JPN Coca-Cola Olympic Games (1) BM...「Coca-Cola Official Olympic Pin Trading...

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コカ・コーラ社とオリンピック 報道用資料 <2019年5月29日更新> INDEX 90年にわたりオリンピックを盛り上げてきたコカ・コーラ社 コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み ・・・・・・ 2-8 東京1964大会の軌跡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 コカ・コーラ社とオリンピック聖火リレー・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 コカ・コーラ社とピントレーディング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 東京2020大会に向けて コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサー ・・・・・・・・・ 12 契約選手のご紹介 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13-15 自動販売機でオリンピックを支援 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16-18

Transcript of JPN Coca-Cola Olympic Games (1) BM...「Coca-Cola Official Olympic Pin Trading...

コカ・コーラ社とオリンピック報道用資料

<2019年5月29日更新>

INDEX

90年にわたりオリンピックを盛り上げてきたコカ・コーラ社

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み ・・・・・・ 2-8

東京1964大会の軌跡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9

コカ・コーラ社とオリンピック聖火リレー・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10

コカ・コーラ社とピントレーディング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11

東京2020大会に向けて

コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサー ・・・・・・・・・ 12

契約選手のご紹介 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13-15

自動販売機でオリンピックを支援 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16-18

アムステルダム1928大会から始まった

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップ

コカ・コーラ社はIOCと協力しあい、オリンピックのファンや選手にとってオリンピックを通しての体験がかけがえの

ない思い出として残るよう、さまざまなプログラムに取り組んできました。オリンピックのパートナーとして最も長く、

豊かな歴史を誇るコカ・コーラ社は、オリンピックが、世界で最も注目度が高く、意義あるスポーツイベントへと

発展する過程を共に歩み、支援してきました。また、1988年以降はワールドワイドオリンピックパートナーとし

て、200以上の各国オリンピック委員会(NOCs)と協力して、オリンピックを目指しトレーニングに励む多く

の選手やオリンピック参加選手などに対する援助も行ってきました。

コカ・コーラ社の歩みは近代オリンピックの歴史でもありました。アトランタの薬剤師ジョン・S・ペンバートンが

「コカ・コーラ」の秘伝の製法を発明したのは1886年。その6年後にピエール・ド・クーベルタン男爵が、近代オ

リンピックのアイデアを提唱しました。ギリシャのアテネで第1回近代オリンピックが開催された1896年には、

「コカ・コーラ」は米国以外でも販売されるようになっていました。

アムステルダム1928はコカ・コーラ社が初めて参画したオリンピックとして記録に刻まれており、オリンピックスタ

ジアムの周辺で初めて「コカ・コーラ」が販売され、広告も登場しました。以来、スポンサーシップ、寄付、革新

的な消費者プログラムを通じて、オリンピックにおけるコカ・コーラ社の存在感は拡大し続けています。 2005

年には国際オリンピック委員会との長年にわたるパートナーシップを東京2020まで延長することで合意。

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歴史は90年以上にも及ぶことになります。

コカ・コーラ社は、東京2020のパートナーとして、「スポーツには、世界と未来を変える力がある。」というビジョ

ンを掲げる東京2020が、スポーツの素晴らしさや感動、最高水準のテクノロジーを生かした大会運営、そし

て東京を訪れる人々へのおもてなしを通じて史上最高のオリンピックと讃えられ、また、開催によって生まれた

技術や行動様式がレガシーとして未来へ継承される大会となるよう尽力していきます。

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コカ・コーラ社は、東京2020大会を盛り上げていきます!

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HISTORY コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

コカ・コーラ社は、オリンピックのファンや選手にとってオリンピックの体験がかけがえのない思い出として残るよう、長期にわたり取り組んできました。

コカ・コーラ社とオリンピックの歴史は、アムステルダム1928にさかのぼります。この年、米国オリンピック代表団とともに、1,000ケースの「コカ・コーラ」が海を渡り、記念すべきデビューを飾りました。

日本が初めてオリンピックの舞台となったのは、東京1964でした。日本のコカ・コーラ社は、道路標識、ガイドマップ、観光案内、日英会話集を用意し、何万人もの外国人選手団や報道陣、観光客を温かく迎え入れました。

ミュンヘン1972では、ザ・コカ・コーラ カンパニーが公式に協賛企業として認定され、さらに、カルガリー1988ではTOPパートナーとしてサポートし、オリンピックとのつながりはますます強固なものとなります。

また、できるだけ多くの人びとに、オリンピックの感動や興奮をお届けしたいという思いから、コカ・コーラ社では、観戦以外の形でもオリンピックを体感できる多様なイベントを提供しています。(オリンピック聖火リレー詳細→p.10)(ピントレーディング詳細→p.11)

