の経 験 として共 有 されることになる。例 えば調 理 上

の簡 単 な改 良 とか、顧 客 に喜 ばれたサービスや、思 いがけずに起 ったトラブルが他 店 に

伝 えられ、チェーン全 体 の改 善 につながるのである。

第 五 はこれも情 報 の共 有 化 の一 つであるが、チェーンでは機 器 を入 れ替 えたり、新 規

メニューを導 入 する際 には、全 店 一 斉 に実 施 しないで、限 られた店 舗 で実 施 したうえで

改 良 を加 えたり、顧 客 の反 応 を確 認 しながら全 店 に波 及 させることができる。これにより、

より効 果 的 に機 器 の変 更 や新 規 メニューの導 入 が図 れる。

以 上 のようにチェーンには多 くのメリットがあるが、逆 にチェーンであるが故 のデメリット

を生 むこともありえる。例 えば、チェーンのある店 で発 生 したトラブルで消 費 者 の信 頼 を

損 なうようなことがあると、チェーン全 体 への不 信 感 となる可 能 性 がある。それがマスコミ

等 で取 り上 げられたりすると個 別 店 舗 の事 情 がチェーン全 体 の致 命 傷 にもなりかねな

い。

また、 近 のようにチェーン店 数 規 模 が拡 大 してくると、食 材 のうち特 に野 菜 などの生

鮮 食 料 品 では特 定 品 目 への調 達 ニーズが集 中 することで、かえって価 格 が高 騰 したり、

調 達 が困 難 になったりするケースもまれにある。

しかしながら、チェーンレストランの多 くは記 述 のようなメリットを上 手 く生 かし、経 営 効

率 の優 れたシステムを作 り上 げることで、外 食 産 業 の成 長 を支 えてきたのは間 違 いのな

いことである。

3. 2 ファミリーレストランとファーストフード

本 節 では外 食 産 業 を代 表 する二 つの店 舗 形 態 を紹 介 し、外 食 産 業 の今 日 の発 展 に

多 大 な影 響 を与 えることになったファミリーレストラン(以 下 FR)とファーストフード(以 下 F

F)を取 り上 げる。

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(1)ファミリーレストランとファーストフード

外 食 産 業 の今 日 の発 展 をもたらす上 で、米 国 から持 ち込 まれたチェーンレストランの思

想 と仕 組 みが絶 大 な役 割 を果 たしたことを述 べてきたが、このチェーンレストランの立 役

者 として外 食 産 業 界 をリードしてきたのはFRとFFという二 つの業 態 である。ここではこの

FRとFFについてその特 徴 を述 べておこう。

FRは、1970年 (昭 和 45年 )「すかいらーく」の東 京 ・国 立 郊 外 の1号 店 (当 時 スカイラー

ク)の開 店 がその始 まりである。後 に(1970年 代 の末 以 降 )FR御 三 家 といわれるロイヤ

ルの「ロイヤルホスト」1号 店 (北 九 州 市 黒 埼 )は1971年 (昭 和 46年 )、米 国 のデニーズと

提 携 したデニーズジャパンの「デニーズ」1号 店 (横 浜 市 上 大 岡 )は1974年 (昭 和 49年 )

