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2019年1⽉11⽇ 1 ⽶軍基地と地域社会 ―⼆つの反⽶「騒動」 政治地理学⼊⾨―実証編(後期) 第4⽇ 第3回 政治地理学的実践≠地政学︖ 2 琉球新報2014年12⽉24⽇ 琉球新報2016年12⽉23⽇ 3 コザ暴動プロジェクトIN⼤阪ー都市と暴動 (2016年) 4 1970年のコザ市(現沖縄市) 前⾝は農村(越来村) 1944年陸軍中⾶⾏場が完成 沖縄戦で⽶軍が接収、嘉⼿納空 軍基地として拡張 1956年にコザ市に昇格 1970年 ⼈⼝67,218⼈(⼥性54.0%) 基地占有率63.2% 1974年に美⾥村と合併し沖縄市 5 6 照屋 コザ十字路 胡屋十字路 嘉手納空軍基地 終戦後の越来村と照屋(1940年代)

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2019年1⽉11⽇

1

⽶軍基地と地域社会―⼆つの反⽶「騒動」政治地理学⼊⾨―実証編(後期)第4⽇ 第3回

政治地理学的実践≠地政学︖

2琉球新報2014年12⽉24⽇ 琉球新報2016年12⽉23⽇

3

コザ暴動プロジェクトIN⼤阪ー都市と暴動(2016年)

4

1970年のコザ市(現沖縄市)• 前⾝は農村(越来村)• 1944年陸軍中⾶⾏場が完成• 沖縄戦で⽶軍が接収、嘉⼿納空

軍基地として拡張• 1956年にコザ市に昇格• 1970年• ⼈⼝67,218⼈(⼥性54.0%)• 基地占有率63.2%

• 1974年に美⾥村と合併し沖縄市に

5 6

照屋

コザ十字路

胡屋十字路

嘉手納空軍基地

終戦後の越来村と照屋(1940年代)

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2019年1⽉11⽇

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ゲート通りの飲⾷店(1950年代初め)

吉原

照屋(The Bush)

八重島(ニューコザ)

諸見里

センター通り

コザ十字路

胡屋十字路

嘉手納空軍基地

ゲート通り

城前

特飲街の人種的分離(1950~60年代)

中の町

⼆つの「コザ騒動」• 「コザ暴動」

• 1970年12⽉20⽇(⽇)未明• 胡屋⼗字路近くで⽶軍⾞両が沖縄⼈軍雇⽤員に衝突• 住⺠による⽶軍の⾞両・施設へ放⽕、投⽯など• 背景︓⽶軍の圧政、⽷満での⼥性れき殺事件(無罪判決)

• 「第⼆コザ事件」• 1971年8⽉17⽇(⽕)未明• ゲート通りからセンター通りで⿊⼈兵が⽰威⾏動、⽩⼈兵向け店舗を破壊• 住⺠が激怒し対峙、別の事故に関与した⿊⼈を連⾏したコザ署に投⽯• 背景︓⿊⼈・⽩⼈・沖縄⼈間の⼈種的緊張

• この⼆つの「騒動」はコザという街(空間)の中でどう関連付けて考えることができるのか

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軍⺠境界都市コザ• コザは社会的、空間的に異質なものが、分断され、接触する場所• ⺠族、⼈種、職務、階級、ジェンダー、出⾃• ⾮対称な⼒関係をもつ社会集団間に緊張関係• 激しい感情や暴⼒が発現(対⼥性・タクシー運転⼿、対⽶軍、⿊⼈対⽩⼈)