東京2020も、大会運営、選手育成、ピントレーディングやオリンピック聖火リレーなど様々な場面で支援し、盛り上げていきます。

アムステルダム1928

レークプラシッド1932ロサンゼルス1932

ガルミッシュ・バルテンキルヘン1936ベルリン1936

サン・モリッツ1948ロンドン1948

オスロ1952

コルチナ・ダンペッツォ1956メルボルン1956

スコーバレー1960ローマ1960

インスブルック1964

東京1964グルノーブル1968メキシコシティ1968

レークプラシッド1976モスクワ1976

インスブルック1976モントリオール1976

札幌1972ミュンヘン1972

サラエボ1984ロサンゼルス1984

カルガリー1988ソウル1988

アルベールビル1992バルセロナ1992

リレハンメル1994

アトランタ1996

長野1998

シドニー2000

ソルトレークシティ2002

アテネ2004

トリノ2006

北京2008

バンクーバー2010

ロンドン2012

ソチ2014

リオデジャネイロ2016

平昌2018

東京2020

東京1964

バルセロナ1992

アトランタ1996

長野1998

ロンドン2012

1928 アムステルダム大会

コカ・コーラ社のオリンピックへの関わりはアムステルダム1928から始まりました。

このとき、米国オリンピック代表選手団とともに1,000ケースの

「コカ・コーラ」が大西洋を渡ったのです。また、女性が初めて選手として参加

したのはこの大会の陸上競技であり、古代オリンピックの伝統であった聖火

もこのときに復活しました。

1932 ロサンゼルス大会

ザ コカ・コーラ ボトリングカンパニー・オブ・ロサンゼルスの寄贈によりオリンピッ

ク記録掲示板が導入されました。この掲示板に大会で樹立された18個の

世界新記録が並んでいくと、スタジアムを埋めた10万5千人の観衆の興奮

はいやがうえにも高まりました。1924年と1928年の大会で金メダルに輝い

た水泳のジョニー・ワイズミュラー選手は、1934年、女優のモリーン・オサリバ

ンとともに「コカ・コーラ」のサービストレイとポスターに登場し、コカ・コーラ社製

品を推奨するオリンピック選手第1号となりました。

また、ザ コカ・コーラ ボトリング カンパニーの提供で各選手の記録表示盤

(レコード・キーパー)を導入。観客は円盤状の表示盤を回して、18種目

の世界記録と各選手の記録を比較することができました。

1952 オスロ冬季大会

コカ・コーラ ボトラー社が協力し、ヘリコプターというものを初めてオスロ市民の

前に登場させました。このヘリコプターは、当初ノルウエー選手のための資金

調達活動に役立てられ、大会最終日には交通整理に一役買いました。

オリンピックスタジアムの入口に掲げられた「コカ・コーラ」の横断幕(アムステルダム1928)

選手の記録表示盤(ロサンゼルス1932)

1948 ロンドン大会

第二次大戦のため12年間中断を余儀なくされたオリンピックが再開された

のはロンドン1948からでした。このときコカ・コーラ社は戦争による痛手を乗り

越え、スコットランドのグラスゴーと北アイルランドのベルファストから機材を送り

込み、選手や観客の喉の渇きをいやしました。

オスロに着陸するヘリコプター(オスロ1952)

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1956 メルボルン大会

会場の420カ所に自動販売機を設置。また、大会の観戦を促す消費者

向けの新聞広告を掲出しました。

消費者向けの新聞広告(メルボルン1956)

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

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1964 東京大会

ファンや報道関係者にオリンピックをより楽しんでもらえるよう努力を重ねてき

たコカ・コーラ社は、東京1964のオリンピック聖火リレーにて、全国に16社

あった 当時のコカ・コーラ ボトラー社がオリンピック聖火歓迎キャンペーンを

行い、全国的にオリンピック聖火リレーを盛り上げました。そのほかにもガイド

マップ、道路標識、観光情報、日英会話集を提供。中でも日英会話集は

非常に好評を博し、メキシコ1968、札幌1972、ミュンヘン1972でもこれ

を手本にしたものが採用されたのでした。

1972 ミュンヘン大会

コカ・コーラ社が『公式清涼飲料』の協賛企業に認定されるなど、オリンピック

とのつながりがさらに強まりました。

1968 グルノーブル冬季大会 ・メキシコシティ大会

コカ・コーラ社は冬季と夏季の両方において全米の視聴者向けにオリンピック放送

番組を提供した初のスポンサーとなりました。また、1968年にはオリンピックをテー

マにしたテレビCMで、自宅でオリンピック観戦を楽しむ人の増加に貢献しました。

1980 レークプラシッド冬季大会

大量の宣伝グッズを製作して市民に提供。オリンピックにちなんでデザインさ

れた8種の記念ボトルの特別セットなどは特に人気が高く、これ以降、オリン

ピック関連の記念グッズへの関心は驚異的な勢いで広まりました。

1984 ロサンゼルス大会

大会マスコットの「イーグルサム」は、オリンピックを記念した23種の

「コカ・コーラ」の缶に描かれました。

ザ コカ・コーラ カンパニーによる世界初のフィギュアスケーティングロボット"Kobot“(レークプラシッド1980)

観客に提供された双眼鏡(ロサンゼルス1984)

1972 札幌冬季大会

日本で開催された初めての冬季オリンピックとなった札幌1972では、札幌に

集まった世界の若者たちや、関係者たちに憩いのひと時を提供するために、

「コカ・コーラ」や「ファンタ」などを大々的にサンプリング。各会場はコカ・コーラ社

製品を求める人たちで混み合いました。札幌1972を通じて日本での

コカ・コーラ社の存在感はより大きいものになりました。

札幌1972当時の広告(札幌1972)

コカ・コーラ社によるガイドマップを読む男性(東京1964)