のオープンである。

FRの当 初 は洋 食 メニューを掲 げた当 時 としてはかなり大 型 のレストランであったが、そ

れ以 前 の我 が国 の飲 食 店 のあり方 と比 べて決 定 的 に違 う点 はその立 地 にあった。それ

までは人 の集 まりやすい繁 華 街 や駅 前 商 店 街 などが飲 食 店 の好 立 地 であり、それ以 外

の立 地 では飲 食 店 の営 業 が成 り立 たないといわれていた。これに対 してFRは我 が国 の

モータリゼーション(自 動 車 の大 衆 化 )の進 展 を視 野 に入 れて、自 動 車 による来 客 を見

込 んで幹 線 道 路 沿 いなどの郊 外 (ロードサイド)を出 店 場 所 の基 本 に据 えたのであった。

結 果 として出 来 上 がったFRの形 態 的 特 徴 は、①ロードサイド立 地 、②30~40台 の駐

車 規 模 の駐 車 場 の設 置 、③フリースタンディングと言 われる独 立 型 店 舗 で建 坪 100坪 前

後 の大 型 平 屋 建 て、④席 数 100席 前 後 の大 規 模 席 数 、⑤メニューは我 が国 でフルライ

ン型 と呼 ばれるもので、メインディッシュ、スープ、サラダ、ドリンク、デザートなどが一 通 り

揃 っている、⑥サービススタイルはフルサービスで、ウエイトレス又 はウエイターが注 文 を

取 って料 理 を客 席 まで運 ぶ、などである。

要 するに、立 地 、店 舗 、メニュー、サービスのそれぞれにおいて、それまでの一 般 的 な

飲 食 店 とは際 立 った特 徴 があったということになる。立 地 については上 記 の通 りであり、

店 舗 は著 しく大 型 で、メニュー数 も100前 後 と豊 富 で、サービスも当 時 としては、限 られた

高 級 レストランやホテルのレストランなどでなければ体 験 できない心 地 よいものを目 指 し

た。

ところで、FRがその登 場 以 来 、急 速 な増 店 を可 能 にした手 法 に「店 舗 リース方 式 」が

ある。これは我 が国 の外 食 産 業 界 ではすかいらーくが開 発 した手 法 であり、「すかいらー

く方 式 」とも言 われる。この方 式 はチェーン企 業 が出 店 する予 定 の土 地 の所 有 者 に店 舗

建 物 を所 有 者 の負 担 で建 設 してもらい、チェーン企 業 は、その土 地 ・建 物 一 括 で土 地 所

有 者 から借 り受 けるというものである。土 地 所 有 者 は店 舗 建 設 費 用 をチェーン企 業 の責

務 保 証 で金 融 機 関 から資 金 を借 り入 れるのが通 例 である。賃 貸 契 約 期 間 は10年 程 度

が一 般 的 である。

土 地 所 有 者 は土 地 の値 上 がり期 待 や税 制 上 の点 から土 地 を譲 渡 することを極 端 に

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忌 避 する傾 向 があり、また第 三 者 が建 物 を建 てると長 期 借 地 権 を生 むことになるが、こ

