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Perak ペラ

Kedah ケダ

Penang ペナン

Kelantan クランタン

Perlis ペルリス

Terengganu トレンガヌ

Pahang パハン

Melaka マラッカ

Sabah サバ

Sarawak サラワク

Selangor セランゴール

Kuala Lumpur クアラルンプール

Negeri Sembilan ネグリ スンビラン

Johor ジョホール

2017年2月発行

Japan International Cooperation Agency Malaysia OfficeSuite 29.03, Level 29, Menara Citibank,165, Jalan Ampang, 50450 Kuala Lumpur, Malaysia.Tel: 03-2166 8900 Fax: 03-2166 5900http://www.jica.go.jp

JICAの協力を中心として

マレーシアにおける日本のODAの歩み

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 3つの形態による日本のマレーシアに対するODAの1969年から2014年までの支出総額は78億米ドルにのぼります。貸付に対する返済を差し引いた支出純額に基づくODA累計額は2014年末現在で25億米ドル余りとなっています。

 日本による二国間援助はJICA以外にも様々な機関が実施していますが、JICAは日本政府の政策に基づき、日本の協力の中心的役割を果たしてきました。

 人的支援においては、1956年以来、日本はJICAを通じて延べ約17,000人のマレーシア人の研修員を受け入れました。日本から派遣されたJICA専門家は3,600人にのぼります。また、これまでに約1,500人のボランティアがマレーシアで活動してきました。

 日本のマレーシアに対する政府開発援助(ODA)は、マレーシアから初の技術研修員が日本を訪問した1956年にさかのぼり、現在まで途切れることなく続いています。

 ODAとは開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に貢献するために行う公的機関による資金や技術の協力のことで、一般に、国と国の間で行われる協力(二国間援助)と、国際機関への出資や拠出を通じた協力(多国間援助)があります。日本による二国間援助は次の3つの形態で行われます。

円借款: 長期低利の政府貸付で、特に大規模インフラ整備、また、マレーシアでは留学生支援も支えてきました。 技術協力: 研修員受け入れ、専門家派遣、青年海外協力隊派遣などを通じて、インフラ、経済、社会、環境など幅広い分野で人材 と組織を継続的に支援してきました。 無償資金協力: 返済の必要がない無償資金の供与により開発に必要な機材・建物の整備を支えてきました。

 1957年のマラヤ連邦の独立以来、60年間にわたってマレーシアの社会・経済は安定的に成長しました。1960年に816万人であった人口は、2014年には3.7倍の2,990万人になりました。同じく1960年から2014年までの間に、国内総生産(GDP)でみる経済規模は約180倍、一人当たりGDPは約50倍にまで拡大しました。このような経済成長は、多くの人々の暮らしの改善をもたらしました。マレーシア政府の設定した所得レベルを下回る家計の割合を示した貧困率は1970年には49%にのぼっていましたが、2014年には0.6%と大きく減少しました(注)。

 マレーシア政府は国家の長期ビジョンである「ビジョン2020」の下で、現在、2020年までの先進国入りを目指して経済成長と国民生活の質の向上を進めています。

(注)1970年の貧困率はマレー半島部のみの数値。2014年はマレーシア全国の 数値。2014年の貧困ライン所得はマレー半島部が月平均930リンギット、 サバ州が1,170リンギット、サラワク州が990リンギット。

 この60年間のマレーシアの経済発展と歩調を合わせて、マレーシアと日本の経済関係も緊密になりました。1960~70年代には、マレーシアは日本に主に木材や錫などを輸出し、日本から機械類や金属製品を輸入していました。1980年代半ばからはマレーシア政府の投資奨励策や急激な円高の進行により、電気・電子産業を中心とする日本企業のマレーシア進出が加速しました。日本からマレーシアへは生産材料や部品が、マレーシアから日本へは木材や鉱物性燃料に加えて工場で加工された製品等の貿易が行われ、この時期のマレーシアの貿易総額に占める日本との貿易の割合は特に大きいものでした。1995年にはマレー

マレーシアと日本の経済関係

マレーシアのGDPと一人当たりGDPの推移(名目ベース)

マレーシアと日本の貿易の推移

マレーシアの社会経済の発展

日本のODAの概観

日本の協力の特徴と貢献時代の変化に寄り添った協力

 日本は、マレーシアの経済社会に対してその時どきのニーズに応じて協力してきました。1970年代より電力等経済基盤インフラを集中的に整備し、1980~90年代には産業技術の改善と人材育成を支え、2000年代に至っては都市化・環境問題対策等へと幅を広げてきました。その背景には11次にわたるマレーシアの体系的・持続的な国家開発計画があり、また各層各界における両国国民間の理解と信頼関係がありました。

