STAP 騒動をめぐる12の謎を解く...2015/04/09  · (2)STAP...

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1 STAP 騒動をめぐる12の謎を解く 馬屋原 (安全性評価研究会特別会員、理学博士・医学博士) 目次 要約 1.はじめに: STAP 論文出版後の事実経過 2.「STAP 細胞」の定義の謎 (1)「STAP 細胞はあります」はデタラメか? (2)なぜ笹井氏は「STAP 現象」と言ったか? 3.STAP細胞作成法の謎 (1)なぜプロトコルが 3 つもあるのか? (2)なぜ Vacanti 教授は独自にプロトコルを書いたか? (3)STAP 問題理解の(かなめ)“trituration”とは何か? (4)なぜ理研は trituration を隠したのか? (5)なぜ理研はプロトコルに実験結果を記載したのか? 4.「研究不正行為」の謎 11 (1)なぜ多数の研究不正行為が行われたか? 11 (2)研究不正行為は小保方氏だけか? 12 5.考察 13 (1)「不都合なデータの省略」は研究不正行為か? 13 (2)STAP 論文の関係者は何を見ていたのか? 14 (3)「STAP 騒動」とは結局何だったか? 16 引用文献 17 要約 STAP 問題は1研究者による研究不正事件として歴史の闇に消えていこうとしている。 しかし STAP 問題にはまだ多くの謎が残っている。確認可能な資料を対象に、主に技術 的・方法論的観点からこれらの謎を解くことを試み、いくつかの謎に対する回答を得た。 1)STAP 細胞(=刺激惹起性多能性獲得細胞)の定義は不明確であり、多くの場合 STAP 細胞は「STAP 細胞」の意味で使用され、また時には「STAP 細胞塊」と混同さ れた。例えば小保方晴子氏は単独記者会見で、「STAP細胞はあります。私自身 200 回以上作成に成功しています。」と明言したが、その後の「再現」実験では一度も「再 現」に成功しなかった。この不可解な事実の背景には、STAP 関連用語の不適切な命 名や用法の混乱があった。 2)STAP 細胞作成法プロトコルには、内容が異なる「理研プロトコル」、「Vacanti プロトコ ル」、及び「Vacanti プロトコルの改訂版」の 3 種が存在する。理研の「再現」実験では、 どの方法によっても、理研が「STAP 細胞塊」とよぶものは再現されたが、「STAP 幹細 」は再現しなかった。 3)STAP 論文においては、TCR 遺伝子再構成に関する研究結果が論文の結果欄に記 載されず、1 ヶ月以上遅れて、方法を書くべきプロトコルで公開された。その内容は

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STAP 騒動をめぐる12の謎を解く

馬屋原 宏

(安全性評価研究会特別会員、理学博士・医学博士)

目次 1

要約 1

1.はじめに: STAP 論文出版後の事実経過 2

2.「STAP 細胞」の定義の謎 4

(1)「STAP 細胞はあります」はデタラメか? 4

(2)なぜ笹井氏は「STAP 現象」と言ったか? 6

3.STAP細胞作成法の謎 6

(1)なぜプロトコルが 3 つもあるのか? 6

(2)なぜ Vacanti 教授は独自にプロトコルを書いたか? 7

(3)STAP 問題理解の要(かなめ)“trituration”とは何か? 8

(4)なぜ理研は trituration を隠したのか? 8

(5)なぜ理研はプロトコルに実験結果を記載したのか? 9

4.「研究不正行為」の謎 11

(1)なぜ多数の研究不正行為が行われたか? 11

(2)研究不正行為は小保方氏だけか? 12

5.考察 13

(1)「不都合なデータの省略」は研究不正行為か? 13

(2)STAP 論文の関係者は何を見ていたのか? 14

(3)「STAP 騒動」とは結局何だったか? 16

引用文献 17

要約

STAP 問題は1研究者による研究不正事件として歴史の闇に消えていこうとしている。

しかし STAP 問題にはまだ多くの謎が残っている。確認可能な資料を対象に、主に技術

的・方法論的観点からこれらの謎を解くことを試み、いくつかの謎に対する回答を得た。

1)STAP 細胞(=刺激惹起性多能性獲得細胞)の定義は不明確であり、多くの場合

STAP 細胞は「STAP 幹細胞」の意味で使用され、また時には「STAP 細胞塊」と混同さ

れた。例えば小保方晴子氏は単独記者会見で、「STAP細胞はあります。私自身 200

回以上作成に成功しています。」と明言したが、その後の「再現」実験では一度も「再

現」に成功しなかった。この不可解な事実の背景には、STAP 関連用語の不適切な命

名や用法の混乱があった。

2)STAP 細胞作成法プロトコルには、内容が異なる「理研プロトコル」、「Vacanti プロトコ

ル」、及び「Vacanti プロトコルの改訂版」の 3 種が存在する。理研の「再現」実験では、

どの方法によっても、理研が「STAP 細胞塊」とよぶものは再現されたが、「STAP 幹細

胞」は再現しなかった。

3)STAP 論文においては、TCR 遺伝子再構成に関する研究結果が論文の結果欄に記

載されず、1 ヶ月以上遅れて、方法を書くべきプロトコルで公開された。その内容は

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STAP 論文の Abstract 及び理研広報資料の内容と矛盾する。これらの不整合と、外