の方 式 の採 用 で、土 地 を所 有 しつつ、借 地 権 をめぐるトラブルも回 避 しながら、賃 借 料

収 入 が確 実 に見 込 めるこことなった。

一 方 、チェーン企 業 にとっては、土 地 を購 入 すれば莫 大 な資 金 が必 要 となる上 に、法

外 な地 代 を呈 示 しても借 地 の確 保 すらままならないという状 況 であったが、この方 式 の

活 用 で財 務 負 担 を著 しく軽 微 にしながら、店 舗 数 を増 やせたのである。この方 式 はすか

いらーく以 外 の他 のFRチェーンにもまもなく波 及 し、FRチェーンは急 激 に店 舗 数 を増 や

したのである。

FRという言 い方 が一 般 化 したのは1970年 代 半 ばで、この頃 、すかいらーくは「ファミリ

ーも安 心 してご利 用 いただけるレストラン」というのを宣 伝 文 句 にしていた。当 時 は家 族

揃 っての外 食 習 慣 はさほど定 着 していなかったので、こうした宣 伝 も手 伝 ってFRという言

葉 が一 般 化 したと思 われる。

FRは1970年 代 までは洋 食 主 体 のチェーンがほとんどであったが、1980年 以 降 になると、

うどんと和 食 の「味 の民 芸 」、和 食 の「京 樽 」「藍 屋 」、中 華 の「バーミヤン」、ステーキの

「フォルクス」、ハンバーグの「びっくりドンキー」、イタリア料 理 の「スカイラークガーデンズ」

「サイゼリア」など多 様 な展 開 を見 せるようになった。

一 方 、FFとは迅 速 に提 供 される料 理 ・食 品 である。FFという言 葉 は、「マクドナルド」

「ケンタッキー・フライド・チキン」「ミスタードーナツ」というチェーンブランド及 びハンバーガ

ー、ドーナツという新 奇 な食 品 と共 に米 国 から日 本 にもたらされた。その後 、米 国 直 輸 入

のチェーン、食 品 だけでなく在 来 のメニューや和 製 のチェーンにも応 用 されることとなった。

従 って、FFというと、これら米 国 発 のチェーン又 は食 品 に限 定 して用 いられたこともあっ

たが、今 日 ではこれらチェーンも全 国 に波 及 し、そのメニューもすっかり日 本 人 の食 生 活

に溶 け込 んでおり、それに伴 って持 ち帰 り寿 司 、持 ち帰 り弁 当 、牛 丼 チェーンなど素 早 く

提 供 される料 理 や店 全 体 を指 すようになっている。

ここで、米 国 発 のFFの特 徴 を挙 げておく。具 体 的 なチェーンとしては上 記 に代 表 される。

これらに共 通 する事 項 は次 のようである。①単 品 (限 定 )メニュー、②カウンター越 しのキ

ャッシュアンドキャリー(ファミリーレストランのフルサービスという言 い方 に対 し、セルフサ

ービスという)、③注 文 から提 供 までほとんど待 たされない、すなわち fast 、④メニューが

原 則 持 ち帰 り可 能 で、フィンガースナック、すなわち手 掴 みで食 すことができる。持 ち帰 り

対 応 ということでメニューは皿 で提 供 されるのではなく、包 装 されている、⑤従 って店 舗 も

店 内 に客 席 を設 けている店 の他 に客 席 部 を設 けない持 ち帰 り専 用 の店 舗 もある、⑥店

内 作 業 としては、注 文 を受 けてから料 理 を作 り始 めるのではなく、あらかじめ作 り置 くこと

が多 い。

なお、米 国 ではFFは自 動 車 社 会 を背 景 に、郊 外 立 地 に出 店 することから始 まり、その

後 市 街 地 へ出 店 するという道 筋 をたどったが、1970年 代 の我 が国 では、郊 外 立 地 はFR

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の独 壇 場 であり、”新 奇 なメニュー”のFFはなかなか周 辺 住 民 の利 用 度 を上 げられなか