人的資源開発の重視

 日本の協力では、インフラ整備でも産業振興でもほとんどのプロジェクトが研修・技術移転をはじめとする人的資源開発の部分が組み入れられています。また円借款はほとんどの国でイン

フラ整備を主な対象としますが、マレーシアでは留学生支援にも長期的に投入されました。このように広範かつ継続的に形成されてきた人的基盤は、マレーシア政府や産業界および社会の発展に寄与したのみならず日系企業の持続的進出の土壌ともなりました。

政府による開発協力から幅広い交流関係への展開

 マレーシア・日本の協力では、多くの現場で関係者同士の信頼関係が生まれ、それが政府関係者のみならず、企業や自治体、市民など幅広い層の関係発展につながってきました。協力プロジェクトに端を発する人間関係の広がりは両国の未来にとってかけがえのない資産となっています。

1960

1962

1964

1966

1968

1970

1972

1974

1976

1978

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

2004

2006

2008

2010

2012

2014

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50.0

100.0

150.0

200.0

250.0

300.0

350.0

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

GDP (10億米ドル): 左軸

一人当たりGDP (米ドル): 右軸

( 10 )

( )

( )

: World Bank,World Development Indicators

0

10,000

20,000

30,000

40,000

50,000

60,000

70,000

80,000

90,000

0

10

20

30

40

50

1960

: Department of Statistics; JETRO, “Malaysian Economy in Figures 2010”

1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2014

日本への輸出(左軸)日本からの輸入(左軸)輸出総額に占める日本への輸出(右軸)輸入総額に占める日本からの輸入(右軸)

(%)

( )

(百万リンギット)

マレーシアへの直接投資残高(2015年末)

107,524

73,757

43,882

35,19326,63423,278

21,620

21,532

18,467

14,337

8,659

8,254

101,790

: Department of Statistics, Malaysia

(百万リンギット)

日本の対マレーシア形態別ODAの推移(累計金額、支出純額)

世界金融危機

アジア金融危機

( 百万米ドル)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1975

1969

(暦年)

1980

1985

1990

1995

2000

2005

2010

2014

政府貸付等 技術協力 無償資金協力

(出所:日本外務省ODA国別データブック等。金額はOECD/DAC報告ベース)

シアの全輸出に占める工業製品の比率は80%を超え、マレーシアは工業国へと転換を果たしました。2000年代に入ると、マレーシアから日本への天然ガスの輸出が大きく伸びるなど、両国の貿易額は一段と増加しました。

 外国直接投資の受入を梃子に工業化を進めてきたマレーシアにとって、日本企業の投資は常に重要な役割を果たしてきました。2015年末の国・地域別のマレーシアへの直接投資残高をみると、日本は738億リンギットでシンガポールに次ぐ第2位の投資国となっています。

日本の政府開発援助(ODA)は、マレーシアの社会・経済の発展とともに歩んできました。その間にマレーシアと日本の人々の結びつきはますます強くなり、ODAもその一助となってきました。この60年間のODAの歩みをJICAによる協力を中心に紹介します。

マ レ ー シ ア の 発 展 と と も に ~ ニ ー ズ に 寄 り 添 い 、 絆 を 生 み 出 す

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Page 3: 16 IDCJ Cat Cover(JPN)...1 2 特筆すべきはマレーシア標準・工業研究所(Standards and Industrial Research Institute of Malaysia: SIRIM)との30 年間にわたる様々な協力です。SIRIMは工業製品の国際及び国

 特筆すべきはマレーシア標準・工業研究所(Standards and Industrial Research Institute of Malaysia: SIRIM)との30年間にわたる様々な協力です。SIRIMは工業製品の国際及び国家規格の普及・制定を担い、認証を行っています。この体制を整備するため、JICAはSIRIMと協力し、研修員受け入れ、専門家派遣、機材整備を継続的に行ってきました。また、工業技術の開発・普及についても、古くは金属加工や鋳造などの基礎技術から、最近はファインセラミクスや人工知能(Artificial Intelligence: AI)システム開発など、SIRIMがマレーシアの工業化を先導していくための数々の協力が行われました。こうした協力は、日系企業を含む外国からの直接投資にも寄与し、現行の経済政策の重要な基礎となっています。

 マレーシア経済は1960年代までは主に農林鉱産品の生産・輸出に依存していました。1970年代より、教育とインフラ整備に関する政府のリーダーシップによって工業化が急速に進みました。そして外資を活用しながら、自前の工業力(技術、人材、経営力)を強化してきました。日本の開発協力はまさにこのような工業力強化に対応してきました。これまで工業技術開発や職業