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

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1996 アトランタ大会

オリンピック100周年にあたるこの大会では、「コカ・コーラ」発祥の地で関催されたオ

リンピックを歓迎してファンがさまざまなスタイルで楽しめるよう工夫をこらしました。

「Coca-Cola Olympic City(コカ・コーラ オリンピックシティー)」※、

「The Coca-Cola Folk Art Exhibit(コカ・コーラ フォークアート展)」※、

「Coca-Cola Official Olympic Pin Trading Center(コカ・コーラ オリンピッ

ク・ピン・トレーディング・センター)」※をはじめ、コカ・コーラ社の開設したさまざまなイ

ンタラクティブ施設には数十万人もの人がつめかけました。約5万平方メートルの広

さの「コカ・コーラ オリンピックシティー」※では、入場者が自分の力を試せるバーチャル

オリンピック競技の世界、歴代の名コーチから技術やコツを教えてもらえるスポーツ教

室、オリンピック代表選手との交流会などのアトラクションを用意。「コカ・コーラ フォー

クアート展」※では、独特の曲線でおなじみの「コカ・コーラ」のボトルをキャンパスに見

立 て て 創 作 さ れ た 、 さ ま ざ ま な フ ォ ー ク ア ー ト 作 品 を 紹 介 し ま し た 。

「コカ・コーラ ピン・トレーディング・センター」※で交換されたピンの数は300万個を超

え、史上最高となりました。

アトランタ1996で、コカ・コーラ社はオリンピック聖火リレーの単独プレゼンターをつと

め、計1万人の聖火ランナーのうち2,500人を選出しただけでなく、「オリンピック国

際聖火ランナープログラム」の規模を拡大して、70を超える国から参加者を派遣し

ました。 日本からはコカ・コーラ社が選出した、ノルディックワールドカップチャンピオン

でリレハンメル1994ゴールドメダリストの荻原健司氏と、弟の次晴氏らが、オリンピッ

ク聖火リレーに参加しました。※いずれも開催当時の名称です。

「Coca-Cola Olympic City(コカ・コーラ オリンピックシティー)」 ※

(アトランタ1996)

スタジアムで提供されたシートプロテクター(アトランタ1996)

1994 リレハンメル冬季大会

企業向け広告に登場したコカ・コーラ ポーラーベアは、世界で最も人気のあ

るウィンタースポーツの「競争相手」となりました。バルセロナ1992に続き、

「オリンピック聖火ランナー国際プログラム」のプレゼンティングパートナーとして

支援しました。

1992 バルセロナ大会

海外聖火ランナーを募集する国際プログラムを協賛し、50カ国以上から

150人の参加者が集まりました。

1988 カルガリー冬季大会

23カ国から選ばれた43人の若者の編成による「コカ・コーラ ワールド・コーラス」

が開会式と閉会式で大会テーマ曲「Can’t You Feel It?」を熱唱しました。

また、「コカ・コーラ ピントレーディングセンター」を初めて開設したところ、1日

17,000人以上が訪れ、ピントレーディングが「大会で最も人気のある観客用ス

ポーツ」として新たな伝統を生み出す拠点となりました。(ピントレーディングに

関しては11ページを参照ください。)

「コカ・コーラ オリンピック競技大会公式ピントレーディングセンター」を初めて開設(カルガリー1988)

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

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2012 ロンドン大会

コカ・コーラ社は、大会組織委員会の「オリンピック史上最大のサステナビリティ

施策を展開する」という目標に賛同し、PETボトルをリサイクルする工場を大会

前に建設。これによりオリンピックで使用されたPETボトルが6週間後には再度

店舗の棚に並ぶようになり、リサイクル文化の定着に貢献しました。

加えて、コカ・コーラ社は、“MOVE TO THE BEAT”というアイデアのもと、さま

ざまな活動を実施。グローバルで展開するオリンピックのキャンペーンソングとして、

グラミー賞受賞音楽プロデューサーであるマーク・ロンソンのプロデュースにより

「Anywhere in the World」を制作しました。

“MOVE TO THE BEAT” キャンペーン開始時に公開されたBeat Wall(ビートウォール)(ロンドン2012)

2008 北京大会

「環境」を大会のテーマとした北京2008にてコカ・コーラ社は、北京と6つの共

催 都 市 で さ ま ざ ま な 体 験 コ ー ナ ー や ス ペ シ ャ ル イ ベ ン ト を 開 催 。

「コカ・コーラ」キャンペーンの長年のキーワードである世界とのつながりや、絆、さ

わやかさというメッセージを世界中の人々に向けて発信。そのほかにも消費者プ

ロモーションの景品として、PETボトルのリサイクル素材を50%使用したTシャツ

を採用したり、オリンピック聖火リレーではコカ・コーラの環境活動に積極的に参

加していた北島康介氏、細川佳代子氏(スペシャルオリンピックス日本設立

者)、関口菜央さん(第4回 コカ・コーラ環境教育賞受賞者)の3名を選出

しました。

2004 アテネ大会

近代オリンピック第1回が開催された土地である本大会では、5大陸33都市をつ

なぐオリンピック聖火リレーを実施。日本コカ・コーラ社では日本でオリンピック聖火リ

レーが実施された東京にて、オリンピック聖火リレー開催時に沿道に排出されるゴミ

の収集をする「コカ・コーラ グリーンチーム」を結成。約300人のボランティアが清掃

活動を行いました。また、コカ・コーラ社全体では世界で11,000人以上の聖火ラ

ンナーが選出されました。

1998 長野冬季大会

日本で3回目に開催されるオリンピックとなった長野1998をコカ・コーラ社は盛大に盛

り上げました。コーヒーブランド「ジョージア」がオリンピック聖火リレーのプレゼンティング

パートナーを務め、コカ・コーラ社がオリンピックの支援を開始してから初めて温かい飲

み物が提供されることとなり、観客や選手の体をあたためました。また長野1998は、

聖火ランナーを一般公募した初めての大会としても記憶されています。コカ・コーラ社

が行なった第1回目の公募では、各47都道府県から1名ずつ聖火ランナーを選出。

第2回目の公募では聖火ランナーと、リードエスコートランナーを2人1組で募り、夫婦、

親子、友人などのペアが参加するなど、多くの人々がオリンピック聖火リレーの感動を

味わいました。そのほかにもコカ・コーラ社からタレントやスポーツ選手などを、聖火ラン

ナーとして選出し注目を集めました。大会中には、おなじみの「コカ・コーラ オリンピック

競技大会公式ピントレーディングセンター」と超人気の「ピン・オブ・ザ・デイ」に加え、

新たにファンプラザを設け、来場者に軽食やグッズ、インタラクティブなエンターテインメ

ントなどを提供しました。また、切り絵アートプログラムのスポンサーとなり、大会の記念

として日本の伝統芸能である切り絵3,500枚をオリンピック選手や関係者にプレゼン

ト。図案はオリンピック村の室内装飾にも使われたのでした。

聖火ランナーのポスター(長野1998)