った。むしろ、繁 華 街 や駅 前 商 店 街 など多 数 の人 が集 合 する雑 踏 を擁 する立 地 で大 い

に威 力 を発 揮 した。

この点 でしばしば好 対 照 として語 られるのは「マクドナルド」と「ケンタッキー・フライド・チ

キン」の日 本 での船 出 についてである。両 者 とも米 国 サイドから強 力 に郊 外 型 立 地 でス

タートするよう求 められたが、「マクドナルド」は繁 華 街 に固 執 し東 京 ・銀 座 に1号 店 をオ

ープンさせ大 成 功 を収 め、「ケンタッキー・フライド・チキン」は愛 知 県 郊 外 に1号 店 をつく

り短 期 間 で撤 退 を余 儀 なくされた。2号 店 、3号 店 (いずれも大 阪 )も失 敗 店 となり、市 街

地 立 地 を求 めた4号 店 (神 戸 )でようやく店 は軌 道 に乗 った。1970年 代 においてはFFの

立 地 は、繁 華 街 、商 店 街 、市 街 地 の人 の多 いところが原 則 であった。郊 外 立 地 がこれ

に加 わってくるのは1970年 代 末 以 降 である。

FFの郊 外 立 地 の開 拓 に積 極 的 な店 舗 開 発 を推 進 したのは「マクドナルド」である。「マ

クドナルド」はドライブ客 が店 舗 の一 方 から進 入 してメニューを注 文 してそのまま店 舗 の

周 囲 を自 動 車 で移 動 し、店 舗 の他 方 の出 口 でメニューを受 け渡 しする「ドライブスルー

方 式 」を1977年 (昭 和 52年 )にスタートさせた。また、1980年 代 に入 るとプレイランド付 店

舗 も開 発 して郊 外 の家 族 客 の誘 引 に努 めた。さらにプール(スイミング教 室 )、ビデオレ

ンタル、玩 具 店 (トイザらス)などと同 じ敷 地 や建 物 内 に積 極 的 に出 店 し、集 客 力 を高 め

た。1990年 半 ば以 降 は、郊 外 型 ショッピングセンター、スーパーマーケットなどの商 業 施

設 をはじめとして、大 学 構 内 や社 員 食 堂 にいたるまで「サテライト店 舗 」と呼 ばれる小 型

の店 舗 を次 々と入 店 させている。

3. 3 フランチェイズ・チェーン・システム

(1)フランチェイズ・チェーン・システム

チェーンレストランの拡 大 を述 べるうえで欠 かせないのがFCシステムである。チェーンレ

ストランの発 展 はFCシステムによって担 われたところが大 きい。

FCシステムも米 国 を発 祥 としている。近 代 的 なビジネスの世 界 に初 めてFCシステムが

取 り入 れられたのは、米 国 のシンガーミシンが 初 で、1863年 にこのシステムの原 型 を

採 用 したとされている。その後 、自 動 車 製 造 会 社 や石 油 会 社 がディーラーやガソリンスタ

ンドを、「コカコーラ」などの清 涼 飲 料 メーカーがボトラーをFC加 盟 店 として組 織 する動 き

が活 発 となり、FCシステムは19世 紀 末 期 から20世 紀 初 頭 にかけて広 まった[9]。

米 国 の外 食 産 業 もFCによる多 店 舗 化 で今 日 の発 展 の基 礎 が築 かれたということがで

きる。その初 期 の代 表 は1925年 に創 業 され1935年 にFC展 開 を開 始 したハワード・ジョン

ソンである。同 チェーンは28種 類 のアイスクリームを開 発 してアイスクリーム店 として成 功

し、これにハンバーガーなどのメニューを加 え、全 国 統 一 メニュー、店 舗 イメージの統 一 な

どの基 本 を確 立 した。

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第 二 次 世 界 大 戦 後 になるとFCシステムはほとんどの小 売 業 種 やサービス業 種 で採 用