部委員で構成された調査委員会の2つの調査報告書から、小保方氏が関係しない研

究不正行為の存在が強く示唆される。

4)「STAP 細胞仮説」は、小型体性幹細胞を分離する方法として使用されていた

trituration(徹底したピペッティング)から工学博士の東京女子医科大学の雅之教授が

着想した仮説であり、「強い刺激が細胞の分化を消去して幹細胞化する」という。しか

し、この新仮説が、旧仮説の trituration をそのまま流用しており、trituration によって

未分化な「体性幹細胞」の比率が高まった細胞集団を出発細胞として、これに酸性溶

液処理などの刺激を加えて細胞分化の消去を観察しようとしていたことは、方法論的

に決定的な誤りであり、「STAP 細胞仮説」の破綻は最初から約束されていた。

5)STAP 騒動とは結局、「Vacanti 教授・大和教授・小保方氏による、根拠のない「STAP

細胞仮説」が破綻した後も、これを取り繕うために、複数の著者が、データの改ざんや

捏造、不都合なデータの隠蔽、レトリックの駆使、果ては ES 細胞とのすり替えにより

Nature 編集部を信じさせて論文を公表し、記者会見で「iPS 細胞以上の大発見」と大

宣伝した結果引き起こされた事件であった。

1.はじめに: STAP 論文発表後の事実経過

STAP 騒動は、保存されていたSTAP幹細胞クローン等の遺伝子解析の結果、ES細

胞の混入であったことが証明され、STAP 細胞の存在の根拠がなくなり、論文の写真や

図表は小保方氏による研究不正行為とされて、一件落着した。しかし、STAP 問題に関

する未解決の謎は多い。本稿では STAP 論文2報のほか、3 種ある STAP 細胞作成法

プロトコル、国際特許出願文書、及び各種調査委員会による調査報告書類等、確認可

能な資料を基に、いくつかの謎の解明を試みた。

最初に、事件の全体像を把握するため、STAP論文発表から現在(2015 年 3 月末)ま

での事実経過を経時的にまとめておく。

2014 年 1 月 30 日、英国の学術雑誌 Nature に理化学研究所(以下理研)の Obokata

らによる STAP(Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency、

刺激惹起性体細胞多能性獲得)に関する 2 編の論文1,2)が掲載された。この論文は、そ

の前日の大々的な記者会見3)において、「STAP 細胞は、遺伝子導入などの複雑な操

作を必要とせず、簡単に効率よく幹細胞が作成でき、がん化の心配も無いので、iPS 細

胞を遥かに超える大発見である」と誇大宣伝されたため、国内・海外も含め多くの人々

の関心を引いた。

ところが、論文発表の直後から、追試しても再現できないこと、また、写真やグラフに

多数の改ざんや捏造の疑惑があることが国の内外から指摘された。理研が編成した

「研究論文の疑義に関する調査委員会」は、2014 年 3 月 31 日、「研究論文の疑義に関

する調査報告書」4)を発表し、翌 4 月 1 日の記者会見で、主論文(Article)の写真データ

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に改ざん1件と捏造1件の研究不正行為を認めた。

これに対し小保方氏は、4 月 9 日の単独記者会見5)において、これらはいずれも悪意

の無い単純なミスであリ、研究不正には当たらないと反論したが、同調査委員会は、

2014 年5月7日、「不服申立てに関する審査の結果の報告」6)を発表し、上記判断を確

定させた。また、「CDB 自己点検検証委員会」は、2014 年 6 月 10 日、「CDB 自己点検の

検証について」7)を発表し、STAP 研究の過程における種々の個人的・組織的問題点を

指摘した。また、「研究不正再発防止のための改革委員会」は、2014 年 6 月 12 日、「研

究不正再発防止のための提言書」8)を公開したが、その内容は、)Nature 論文(2篇)の

撤回、関係者の処分、及び理研発生再生研究センター(CDB、神戸市)の解体勧告まで

含む厳しい内容であった。そして、2014 年 7 月 2 日、Nature は著者全員の同意を得て、

STAP 論文 2 編の掲載を取り消した9)。また、これに伴い理研は、プロトコルなど関連文

書も取り消し10)、STAP 問題は白紙に戻った。そして 2014 年 8 月 5 日、笹井芳樹氏の自

殺という衝撃的事件が起きた。

その後理研では、丹羽グループと小保方氏が別個に STAP 細胞の「再現」実験に取り

組んでいたが、2014年11月14日、理研は、実験の終了を待たず、11月21日付でCDB

を新組織に再編すると発表し11)、CDB の名称は「多細胞システム形成研究センター」と

変更され(英文名は変らず)、組織の規模が約半分に縮小された。

さらに理研は、2014 年 12 月 19 日、記者会見を開催12)、続いて 12 月 25 日付で、「研

究論文に関する調査報告書」13)(以下最終報告書という)を公開し、2つの「再現」実験

がともに失敗したこと、及び、結論として、以下の5点を明らかにした:

① 遺伝子解析により、継代中のSTAP細胞クローンにES細胞の混入が示され、

論文の主たる主張が失われた。

② 小保方氏の実験記録が殆ど残されていない(提出されない)。

③ 論文の図表の間違いが非常に多い。

④ 図表の一部は、捏造または改ざんである。

⑤ 小保方氏を指導する立場にある研究者が、上記①-④の可能性を感知できた

はずだが、実際はその検討をしなかった。

更に調査報告書は、2つの「再現」実験の終了予定日を 4 ヶ月繰り上げ、11 月末で両

方の実験を打ち切ったこと、及び小母方氏が 12 月 21 日付で既に退職したことを発表し

た。理研が STAP 論文中に認めた研究不正は、図表の捏造2件が追加され、合計4件と

なった。また、これら 4 件の研究不正は「氷山の 1 角」であるとされた。これら4件の研究

不正行為は全て小保方氏の責任とされ、期限の 2015 年 1 月 5 日までに異議申し立て

がなかったことから、2014 年 1 月に始まった STAP 騒動は約 1 年で一応の終止符が打

たれた。

STAP騒動が大きくなる間に、STAP問題に関心を寄せた人々の数は恐ろしいほどの

数に達した。2014年4月9日の小保方氏の単独記者会見は、水曜日の真昼間の放送で

あったが、NHKと民放を合わせた視聴率は30%を超えた14)。また、Googleで「STAP」 を

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検索すると、小保方氏が調査報告書13)に異議を唱えなかったことが判明した、2015年1

月6日のヒット数は約5330万件に達した15)。

しかし、論文が撤回され、「再現」実験が失敗し、小保方氏一人による研究不正事件

であったと発表されても、STAP 問題には、以下のように、なお多くの謎が残っている。

2.「STAP 細胞」の定義の謎

科学的な議論をする場合に最も重要なことは、用いる用語を正確に定義し、関係者間

でその定義を共有することである。欧米人と比較すると、日本人は一般に、この「用語の

明確な定義」が不得手であり、しばしば定義が不明確なまま議論する傾向がある16)。特

に「STAP 細胞仮説」は全く新しい概念であったため、なおさら正確な定義が重要であっ

たが、「STAP 細胞」の定義は最初から最後までまで、あいまいなままであり、種々の混

乱を引き起こしてきた。そこで本稿ではまず、STAP 細胞の定義にまつわる謎から検討

する。(なお、本稿では STAP 細胞「再現」実験という場合、カギ括弧をつける。再現とは

一度存在した、あるいは観察された事実を再度実現または観察することであるが、

STAP の場合、論文が取り下げられ、STAP 細胞の存在が白紙になった後は、「白紙状

態のものを再現する」ことになり、論理的に問題があるので、「いわゆる再現実験」の意

味のカギ括弧である。)

(1)「STAP 細胞はあります」はデタラメか?

2014 年 4 月 9 日の単独記者会見5)において、小保方氏は、「今でも STAP 細胞はあ

ると思いますか」との記者の質問に対し、 「STAP 細胞はあります。私自身 200 回以上

作成に成功しています」と明言した。にも関わらず、理研の「再現」実験において、丹羽

グループも小保方氏自身も、STAP 細胞の「再現」に一度も成功しなかった。200 回以上

とゼロという、この極端な相違は何を意味するのだろうか。この発言を単なるデタラメと

決めつける論者も多いが、検討もせずに決め付けるのは科学的態度ではない。

生後1週間のマウス脾臓組織から試料を採取し、これを刺激して多分化能をもつ

STAP 幹細胞になったことを証明するために、テラトーマ(奇形腫)を作成するには最短

でも数週間はかかる。ましてや、キメラ作成やキメラ同士の交配による F1 仔の出産まで

行えば、1 回の実験に数ヶ月はかかる。従って、このように手間のかかる実験に 200 回

以上も成功したと小保方氏が主張するとは思えない。それに、1つの仮説を証明するた

めに200回以上も証明して見せる必要もない。問題は、彼女がこの発言をしたとき、「何

をもって STAP 細胞作成 1 回と数えたか」を説明(定義)していない点にある。

実は、理研の最終報告書13)とその記者会見用のスライド資料を見れば、この小保方

発言の謎は簡単に解ける。これらの資料で、理研は生後1週のマウス脾臓から細胞を

採取して、7 日間培養して出現する、Oct4-GFP 発現「緑色細胞塊」を、「STAP 細胞塊」

と呼んでいるからである。この「緑色細胞塊」とは、理研の最初の記者会見の席上で、満

面の笑みをうかべた小保方氏がスクリーンに向かって指差していた、あの薄緑色のボ

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ールである。誰が名づけたかは知らないが、この緑色細胞塊を「STAP 細胞塊」と呼ぶ