環境を配慮してコットンとリサイクルPETから作られたTシャツ(北京2008)

コカ・コーラ社によるオリンピック聖火リレーのマップ(アテネ2004)

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

2016 リオ大会

南アメリカ大陸で初めて開催されることとなったリオ2016は、スローガンとして「A New

World(新しい世界)」を掲げました。オリンピック聖火リレーはブラジル国内の320以上

の都市を巡り、空路1万6,000km、陸路2万kmの距離を1万2,000人の聖火ラン

ナーが、南米初となる国内オリンピック聖火リレーに参加し、聖なる炎を運びました。割り

当てられた200mの区間を走る聖火ランナーたちの先導をサポートしたのがスポンサーのト

ラックです。コカ・コーラ社のトラックは、オリンピック聖火リレー中、「コカ・コーラ ゼロ」の限定

ミニ缶や、リオ2016限定の250mlPETボトルを含む、130万本にもおよぶコカ・コーラ社

製品を配布しました。

オリンピック・パーク内のパビリオンでは、限定の「コカ・コーラ」ゴールドボトル(当日の日付

や競技名が刻まれている)が、キンキンに冷やされた状態で来場者に配布され、好評を

博しました。また、再開発が進んでいるPorto Maravilha(ポルト・マラヴィーリャ)地区

には若い世代向けに「Parada Coca-Cola(コカ・コーラ ステーション)」を特設。ラテン

アメリカ最大の 「コカ・コーラ」グッズストアや、オリンピックをモチーフにした数々のアトラク

ションが展開されました。ステーションの入り口には連日1,000人以上の行列ができるほど

の盛況ぶりでした。また、 「Parada Coca-Cola(コカ・コーラ ステーション)」では世界

各国から派遣されたブロガーやインフルエンサーがそこを起点にSNSでの情報発信をする

など、若い世代に向けてソーシャルメディアを使ったコミュニケーションを積極的に展開しまし

た。

リオ2016において、現地のコカ・コーラ社では、アクティブライフスタイルの推進や、各自の

ライフスタイルにあわせて製品を選択いただけるよう、小容量のPETボトルの積極的な展

開などを行いました。なお、同大会ではコカ・コーラ社ブースに地元の若者を業務担当とし

て採用し雇用創出にもつなげました。

2018 平昌冬季大会

「平和と未来」がテーマとなった平昌2018でもコカ・コーラ社は寒さに負けず大会を熱く盛

り上げました。

大会前には、消費者向けのオリンピック関連コミュニケーションのプラットフォームとしてモバ

イルアプリ「CokePLAY」を立ち上げ、聖火ランナーを募集したり、大会中はコカ・コーラ社

ならではの特別な体験を楽しめる巨大自動販売機をモチーフにしたイベントスペースなど

を開設しました。日本からは平昌2018のオリンピック聖火リレーに、コカ・コーラ・チーフ・オ

リンピック担当・オフィサーである北島康介氏と、日本コカ・コーラとパートナーシップ契約を

締結している世界トップクライマーの白石阿島選手が、コカ・コーラ社を代表して、韓国・

蔚山(ウルサン)でおよそ200メートルの区間をそれぞれ快走し、オリンピック聖火リレーをつ

なぎました。

ソウルと江陵に設置された、本物の自動販売機と同じように硬貨を入れてボタンを押すと

「コカ・コーラ」を購入できる「コカ・コーラ」巨大自動販売機は、およそ20mの高さを誇る大

きい自動販売機の中にてイベントやアクテビティを提供し、消費者や海外からの観光客が

平昌2018をより楽しめるよう盛り上げました。そのほかにも、江陵オリンピックパーク内では、

凍えた体を温められる屋外暖房スペースの提供や製品サンプリング、写真撮影スポットな

ど、さまざまなサービスやイベントを実施し、ワクワクする特別な体験を提供しました。さらに、

ピントレーディングを体験できる「江陵ピントレーディングセンター」を設け、過去のオリンピッ

ク競技大会の限定「コカ・コーラ」ピンを展示しました。8

オリンピック聖火リレーを先導するコカ・コーラ社のトラック(リオ2016)

パビリオン内のドリンクカウンター(リオ2016)

イベント会場には巨大な「コカ・コーラ」の自動販売機が登場(平昌2018)

オリンピック聖火リレーに参加した白石阿島選手と北島康介氏(平昌2018)