されるようになり、多 くのFCが一 斉 に生 まれた。兵 役 解 除 になった人 達 の社 会 生 活 を支

援 する目 的 で彼 らが商 売 を開 始 する際 には政 府 の融 資 が計 られるなど国 策 としてFCシ

ステムが奨 励 されたとも思 えるような状 況 もあったようである[10]。

我 が国 で初 めてフランチャイズ、フランチャイジングという言 葉 が使 われたのは1956年

(昭 和 31年 )11月 、「東 京 コカ・コーラボトラーズ」の設 立 時 といわれている。外 食 チェーン

では1961年 (昭 和 36年 )の「養 老 乃 瀧 」(大 衆 酒 蔵 )が 初 であるとされている。

(2)フランチャイズチェーンシステムの仕 組 み

ではFCシステムとはどんな仕 組 みなのであろうか。チェーンとは既 述 のように比 較 的 均

質 な多 数 の店 舗 を束 ねて同 時 に運 営 することであり、そのために本 部 と店 舗 とが機 能 を

分 担 しあって組 織 全 体 の力 をより高 めようとする経 営 形 態 のことである。FCシステムは

それと同 様 の特 質 を有 しながら、本 部 と店 舗 の経 営 体 を別 個 にしてチェーン展 開 する形

態 のことである。本 部 となる企 業 (フランチャイザー)が、加 盟 店 (フランチャイジー)を集 め

チェーン拡 大 していくのが一 般 的 で、そうしてできたチェーンをFCという。

本 部 にとってFCシステムの 大 のメリットはチェーンを拡 大 する上 で、人 、物 、金 の確

保 が直 営 店 のみで展 開 を図 るよりは格 段 に軽 減 できるということである。本 部 にしてみ

れば、加 盟 店 は人 、物 、金 を投 入 してくれる格 好 のパートナーであり、そうしたパートナー

を大 勢 集 めればチェーン店 舗 を拡 大 するのは比 較 的 容 易 だからである。一 方 、加 盟 店

にとっては何 もない状 態 からビジネスをスタートするより、既 にあるビジネスに参 加 するほ

うが手 っ取 り早 いという利 点 がある。このように双 方 の利 害 が一 致 する点 がFCシステム

の根 本 の考 え方 である(図 2参 照 )。

本 部 と加 盟 店 とは、対 等 の立 場 で契 約 を結 び、契 約 に従 って相 互 に権 利 ・義 務 を果

たしながら、双 方 が一 体 となってチェーンを運 営 する。本 部 は加 盟 店 に事 業 運 営 のため

のノウハウパッケージを提 供 する。これに対 して、加 盟 店 は対 価 を本 部 に支 払 う。この対

価 は通 常 、契 約 時 (加 盟 時 )に支 払 われる一 時 金 (加 盟 金 という)と、その後 の運 営 に

伴 って定 期 的 に支 払 う対 価 の二 種 類 がある。後 者 はロイヤルティーとかフランチャイズフ

ィーとか呼 ばれる。

ロイヤルティーの金 額 算 定 方 式 はチェーンによってまちまちで、形 式 的 には、加 盟 店 の

売 り上 げに連 動 する定 率 方 式 、連 動 しない定 額 方 式 、店 舗 面 積 に比 例 する方 式 、さら

には売 上 高 が多 くなると比 率 が高 くなるもの、 低 額 を固 定 し売 上 規 模 が一 定 以 上 に

なると売 上 比 率 とするものなど様 々である。なお、店 舗 開 発 に関 する費 用 (立 地 調 査 な

ど)、店 舗 従 業 員 の教 育 訓 練 費 、広 告 費 などはロイヤルティーとは別 途 の扱 いとするチ

ェーンが多 い。

また、ラーメンチェーンのように製 麺 などの食 材 供 給 が本 部 の利 益 と直 結 するところで

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図2 フランチャイズチェーンシステム

は、ロイヤルティーは徴 収 せず、食 材 価 格 にロイヤルティーに相 当 するノウハウ料 を含 め

るケースもある。さらにロイヤルティーは著 しく低 率 ないし定 額 にしておいて残 りの相 当 分

を食 材 価 格 に含 めるという方 式 を採 るチェーンも少 なくない。

一 般 に本 部 は加 盟 店 に対 して、店 を運 営 するための一 切 のノウハウを提 供 する。例 え

ば、商 標 ・サービスマークの使 用 権 や店 舗 デザイン、メニューレシピなどの提 供 はもちろ

ん、従 業 員 の採 用 や教 育 、資 金 繰 り、食 材 の仕 入 先 の斡 旋 、販 促 活 動 、経 理 など経

営 全 般 の面 でバックアップする。

さらにスーパーバイザーと呼 ばれる本 部 スタッフが加 盟 店 を定 期 的 に巡 回 して、直 接

経 営 指 導 を行 い経 営 相 談 に乗 る。こうして加 盟 店 との連 携 を強 固 にし、本 部 はチェーン

店 全 体 が同 一 の商 品 、サービスを消 費 者 に提 供 することを目 指 す。

ただ、上 記 の事 柄 はあくまでも一 般 論 で、チェーンによっては本 部 と加 盟 店 との連 携 の

濃 淡 は大 きく違 う。モスフードサービスや小 僧 寿 し本 部 などでは、加 盟 店 の側 から商 品

開 発 など重 要 な案 件 を含 めて積 極 的 に本 部 側 に提 案 するなどして、加 盟 店 の強 い働 き

かけでチェーン運 営 全 体 の改 善 を行 っている。

(3)フランチャーズチェーンの脆 弱 性

FCシステムは、軌 道 に乗 れば店 舗 展 開 を可 能 にするが、決 して万 能 なシステムではな

いということを忘 れてはならない。巨 大 な店 舗 網 を構 築 したFCが多 数 成 長 した一 方 で、

これまでに淘 汰 されていったFCが膨 大 数 に上 ぼるのも事 実 である。こうしたFCには多 く

本部(企業)

店舗 (加盟店)

人・物・金

事業運営のノウハウ

店舗

店舗

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の問 題 があるわけであるが、以 下 代 表 的 なケースを指 摘 しておく。