• コザンチュは何に怒ったのか• もちろん⽶軍の圧政、⿊⼈の粗暴⾏為• 何に怒りを「向けなかった」のか、なぜ⼈種排斥したのか

10

「騒動」の分析• 「コザ暴動」

• 事実関係資料として⽶軍公⽂書• ⽶国公⽂書館・沖縄県公⽂書館所蔵のUSCAR(琉球列島⽶国⺠政府)公安局⽂書PS32

Koza Disturbance• 1997年時点で⾮公開も、沖縄市企画部平和⽂化振興課(1999)が情報公開請求し、対訳刊

⾏• 沖縄⼈の抵抗を賛美する研究が多い。• 古堅宗光さん主宰「コザ暴動を記録する会」(2010年4⽉〜12⽉)の録⾳書き起こし記録(沖縄市史

編集担当)。• 「暴動」はどう記憶されようとしているのか(街と集合的記憶)。• 「コザ暴動プロジェクト」はこの延⻑線上にある活動

• 「第⼆コザ事件」• なぜこの事件が起こったのかあまり語られない。⿊⼈を排撃するという「恥ずべき」事件だからか。• ⽶軍政史関係資料およびUSCAR(⽶国⺠政府)⽂書に興味深いものがいくつかある(後述)。⽶兵関

連事件に関する当時の県紙記事には⼈種記載が普通。• ⼈種問題の複雑さと深刻さ=コザ暴動で発現しなかった部分

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「コザ暴動」(1970年12⽉20⽇)

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反権⼒闘争としての記憶︖ 「コザ暴動」(1)• 1970年12⽉20⽇(⽇)

• 午前1時︓胡屋⼗字路近くで⽶⼈⾞両が沖縄⼈軍雇⽤員に衝突(第1の事故)→やじうまが集まり始める(沖縄⼈向け歓楽街のそば)

• 午前2時10分︓第1現場の向かい側で⽶⼈⾞両と沖縄⼈⾞両が衝突(第2の事故)→群集の⾏動が無秩序に→住⺠による⽶軍の⾞両・施設へ放⽕、投⽯など

• 午前3時30分︓園⽥付近で⽶軍⾞両を⽌めようとした沖縄⼈がはねられる(第3の事故)→⿊⼈運転⼿への暴⾏︖(「記録する会」の聞き取りより)

• 被害• ⾞両破壊︓82台(⽶軍⼈・軍関係⾞両79台)• 負傷者︓88名(⽶軍⼈・軍属56名)• 建造物損壊︓⽶⼈学校、⽶軍雇⽤員事務所、中の町派出所、諸⾒⾥派出所

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沖縄市企画部平和⽂化振興課(1999)

「コザ暴動」(2)• 背景

• 構造的要因︓⽶軍の圧政、復帰の不透明性• 遠因︓⽷満での⼥性れき殺事件(12⽉11⽇に無罪判決)

• 1970年に起こった事件• 5⽉︓⼥⼦⾼⽣刺傷事件(旧具志川市)• 6⽉︓当て逃げした⽶兵を群集が囲む(那覇市)• 9⽉︓⼥性轢殺事件(⽷満市、12⽉に無罪判決)• 12⽉19⽇︓復帰協毒ガス撤去要求集会(旧美⾥村)

• 「軍⺠境界都市」コザ(⼭﨑2014a)• コンタクトゾーン=社会的、空間的に異質なものが、分断され、接触する場所• ⺠族、⼈種、職務、階級、ジェンダー、出⾃をめぐり⾮対称な⼒関係をもつ社会集団間に緊張

関係• 激しい感情や暴⼒が発現(対⼥性・タクシー運転⼿、対⽶軍、⿊⼈対⽩⼈)

「コザ暴動を記録する会」の語りの分析• ここからちょっと学問的な話になります。• 詳しくは拙稿(⼭﨑2014a)をご覧ください。• 主宰者(古堅さん)は各会で複数のゲストに約2時間のインタビュー、9か⽉間で計

9回、合計約18時間• 22名の語り⼿(うち⼥性1名)は当時コザで居住もしくは就労、年齢・職業は様々。• 情念、誇り、主体性、他者への態度、境界性、場所の記憶などに関わる371の「重

要と考えられる」語りを抽出。• それぞれに、語りの中で使われる⾔葉に近いコード名を付け、意味内容の近いものを

グループ化し、階層的に積み上げる。• 集合的に共有される、語られた記憶の構造が⾒えてくる。

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12月20日逮捕者の属性

USCAR公安局文書、沖縄市企画部平和文化振興課(1999)