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

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パートナーとして培ってきた経験をもとに

東京1964大会の成功を支援

東京1964は、アジアで初めて開催されるオリンピックとして世界から注目されま

した。オリンピック聖火リレーの最終ランナーを務めたのは、広島に原爆が投下さ

れた1945年8月6日に生まれた坂井義則さん。犠牲者を追悼し、世界平和

を訴えることが目的でした。また、東京1964は、公式競技のタイム測定にストッ

プウォッチが使われた最後の大会となりました。

アジア初のオリンピックとコカ・コーラ社

コカ・コーラ社の翻訳ガイドブックが大人気にコカ・コーラ社は、アムステルダム1928以降オリンピックムーブメントをサポートし

ながら培ってきた経験を生かし、観客や報道関係者のためにガイドマップ、道路

標識、観光情報、日英対訳の会話表現集を制作して大会の成功を支えまし

た。この大会でコカ・コーラ社が制作した翻訳ガイドブックが大変好評で、メキシ

コシティ1968、札幌1972・ミュンヘン1972でも、これをひな型として使用した

ほどでした。

1964年の熱い思いと感動を再び東京へ

コカ・コーラ社はこれから、東京2020が東京1964を超える熱い思いと感動に

包まれる場所となることを目指します。東京2020のパートナーとして、「スポーツ

には、世界と未来を変える力がある。」というビジョンを掲げる東京2020で、ス

ポーツの素晴らしさや感動、最高水準のテクノロジーを活かした大会運営を支

援いたします。また、東京を訪れる人々へのおもてなしを通じて史上最高のオリ

ンピックと讃えられるよう、そして、開催によって生まれた技術や行動様式がレガ

シーとして未来へ継承される大会となるよう尽力していきます。。

東京1964大会の軌跡

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コカ・コーラ社とオリンピック聖火リレー

コカ・コーラ社とオリンピック聖火リレー

オリンピック聖火リレーの協賛はバルセロナ1992大会からコカ・コーラ社は90年にわたりオリンピック大会を支援してきましたが、オリンピック聖火リレーに初めて公式に参加し

たのは、バルセロナ1992からです。それまではオリンピック開催国だけでオリンピック聖火をリレー実施するのが一般

的でしたが、バルセロナ1992からは、開催国だけでなく、世界各国から選出された人が聖火ランナーに参加できる

「オリンピック聖火ランナー国際プログラム」が始まりました。これにより、多くの人々がオリンピック聖火リレーに参加で

きるようになり、近代オリンピック聖火リレーの歴史におけるターニングポイントとなりました。

日本で行われた大会もサポート日本で開催された大会でもオリンピック聖火リレーを支援してきました。1992年に公式にオリンピック聖火リレーに

関わるようになる以前の東京1964では、聖火ランナー一行を当時のコカ・コーラ ボトラー社のトラックが先導、同

行し、各中継地点で走者、役員、関係者一行に冷たい「コカ・コーラ」のサンプリングを行ったり、オリンピック聖火

歓迎用の紙の小旗を沿道の人たちに配るなど、大会に向けてオリンピック聖火リレーを盛り上げました。さらに、日

本で開催された初めての冬季オリンピックである札幌1972でも同様にサポート、プレゼンティングパートナーとなった

長野1998では、オリンピック聖火リレーを缶コーヒーブランド「ジョージア」で支援し、全国で545人の聖火ランナー

及び575人のエスコートランナーと2,300人のサポートランナーを選出しました。

東京2020大会にて12回目のオリンピック聖火リレープレゼンティングパートナーにコカ・コーラ社は、平昌2018を含め、聖火リレーのプレゼンティングパートナーを11回務め、東京2020では12回

目となります。平昌2018では、開会式まで101日間をかけて韓国全土を巡り、開催年にちなんで総距離

2,018kmもの距離で聖なる炎を運びました。そんな中、割り当てられた200mの区間を走る聖火ランナーたちを

先導するのがスポンサーのトラックです。コカ・コーラ社の15台にも及ぶトラックは、オリンピック聖火リレー中、55万

本以上のコカ・コーラ社製品を配布し、盛り上げました。

東京2020大会に向けてコカ・コーラ社にとって、オリンピック聖火リレーは長年IOCとのパートナーシップにおいて支援してきた大きな取り組み

のひとつです。12回目となるオリンピック聖火リレーのプレゼンティングパートナーとして、全国5社あるボトラーと共に、

日本中に聖火の光が照らす希望の道とオリンピックだけが提供する忘れられないひとときをお届けし、東京2020の

成功に向けて取り組んでいきます。

<平昌2018の聖火ランナー> <平昌2018のオリンピック聖火リレーを先導したトラック>

コカ・コーラ社によるピントレーディング「オリンピックでは、観客が参加するナンバーワン・スポーツ」として知られるピントレーディングは、世界の中の人々と出

会い、オリンピックの感動を持ち帰る楽しいイベントとなりました。ピントレーディングはオリンピックファンにとってこの上ない

楽しみであり、ピンマニアにとっても、競技のすばらしさに感動する観客にとっても、またとないオリンピック体験の記念とな

ります。

ピントレーディングの歴史ピンは、もともと選手、大会役員、報道関係者の識別用に色分けしたバッジとしてデザインされましたが、1896年のア

テネでの第1回近代オリンピックで、選手が友好の証としてピンの交換を始めたことがきっかけとなり、根づいていきました。

この伝統はコカ・コーラ ピントレーディングセンターで、オリンピック精神を広げる場として今日にいたります。

コカ・コーラ社が生み出したユニークなオリンピックのカルチャーコカ・コーラ社は、ピントレーディングを通じて、世界中のさまざまな国から集まった観光客が交流し、オリンピックを楽し