一 つは、十 分 なノウハウがないにもかかわらず、安 易 にFC店 募 集 を始 めてしまうチェー

ン本 部 があるということである。本 部 の商 品 力 やノウハウの内 容 が弱 ければ加 盟 店 にお

いても予 定 の売 上 を達 することができない。また、本 部 の加 盟 店 への支 援 が弱 い場 合 も

同 様 で、これらの事 態 では加 盟 店 から本 部 へのロイヤリティーの支 払 い拒 否 をはじめ、

様 々なトラブルを随 伴 して加 盟 店 の脱 退 問 題 へと発 展 する。

二 つ目 は本 部 が加 盟 店 の声 に耳 を傾 けないため、加 盟 店 が本 部 から離 れていくこと

が起 こったりすることである。例 えば、FC本 部 の多 くは、チェーン全 体 の中 でも成 績 の良

い店 舗 をモデルに店 舗 デザイン、メニュー、販 促 方 法 などを標 準 化 しようとする傾 向 があ

る。しかし、全 店 が成 績 の良 い店 と同 様 のことをしても、店 の業 績 は地 域 によって大 きな

差 が出 ることもあり得 る。地 域 によって顧 客 の層 や嗜 好 が異 なるからである。加 盟 店 が

地 域 に応 じた営 業 を本 部 に訴 えても、本 部 はその声 を聞 き入 れない、といったケースが

典 型 的 な例 である。また、加 盟 店 が売 れないと判 断 している商 品 を本 部 が一 方 的 に押

し付 け、両 者 の関 係 が悪 化 するケースも見 られる。

三 つ目 は本 部 がチェーン拡 大 を追 いかけ、安 易 に加 盟 希 望 者 を受 け入 れる結 果 、契

約 事 項 を遵 守 せず、本 部 の意 向 に従 わない加 盟 店 を持 つチェーンが見 られる点 である。

チェーンによっては価 格 やメニュー構 成 を加 盟 店 の裁 量 にあるていど委 ねているものもあ

るが、チェーンの多 くは、原 則 的 にチェーン全 体 で同 一 価 格 で同 質 の商 品 、サービスを

提 供 することを目 指 している。しかし、本 部 の意 向 に沿 わない加 盟 店 は本 部 の定 めた以

外 の食 材 を使 用 したり、他 の加 盟 店 とは全 く異 なる料 金 で別 の料 理 を提 供 したりすると

ころがでてくる。こうした加 盟 店 が増 えると、消 費 者 のチェーンへの信 頼 は低 下 して、チェ

ーン全 体 がダメージを受 ける場 合 がある。

四 つ目 は、加 盟 者 側 の問 題 である。本 部 の掲 げる目 標 利 益 ばかりを見 て、加 盟 店 を

経 営 する際 の労 働 の実 態 や現 実 の売 上 を冷 静 に考 慮 しない加 盟 希 望 者 は少 なくない。

加 盟 後 に初 めて厳 しい労 働 実 態 をしり、「こんなはずではなかった」と後 悔 する加 盟 者 が

多 いのも現 実 である。この結 果 、店 舗 運 営 で手 を抜 いたりして、本 部 が掲 げるほどの利

益 が上 がらなくなってくるとチェーン本 部 との絆 は薄 れ、チェーンの組 織 力 は弱 くなってし

まう。

以 上 のように本 部 と加 盟 店 は契 約 を結 ぶ前 に、本 部 は加 盟 店 を、加 盟 店 は本 部 を相

互 に厳 選 する姿 勢 が徹 底 していないと、FCを維 持 、拡 大 させるのは困 難 である。

4. 外 食 産 業 の今 後

これまで外 食 産 業 の発 展 やその仕 組 みを論 述 してきたが、これら既 述 を参 考 にしなが

ら、外 食 産 業 の今 後 を予 測 する。まず、「ターミナルデパート」の存 在 である。筆 者 は大

阪 に在 住 していて、大 阪 駅 、難 波 駅 、天 王 寺 駅 等 、関 西 人 にとって主 要 な駅 はすでにタ

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ーミナルデパートになっている。しかし、 近 では主 要 駅 ほどではないが主 要 駅 以 外 でも