性別(推定) 年齢 住所 職業(推定含む)

男性 21 10代 4 コザ市 11 会社員 4女性 0 20代 11 具志川市 3 軍雇用員 4

30代 5 北谷村 2 学生 240代 0 浦添市 2 港長 150代 1 宜野湾市 1 市職員 1平均 26 那覇市 2 電器店経営者 1

ホテル従業員? 1バーテンダー 1タクシー運転手 1修理工 1室内装飾業 1建設労務者 1無職 2

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証言者 当時年齢 性別 当時住所 当時職業等 現在職業 暴動時の行動 備考

A 22-23 男 コザ 青果店員 NPO幹部 目撃 主宰者

B 24 男 コザ 反戦活動家 自治体施設館長 参加 北海道出身

C 9-10 男 コザ 小学生 観光協会幹部 目撃

D 17-18 男 コザ設計事務所アルバイト

NPO役員 参加

E 15-16 男 コザ 高校生 NPO幹部 目撃

F 20-21 男 コザ NPO幹部 目撃

G 28-29 男 コザ 警察官 会社社長 召集

H 26 男 浦添 検察官 検察庁OB 翌日目撃

I 24-25 男 コザ 雑誌編集者 会社営業所所長 参加

J 12-13 女 コザ 中学生 飲食店勤務 目撃

K 20 男 コザ 大学生 会社社長 目撃

L 30-31 男 コザ ミュージシャン NPO幹部 参加

M 男 コザ 本土大学生 雑誌等編集者 本土で知る コザ出身

N 15-16 男 コザ 高校生 目撃

O 27-28 男 コザ 軍雇用者 無職 参加

P 24 男 コザ 報道カメラマン フリーカメラマン 目撃

Q 男 コザ 時計店主 会社社長 目撃

R 20ぐらい 男 コザ実家(整備工

場)手伝い会社社長 目撃

S 26-27 男 県内 新聞記者 ジャーナリスト 目撃 那覇出身

T 24-25 男 コザ 中学生 飲食業組合幹部 目撃

U 35-36 男 県内 新聞記者 ジャーナリスト 目撃 東京出身

V 20 男 那覇 反戦活動家 目撃

「コザ暴動を記録する会」証⾔者の属性

⼭﨑(2014a)

語りの例• D︓ただあの…よく暴動って⾔うと、今タイで、凄い暴動起きてて、治安悪いよ

うな状況。ああいうイメージじゃないんですよ。っていうのはですね、当時はですね、他に外⼈⾞両なんかも結構⾛ってるのが居て、みんな⽌められたんです。⽌められて、これなんかもひっくり返したんだけど、決してこの⼈達に危害を加えるとか、そういうこと絶対にしなかったですよ。もう丁寧に「どうぞ降りて下さい」みたいな。(第2回会議)

20

21

語りの構成要素と意味の「結び⽬(ノード)」1次コード 件数 2次コード 件数 ノード(3次コード) 件数

怖さ 5 暴動への感情 26 暴動の再評価 136爽快感 4感動 3楽しさ 3

嬉しさ 2白人が感じた恐怖 2その他 6人を傷つけなかった暴動 7 秩序ある暴動 20

秩序ある暴動 6延焼のなかった暴動 3黒人を傷つけなかった暴動 1その他 3指導者の存在 11 暴動の組織性 20

指導者の不在 4自然な組織化 2未組織暴動 2暴動の組織性 1

対人暴力の目撃 9 対人暴力 16対人非暴力暴動 7黄ナンバー車への放火 12 黄ナンバー車への放火 12大人しいウチナーンチュ 7 大人しいウチナーンチュ 11