める場を提供しています。カルガリー1988で登場以来、大人気なのが、「コカ・コーラ ピントレーディングセンター」です。

大会ごとに趣向をこらしたピンバッジは、会場の人気者となります。大会マスコットや開催国の自然や文化遺産など、

そのバリエーションはさまざまです。なかでも人気は「ピン オブ ザ デー」という限定版。大会期間中、毎日1種類ずつ限

定発売されるピンバッジを組み合わせると、コンツアーボトルの形になるというもの。このような限定版目当てのファンが、

会場で長い列を作ることもありました。日本でも長野1998にピントレーディングセンターが開設されたことにより、ピンの

人気が高まり、愛好家が増えたことによってその人気が定着しています。長野1998中に善光寺中央通りのセントラ

ル・スクエア向かいに開設されたコカ・コーラ ピントレーディングセンターには、大勢のピン・マニアがつめかけたことが記録

されています。その数は45万人以上に上り、閉会までの期間にセンターにて用意されたピンは完売しました。

<平昌2018に設置された「江陵ピントレーディングセンター」>

<平昌2018 限定「コカ・コーラ」ピン><リオ2016 限定「コカ・コーラ」ピン>

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コカ・コーラ社によるピントレーディング

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北島康介氏

コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサー

北島康介氏

アテネ2004と北京2008のゴールドメダリストである北島康介氏と日本コカ・コーラは、

2005年4月に所属契約を結びました。以来、13年もの間、競技選手として活動する傍

ら、日本コカ・コーラとスポーツを通した社会貢献活動を行ってきました。

2016年には「コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサー」に就任。

日本コカ・コーラと共にオリンピックムーブメントを推進し、スポーツ振興や次世代育成に取

り組んでいます。例えばリオ2016では、「コカ・コーラ」サマーキャンペーン2016のTVCMや

イベントなどに参加していただき、一緒に大会を盛り上げました。その他にも、オリンピックと

長きにわたってパートナーシップを持つコカ・コーラ社ならではのさまざまな取り組みに参加い

ただきました。

北島康介氏 コメント(2016年就任時)これまで選手生活で培った経験を活かして、若手育成をはじめ日本のスポーツ界に貢献できるよう努めていきたいと思います。立場は変わりますが、これからも日本コカ・コーラと共に東京2020に向けて、一緒に取り組んでいきたいと考えています。

■ 北島康介氏 プロフィール北島 康介(きたじま こうすけ) 生年月日:1982年9月22日 出身地:東京都5歳から水泳を始める。シドニー2000に出場、100m平泳ぎで4位入賞。アテネ2004及び北京2008、100m・200m平泳ぎにおいて日本人唯一の二大会連続二種目で金メダルを獲得した。16年4月、惜しまれながらも現役引退。現在は、「コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサー」としても活動。現在は東京都水泳協会の副会長を務め、15年1月より自身の冠大会「KOSUKE KITAJIMA CUP」を開催。

東京2020大会に向けて

東京2020大会での活躍が期待される若手4選手とパートナーシップ契約

最も長くオリンピックムーブメントをサポートしてきたコカ・コーラ社の取り組みの一つとしてアスリート支援があります。アス

リートたちが国や地域の代表としてスポーツマンシップを持って競い合い、そして高め合いながら戦うことや、そうした姿

から受ける感動と興奮、そして夢といった特別な瞬間を、より多くの人々に分かち合ってほしいとの思いから、90年オリ

ンピックを支援してきました。

2016年4月に、競泳日本代表としてリオ2016に出場した今井月(るな)選手と、パートナーシップ契約を締結。

そして、2017年4月には、スポーツクライミングで世界トップクライマーとして活躍している白石阿島(あしま)選手※1 、次世代のホープとして注目のスケートボード日本ランキング1・2位※2の西村詞音(ことね)選手と西村碧莉

(あおり)選手の3選手とパートナーシップ契約を結びました。

白石選手、西村詞音選手と西村碧莉選手の3選手は、10代にもかかわらず実力があり、夢と情熱に溢れた選手で、

東京2020での活躍が期待されています。3選手が活躍している“スポーツクライミング”、“スケートボード”は、東京

2020で追加された5つの競技のうちの2つで、本大会で初めてオリンピック競技となりました。いずれも東京2020に

大きな魅力と価値をもたらすとともに、日本におけるスポーツへの関心の高さや広がりを、世界中に伝える競技として

期待がかかっています。“スポーツクライミング”、“スケートボード”という競技を含めて、3選手が持つ選手としての志や

姿勢、人柄などが、常にイノベーションを追求し、爽快感と気持ちの高まりをもたらし特別なひとときを提供する世界

No.1飲料ブランド「コカ・コーラ」と合致することから契約が実現しました。

日本コカ・コーラは、今後、東京2020を見据え、若手の契約選手たちを支え、日本のスポーツ界の発展に貢献でき

るように共に取り組んでまいります。2017年4月以降は、4選手を、身体面から精神面まで全面的にサポートします。

また、4選手には若手ならではの積極的な意見交換や交流で、東京2020へのオリンピックムーブメントの推進にご尽

力していただきます。

※1 白石選手はグローバル契約となります。

※2 2015全日本スケートボード選手権<レディース部門>ランキング

今井月(るな)選手、白石阿島(あしま)選手、西村詞音(ことね)選手、西村碧莉(あおり)選手

日本コカ・コーラ 契約選手

13

氏名 競技

1 今井 月(いまい るな) 競泳

2 白石 阿島(しらいし あしま) スポーツクライミング

3 西村 詞音(にしむら ことね) スケートボード

4 西村 碧莉(にしむら あおり) スケートボード

東京2020大会に向けて

白石阿島選手コメント

「常に自分の限界に挑戦しながら、記録を塗り替えてい

くことで同じクライミングをしている若い人たちに刺激を与

えられたらいいなと思い、二ューヨーク市内にあるクライミ

ングジムで、日々トレーニングをしています。東京2020

で初めて競技になったスポーツクライミングで金メダルを獲

ることを目標に、これからも一生懸命トレーニングをしてい

きたいと思います。この私の挑戦に、コカ・コーラ社がサ

ポートしてくださるとのことで、とても感謝しています。これ

からも応援よろしくお願いします」(2017年4月時点)