のであれば、この細胞塊を構成する「個々の細胞」は、「STAP 細胞」と呼ぶしかない。そ

してこの緑色細胞塊(=STAP 細胞塊)は、「再現」実験でも再現されているので13)、そ

れを構成する「STAP 細胞」も再現されたことになる。すなわち、小保方氏が「STAP 細胞

はあります」と言っても、論理的には誤りと言えない。しかし、小保方氏が「STAP 細胞は

あります」と言ったとき、彼女は当然、各種の組織に分化する能力を持つ STAP 細胞、す

なわち「STAP 幹細胞はあります」という意味で言っている。当時はまだわからなかった

が、保存されているSTAP細胞クローンやキメラ動物の組織は全てES細胞由来であり、

ES 細胞由来でない STAP 幹細胞が存在した証拠はない。また、「再現」実験でも、緑色

細胞塊(=STAP 細胞塊)からテラトーマやキメラは作成できなかったので、「STAP 幹細

胞」は再現されていない。従って、小保方氏の「STAP 細胞はあります」発言は誤りであ

る。しかしこの誤りは、理研が「緑色細胞塊」を「STAP 細胞塊」と命名をしたことにも原因

がある。この「緑色細胞塊」は、採取した細胞が培養中に次第に集合して形成されるも

ので、殆ど増殖能力がなく、やがて死滅する13)。このような、「多能性を示さない細胞

塊」を、「STAP(=刺激惹起性多能性獲得)細胞塊」と呼ぶことは明らかに誤った命名で

あり、混乱の原因となった。

「STAP 細胞塊」の命名の不適切性は、理研の再現実験の方法と結果を見ればよくわ

かる。理研は、2014 年 12 月 19 日の記者会見12)で、小保方氏の実験で作成した

(STAP)細胞塊を 1615 個、丹羽氏が作成した細胞塊を 244 個用いて実験を繰り返した

が、1回もキメラ作成に成功しなかったことをもって、「STAP 細胞の再現に 1 回も成功し

なかった」と表現した。2000 個近い「STAP 細胞塊」の断片の初期胚に移植して、キメラ

動物が 1 匹もできなかったことは、「STAP 細胞塊」の中に「STAP 細胞]が存在する証拠

がないことを意味し、従ってこのような細胞塊を「STAP 細胞塊」と呼ぶ根拠もない。

「STAP 細胞」の定義の曖昧さは、実は早くから指摘されていた。2014 年 1 月 29 日の

最初の記者会見3)において、理研が「STAP 細胞と iPS 細胞の収率を比較すると、STAP

細胞の方がはるかに収率が高い」と説明したことに対し、iPS 細胞の発明者の山中伸弥

京都大学教授は、2014 年 2 月 12 日、「iPS 細胞は幹細胞であるが、STAP 細胞は幹細

胞ではない。収率を比較するなら、STAP 幹細胞と iPS細胞の収率を比較すべきだ」と指

摘した17)。この山中教授の「STAP 細胞は幹細胞でない]という指摘は、「STAP 細胞」の

定義の曖昧さという、「STAP 細胞仮説」の本質的問題点を正しく指摘したものであった。

しかし、理研はこの指摘に対し適切な対応をせず、「STAP 細胞」を「STAP 幹細胞」の

意味で使用し続け、また「STAP 細胞塊」と「STAP 細胞」を混同する誤りがその後も繰り

返された。

以上から、小保方氏の「STAP 細胞はあります」発言の背景には、「STAP 細胞」及び

「STAP 細胞塊」を理研が適切に定義・命名していなかったことに原因があった。

なお、Oct4-GFP 細胞は未分化細胞のマーカー遺伝子 Oct4 が発現すれば緑色蛍光

を発するように遺伝子改変されているが、STAP 細胞塊の蛍光は、死亡細胞がマクロフ

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ァージに貪食され、ライソゾーム化した場合に発する自家蛍光であるとの見方がある。

「再現」実験の緑色細胞塊は増殖せず、やがて死滅するうえに、培養時間と共に蛍光が

強くなるので、自家蛍光の可能性が高いが、この細胞塊を構成する細胞の組成は単純

ではなく、全てが自家蛍光であるとの断定も困難である。理研の最終報告書では、自家

蛍光説には触れていないが、自家蛍光であると認めれば、多額の費用と時間とをかけ

た再現実験の意味が疑われるからであろう。

(2)なぜ笹井氏は「STAP 現象」と言ったのか?

故笹井芳樹氏は、4月16日の単独記者会見18)で、一般に使用されていた「STAP 細

胞」を使わず、「STAP 現象」という用語を用いて、「STAP 現象は有力で可能性の高い仮

説です。」と述べた。笹井氏はなぜ「現象」という用語を使ったのだろうか。

笹井氏は、短縮すると「○○現象は△△な仮説です」と言ったことになる。しかし、こ

の表現は論理的に問題がある。「現象」とは、「観察されうるあらゆる事実」(広辞苑)で

ある。また、「現象」に相当する英語は phenomenon であり、その意味は、”a fact,

occurrence, or circumstance observed or observable (観察済みの、あるいは観察可能

な事実、出来事、あるいは状況)(Oxford 英英辞典)であり、やはり「事実」を指す。 従

って笹井氏は、「事実=仮説です」と言ったことになる。

ただし、もともと STAP 論文は、体細胞の万能細胞への「fate conversion(運命転換)」

という「現象」についての報告であった。その意味では、「STAP 現象」と呼んだのは間違

ってはいない。しかし、笹井氏が「STAP 現象」と言った時期が悪かった。論文発表の直

後から論文の写真やグラフに多数の疑義が指摘され、3 月 31 日時点で理研の調査委

員会が論文の画像に改ざんや捏造があったことを認めていた。従って、笹井氏の記者

会見があった 4 月 16 日時点では STAP 細胞の真実性は既に失われており、STAP は現

象(=事実)ではなくなっていたからである。

3.STAP細胞作成法の謎

(1)なぜプロトコルが3つもあるのか?

雑誌Natureは、Nature本体とは別に、電子雑誌Nature Protocol Exchangeを発行し、

Nature 論文の著者たちに掲載論文の詳細な方法を投稿させている。これは他の研究者

による追試を容易にして、Nature 投稿論文の信頼性と再現性を高めることが目的であ

る。STAP論文のプロトコルもその趣旨で公開されたものであるが、通常ひとつの論文に

はひとつのプロトコルが対応するが、STAP 論文にはプロトコルが 3 つ存在する。

その第1は、2014 年 3 月 5 日に、理研の Obokata・Sasai・Niwa 3名が連名で Nature

の Protocol Exchange 誌上に公開したプロトコルである。以下、これを「理研プロトコル」1

9)と呼ぶ。第 2 は、3 月 20 日に、Harvard 大学の Vacanti 研究室のホームページに公開

された文書で、以下これを、「Vacanti プロトコル」20)と呼ぶ。第 3 は 9 月 3 日に発表され

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た Vacanti プロトコルの改訂版21)である。つまり、プロトコルが 3 つ存在する理由は、理

研プロトコルに加えて、Vacanti 教授が独自のプロトコルを 2 度も書いたからである。

(2)なぜ Vacanti 教授は独自のプロトコルを書いたか?

Vacanti 教授が最初の独自のプロトコルを書いた理由のひとつは、理研プロトコルに

彼の名前が入っていなかったからであろう。彼は STAP 細胞の作成に深く関わっており、

たとえば、2008 年から 2011 年にかけて、小保方氏が Vacanti 教授のもとに留学し、教授

の指導のもとに、今回の STAP 論文と方法も結果も非常に良く似た内容の研究を行い、

2010 年 12 月に提出した学位論文22,23)にまとめている。学位論文と STAP 論文がどれ

ほどよく似ているかは、STAP 細胞のテラトーマ(奇形腫)形成能を示す写真に、学位論

文の写真を使い回ししていたことからもわかる7)。また、Vacanti 教授は、STAP 細胞作

成法の国際特許出願の筆頭申請者である。

しかし、彼が独自のプロトコルを書いた本当の理由がほかにあることは、その冒頭に

以下のように書いていることから判断できる:

「全てのステップを省略しないことが重要である。特に重要なことは、細胞懸濁

液を最短でも 30 分間 triturate して、最小の内径のピペット細管の中を懸濁液が容

易に上下するようにすることである。」

すなわち、Vacanti 教授は、「trituration(徹底したピペッティング)の重要性を強調する

ため」に独自のプロコルを書いたと考えられる。ところが、Vacanti 教授が STAP 細胞作

成過程での最重要手順として強調する trituration は、STAP 論文にも理研プロトコルに

も全く書かれていない。従って Vacanti プロトコルが書かれた理由は、理研プロトコルに

trituration が全く書かれていないからこそ、彼独自のプロトコルを書く必要があった、と

考えるべきである。

2014 年9月3日、Vacanti 教授はサバティカル(長期有給休暇)中であるにもかかわら

ず、彼の教室のホームページに「STAP 細胞作成法プロトコルの改訂版」21)を公開した。

その中で彼は、「前のプロトコル20)に STAP 細胞は簡単に出来るように書いたのは大き

な誤りであった」と述べ、「Trituration に用いる培養液を酸性に調整する際に使用する試

薬を、従来の塩酸から ATP に切り替えることにより、STAP 細胞への変換効率を劇的

(dramatically)に高めることができた、と書いている。したがって、一見すると改訂版公開

の目的は ATP の使用を強調することのように受け取れる。しかし、理研の最終調査報

告書13)によれば、理研でも常時 ATP 法を併用していたので、Vacanti プロトコルの改訂

版公開は ATP の使用については公開する意味がなかった。従って Vacanti 教授は ATP

にかこつけて、trituration の重要性を再度強調したとみられる。

なぜ教授がこれほどまでに trituration にこだわるのかについては、次項(3)で論じる。

また逆に、なぜ理研は trituration について全く触れなかったのか、については(4)で論

じる。

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(3)STAP 問題理解の要(かなめ)“trituration”とは何か?