大人しいウチナーンチュの怒り 4米軍への怒り 9 米軍への怒り 11米軍への民族的怒り 2米軍の自制 9 米軍の自制 9

主権の回復 5 「主権」の回復 8その他 3ウチナーンチュとしての誇り 8 ウチナーンチュとしての誇り 8黒人とウチナーンチュとの同列視 2 黒人への態度 6

黒人への両義的態度 2その他 2暴動美化への批判 5 暴動美化への批判 5

「ハーフ」への差別 13 コザの混淆性 18 境界都市の社会空間的構成 88複雑な社会構成 5住民の暴動阻止 7 センター通り 17センター通り出身者 6センター通りの自警団 2

センター通りへの侵入 2ゲート通りに向かう 6 第2ゲートに向かう 15第2ゲートでの対峙 5第2ゲート突入 4

米軍と米兵の区別 9 米軍と米兵の区別 9抵抗の土壌 5 抵抗の土壌 8抵抗の低下 3島袋三叉路に向かう 3 島袋三叉路 7

島袋三叉路での阻止 3山里に向かう 1MPによる管理 6 MPによる管理 6米軍基地の境界性 2 境界性 4

その他 2集合的アイデンティティ 2 アイデンティティ 4その他 2

地域づくり 10 地域づくり 11 暴動検証の意義 24暴動のミュージカル化 1女性の暴動参加 3 コザと女性 7女性の運動動員 2

その他 2植民地支配下の民主主義 6 植民地支配下の民主主義 6

結び⽬1 「暴動の再評価」

結び⽬2 「境界都市の社会空間的構成」

結び⽬3 「暴動再評価の意義」

結果の解釈(1)• 結び⽬1 「暴動の再評価」• 12の⼆次コード(互いに論理的につながる).• 「暴動に対する感情」=極めて肯定的• 「秩序ある暴動」= 頻繁に⾔及され、称揚される• 「⻩ナンバー⾞への放⽕」=暴動の肯定的評価の鍵となる要素• なぜなら群集は⼈を傷つけたのではなく、⾞を破壊したから

• 「⽶軍への怒り」=「⼤⼈しいウチナーンチュ」による暴動を直接正当化• 「⼤⼈しいウチナーンチュ」=暗⽰的に「暴⼒的な⽶軍」(他者)と対⽐• ⼆⼈の語り⼿が「暴動の美化を批判」

22

結び⽬1 「暴動の再評価」の論理構造

23

秩序ある暴動(死者なし)

⽶軍と⽶兵の区別(結び⽬2)

因果因果

⽶軍への怒り

因果(正当化)

因果

⽭盾

⼤⼈しいウチナーンチュ

(⾃⼰)

暴⼒的な⽶軍(他者)

対⽐相互補強

相互補強

相互補強

⻩ナンバー⾞への放⽕

⽶兵を傷つけていない 因果

因果

語りの例• L︓[沖縄を]「癒しの島」とか何とか⾔ってるけれども、ね。だから癒しの島だ

から、暴⼒沙汰…「アメリカーは怪我⼈がいなかった」とかさ、何がどうだったとかさ。これ美化じゃない︖そういう意味で。で、「やっぱり沖縄の⼈っていうのも怒る時は怒るんですよねー」みたいなさ、本⼟サイドからの⽬っていうか、その…そういうものがあまりにも書かれすぎて、…(第5回会議)。

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結果の解釈(2)• 結び⽬2 「境界都市の社会空間的編成」• 9の⼆次コード(コザの社会空間的構成要素に⾔及)• 「第2ゲート」、「センター通り」、「島袋三叉路」=暴動が向かった⽅向、暴動ならびに「普通

の」市⺠にとっての地理的限界• 「コザの混淆性」 =コザの複雑な社会的⼈種的混合(特飲街)とコザの中での社会的排

除の要因• 「⽶軍と⽶兵の区別」=コザの⽇常性と暴動で⽶兵を「傷つけなかった」理由を⽰す⼀般的

な語り• 「抵抗の⼟壌」、「植⺠地⽀配下の⺠主主義」= コザでの復帰前の闘争の基礎と成果を

表現するために⽤いられた語り• 「地域づくり」=コザの社会経済的衰退という当時(2010年)の状況の中で「記録する

会」を実施した⽬的の⼀つ

25 26

第2ゲートセンター通り(特飲街)