プロフィール

生年月日:2001年4月3日 出身地:米国ニューヨーク州ニューヨーク市

6歳のときに初めてセントラルパークでクライミングをする人を見て、自身も始める。8歳のときには、次々に記録を塗り替え、難度V10※1

の岩場「パワー・オブ・サイレンス」の完登に最年少で成功。2016年3月には、難度V15の岩場の完登に成功。この驚異的な業績により、

V15の完登に成功した史上初の女性クライマーとなり、さらに男女問わず史上最年少のクライマーとなった。また、国際スポーツクライミン

グ連盟世界ユース選手権で7回優勝。2010年以来、ABSユース全米選手権を連覇。2016年には、世界ユース選手権のリード、ボル

ダリング両部門で優勝を果たす。2014年には「TEDxTeen」でスピーチをし、2015年、TIME誌の“最も影響力のあるティーン30人”の

一人に選出されるなど、国内外のメディアの注目を集めている。

※1 難度を示すVグレードはV0からV16まであり、数字が大きいほど難度が高い

今井月選手のコメント

「大先輩である北島康介さんにずっとあこがれて、尊敬し

てきました。北島さんといえば、『コカ・コーラ』です。自分が

同じ『コカ・コーラ』のブランドに携われると聞いた時は、す

ごく驚き、うれしく思いました。これからもっと頑張って結果

を出さなくてはと毎日練習に取り組んでいます。今回初め

てオリンピックに出場することになったので、最後まであきら

めずに全力で泳いでいきたいと思います。まずは、リオデ

ジャネイロオリンピックで世界にアピールし、東京2020で

は、メダルを目指して頑張ります」(2016年6月時点)

プロフィール

生年月日:2000年8月15日 出身地:岐阜県 身長:164cm 体重:51kg

小学校6年生で、平泳ぎ3種目(50m、100m、200m)と400m個人メドレーで日本学童記録を更新。2013年4月、中学1年生で

日本選手権に初出場し、200m平泳ぎで3位に入賞。2013年8月には、全国中学校水泳競技大会で2冠を達成。同年、10月には、

東アジア競技大会に日本選手団最年少選手として、平泳ぎの100mと200mに出場。2015年4月、日本選手権200m平泳ぎで、

日本中学記録と世界ジュニア記録を更新。同年8月、全国中学校水泳競技大会では、平泳ぎの100mと200mを制覇。3年連続2

冠を達成。10月には、FINA競泳ワールドカップで200m個人メドレーの中学新記録を、11月には、200m平泳ぎの中学新記録を樹

立。2016年4月7日、第92回 日本選手権水泳競技大会の女子200m個人メドレー決勝で、リオデジャネイロオリンピック派遣標準

記録(2分11秒03)を突破する2分10秒76(世界ジュニア新記録)をマークして2位に入り、オリンピック出場を決めた。リオ2016で

は200m個人メドレー準決勝に進出、東京2020でも活躍が期待される、いま最も注目を集める若手アスリート。現在、豊川高等学校

(愛知県豊川市)に在学中。

14

東京2020大会に向けて

西村碧莉選手コメント

「姉と同じく、本当に『まさか!』づくしで、信じられないこと

ばかりです。せっかく地元でオリンピックが開かれるので、め

いっぱい楽しみたいと思います。東京2020に向けて、姉

妹でメダル獲れるように頑張りますので、応援よろしくお願

いします」(2017年4月時点)

プロフィール

生年月日:2001年7月31日 出身地:東京都

西村家の4姉弟の三女。姉2人に付いていくようなかたちで、3姉妹でスケートスクールに参加。それ以来、スケートボードの

楽しさに夢中になり、現在は海外の大会に出場するまでに活躍の場を広げている。全日本スケートボード選手権<レディー

ス部門>では、12年優勝、13年2位、14年優勝、15年優勝。その他の主な戦績に、16年米国ワシントン州シアトル

Skate Like a Girl's 7th Annual Wheels of Fortune 2位、米国テキサス州オースティンX Games Austin 2016

- Women's Skateboard Street 8位、米国カリフォルニア州ロサンゼルス2016 SLS Nike SB Women's Super

Crown World Championship 5位。17年には「X Games Minneapolis Women's Skateboard Street」で優

勝。

西村詞音選手コメント

「姉妹で始めたスケートボードが、地元で開催される東

京2020で競技になるなんて想像していなかったので、

『まさか!』という気持ちでいっぱいです。そんな中、いつ

も飲んでいる大好きな 『コカ・コーラ』との契約のお話

をいただき、またまた『まさか!』で、妹の碧莉と一緒に大

喜びしました。東京2020に向けて、姉妹でメダルが獲

れるよう、練習に取り組んで頑張ります」(2017年4月

時点)

プロフィール生年月日:1998年11月29日 出身地:東京都

西村家4姉弟の二女。学生時代スケーターだった父親の影響で、家にデッキもあり、スケートボードは身近な存在だった。そ

のような環境のなかで、友人がスケートスクールに通っていると聞き、3姉妹で参加。詞音10歳。碧莉8歳の時だった。それ

以来、スケートボードに熱中している。全日本スケートボード選手権<レディース部門>では2013年優勝、14年3位、

15年2位という戦績を残している。

15

東京2020大会に向けて

16

コカ・コーラシステムは、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)が主催する「JOCオリンピック選手強化支援プ

ログラム with コカ・コーラ」に協力しています。このプログラムは、オリンピックを目指すアスリートの強化とオリンピックムー

ブメントを支援することを目的に、2016年1月にスタートしたものです。

その活動の一環として、売上の一部がJOCに寄付される「JOCオリンピック支援自販機」を設置しています。 寄付金は

JOCからオリンピック実施競技の競技団体へ分配され、選手強化ならびにオリンピックムーブメントの推進活動に利用さ

れます。「JOCオリンピック支援自販機」の1号機は東京都渋谷区千駄ヶ谷の東京体育館の敷地内に設置され、その

後はJOCや競技団体の関連施設、自治体施設、学校、オリンピックパートナー企業、空港、駅などの公共施設に展

開。「JOCオリンピック支援自販機」はこれまでに全国に約800台が設置されています(2017年6月時点)。

集められた寄付金は2018年6月末時点で、3000万円以上にのぼり、東京2020で実施される35の競技団体へ分

配されます。なお、寄付金の合計および配布先の競技団体等についてはJOCホームページで報告されます。

(http://www.joc.or.jp/donation/athletes_02/)