STAP 問題を論じる人は多いが、“trituration” について論じたものを見たことがない。

しかし、“trituration”は STAP 問題を理解する上で、要(かなめ)となる重要な術語であり、

これを理解しなければ、STAP 問題は理解できない、と言っても過言でない。

“Triturate”の辞書的な意味には、「つぶして粉にする」という他動詞の意味と、「粉に

したもの」、すなわち「粉薬」という名詞の意味がある。“Trituration”は「triturate するこ

と」をあらわす名詞である。これらは、化学・薬学分野での用法であるが、生物を対象と

する用法に、「triturating juicer(果物や野菜を丸ごと粉砕してジュースを作る器具)があ

る。“Vacanti 教授の trituration の意味が、「細胞の粉砕」であることは、教授の指導を受

けた小保方氏が、「学位論文概要」23)に、「先端を 10μ m ほどまで細めたガラスピペット

で細胞を粉砕することによって小さい細胞を回収した。」と書いていることから明らかで

ある。

Vacanti プロトコルには trituration に用いる2種類の内径をもつ細管ピペットの作り方

から始まり、trituration の方法が詳細に説明されている。動作としての trituration の意味

は、要するに細いピペットで細胞懸濁液を何度も吸ったり吐いたりすること、すなわち

「徹底したピペッティング」である。小保方氏の学位論文において、trituration が大型細

胞を粉砕して胞子様細胞(小型の体性幹細胞)を分離・回収する方法であったこと、及び、

Vacanti 教授が 2 度も公開した独自プロトコルで、STAP 細胞作成過程で細胞に刺激を

与える酸性溶液処理は、少なくとも30分間以上、triturationした後で行うことの重要性を

強調していることに注目する必要がある。その理由は次項で論じる。

(4)なぜ理研は trituration を隠したのか?

2014 年1月 29 日の理研による最初の記者会見において、小保方氏は、trituration に

関して、以下のような極めて注目すべき発言をしている25):

「細胞をガラス細管の中を何度も通すと、大きな細胞は壊れて小さな細胞だけ

が残ります。これが trituration の効果です。Trituration をすれば幹細胞ができます

が、trituration をしなければ幹細胞は全くできません。Triturationをすればするほ

ど幹細胞が増えてきますので、これはもう isolation(既存の細胞の単離)ではなく、

出来て来るのではないかと考えました。」

上記の説明には注目すべき点が 2 点ある。第1点は、前半部分の、「細胞をガラス細

管の中を何度も通すと、大きな細胞は壊れて小さな細胞だけが残ります。」の説明が、

従来の胞子様細胞の分離・回収方法の説明と同じであり、体性幹細胞仮説の立場から

の説明であること、そして後半部分は、「(細胞への刺激により)幹細胞ができてくる」と

いう、「STAP 細胞仮説」の立場からの説明であることである。この記者会見は、STAP 細

胞の説明のためであり、前半部分の「体性幹細胞仮説」の立場からの説明は尋常では

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ない。この小保方氏の説明も、前項で述べた Vacanti 教授の、酸性溶液処理を

trituration 後にを行うことの重要性の強調も、共に「STAP 細胞仮説」にとっては不都合

な説明である。なせなら、二人の説明は、「STAP 細胞仮説における出発材料が、

trituration 後の、体性幹細胞の比率が高くなった細胞集団であること」を意味しているか

らである。

注目すべきもう1点は、Vacanti 教授や小保方氏が言うように、「trituration をしなけれ

ば STAP 幹細胞は全くできない」とすれば(文献25の動画を参照)、当然 STAP 論文で

も、記者会見当日のスライドでも、triruration の重要性が強調されてしかるべきである。

ところが、STAP 論文も記者会見のスライドも、trituration には全く触れていない。また、

この記者会見の約1ヶ月後に発表された理研プロトコルでも、trituraition に全く触れてい

ない。

理研が trituration に全く触れなかった理由は 2 つ考えられる。ひとつは STAP 論文が

一度 Nature に投稿してリジェクトされた論文の再投稿であったという事情である。小保

方氏の弁護士は、「2度目のSTAP論文は、再度リジェクトされないように、全く新規の論

文として書かれた」、と語っている26)。つまり理研は、再投稿する STAP 論文の体裁を、

全く新規の論文として整えるために、細胞刺激法としては酸性溶液処理のみを記載し、

trituration には触れなかったと考えられる。

もう一つの、もっと深刻な理由は、本項の冒頭に引用した小保方氏の説明25)と、前項

に述べた Vacanti 教授による、細胞刺激法としての酸性溶液処理の前に十分な

trituration を行うことの強調20,21)である。これらが意味することは、STAP 細胞(塊)作成

時に、小保方氏が常時 triturationを実施していたことである。Triturationを十分に行った

後では、大型細胞か粉砕されて、小型の体性幹細胞の比率が高まっている。STAP 細

胞仮説が、体性幹細胞の比率が高まった細胞集団を出発材料としているとすれば、当

然、「産生された」幹細胞は分化した体細胞の分化の消去によってではなく、もともと未

分化な既存の体性幹細胞由来ではないか」、という疑問が生じる。もちろん TCR 遺伝子

再構成の陽性データなど、幹細胞の起源が分化した体細胞であることを示す明白な証

拠があれば上記疑問は解消するが、実際にはそのような証拠は得られなかった。そこ

で理研は、上記批判を避けるために、論文、プロトコル、及び広報資料で turation には

一切触れず、また trituration の重要性をあくまでも強調する Vacanti 教授の名前を理研

プロトコルから排除した、と考えられる。しかし、Vacanti 教授が独自のプロトコルを公表

して、trituration の重要性を強調したため、理研のこの「trituration 隠蔽作戦」は裏目と

なってしまった。

(5)なぜ理研はプロトコルに実験結果を記載したのか?

理研プロトコルにはもうひとつ奇妙な点がある。プロトコルは本来、実験計画や方法を

記述する文書であるが、理研プロトコルに重大な実験結果が記載されたことである。プ

ロトコルに記載された、その実験結果の原文と和訳を以下に示す:

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(iii) We have established multiple STAP stem cell lines from STAP cells derived

from CD45+ haematopoietic cells. Of eight clones examined, none contained the

rearranged TCR allele, suggesting the possibility of negative cell-type-dependent

bias (including maturation of the cell of origin) for STAP cells to give rise to

STAP stem cells in the conversion process.

(拙訳) (iii)我々は、CD45+ の造血系細胞に由来した STAP 細胞から複数の

STAP 幹細胞株を確立した。検査した 8 つのクローンのうち、胸腺細胞受容体

(TCR)対立遺伝子の再構成を示したクローンは一つも認められなかった。この

ことは、STAP 細胞から STAP 幹細胞を生成させる変換過程において、ネガティ

ブな細胞型依存性のバイアス(出発細胞の成熟を含む)が存在した可能性を示唆

している。 (下線及び太字は筆者による)

上記の下線部分、「ネガティブな細胞型依存性のバイアス」という表現は、極めて難

解である。しかし、本来プロトコルは原論文を補完する文書であり、従って「ネガティブ」

の意味は、「原論文の主張に対して否定的な」という意味であり、「バイアス」は「データ

の偏り」である。では、否定されるべき「原論文の主張」とは何か、STAP 論文1)の

Abstract と、その和訳を以下に引用する:

Abstract: Here we report a unique cellular reprogramming phenomenon,

called stimulus-triggered acquisition of pluripotency (STAP), which requires

neither nuclear transfer nor the introduction of transcription factors. In STAP,

strong external stimuli such as a transient low-pH stressor reprogrammed

mammalian somatic cells, resulting in the generation of pluripotent cells. Through

real-time imaging of STAP cells derived from purified lymphocytes, as well as

gene rearrangement analysis, we found that committed somatic cells give rise to

STAP cells by reprogramming rather than selection.

(拙訳) 要約: 我々はここに、刺激惹起性体細胞多能性獲得(STAP)と呼ば

れる、核移植も転写調節因子の導入も必要としない、ユニークな細胞の再プログ

ラミング現象を報告する。STAP では、低 pH ストレッサーによる短時間刺激のよ

うな強力な外部刺激が、哺乳類体細胞を再プログラミングした結果、多能性細胞

が産生された。精製したリンパ球に由来した STAP 細胞のリアルタイム・イメージ

ングと、遺伝子再構成分析を通じて、我々は、当該体細胞から、選択によらず、

再プログラミングにより、STAP 細胞が生じることを知った。(下線は筆者)

上記の下線部分、「遺伝子再構成分析を通じて ・・・・・・」、というくだりには、分析した

遺伝子も、その結果も書かれていない。しかし、分析対象遺伝子が「TCR 遺伝子」であり、

分析の結果は再構成が陽性であった。」という意味に解釈する以外に解釈の方法がな

いことは、STAP 論文の発表の前日、2014 年 1 月 29 日の記者会見当日に発表された

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理研の広報資料3)の以下の文章から明らかである:

「(前略) 遺伝子解析により Oct4 陽性細胞を生み出した「元の細胞」を検証し

ました。リンパ球のうち T 細胞は、いったん分化すると T 細胞受容体遺伝子に特

徴的な組み替えが起こります。これを検出することで、細胞が T 細胞に分化した

ことがあるかどうかが分かります。この解析から、Oct4 陽性細胞は、分化した T

細胞から酸性溶液処理により生み出されたことが判明しました。これらのことか

ら、酸性溶液処理により出現した Oct4 陽性細胞は、一度 T 細胞に分化した細胞

が「初期化」された結果生じたものであることが分かりました。(以下略)」

さて、理研プロトコルの、「TCR遺伝子再構成分析の結果は、検査したSTAP細胞クロ

ーン 8 つが全てネガティブであった」との記事は、上記 STAP 論文の Abstract 及び広報

資料の両方と完全に矛盾する。しかも、8 対 0 という成績は、バイアス(データの偏り)な

どという生やさしいものではない。著者らの希望的観測から離れて客観的に見れば、こ

の結果は「ネガティブ」でも「バイアス」でもなく、要するに、彼らの主張する「STAP 細胞

仮説」が、8対0という圧倒的数字によって、ほぼ決定的に否定されたにすぎない。

論文の Abstract とは正反対の結果がプロトコルに記載され、Abstract に対応する結

果がResultsに記載されなかったという不整合には、研究不正行為の疑いが濃厚である。

これについては、次項「4.研究不正行為の謎」で論じる。

4.研究不正行為の謎

(1)なぜ多数の研究不正行為が行われたか?

理研の最終報告書13)では、STAP論文中に4件の研究不正を認定し、これらは氷山の

1角であるとした。STAP 論文に疑義が多いことについては、WIkipedia の「刺激惹起性

多能性獲得細胞」の解説記事には、約 15 項目にわたる疑義が記載されている27)。また、

2014 年7月27日放送の「NHK スペシャル」では、専門家チームの検討の結果、「STAP

論文中に 140 点ある画像・グラフの実に7割以上に何らかの疑義、不自然な点がある」

と報道した28)。

STAP 論文にこのように多数の研究不正が行われた理由は、前項で述べたように、

STAP 細胞仮説が、本来、体性幹細胞の分離・回収方法であった trituration から着想さ

れた仮説であり、この手技を用いて体性幹細胞の比率が高まった細胞集団を出発材料

としていたために、TCR 再構成の痕跡が認められないなど、仮説の証明に必要なデー

タが得られなかったため、著者たちはデータの改ざん、捏造などの研究不正を重ね、つ

いには ES 細胞とのすり替えによってデータを揃えようとしたため、と考えられる。

「STAP 細胞仮説」が、対立仮説である体性幹細胞の分離・回収手段であった

trituration をそのまま流用し、これによって体性幹細胞の比率が高まった細胞集団を出

発細胞としていたことは、方法論的に決定的な誤りであり、「STAP 細胞仮説」の破綻は

最初から約束されていたといえる。

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(2)研究不正行為は小保方氏だけか?

2014 年 9 月 11 日、Nature News Blog は極めて興味ある記事29)を掲載した。これによ

れば、2012 年の春に理研が Nature、Cell、Science の 3 誌に STAP 論文を投稿して、す

べてからリジェクトされた際に、Science のレフリーの1人が論文中の電気泳動の写真が

切り張りであることを見破り、これを含め多数の疑惑を著者に指摘していた、という情報

が Science から Nature にリークされた、という記事である。理研上層部は、その後に高

い論文作成能力を持つ笹井芳樹氏に論文作成を支援するよう命じている。論文の再投

稿に当たっては、上記 3 誌のレフリーたちから、過去にどのような指摘があったかを検

討し、対策を講じたはずであり、この 2012 年春から夏の時点で、理研上層部、及び小保

方氏の上司や他の著者たちが、STAP 論文の原稿に、改ざん写真が含まれていたこと

を当然知っていたはずである。したがって Nature への再投稿に際し、改ざんなどの研究

不正が繰り返されないように当然注意したはずであり、再投稿された STAP 論文の電気

泳動の写真に、再び切り張りの改ざん写真が使用されたことに誰も気づかなかったとい

うのは極めて不自然であり、むしろ、複数の著者たちが改ざんや捏造があることを知り

ながら論文を再投稿した可能性が高い。ただし、関係者のほとんどが故人、転出者、退

職者となった現在、この研究不正疑惑の真相究明は殆ど不可能と思われる。

しかし、小保方氏が関与しない研究不正が明白に示唆される事例が他にある。STAP

論文において、TCR 遺伝子再構成分析の実験結果がネガティブであったことが、論文

の Results に記載されず、1 ヶ月以上後から公開されたプロトコルに記載された件である。

この間の経緯は、「CDB 自己点検の検証について」7)及び、最終報告書13)で検討され、

この実験結果を STAP 論文に含めないように提案した人物も、プロトコルに記載すること

を決めた人物も特定されているが、それらは小保方氏ではない。

このデータの論文への不掲載の理由は、「プロトコルに記載する予定であったため」と

説明されているが13)、本来論文の結果欄に掲載すべき実験結果を、方法を書くべきプ

ロトコルに後から掲載した不自然さの説明にはなっていない。不自然な行為にも、それ

なりの理由があるはずで、その理由はその行為から得られた利益から判断可能である。

このネガティブデータは、内容的に STAP 論文の Abstract とは両立しないため、投稿に

際してデータを省略するか、Abstract を書き直すか、どちらかを選択する必要があった。

しかし、このデータを論文に記載すると「STAP 細胞が T リンパ球由来であり、その細胞

分化が刺激によって消去され幹細胞化した」という論文のストーリーの前半部分が崩壊

する。そこで著者たちが選んだ方法は、このネガティブデータを論文から省略し、

Abstract は遺伝子再構成がポジティブであったと読めるような内容にして論文を投稿す

ることであった(3-(5)項参照)。プロトコルの公開が論文発表から1ヶ月以上後であった

ため、この「不都合な真実」はNature編集部の審査の対象にならず、論文は無事出版さ

れた。

一方、この省略されたデータをそのまま「お蔵入り」にせず、プロトコルに公開したこと

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には別の大きな利益があったことが、最終報告書からわかる。これには「データがプロト

コルに記載されていることから、意図的なデータの隠蔽には当たらない」と、プロトコル

への記載が前向きに評価されているからである13)。すなわち、TCR 遺伝子再構成デー

タの、「論文からプロトコルへの移動」は、①Nature 編集部に STAP 論文を無事受理させ

る効果と、②著者たちを「意図的な研究不正行為」の汚名から救済する効果という、い

わば一石二鳥の効果を挙げる名案であったことがわかる。

ところがこの一見「名案」は惨憺たる結果をもたらした。この「省略されたネガティブデ

ータ」は、論文の Abstract の内容を否定し、論文の採否にも直接影響する重大な研究

結果であったため、この不利なデータの隠蔽と、実際のデータの正反対の内容の

Abstract がレトリックを駆使して書かれたことによって、STAP 論文は無事に受理され、

出版されてしまった。こうして、日本の生命科学技術の世界的信用を限りなく失墜させた

「STAP 騒動」の引き金が引かれたからである。

このような国家的大損害をもたらし、ついには一人の貴重な人材の命まで奪った行為

が、「研究不正行為」でないはずがない。このように考えると、STAP 論文の著者たちの、

「研究不正行為に関する認識の甘さ」が、今回の「STAP 騒動」の大きな原因の1つにな

ったと言えよう。

新薬承認申請などの目的でデータを厚生労働省に提出することが多い製薬企業や

CRO(受託研究機関)の研究者は、上記のような「不都合なデータの省略(隠蔽)」が研

究不正行為であり、「信頼性の基準」30)違反であることを熟知している。しかし、アカデミ

アの世界では、「不都合なデータの省略(隠蔽)」が研究不正行為であることは、必ずし

も理解されていないようである。これには規制の不備も関係しており、次項の「5.考察」

の(1)で扱う。

5.考察

(1)「不都合なデータの省略」は研究不正行為か?