島袋三叉路

結び⽬2 「境界都市の社会空間的構成」にみる参加者の⾏動空間

コザの混淆性(⽶兵との⽇常的

交錯)

連想

⻩ナンバー⾞の放⽕ (結び⽬1)

⽶兵を傷つけていない(結び⽬1)

⽶軍と⽶兵の区別

因果 因果

因果⺠の空間

軍の空間

軍の空間

中間まとめ• 何に怒ったのか

• ⽶軍の圧政に対する不満の爆発(うさ晴らし︖)。• 陰謀説は説得的でない(⽶軍資料からも出てこない)。

• 何に怒らなかったのか• 攻撃対象を視⾓的に弁別=「秩序ある暴動」

• ⽶軍と⽶兵• ⾞と⽶兵(ただし負傷者存在)• ⻩ナンバーと⽩ナンバー(ただし⼀部破壊)• ⾞と店舗• ⽩⼈と⿊⼈(⿊⼈の負傷についての語りがほとんどない)

• 参加者はどこに進まなかったのか• ⻩ナンバー⾞のないところ• センター通り=⾃警団員による阻⽌

• 蜂起しなかった住⺠・場所の存在=「コザの混淆性」

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「第⼆コザ事件」(1971年8⽉17⽇)

28

⼈種化される都市コザ• 「⼈種」とは(⼤学の講義⾵に説明すると)• ⼈類を⽣物学的に区分したもので、遺伝学的な⾝体上の諸特徴を共有する集団。⺠族や

国⺠と混同されることがあるが、それらは⽂化的,歴史的あるいは政治的区分である。(ブリタニカ国際⼤百科事典)

• 植⺠地主義と不可分の概念、⽀配/被⽀配関係の中で歴史的に作りだされる。• ⼈種は確固たる事実として把握されるわけではなく、特定の政治的意図をもった認識と実践

を導き出す⽬印として(⾃⼰と他者について)表現され、想起される• コザの都市形成を考える上で重要な要素。

29

コザの⼈種関係(1)• 駐留⽶兵(⽩⼈兵と⿊⼈兵)間ならびに⽶兵と沖縄住⺠間の⼈種的関係• ⼈種関係がどう時間的、空間的に形成されたか• ⼈種関係を制御する社会的、空間的⼿段がどう⽤いられたか

• 先⾏研究、資料翻訳・解題• 廣⼭(2007)、⽶空軍特別調査局本部(1972)、⼭﨑(2014b)

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コザの⼈種関係(2)• 第⼆次世界⼤戦直後まで⽶軍部隊は⼈種別に編成• 1948年トルーマン⼤統領⾏政命令

• ⼈種混成部隊編成• 軍事基地内外で⼈種対⽴が顕在化

• 越来村「キャンプ・コザ」に⿊⼈部隊• 村内に⿊⼈が利⽤する歓楽街が形成• ⽶兵内と⽶兵と沖縄住⺠間で複雑な⼈種関係が形成される端緒

31 32

照屋

コザ十字路

胡屋十字路

嘉手納空軍基地

終戦後の越来村と照屋(1940年代)

コザの⼈種関係(3)• コザ市内における⼈種関係の時間的、空間的変化(1950年代から70年代)

1. ⿊⼈歓楽街の形成2. ⿊⼈兵との対⽴の結果としての⽩⼈歓楽街の形成3. 基地外⼈種分離の問題化4. ⿊⼈解放運動の激化5. ⼈種統合への制度的介⼊6. ⼈種対⽴の社会空間的拡散と重層化

• 資料• ⽶国陸軍と空軍の機密報告書(Pitts 1957、⽶空軍特別調査局本部1972)• USCAR(⽶国⺠政府)機密⽂書(cf. ⼭﨑2007)• 沖縄県内新聞(沖縄タイムス、琉球新報)記事(cf. 沖縄市2013)

• 軍⺠境界都市コザの変貌(⼈種化)