アスリートの強化とオリンピックムーブメントを支援

「JOCオリンピック選手強化支援プログラムwithコカ・コーラ」

売上の一部を日本オリンピック委員会に寄付する

「JOCオリンピック支援自販機」を設置

オリンピック競技をデザインしたオリジナルラッピングを施した「JOCオリンピック支援自販機」

東京2020大会に向けて

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日本コカ・コーラ社と日本郵便株式会社は、JOCと共同で、「JOCオリンピック選手強化支援プログラム with

コカ・コーラ」の新企画である「JOCオリンピック支援自販機 メダリストメモリアル機」の設置を、2017年8月から開始し

ました。これまでのオリンピック競技大会で活躍した日本人メダリストの功績を記念してゴールド、シルバー、ブロンズメダ

ルの色を配した特別デザインのラッピングを施した「JOCオリンピック支援自販機」を設置するものです。

2017年8月下旬より、リオ2016で活躍した58名のメダリストにゆかりのある地域※にある、全国60の郵便局に順次

設置されます。ゴールドメダリストにゆかりのある地域の郵便局にはゴールドの「JOCオリンピック支援自販機 メダリストメ

モリアル機」が、シルバーメダリストおよびブロンズメダリストにゆかりのある地域の郵便局には、それぞれのメダルの色の「メ

ダリストメモリアル機」が設置されます。

※ゆかりのある地域とはメダリストの出身地、出身校、練習地などを指します。

詳細につきましてはJOCホームページで報告いたします。(http://www.joc.or.jp/donation/athletes_02/)

アスリートの強化とオリンピックムーブメントを支援

「JOCオリンピック選手強化支援プログラムwithコカ・コーラ」

日本人メダリストゆかりの地に、メダルの色を配した特別デザインの

「JOCオリンピック支援自販機 メダリストメモリアル機」を設置

メダルの色を配した特別デザインのラッピングを施した「JOCオリンピック支援自販機 メダリストメモリアル機」上:ゴールド 下左:シルバー 下右:ブロンズ

東京2020大会に向けて

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「JOCオリンピック支援自販機」寄付の仕組み

STEP 1

製品購入者

JOCオリンピック支援自販機で

製品を購入

STEP 2

コカ・コーラシステム

自販機の売上の一部 ※1 を

コカ・コーラシステムよりJOCへ寄付

STEP 3

日本オリンピック委員会

(JOC)

JOCから東京 2020 オリンピック

実施競技団体へ分配 ※2

各競技団体

※1 JOCオリンピック支援自販機で購入された清涼飲料水1本につき数円程度を寄付いたします。※2 競技団体への分配方法については、JOCとコカ・コーラシステムが協議のうえ決定します。また、一部を

オリンピック・ムーブメント推進事業にも充当いたします。

県名 設置郵便局 対象台数 県名 設置郵便局 対象台数

北海道 札幌中央郵便局 2 長野 長野中央郵便局  1

北海道 苫小牧郵便局 1 静岡 沼津郵便局 1

青森 八戸郵便局 1 静岡 磐田郵便局 1

青森 三沢郵便局 1 静岡 豊岡郵便局 1

宮城 仙台川内郵便局 1 静岡 竜洋郵便局 1

茨城 古河郵便局 1 静岡 浜岡郵便局 1

茨城 東海郵便局 1 愛知 豊田北郵便局 1

栃木 小山郵便局 1 愛知 名古屋中郵便局 2

栃木 下野小金井郵便局 1 三重 嬉野郵便局 1

栃木 宇都宮中央郵便局 1 三重 津中央郵便局 1

栃木 宇都宮東郵便局 1 滋賀 彦根郵便局 1

栃木 間々田郵便局 1 京都 洛西郵便局 1

埼玉 新座郵便局 1 大阪 豊中長興寺南郵便局 1

埼玉 越生郵便局 1 大阪 寝屋川郵便局 1

埼玉 庄和郵便局 1 大阪 豊中南郵便局 1

埼玉 さいたま新都心郵便局 2 大阪 東淀川郵便局 1

東京 九段郵便局 1 大阪 吹田千里郵便局 1

東京 八王子郵便局 1 兵庫 神戸中央郵便局 1

東京 新宿郵便局 2 奈良 橿原郵便局 1

東京 麹町郵便局 1 和歌山 和歌山中央郵便局 1

神奈川 横浜中央郵便局 1 島根 松江中央郵便局 1

神奈川 茅ヶ崎郵便局 2 広島 庄原郵便局 1

神奈川 鶴見郵便局 2 広島 広島中央郵便局 2

富山 富山中央郵便局 1 山口 小郡郵便局 1

富山 高岡郵便局 2 山口 下関郵便局 1

石川 新金沢郵便局 1 山口 阿知須郵便局 1

石川 小松郵便局 1 徳島 徳島中央郵便局 2

石川 松任郵便局 1 福岡 福岡中央郵便局 1

福井 福井南郵便局 1 福岡 八幡南郵便局 1

山梨 甲府中央郵便局 2 長崎 長崎中央郵便局 1

計: 70

「JOCオリンピック支援自販機 メダリストメモリアル機」の設置先郵便局

設置郵便局は変更する可能性もあります。メダリストのプロフィールはJOCホームページの日本代表選手団メダリスト・入賞者一覧をご参照ください。

東京2020大会に向けて

コカ・コーラ社は、2回目の開催となる東京でのオリンピック開催に向けて、

世界中のオリンピックのファンや選手を支援し、オリンピックがかけがえのない

思い出として残るように、取り組んでいきます。

本件に関する報道関係者からのお問い合わせ先

日本コカ・コーラ株式会社 広報部

03-5466-8104

[email protected]