2014 年 12 月 25 日の最終報告書13)では、STAP 論文中に、4 件の改ざんや捏造の研

究不正行為を認めたが、前項で扱った、「不都合なデータの省略」は研究不正行為とは

認めていない。最終報告書は、研究不正行為の判断基準として、「研究活動における不

正行為への対応等に関するガイドライン31)(平成 26 年 8 月 26 日文部科学大臣決定)を

引用しているが、このガイドラインの、改ざんの定義は、次のように記載されている:

(2)改ざん

研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られ

た結果等を真正でないものに加工すること。

すなわち、現行ガイドラインの改ざんの定義は、「(不都合な)データや研究結果の省

略」が、研究不正に該当するとは明記していない。

ところが、2005 年の文部科学省の「科学研究上の不正行為への基本的対応方針」32)

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は、研究不正行為を以下の 3 種であると規定していた:

(1)捏造(fabrication):データや実験結果を作り上げ、それらを記録または報告

すること。

(2)改ざん(falsification):研究試料・機材・過程に小細工を加えたり、データや研

究結果を変えたり省略することにより、研究を正しく行わないこと。

(3)盗用(plagiarism):他人の考え、作業内容、結果や文章を適切な了承なしに

流用すること。 (下線は筆者による)

上記の(2)「改ざん」の定義に、データや研究結果の「省略」が含まれていることに注

目すされたい。この基準は、米国 OSTP(Office of Science and Technology Policy,米国

連邦科学技術政策局)の研究不正行為に関する連邦政府規律33)の定義に準じており、

これには Falsification(改ざん)の定義に、 omitting data or results (データや研究結果

の省略)が明記されている。

さらに、現行の FDA(米国食品医薬品局)の規則34)でも、falsification(改ざん)の定義

は、以下を推奨している:

The proposed rule defines falsification of data as “creating, altering, recording,

or omitting data in such a way that the data do not represent what actually

occurred.”

拙訳:推奨する規則は、データの改ざんを、実際に起こったことを反映しないように

データを新作、変更、記録、あるいは省略すること、と定義する。

上記 3 種の規制に照らせば、STAP 論文における TCR 遺伝子再構成に関する不利な

データの省略は、明白な研究不正行為である。STAP 事件のような不幸な事件の再発

を防止するためにも、「日本は研究不正に甘い国だ」と海外から批判されないためにも、

そしてまた、研究不正行為の基準の国際的統一のためにも、文部科学省の研究不正行

為の基準は、2005 年の基準32)に戻し、データや研究結果の省略が改ざんに該当するこ

とを明記すべきである。

(2)STAP 論文の関係者は何を見ていたのか?

STAP 細胞仮説の破綻は、起こるべくして起きたことは先に 4-(1)項で述べた。では

STAP 論文の関係者は、組織由来細胞の分化に関し、いかなる現象をも見ることなく、

十数年にもわたり、徹頭徹尾、研究不正だけを行っていたのであろうか。それもまた不

自然な解釈である。Vacanti 教授は 2000 年頃から、また小保方氏は 2008 年から、組織

由来細胞の分化に関し、極めて再現性が低く、制御不能ではあるが、何らかの現象を

実際に見ていた可能性がある。なぜなら、各種の体組織から採取した細胞を培養して

いると、多能性細胞が出現し、種々の組織に分化する現象に関する報告が多数あるか

らである35-43)。

このような組織由来細胞の分化現象を説明する仮説は 2 つある。その第1は、「体性

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幹細胞仮説」であり、「各種の体組織中に存在し、休眠中の体性幹細胞が、刺激によっ

て休眠から覚め、多分化能を発揮する」と説明する。殆どあらゆる組織には、小型の体

性幹細胞が存在することが知られている35-42)。Vacanti 教授は 2000 年頃からの「体性

幹細胞仮説」の支持者であり、それらを Spore-like cells(胞子様細胞)と呼んでいた35,3

6)。小保方氏の学位論文も、3胚葉中の胞子様細胞の存在を証明する研究であった22,2

3)。また、VSEL 細胞も同様の体性幹細胞であり、総説も書かれている37)。また近年、各

種の体性幹細胞を利用した再生医療が発展しつつあることも、体性幹細胞の存在と、そ

れらが多分化能を持つことを強く示唆する38、39)。

とりわけ、ストレスと体性幹細胞の分化現象との関係を主張する点で、今回の STAP

細胞仮説との類似性が注目されるのは、東北大の出澤真理教授らが Muse 細胞

(Multi-lineage differentiating Stress Enduring cell)と呼ぶ体性幹細胞である40-42)。この

細胞は、長時間トリプシン処理等の強いストレスに耐えて生き残り、テラトーマ様の細胞

塊を形成することで偶然に発見された体性幹細胞である。出澤教授らは、2013 年 2 月

に各種体組織からの Muse 細胞の採取法の特許を取得している41)。山中教授が発明し

た iPS 細胞の起源は、この Muse 細胞の 1 種ではないか、という考え方もある42)。

一方、体組織由来の幹細胞の出現を説明するもう1つの仮説は、「STAP 細胞仮説」

であり、「体細胞の分化が刺激により消去(再プログラミング)され、幹細胞化する」と説

明する。この仮説は今回の STAP 細胞論文1,2)で初めて提唱され、半年後に撤回された。

「STAP 細胞仮説」は、2010 年に東京女子医大の大和雅之教授が、自分が世話した小

保方氏が留学中の Vacant ラボを訪問した際に、小保方氏から「Triturarion なしでは幹

細胞は全くできない。trituration すればするほど幹細胞が多く出現する」という経験を聞

いて着想した仮説であった43)。

「STAP 細胞仮説」に関し、注目すべき点が 2 点ある。第 1 点は、この新仮説では、幹

細胞の作成方法に旧仮説と同じ trituration を用いていたことである。このことは、「STAP

細胞仮説」が、体性幹細胞の比率の高まった細胞集団を出発材料として用いていたこと

を意味する。これは STAP 細胞仮説にとっては、極めて不都合な状況である。このため、

理研は、STAP論文、理研プロトコル、及び理研の広報資料のどれにも trirurationを行っ

ていたことを記載しなかった。しかし Vacanti 教授が2つの独自プロトコルで酸性溶液処

理の前に徹底した triturationを実施することが重要かつ不可欠であることを強調し20,21)、

小保方氏も記者会見で同じことを強調しているので25)、疑う余地はない。

注目すべきもう1点は、「STAP 細胞仮説」は、刺激による細胞分化の消去を説明する

ためのメカニズムとして、従来の体性幹細胞説の「大型細胞の粉砕」を、「刺激による細

胞分化の消去」に言い替えたにすぎず、各種刺激がどのようにして細胞分化を消去する

かに関する合理的メカニズムの説明が欠けていることである。

唯一、「STAP 細胞仮説」のメカニズム的な説明が STAP 細胞の国際特許出願文書に

ある24)。この文書の請求項には、STAP 細胞作成に用いる細胞刺激法として、物理的、

化学的、電気的、機械的など、考えられる限りの細胞刺激法が列挙されているが、その

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中で、trituration と関係がありそうなのは、請求項 35 から 45 である。請求項 35 から 40

の内容は、「細胞から少なくとも約 40%から少なくとも約 90%以上の細胞質を除去する」

という方法であり、また、続く請求項 41 から 45 も、「細胞からミトコンドリアを少なくとも約

40%から少なくとも約 90%以上除去する」という方法である。このように乱暴な方法を特許

出願した理由は、細胞質を大量に除去すれば、細胞核の環境が大きく変化し、この強

烈な刺激で細胞分化を消去できるであろうとの期待からと思われる。しかし、強烈な刺

激と細胞分化の消去の間には何らの合理的因果関係もなく、単なる期待があるに過ぎ

ない。しかも trituration はもともと細胞を粉砕する手段であり、この方法で細胞質を少な

くとも 40%から 90%以上も失うほどに傷ついた細胞が、粉砕されずにその後も生存でき

るというなら、それを裏付ける証拠が必要であるが、それも用意されていない。

すでに撤回されてはいるが、故笹井芳樹氏は理研の広報資料に、「STAP 細胞は発

生生物学上のコペルニクス的転回である」と書いていた44)。しかしこれは、彼にとって文

字通りの意味で致命的な誤解であった。コペルニクス的転回の代表例であるガリレオの

地動説では、惑星(惑う星)の名の由来となった惑星の運動の見かけ上の停滞や逆行

を合理的に説明することによって天動説を否定した。また、アインスタインの一般相対性

理論でも、水星軌道のずれ(近日点移動の大きさ)をニュートン力学よりも正確に予言す

るなどによりニュートン力学を否定し、かつ近似式としてこれを包含した。しかし、「STAP

細胞仮説」は上記 2 例とは全く異なる。旧説に取って代わる新説となるためには、旧説

の「体性幹細胞仮説」を否定する必要があるが、「STAP 細胞仮説」は、旧説の「体性幹

細胞仮説」を否定するどころか、出発材料の細胞の調製に、旧説と同じ trituration を用

い、体性幹細胞の比率の高まった細胞集団を出発材料にしていた。つまり旧説を否定

せず、理由もなく体性幹細胞の存在を無視しただけであった。「STAP 細胞仮説」が自滅

した現在、「体性幹細胞仮説」は、組織由来幹細胞の起源の唯一の有力仮説として存

在し続けている。

(3)STAP 騒動とは結局何であったか?