 インフラ、とりわけ道路整備と河川管理は、需要の後追いだけでなく先行投資の意味合いが強いと言え、長期的・総合的な計画を要します。この点に照らし、インフラ整備に対する日本の協力は、広域的な長期計画づくりに重点が置かれてきました。代表例は全国水資源開発計画(1978~82年)と全国道路網整備計画(1990~93)の作成です。こうした全国レベルの計画の下、流域ごとの水資源開発計画(キナバタンガン川、クラン川、ケランタン川、ムダ川等)、主要幹線計画(ジョホールバル道路交通、セレンバン-アイルヒタム有料高速道路、クランバレー交通、クアラルンプール都市交通環境改善)が相前後して作成されました。こうした整備計画に基づいて重点プロジェクトが選ばれ、資金協力(円借款)の対象となっていきました。代表例が首都圏・ジョホール州を結ぶ「セレンバン-アイルヒタム有料高速道路」の整備及びその運営管理と料金徴収システムです。円借款による道路・水資源整備事業は9件を数え、道路整備の皮切りとなったサバ州のクロッカー山脈横断道路建設事業、最大の円借款事業となったパハン・スランゴール導水事業などがあります。その後も継続してマレーシア政府自身の予算によってこれらの計画に基づく整備が進められています。

 道路整備、河川管理それぞれの所管官庁からは、日本が国内で蓄積してきた計画作りや運営管理の方法が導入され、マレーシアの政府組織に適合しながら育っていったという声がきかれます。

パハン・スランゴール導水事業

クロッカー山脈横断道路建設事業

職業訓練指導員・上級技能訓練センター(CIAST)

全体計画づくりから事業化・維持運営に至る一貫した協力

インフラストラクチャー(道路、水資源)

産業振興

工業化政策の重点・ニーズにタイムリーに対応

 電力・エネルギー開発は産業振興のために重要であると共に社会生活にも欠かせません。マレーシアでのこの分野に対する協力は、1974年のテメンゴール水力発電所建設への円借款に始まっています。1970年代半ばはマレーシアが急激に経済発展し電力需要が急増した時期に当たり、多目的ダムを含む水力発電所建設や火力発電所建設、設備増強等への長期低利融資と、こうした発電所等の開発計画を策定するための調査が行われました。その後、1990年代後半のアジア経済危機後の民間の電力投資が低迷した時期にも、円借款による既存の発電所のリハビリ事業が行われ電力供給増加に貢献するとともに、環境

エネルギー

産業振興の礎を築くへの影響を少なくするための設備更新も行われました。導入された発電機は当時マレーシアで最も高い発電効率(55%)を達成するとともに、これまでの発電所に比べて2009~2011年の間に温室効果ガス排出量を37.7%削減することに成功しました。

 当時共同で建設工事を行ったマレーシアと日本の企業は、協力過程を通じ技術者や企業同士の信頼関係を育み、それが企業間の提携関係として現在も継続しています。

テノムパンギ水力発電所(1979年建設、1992年リハビリテーション) ポート・ディクソン火力発電所(1999年リハビリテーション)

訓練・中小企業支援、貿易・投資促進などへの協力を通じ、マレーシア政府のその時どきの工業化政策の重点に沿った産業の振興支援が行われてきました。近年は民間セクターの発達に伴って、行政制度の改善により大きな重点が置かれています。省エネ、労働安全、公害防止、知的財産権、関税制度等です。

マレーシア国家計量研究所(旧・National Metrology Laboratory, SIRIM Berhad)

これまでに様々な分野でODAによる協力が行われてきました。以下は代表的な協力分野の事例です。

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 マレーシア沿岸海域は、多くの船舶が通行する世界的な海運の要衝です。マレーシアにとっては勿論、他のASEAN諸国、日本を含む東アジア諸国にとっても生命線です。

 マレーシア政府は、この重要な海上交通路であるマラッカ海峡を含むマレーシア周辺海域が直面する海賊行為、密輸、密漁等の問題に対処し、海上保安能力を強化するため、2005年にマレーシア海上法令執行庁(Malaysia Maritime Enforce-ment Agency: MMEA)を設立しました。

 日本は、MMEAの設立準備段階から組織体制づくりや人材育成のための協力を行ってきました。近年では海上法令執行と捜索救難に関する職員の能力強化に対する協力を実施しています。

 このMMEAの設立・能力向上により、世界経済を左右するマラッカ海峡などマレーシア周辺海域の安全確保は、以前に比べて格段に効果的に行われるようになりました。

 南南協力は途上国同士が助け合う協力です。マレーシアは1980年にマレーシア技術協力プログラム(MTCP)を発足させ、以来世界有数の南南協力国となっています。MTCPには約140か国から延べ約31,000人が参加してきました。