ターミナルデパートが造 られてきている。無 論 、その中 には多 数 の飲 食 店 が存 在 し、今 よ

り店 舗 数 は増 えるであろう。

次 は女 性 の社 会 進 出 という点 である。1980年 代 流 行 したカフェバーで「店 舗 デザイン

でお客 を呼 ぶ」ということを既 述 したが、これからさらに女 性 が社 会 に進 出 し、経 済 的 に

自 立 すれば、女 性 向 けの店 舗 が数 多 く出 てくるであろう。すでにその動 きは業 界 で見 ら

れ、コンビニ(am/pm)、自 動 車 販 売 店 (ダイハツ)、アミューズメント等 が計 画 もしくはすで

に存 在 している。近 い将 来 女 性 向 けの競 馬 場 やゴルフ場 ができるだろう。

一 方 で、女 性 だけでなく男 性 にも外 食 産 業 の今 後 を担 うであろう点 がある。それは団

塊 世 代 の存 在 である。団 塊 世 代 の人 たちは2007年 ~2010年 に退 職 を向 かえ、退 職 金

も年 金 も豊 富 である。業 界 ではシルバーマーケットと呼 ばれ、すでにシルバーマーケット

向 けの店 舗 (和 食 、とうふ専 門 店 、隠 れ家 的 高 級 店 等 )が計 画 ・実 行 されている。今 は

ほとんどなくなってしまった昔 ながらのお豆 腐 屋 がいつか脚 光 を浴 びる時 代 が来 るのかも

知 れない。

今 度 は子 供 を想 定 してみよう。1907年 東 京 ・三 越 の「三 越 呉 服 店 (三 越 デパート)」で

お子 様 ランチが考 案 され、当 時 の子 供 達 は喜 んでそれを食 したという。現 在 でもそれは

子 供 たちに愛 され続 けている。「 近 の子 供 達 はお金 を持 っているな」と筆 者 はよく思 う

ときがある。CDやDVDを買 っていたり、コンビニでお菓 子 を買 っていたりする姿 をよく見

かけるのだが、筆 者 が子 供 の頃 は、1枚 1000円 以 上 するCDやDVDなど見 ることのでき

る環 境 があったとしてもまず買 うことはなかっただろうし、お菓 子 を買 うならまず駄 菓 子 屋

に行 った方 が種 類 も豊 富 で何 より安 上 がりになる。子 供 服 専 用 の店 も珍 しくなくなってき

ている昨 今 、子 供 向 けもしは専 門 のレストランができてもおかしくない時 代 になっていくの

ではないかと考 えてしまう。

さらにペットはどうであろうか。近 年 ペット愛 好 家 が非 常 に増 え、ペット同 伴 可 能 なカフェ

やレストランが相 次 いで出 店 している。犬 の服 やアクセサリーを専 門 にしている店 やペット

専 用 のレストランまであるとテレビで見 たことがある。もはやペットは家 族 と同 じでどこへ

行 くのも当 たり前 な時 代 が来 ると飲 食 店 もそれを受 け入 れざるをえない状 況 になるのだ

ろう。

そして近 年 も重 要 視 されているのが食 の安 全 性 と健 康 という点 であろう。ISO9001

(国 際 標 準 化 機 構 の品 質 マネジメントシステム)を取 得 する企 業 が非 常 に多 くなっている。

これはやはり消 費 者 が安 全 性 や健 康 を配 慮 しているからにほかならない。これからの企

業 はISO9001を取 得 していることが消 費 者 にとって常 識 と思 われるときがくるだろう。

5. むすび

以 上 本 論 文 では、外 食 産 業 の将 来 展 望 ということで既 述 したが、

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①ターミナル以 外 の駅 にもターミナルデパートのような大 規 模 開 発 が行 われる

②女 性 の社 会 進 出 に伴 い女 性 向 けの店 舗 が多 くなる

③団 塊 世 代 の退 職 によるシルバーマーケットの獲 得 競 争 が起 きる

④子 供 向 けや子 供 専 門 の店 舗 造 り

⑤ペット同 伴 が当 たり前

⑥食 の安 全 性 と健 康

以 上 のような予 測 を筆 者 は考 えた。すでに始 まっていることも多 いがそう遠 くない将 来 で

十 分 起 りうる可 能 性 を持 っていると思 う。これからの時 代 は大 衆 向 けよりもニーズを絞 っ

た専 門 店 の方 が強 くなるであろう。

しかし、どういった店 にしても同 じような店 舗 では消 費 者 の心 を掴 めないし、すばらしい

店 舗 でも多 すぎるほど乱 立 していては売 上 が伸 びない、バランスが非 常 に大 事 であると

いえる。

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参 考 文 献

[1]茂 木 信 太 郎 「現 代 の外 食 産 業 」1995年 、日 経 文 庫

[2]池 田 弥 三 郎 「武 江 年 表 」 1968、平 凡 社 にて265年 間 続 いた江 戸 時 代 に大 火 が97

回 あったことから大 工 などの労 働 需 要 が大 きかった。

[3]中 江 克 己 「江 戸 時 代 に生 きたなら」 1993、廣 済 堂 出 版 16頁

[4]茂 木 信 太 郎 「都 市 と食 欲 物 語 」第 4章

[5]三 越 「株 式 会 社 三 越 85年 の記 録 」1990

[6]日 本 フードサービスチェーン協 会 「外 食 産 業 その繁 栄 の企 業 戦 略 」

[7]加 藤 秀 俊 「食 の社 会 学 」 1978、文 芸 春 秋 84頁

[8]国 友 隆 一 「よくわかる外 食 産 業 新 業 界 の常 識 」

[9]安 土 敏 「日 本 スーパーマーケット原 論 」1987、ぱるす出 版 、244頁

[10]清 水 良 吉 「日 本 のフランチャイズ・システム」1970年 、文 化 社 、25頁