33

⼈種化のプロセス(1)1. ⿊⼈歓楽街「照屋」あるい

は”The Bush”の形成• 終戦後コザ⼗字路照屋地区に形成、

最初は⼈種が混在• 1950年代から暴⼒的対⽴• ⽩⼈兵は城前や吉原に移る• 1960年代には城前からも排除(廣

⼭2007)• ⿊⼈兵専⽤の歓楽街”The Bush”

として特化

34

⼈種化のプロセス(2)2. ⿊⼈兵との対⽴の結果としての⽩

⼈歓楽街の形成• 胡屋⼗字路近辺に⼋重島、センター

通りが形成• ゲート通りと共にもっぱら⽩⼈が利⽤• コザ⼗字路での⼈種対⽴の反復、

MP(憲兵隊)による制御(Pitts 1957、Norris 1962)

• ⼈種分離による社会経済的「秩序」の維持

35 36

吉原

照屋(The Bush)

八重島(ニューコザ)

諸見

センター通り

コザ十字路

胡屋十字路

嘉手納空軍基地

ゲート通り

城前

特飲街の人種的分離(1950~60年代)

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⼈種化のプロセス(3)3. 基地外⼈種分離の問題化

• 1962年、⿊⼈の連邦議会議員が照屋の存在を⼈種差別として問題化• 買春・性病感染問題と共に⽶軍統治上の課題に

4. ⿊⼈解放運動の激化• 公⺠権運動が⾼まり、⽶軍内で⿊⼈解放運動が活発化• ブラックパンサー系を含む⿊⼈活動組織が照屋に形成• 戦闘的⿊⼈集団が⽩⼈街の占拠を企図• 照屋は⿊⼈兵の政治的拠点化

37

⼈種化のプロセス(4)5. ⼈種統合への制度的介⼊

• ⿊⼈兵の先鋭化が⼈種間の緊張を⾼める• ⿊⼈解放運動が⽩⼈街店舗の⼈種差別営業を糾弾• USCAR(琉球列島⽶国⺠政府)が⽩⼈街での⼈種差別営業への制裁強化(詳細

調査中)• ⿊⼈兵を⽩⼈街へ誘導• 沖縄社会が⽶兵間の⼈種対⽴に巻き込まれていく

38

⼈種化のプロセス()6. ⼈種対⽴の社会空間的広がりと複雑化(1)• ⽶軍内⼈種差別から、照屋が⿊⼈兵の「安息地」化• しかし1970年代に⿊⼈兵が⽩⼈街へ進出• ⽶兵犯罪報道の分析(1950年6⽉から1974年3⽉)• 県内⼆紙記事⾒出しデータベース(沖縄市2013)• ⼈種に⾔及した⽶兵関連事件報道 559件• ⿊⼈兵が加害者 339件 うち⽩⼈兵が被害者 22件• ⽩⼈兵が加害者 174件 うち⿊⼈兵が被害者 0件• ⿊⼈兵による⽩⼈兵への暴⾏• 60年代以前 4件 うち3件照屋付近• 70年代以後 半数強が⽩⼈街• ⼈種間の乱闘 13件

• 70年代に集中し、多くは基地内と⽩⼈街で発⽣

39 40

吉原

八重島(ニューコザ)

諸見

センター通り

コザ十字路

胡屋十字路

嘉手納空軍基地

ゲート通り

城前

黒人兵の「移動」(1970年代)

照屋(The Bush)

⼈種化のプロセス(5)6. ⼈種対⽴の社会空間的広がりと複雑化(2)

• ⽶軍側の⼈種統合政策と⿊⼈解放運動(60〜70年代)• ⼈種対⽴を照屋から⽩⼈街に拡散させる• 照屋は衰退

• 沖縄側の対⿊⼈「経済的」差別と⽶軍の制裁(オフリミッツ)• ⽩⼈を顧客とする経営者・接客者(⼥性)• ⿊⼈兵の低い消費、⽩⼈街でのトラブル• ⿊⼈解放運動組織による糾弾、⽶軍による制裁(70〜71年)