STAP 騒動とは結局何であったかを総括するため、STAP 論文の発表につながるイベ

ントを、主観を排するため客観的な資料のみを引用して、以下に経時的に整理してみ

た。

①2008年:東京女子医大の大和雅之教授の紹介で小保方晴子氏がハーバード大

学 Vacanti ラボに留学、Spore-like cells(胞子様細胞)の分化の研究を開始7)

②2010 年:大和教授、Vatanti ラボを訪問、「刺激による体細胞リプログラミング仮

説」(STAP 細胞仮説)を着想43)

③2011 年 3 月:小保方氏、博士号取得(早稲田大学理工学部)、内容は Vacanti

ラボで研究した胞子様細胞の分化22,23)

④2011 年 4 月:小保方氏、客員研究員として理研の若山研に所属(理研内での

STAP 細胞研究の開始)7)

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⑤2012 年 4 月:Vacanti、大和、笹井ら、共同で STAP 細胞を国際特許申請24)

⑥2012 年 4 月~2012 年 8 月:理研、STAP 論文を雑誌 Nature、Cell、Science に

投稿、全てリジェクトされる7)。

⑦2012 年 12 月:笹井芳樹氏、上層部の命により STAP 論文作成指導に参加7)。

⑧2013 年 3 月:小保方氏、研究ユニットリーダ-として理研入所(正規の手続きを

踏まず、無審査入所)7)

⑨2013 年 3 月:笹井氏を実質的なライターとして TCR 遺伝子再構成のネガティブ

データを省略した STAP 論文を作成し、Nature に再投稿、2013 年 12 月受理7)

⑩2014 年1月: Nature が STAP 論文を掲載1,2)

このように見ていくと、STAP論文のNature掲載に至る決定的に重要なポイントは②、

⑧、⑨の 3 つである。②の大和教授の着想がなければ STAP 細胞の概念自体が生まれ

なかった。⑧の小保方氏の雇用に際して、規則通りの審査が実施されておれば、彼女

が「ユニットリーダー」ではなく研究員になったと考えられ、データの改ざん、捏造、盗用

を含む研究手法とその結果がフリーパスで STAP 論文に採用されることもなかったであ

ろう7,13)。そして、⑨の笹井氏によるネガティブデータをポジティブと読ませるレトリックを

含む高度な英語力を駆使した論文執筆と、不利なデータを隠蔽しての Nature への投稿

が無ければ、STAP 論文は出版されず、STAP 問題が起こることもなかった。

しかし、上記①~⑩だけなら、「STAP 問題」は単なる論文取り下げ問題で終わってい

た可能性もある。「STAP 問題」を国家的な「STAP 騒動」に拡大させた、最も効果的なイ

ベントは、論文発表前日の大々的な記者会見と、その発表内容3)であった。この記者会

見では、「iPS 細胞にはがん化の可能性がある」とか、「STAP 細胞は iPS 細胞よりもはる

かに簡単に、しかも高収率で幹細胞が得られ、がん化の心配もないため、再生医療へ

の応用も容易である」といった、STAP 細胞が iPS 細胞をはるかに凌ぐ大発見であると誇

大宣伝された。そのため、国民は「ノーベル賞を受賞した山中先生の iPS 細胞よりも、は

るかに優れた方法ならば、再度のノーベル賞受賞も確実」と興奮し、「STAP 問題」が

「STAP 騒動」化した。この最初の誤った記者会見がなければ、その後の小保方氏や笹

井氏の単独記者会見もなく、笹井氏が自殺にまで追い詰められることもなかったであろ

う。「STAP 問題」を「STAP 騒動」に拡大させたのは、ほかならぬ理研自体であった。

最終報告書の内容に、小保方氏及びその弁護人が異議を唱えなかったことから、小

保方氏が多数の研究不正を行ったことは、大略は間違いないと思われるが、少なくとも、

不利なデータの省略と、データと異なる Abstract を書いたことは、小保方氏が関与しな

い研究不正行為であった。

以上から、STAP 騒動とは結局何であったかといえば、「Vacanti 教授・大和教授・小

保方氏による、体性幹細胞の誤認の可能性が高く、根拠のない「STAP 細胞仮説」を理

研の上層部が信じ込み、研究不正行為をも顧みず強引に論文化し、マスコミを利用して

iPS 以上の大発見と誇大宣伝したために起こった事件であった」といえる。

本稿は特に方法論と、研究倫理面に限定して検討した。科学面では日経サイエンス

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2015 年 3 月号の特集「STAP の全貌」46)に詳しいので本稿では省略したが、STAP 細胞

が ES 細胞のすり替えであることを証明した理研の遠藤高帆上級研究員の功績は大き

い45)。

発生学や免疫学の専門家は、ブログによる断片的な評論を除き、なぜか STAP 問題

に関する評論を出版していない。殆ど唯一の例外は、免疫学の権威、本庶祐京都大学

名誉教授が批判的評論を書いている47)。

なお、STAP 問題には科学面だけでは説明できない点も多い。STAP 細胞に対する疑

義を世界で最初に指摘した広島大学名誉教授の難波紘二氏は、科学面・捏造面からの

120報以上の評論48)を公開している。また、STAP 細胞問題を STAP の国際特許共同出

願と時期的に重なる関係ベンチャー企業のインサイダー取引疑惑、理研の特定法人化

計画との関連等、金脈・人脈面から追求した評論49,50)や、同じ著者による成書もあるこ

とを付記しておく。

引用文献

1)Obokata, H., Wakayama, T., Sasai, Y.; Kojima, K.; Vacanti, M. P.; Niwa, H.; Yamato, M.; Vacanti, C. A.

(2014-07-02). “Retraction: Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency”.

Nature 505: 641-647. doi:10.1038/nature12968. (Nature Article) 2)Obokata, H.; Sasai, Y.; Niwa, H.; Kadota, M.; Andrabi, M.; Takata, N.; Tokoro, M.; Terashita, Y.;

Yonemura, S.; Vacanti, C. A.; Wakayama, T. (2014-07-02). “Retraction: Bidirectional developmental

potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency”. Nature 505: 676-680.

doi:10.1038/nature12969. (Nature Letter)

3)「体細胞の分化状態の記憶を消去して初期化する原理を発見」(2014).独立行政法人理化学研

究所プレスリリース資料、2014 年 1 月 29 日(7 月 2 日撤回)

4)「研究論文の疑義に関する調査報告書」(2014): 研究論文の疑義に関する調査委員会,理化学

研究所, 2014 年 3 月 31 日. (http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140401_2/)

5)「笑みも涙もノーカット。小保方晴子氏記者会見~STAP 論文調査に対する不服申立て」(2014):

8bitnews.(2014 年 4 月 9 日,動画付き,日本報道検証機構 (http://8bitnews.org/?p=2093).

6)「不服申立てに関する審査の結果の報告」(2014).研究論文の疑義に関する調査委員会,理化学

研究所, 2014 年 5 月 7 日. (http://www3.riken.jp/stap/j/t10document12.pdf)

7)「CDB 自己点検の検証について」(2014).CDB 自己点検検証委員会,理化学研究所, 2014 年 6

月 10 日 (http://www3.riken.jp/stap/j/c13document14.pdf)

8)「研究不正再発防止のための提言書」(2014): 研究不正防止のための改革委員会,理化学研究

所, 2014 年 6 月 12 日.(http://www3.riken.jp/stap/j/d7document15.pdf)

9)「STAP 細胞論文、Nature が撤回」 (2014): ITmedia ニュース,2014 年 07 月 02 日

(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1407/02/news152.html)

10)「STAP 細胞に関する研究論文の取り下げについて」(7 月 7 日追加)」(2014): 独立行政法人理

化学研究所,2014 年 7 月 2 日 (http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140702_1/),

11)「多細胞システム形成研究センターの発足について」(2014): 理化学研究所,広報活動,2014 年

11月 14 日,(http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20141114_1/)

12)「小保方氏が『200 回作った』STAP 細胞とは何だったのか」(2014): ITmediamews,2014 年 12

月 19 日 (http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1412/19/news118.html)

13)「研究論文に関する調査報告書」 (2014):研究論文に関する調査委員会,2014 年 12 月25日,

(http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf)