 JICAは、1992年以来、技術面(専門家派遣、研修計画作成等)と資金面の両方にわたってMTCPを継続的に支援してきました。その多くはマレーシア・日本間の技術協力経験を活用しています。対象分野は多岐にわたります。製造技術、職業訓練、IT、労働安全、起業、環境保護、感染症対策、高等教育、行政官研修、税関、歳入管理、海上保安、平和構築、貿易、金融等です。主な対象国は、ASEAN加盟諸国(とくにカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)、アフリカ諸国、イスラム諸国(とくにアフガニスタン、パレスチナ)です。

 青年海外協力隊は、ボランティアが主体となり、人 と々生活及び活動を共にしながら社会の発展に協力することを趣旨とした日本のODAのひとつです。第一号は1966年に派遣された5名の隊員でした。以来、1960、70年代はFELDA(注)による入植地での農作物栽培、幼稚園教育をはじめとした農村開発、1980、90年代は自動車整備、コンピュータ技術、日本語教師等、工業化に伴う人づくり、近年は自然環境保全、障害者支援といった経済成長に取り残された領域に多くが派遣されてきました。マレーシアにこれまでに派遣された隊員数は1,500人以上、世界で4番目の規模となっています。これはボランティアによる努力もさることながら、マレーシア政府及び派遣先のコミュニティ・団体の理解と暖かい受け入れの結果に他なりません。(注)Federal Land Development Authority : 自作農の育成を目的として設立 された政府系土地開発機関。

高等教育 大学拡充・留学生事業を通じた人づくり

 マレーシアにおける都市対農村の人口比は1960~2015年の55年間に1:3から3:1に逆転し、都市が主体の国へ急速に変貌しました。経済発展には長年重点が置かれてきましたが、今世紀に入った頃から都市環境への関心が急速に高まりました。この状況に応じて都市環境改善に対する日本の協力も2000年前後から本格化しました。主な内容は、下水道整備、廃棄物処理に関する行政能力強化、施設の維持運営体制強化です。

 他の分野と異なってこの分野では地方政府ないし地域住民グループを主体とする協力が数多くあります。日本側も草の根技術協力を通じて大学、都市自治体、NGO等が参加し、日本の地方行政の経験がマレーシアの地方政府に共有されてきています。中央レベル、企業レベルの協力に加えて、地方レベルの協力がこのように積み重なっていくのは両国関係を育む主体の多様化にもつながっています。

 教育セクターにおける日本の協力は高等教育を中心に行われてきました。マレーシアでは1980年代頃からの工業化に伴い理工系の人材育成の充実が急務となり、政府は国内大学の増設・拡充と留学支援に力を入れました。日本の協力は、この流れに沿って理工系の大学拡充と留学生支援に重点が置かれました。

 他国には見られない、マレーシアと日本の人づくりの協力の特徴として東方政策が挙げられます。これは1981年にマハティール首相(当時)が提唱したもので、言語や技術以外に労働倫理や価値観なども日本や韓国などの“東”から学ぶというものでした。東方政策の下、数々の留学事業や研修事業がマレーシア政府と日本政府の協力で実施されてきました。

 大学拡充への協力は多くの大学を対象に行われました。なかでも施設建設、機材供与、専門家派遣等を含む総合的な協力が行われた大学として、マラヤ大学日本語学科、マレーシア農科大学(現プトラ大学)海洋学部、同大学バイオテクノロジー学科、マレーシア国民大学医学部、サラワク大学、マレーシア日本国際工科院が挙げられます。また、サバ大学に対しては生物多様性・生態系保全のための協力を実施してきました。

 マレーシア人学生の日本への留学支援事業は高等教育における大きな協力の一つでした。日本は1993年から2015年の間に3次にわたる「高等教育基金借款」として合計約185億円を支援しました。

 1997年に発生したアジア通貨危機の影響で、これまでマレーシア政府により実施されてきた東方政策留学の予算の確保が困難となった時も日本は円借款により支援、1999年から2004年の間に約140億円を供与しました。これらの二つの留学生支援事業により学部・修士・博士課程の学生約2,300人が日本で学位を取得しました。

海上保安 マラッカ海峡や周辺海域の安全を確保

南南協力 マレーシア・日本が協力して世界の開発に貢献

ボランティア マレーシアの人 と々共に生活し、共に働きながら未来を創る

マレーシア日本国際工科院

 留学生支援事業は、マレーシアが必要としていた理工系の人づくりに寄与しました。また、留学生支援事業を通じた人づくりはマレーシアと日本の人的交流の活発化に役立っています。

国と国の協力から都市と都市の協力へ都市環境 (下水道、廃棄物処理)

高等教育基金借款(HELP)事業

第三国研修プログラム(TCTP):労働安全衛生

青年海外協力隊の活動(自動車整備の指導)

マレーシア海上法令執行庁(MMEA)への協力

コタキナバル市における廃棄物管理の改善(秋田市内視察)

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