• 1971年8⽉17⽇⽩⼈街で「第⼆コザ事件」勃発• ゲート通りに集結した⿊⼈集団約50名がセンター通りで⼈種差別撤廃のデモンストレーション• 続いてセンター通りの⽩⼈向け店舗を荒らす• 店舗関係者・住⺠ら約100⼈が⿊⼈集団と対峙、コザ署に投⽯

41

まとめ• ⼆つの「コザ騒動」はどうつながるのか• 「コザ暴動」でコザ全域・全市⺠が蜂起したわけではない

• センター通りでの破壊⾏動は住⺠(⾃警団組織代表)によって阻⽌された=⽶兵の消費に直結する⽣活利害を守る

• 「第⼆コザ事件」は⽶軍が「振りかざす」⼈種平等化の「とばっちり」が原因• 平等化は⽶兵間であって、琉⽶間でない• 「コザ暴動」で蜂起しなかった地区・住⺠が憤怒したと考えられる=⿊⼈兵の粗暴⾏為で⽣活利害が侵され

• コザにおいても琉⽶間の利害関係は⼀様ではなく、それに関連する政治的反応も⼀様ではない。• しかし、⽶軍の圧政は8カ⽉の間にコザのほぼ全域・全市⺠から反発をくらった

• そこで「コザ」を「沖縄県」に、「⽶」を「⽇」に置き換えてみて下さい。• ⼆つの「コザ騒動」がもたらした事態は、去る11⽉の沖縄県知事選と12⽉の衆院選の結果を⾒ると、今の

沖縄県の現状とダブって⾒えるのは私だけでしょうか。

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Page 8: kyodai19 day4-3polgeog.jp/wp-content/uploads/2019/01/kyodai19_day4-3.pdf2019年1 11 3 13 反権 闘争としての記憶 「コザ暴動」(1)•1970年12 20 ( ) • 午前1時

2019年1⽉11⽇

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参考⽂献■⽂献・データベース沖縄市(2013)『沖縄市史第九巻戦後新聞編』沖縄市沖縄市企画部平和⽂化振興課(1999)『⽶軍が⾒たコザ暴動』沖縄市廣⼭洋⼀(2007)「コザ⼗字路⼀帯における⿊の街と⽩の街」『KOZA BUNKA BOX』3、58-80⾴⽶空軍特別調査局本部(1972)「特別報告書―沖縄の基地外歓楽街における⼈種的緊」 KOZA BUNKA

BOX』10、69-29⾴⼭﨑孝史(2007)「戦後沖縄における⽶軍統治の実態と地⽅政治の形成に関する政治地理学的研究」平成17・

18年度科学研究費(基盤研究(C))報告書、⼤阪市⽴⼤学⼤学院⽂学研究科 http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/yamataka/fw_report.htm

⼭﨑孝史(2014a)「軍⺠境界都市としてのコザ―暴動の記憶とアイデンティティ」⾕富夫・安藤由美・野⼊直美編著『持続と変容の沖縄―沖縄なるものの現在』ミネルヴァ書房,218-242⾴

⼭﨑孝史(2014b)「資料解題 特別報告書―沖縄の基地外歓楽街における⼈種的緊張」『KOZA BUNKA BOX』10、73-70⾴

Norris, J.G. (1962) Sin and segregation plague wicked Okinawa. The Washington Post, February 11, p. E3.

Pitts, F.R. (1957) ʻThe Urban Setting―Koza.̓ RG319 Chief of Civil Affairs, Public Affairs Division, Correspondence of the Public Affairs Division, 1951-64. Stack Area 270, Row 18, Compartment 14, Shelf 7, Box 29, Ent (A1) 61. National Archives II, USA

■新聞『沖縄タイムス』 各記事『琉球新報』 各記事

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【論点】• 地政学の「負の遺産」を引き継ぎつつも、政治地理学の今⽇的実践がありうる

とすれば、どのようなものが考えられるでしょうか。(前期から)これまでの講義内容を踏まえて考えてみて下さい。

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