14)「小保方会見」長時間中継で軒並み視聴率アップ!NHKは通常の4倍 (2014): JCASTテレビウ

オッチ,2014年4月11日 (http://www.j-cast.com/tv/2014/04/11201902.html)

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15)Googleで「STA」を検索 (2015): 2015年1月6日 (https://www.google.co.jp/#q=STAP)

16)馬屋原 宏 (2008): 「誰でも書ける英文報告書・英語論文 ~ わかりやすい医薬英語を書くた

めの秘訣~」,薬事日報社

17)山中伸弥 (2014): iPS 細胞と STAP 幹細胞に関する考察.山中研究室ホームページ、2014 年 2

月 12 日 (http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/research/yamanaka_summary.html)

18)「あなたのせいではない 笹井氏の自殺、小保方氏を巡る STAP 細胞の今」(2014): 時事問題研

究会編、ゴマブックス,2014 年 8 月(Kindle 版)

19)Obokata, H., Sasai, Y., and Niwa, H. (2014): Essential technical tips for STAP cell conversion

culture from somatic cells., Protocol Exchange, 「STAP細胞作製に関する実験手技解説の発表に

ついて」,理化学研究所,2014年3月5日 (http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140305_1/)

20)Protocol for generating STAP cells from mature somatic cells.(2014): Posted on by admin The

Vacanti Lab at Brigham and Women’s Hospital/Harvard Medical School,March 20, 2014,

(http://i1.wp.com/www.ipscell.com/wp-content/uploads/2014/03/STAP-Cell-Protocol-Page.png)

21)Vacanti, C.. A.. Kojima, K. (2014-09-03): REVISED STAP CELL PROTOCOL , Posted on by

admin The Vacanti Lab at Brigham and Women’s Hospital/Harvard Medical School,

(https://research.bwhanesthesia.org/research-groups/cterm/stap-cell-protocol)

22)Obokata, H. (2011-03-15):Isolation of pluripotent adult stem cells discovered from tissues

derived from all three germ layers. 博士論文(甲第 3323 号). 早稲田大学.(英語)(日本語題名:

三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索,国立国会図書館請求記号:

UT51-2011-E426、学位授与年月日:2011 年 3 月 15 日)

23)小保方晴子 (2010-12): 博士論文概要, 早稲田大学大学院 先進理工学研究科

24)Vacanti, C. A. et al (2014):“Generating pluripotent cells de novo WO 2013163296 A1”. STAP 国

際特許出願文書(英語), 2013 年 10 月 31 日国際特許公開、優先日:2012 年 4 月 24 日、出願日:

2013 年 4 月 24 日 (http://www.google.com/patents/WO2013163296A1?cl=en)

25)小保方晴子 (2014): 理化学研究所記者会見における発言(動画),2014 年 1 月 29 日

(http://www.youtube.com/watch?v=Nf6slUvvpLI)

26)三木秀夫・室谷和彦 (2014):弁護士が初めての反論 150 分 聡明でウイットに富んだ人です、文

藝春秋 2014 年 9 月号)

27)「論文や研究等における様々な疑義」(2014):刺激惹起性多能性獲得細胞,Wikipedia,

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E6%BF%80%E6%83%B9%E8%B5%B7%E6%80%A7%E5%A4%9

A%E8%83%BD%E6%80%A7%E7%8D%B2%E5%BE%97%E7%B4%B0%E8%83%9E)

28)「調査報告 STAP 細胞 不正の深層」(2014): NHK スペシャル. NHK 総合. 2014 年 7 月 27 日.

29)Cyranoski, D. (2014): New details emerge on retracted STAP Papers. Nature News Blog, 11 sep

2014

(http://blogs.nature.com/news/2014/09/new-details-emerge-on-retracted-stap-papers.html)

30)「新 医 薬 品 等 の申 請 資 料 の信 頼 性 の基 準 の遵 守 について」 (1998): 厚 生 省 医 薬

安 全 局 審 査 管 理 課 長 通 知 , 医 薬 審 第 1058 号 ,1998 年 12 月 1 日

31)文部科学省 (2014):「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」 (平成 26

年 8 月 26 日文部科学大臣決定)

(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu12/siryo/attach/1334736.htm2

32)「科学研究上の不正行為への基本的対応方針」(2005): 文部科学省科学技術・学術審議会

理事会決定事項,平成 17 年 12 月 22 日,

(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu12/siryo/attach/1334736.htm)

33)「研究不正行為に関する連邦政府規律」(2000): 米国連邦科学技術政策局,2000.12.6 連邦官報

pp.76260-76264

34)FDA (2010): Proposed Rule on Falsification of Data.Polycy and Medicine, FDA.

(http://www.policymed.com/2010/06/fda-proposed-rule-on-falsification-of-data.html)

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35)Vacanti MP, Roy A, Cortiella J, Bonassar L, Vacanti CA. (2001): Identification and initial

characterization of spore-like cells in adult mammals. J Cell Biochem. 2001; 80(3): 455-60. Erratum

in: J Cell Biochem 2001; 82(3): 535.

36) Knoephler, P.S.(2014): Interview with Charles Vacanti on STAP Cells: Link to Spore Stem Cells

& More. February 2, 2014

http://www.ipscell.com/2014/02/interview-with-charles-vacanti-on-stap-cells-link-to-spore-st

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37)Kucia, M., Reca, R., Campbell, F.R., Zuba-Surma, E., Majka, M., Ratajczak, J., Ratajczak, M. Z.

(2006): “A population of very small embryonic-like (VSEL) CXCR4+SSEA-1+Oct-4+ stem

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38)「再生・細胞医療の現状及び課題」(2012): 厚生労働省医制局、2012 年 9 月 26 日

(https://www.google.co.jp/#q=%E5%86%8D%E7%94%9F%E5%8C%BB%E7%99%82+t%E4%BD%93%E6%80%A

7%E5%B9%B9%E7%B4%B0%E8%83%9E)

39)戸高 宏 (2015): 脂肪細胞由来幹細胞を用いた再生医療の現状と海外展開.インターフェック

ス大阪における講演、2015 年 2 月 5 日、大阪

40)Kuroda, Y., Kitada, M.,, Wakao, S., Nishikawa, K., Tanimura, Y., Makinoshima, H., Goda, M., Akashi, H.,

Inutsuka, A.,, Niwa, A., Shigemoto, .T, Nabeshima, Y., Nakahata, T., Nabeshima, Y., Fujiyoshi,Y.,

Dezawa, M. (2010).:“Unique multipotent cells in adult human mesenchymal cell populations”. Proc Natl Acad Sci U S A 107 (19): 8639–43.

41) Muse 細胞及び分離方法に関する基本的な特許が成立 (2013-03-33).: 独立行政法人新エネ

ルギー・産業技術総合開発機構 (http://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_100177.html)

42) Byrne, J.A., Nguyen, H.N. and Reijo Pera R.A. (2009): "Enhanced generation of induced

pluripotent stem cells from a subpopulation of human fibroblasts". PLoS One 4 (9): e7118.

doi:10.1371/journal.pone.0007118.

43)『新型の万能細胞「STAP」 東京女子医大・大和雅之教授「10 年以内に臨床研究」 慶応大・岡

野栄之教授「慎重な検証が必要だ」』(2014): 産経ニュース,2014/02/10

(www.sankei.com/life/news/140210/lif1402100021-n1.html)

44)「ノーベル賞どころではない STAP 細胞 笹井芳樹『コペルニクス革命』」 : 千日ブログ ~雑学と

ニュース~,2014-03-03(http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-4751.html)

45)Endo, T. A. (2014): Quality control method for RNA-seq using single nucleotide polymorphism

allele frequency. Genes to Cells. 19, 821-829, doi: 10.1111/gtc.12178,

(http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/gtc.12178/abstract)

46)「STAP の全貌」(2015): 日経サイエンス 2015 年 3 月号、日本経済新聞社、

47)本庶祐(2014):「STAP 問題―私はこう考える],新潮45,2014 年 7 月号,新潮社

48)「STAP 細胞に関する難波紘二先生の辛辣なコメント」 (2014-2015): 「ある宇和島市議会議員の

トレーニング」における STAP 細胞についてのブログ,(http://blog.fujioizumi.verse.jp/?eid=247)

49)小畑峰太郎+新潮社取材班 (2014):「STAP論文捏造事件」その金脈と人脈、新潮 45、2014 年

7 月号,新潮社

50)小畑峰太郎+新潮社取材班 (2014):「STAP論文捏造事件」理研を蝕む金脈と病巣,.新潮 45、

2014 年 8 月号,新潮社